EP 15
炭鉱400年への送還と、金曜日の祝杯
大広場を包んでいた緊迫した空気は、秋の高原を吹き抜ける清涼な風と共に、ゆっくりと霧散していった。
瓦礫の山と化した特設ステージの前には、完全に抵抗の気力をへし折られた二人の男が、泥の浮いた石畳の上に這いつくばっていた。
「ひ、許してくれ……! 俺が悪かった! 壺もサロンも全部インチキだったと認めるから、牢屋だけは勘弁してくれぇぇッ!」
元土木作業員の火原元は、鼻水と涙で泥まみれになった顔を擦りつけ、見苦しく命乞いを繰り返していた。
その隣では、肋骨を痛めて泡を吹いていた鮫島剛が、青いスーツをボロボロに引き裂かれた姿でガタガタと歯を鳴らしている。かつて情弱を狩る側として高笑いしていた詐欺師のプライドなど、粉微塵にも残っていなかった。
「残念ですが、司法と契約の適正手続きに情状酌量の余地はございませんよ」
人狼執事のリバロンが、片眼鏡の奥の瞳を冷ややかに細めながら、燕尾服の袖から取り出した頑強な金属具を掲げた。
それは、ルナミス帝国の秘密監獄およびドンガン地下炭鉱で受刑者に装着される、脱走防止魔導回路を組み込んだ『爆破機能付き奴隷首輪』だった。
カチリ、ジジッ──。
冷徹な手際で火原と鮫島の首へ嵌め込まれた瞬間、首輪の表面に刻まれた赤いルーンが禍々しく点滅を開始した。
「ぎゃあぁぁぁッ!? 首輪! またあの首輪がぁぁぁッ!!」
「はい、これにて脱走事案の現行犯逮捕および再収監手続き完了でございます。内務省のオルウェル内務官へ連絡を通し、ドンガン地下鉱山への護送馬車を手配いたしました。火原殿は以前の残刑期を含め、地下八百メートルの岩盤掘削で『懲役四百年』。鮫島殿は魔獣コロシアムの素手剣闘奴隷として、スライム相手の防具なし格闘十万回コースでございます」
「よ、よんひゃくねん……!? 死んじまう! 死んでも終わらねぇぞぉぉぉッ!!」
「スライムと素手で十万回!? 無理だ! 小突かれただけで全身複雑骨折してしまうぅぅッ!!」
絶叫する二人の頭上へ、パチンと派手に算盤の枠を叩く乾いた音が響いた。
金糸のベストを翻したニャングルが、巨大な羊皮紙の巻物を広げて仁王立ちしている。
「泣き喚くのはそこまでにしときぃ、ペテン師の旦那方! あんたらの隠し金庫と裏口座、ゴルド商会の情報網でたった今、全部差し押さえ完了したで!」
ニャングルの指先が目にも留まらぬ速さで算盤を弾き、冷徹な数字を読み上げる。
「騙し取った被害総額・金貨二百枚は全額没収! さらに村落破壊の賠償金、魔獣暴走による精神的慰謝料、諸経費を差し引いて……残金は一銭も残らへん! 身包み剥がして炭鉱へ直行や! ほら、ドンガンの護送兵の旦那、持ってってええで!」
広場へ乗り込んできた重装甲の護衛馬車から、厳ついドワーフの看守たちが現れ、泣き叫ぶ火原と鮫島を豚のように荷台へと放り込んだ。
車輪が軋む音と共に、二人の詐欺師は再び暗黒の地下世界へと護送されていく。
観客たちから割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こり、キュララの配信オーブがその無様な結末を全宇宙へ中継し終えた。
その喧騒の脇で、ニャングルが重みのある革袋を一つ、竜人イグニスの胸元へと放り投げた。
「ほらよ、筋肉トカゲ。あんたが汗水垂らして貯めた金貨三十枚と銀貨の束や。……ついでに、あのペテン師どもの裏金から迷惑料として金貨五枚上乗せしといたったわ」
「え……? あ……俺様の、金……?」
ずっしりとした金属の重みを掌に感じ、イグニスの琥珀色の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「戻ってきた……! 米代も、仕送り写真代も……全部戻ってきたぁぁぁッ!!」
イグニスはその場に膝をつき、革袋を抱きしめて子供のように号泣した。
ケンタウロスのマンミアが歩み寄り、パイルバンカーの柄でイグニスの頭をコツンと小突く。
「情けない声を出すな、バカ者が。……だが、無事で何よりだったな。次からは怪しい話に耳を貸すなよ」
「マンミアさん……! うわぁぁぁん!!」
泣きじゃくるイグニスの姿を見つめながら、中村優太は静かに胸を撫で下ろした。
その瞬間、視界の隅に黄金の光文字が滑らかに展開された。
【大規模特殊詐欺の完全解体および重要指名手配犯の再捕縛を感知】
【重大な地域防衛・社会正義の執行:善行ポイント+1,000P獲得】
【現在保有善行ポイント:2,603P】
「……よし。これでまた、いざという時の備えができたな」
優太が呟くと、隣に立っていたキャルルが満面の笑顔を浮かべて見上げてきた。
「優太さん、本当にありがとうございました! 知恵と科学の力で悪党を追い詰める姿、すっごく格好良かったです!」
「ありがとう、キャルル村長。でも、みんなの支えがあってこその結果だよ。一人だけの力じゃ、ここまで綺麗に片付けることはできなかった」
優太が笑いかけると、背後からボリッ、ボリボリッという小気味いい破砕音が響いた。
振り返ると、鬼神龍魔呂が角砂糖を奥歯で噛み砕きながら、漆黒の大型バイクに跨がっていた。
処刑人「DEATH4」の冷徹な殺気は完全に消え去り、いつもの気だるげで無骨な料理人の顔に戻っている。
「おい、優太」
「なんだ、龍魔呂」
「今日は何曜日だ?」
「……金曜日だな」
「そうだな。金曜はうちの仕込みの日だ。……特製のカレーを煮込むぞ。全員連れて店に来い」
龍魔呂はそう短く言い残すと、エンジンの重低音を響かせて一足先に路地へと走り去っていった。
夜の帳が下りる頃、小料理・BAR『鬼龍』の引き戸の前には、温かな琥珀色の光が溢れ出していた。
暖簾をくぐると、スパイスの刺激的な芳香と、濃厚な出汁の香りが混ざり合った、たまらなく食欲をそそる匂いが店いっぱいに充満している。
店内には、昼間のバッハではなく、静かなチェロとピアノが織りなす穏やかな室内楽が流れていた。
磨き抜かれた檜のカウンターには、キャルル、リバロン、ニャングル、マンミア、そして涙を拭って腹を空かせたイグニスが勢揃いしている。
「へい、お待ち。金曜特製、鬼龍の出汁カレーだ」
龍魔呂がカウンター越しに差し出したのは、深みのある藍色の陶器皿だった。
湯気を上げる艶やかなサンライスの麦飯の横に、飴色になるまでじっくり炒められた玉ねぎと、昆布・鰹に似た海の乾物から引かれた黄金出汁、そして優太が善行ガチャから提供した地球の特選カレールーが美しく融合した濃厚なソースが注がれている。具材には、分厚く切られたジューシーな『肉椎茸』と、甘辛く煮込まれた角切りの魔獣肉がゴロゴロと転がっていた。
「いただきまーす!!」
イグニスがスプーンを握りしめ、豪快に口へかき込んだ。
その瞬間、竜人の青年の目が丸く見開かれる。
「う、うめぇぇぇぇぇッ!! なんだこれ!? 口に入れた瞬間は出汁の甘みと旨味がガツンと来て、その後に奥深い辛さが追いかけてくる! 肉椎茸が肉汁みたいにジュワッと溢れて、米が止まらねぇぞぉぉ!!」
「ほんに美味いなぁ……! 異世界のスパイスとウチの出汁が、完璧な資本提携を結んどるわ!」
ニャングルが算盤を置いてスプーンを走らせ、キャルルも頬を赤らめて夢中で咀嚼している。
マンミアは普段の凛々しい騎士の表情をすっかり崩し、黙々と大盛りカレーを平らげていた。
「ふふ、皆様の健康的な咀嚼音は、執事としても実に心地よいものです」
リバロンが優雅に微笑み、優太の前のグラスへ琥珀色の液体を注いだ。
「優太殿、本日の祝杯に、村の地ウイスキー『サケスキー』を陽薬茶で割った特製ハイボールでございます」
「ありがとう、リバロン」
優太はグラスを持ち上げ、香りを愉しんでから一口含む。
ピートのスモーキーな風味と、陽薬茶の爽やかな苦味が炭酸と共に喉を刺激し、全身の疲れが心地よく溶けていく。
カウンターの端では、厨房の仕事を終えた龍魔呂が、分厚いロックグラスに氷を浮かべ、棚から取り出した角砂糖を二粒口へ放り込んでいた。
ボリッ、ボリボリッ……。
夜の音楽に溶け込む、いつもの乾いた破砕音。
龍魔呂はサケスキーをストレートで呷ると、レザージャケットのポケットから真鍮製オイルライターを取り出し、親指で弾いた。
カチッ……シュポッ。
灯った黄色の炎が、赤箱の無骨な紙巻タバコの先端を照らす。
優太もまた、パーカーのポケットから無添加の青い紙巻タバコを取り出し、軍用マッチを擦って火を移した。
二つの紫煙が、間接照明の温かな光の中で静かに立ち上り、天井へと溶けていく。
「いいカレーだったよ、龍魔呂」
「……ルーの質が良かっただけだ」
ぶっきらぼうに返す龍魔呂の口元が、わずかに緩んでいた。
賑やかに笑い合う仲間たちの声。子供のようにカレーをおかわりするイグニスと、それをたしなめるマンミア。
この泥臭くも愛おしい日常を守り抜いた満足感が、静かに店を満たしていた。
だが──その平穏のただ中に、人狼執事リバロンが足音もなく優太と龍魔呂の背後へと進み出た。
その端正な顔立ちから笑みが消え、片眼鏡の奥の瞳に鋭利な影が宿っている。
「優太殿、龍魔呂殿。……宴の腰を折るようで恐縮ですが、一つだけご報告がございます」
リバロンは燕尾服の内ポケットから、黒い封蝋の施された極秘の親書を取り出し、カウンターの檜の上へと滑らせた。
「帝国内務省のオルウェル内務官より、直通便で届いた暗号電文です。……今回、火原と鮫島を秘密監獄から脱獄させた手引き人の足取りが掴めました」
「手引き人……?」
「ええ。帝国の暗部に巣食うユニークスキル犯罪組織──仮面結社『ナンバーズ』の幹部『スリー』です。奴らは三大国の境界にあるこのポポロ村を、何らかの大規模な実験の標的として見定めている節があります」
リバロンの言葉に、龍魔呂のグラスを持つ手がピタリと静止した。
タバコの煙を燻らせる龍魔呂の瞳の奥に、かつて帝国の裏路地で遭遇した忌まわしい記憶──そして、亡き弟ユウの因果に関わる不穏な気配が、微かに明滅する。
「ナンバーズ、か」
優太はグラスの氷を指先で軽く揺らし、静かに紫煙を吹き消した。
その双眸に、怯えは一切ない。
あるのは、どのような病魔や暴力が降りかかろうとも、大切な仲間たちの日常を外科医の手術のように冷徹に守り抜くという、揺るぎなき覚悟だけだった。
「どんな悪党が蠢いていようと関係ないさ。……この村の平和を脅かす病巣なら、知恵と準備を尽くして、何度でも根こそぎ切除するまでだ」
「……違げぇねぇな」
龍魔呂が短く応じ、真鍮ライターを親指でカチャリと閉じた。
二つのグラスが、静かな金属音を立てて軽く打ち合わされる。
限界集落ポポロ村の夜は、深く、穏やかに更けていく。
だが、運命の歯車はすでに次なる嵐──怪奇食材の狂乱と、帝国の闇が蠢く第二章へと向けて、力強く回り始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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