計算違い。
「……本当に全部降ろすんですかい?」
荷馬車の上にいた作業員が、うんざりした声を上げた。
「全部です」
ニュートンが答える。
「旦那、本当にこの人に任せていいんですか?」
「俺に聞くな!」
商人の男は苛立たしげに頭を掻いた。
「……いや、聞いてくれ。俺も今から聞くところだ」
そう言って、ニュートンに向き直る。
「先生とやら。あんた、名前は?」
「アイザック・ニュートンと申します」
「ニュートン……聞かない名前だな」
「遠方から来ましたので」
「そうか。俺はバルドだ。この倉庫と、ここにある荷馬車を預かってる」
バルドは荷台を指さした。
「それで、ニュートン先生。全部降ろしたら、積める量が増えるんだな?」
「それは、まだ分かりません」
「……は?」
「調べてみなければ、増やせるかどうかも判断できません」
バルドは口を開けたまま固まった。
作業員の一人が吹き出した。
「旦那、こりゃ面白い人を連れてきましたね」
「笑い事じゃねえ!」
バルドはニュートンを睨んだ。
「増やせるかどうか分からないのに、全部降ろせって言ったのか?」
「はい」
「はい、じゃねえよ!」
ニュートンは少し考えた。
「では、荷物を降ろさずに調べる方法を考えましょうか」
「……できるのか?」
「多少は。ただし、時間がかかるでしょう」
「どれくらいだ?」
「分かりません」
「分からないことばっかりじゃねえか!」
倉庫の前に笑い声が響いた。
ニュートンは不思議そうに周囲を見回した。
何がおかしいのか、よく分からなかった。
結局、荷物を降ろすことになった。
ただし、バルドの提案で、すべてを一度に降ろすのではなく、荷物の位置を記録しながら順番に降ろすことにした。
「その方が、どこに何を積んでいたか分かるだろう」
「確かに。その通りです」
ニュートンは素直に頷いた。
バルドは少し意外そうな顔をした。
「……あんた、自分のやり方にこだわる人間じゃないのか?」
「より良い方法があるなら、そちらを採用すべきでしょう」
「へえ」
バルドは口元を緩めた。
「なら、話は早い」
作業員たちが木箱を運び始めた。
ニュートンは荷台の長さと幅を測り、紙に簡単な図を描いた。
荷車は四輪だった。
前輪側には方向を変えるための仕組みがあり、後輪側には太い木製の車軸が通っている。
荷台の中央には、長年の使用で生じたと思われる小さなたわみがあった。
「……ふむ」
ニュートンはしゃがみ込んだ。
車軸を支える木材に、細い亀裂が走っている。
「バルドさん」
「何だ?」
「この部分は、以前から傷んでいたのですか?」
バルドは覗き込んだ。
「ああ、そこか。古い荷車だからな」
「修理の予定は?」
「次の輸送が終わったら、まとめて直そうと思ってる」
ニュートンは亀裂を見つめた。
「……そうですか」
木箱が半分ほど降ろされたところで、ニュートンはあることに気づいた。
箱の大きさが、ほとんど同じだった。
しかし、運んでいる作業員の様子が違う。
ある箱は一人で軽々と持ち上げられる。
別の箱は、二人がかりでも苦労していた。
「中身は何でしょうか?」
ニュートンが尋ねた。
「小麦粉、干し肉、布、それから金属製品だ」
バルドが答える。
「全部、北の町へ運ぶ荷物だ」
「重さは記録されていますか?」
「重さ?」
「はい。箱ごとの重量です」
「そんなもん、いちいち量ってねえよ」
ニュートンは少し驚いた。
「では、どのように積む順番を決めているのですか?」
「重そうな箱を下に、軽い箱を上に。それだけだ」
「なるほど」
ニュートンは頷いた。
理にかなった方法だった。
重い荷物を下に置けば、重心が低くなり、荷崩れの危険を減らせる。
しかし、それだけでは車軸への負荷を均等にできるとは限らない。
「秤はありますか?」
「倉庫にあるぞ」
「使わせていただけますか?」
「好きにしろ」
しばらくして、倉庫の前には木箱が整然と並べられた。
ニュートンは一つずつ重量を量り、紙に記録していった。
バルドはその様子を眺めていた。
「……先生」
「はい」
「これ、全部やるのか?」
「ええ」
「何箱あると思ってる?」
「まだ数えていません」
「四十六箱だ」
ニュートンは手を止めた。
「……なるほど」
「なるほど、じゃねえよ」
バルドはため息をついた。
「日が暮れちまうぞ」
ニュートンは少し考えた。
「では、同じ品物をまとめて量りましょう」
「最初からそうしろ!」
「ただし、同じ品物でも重量が異なる場合があります」
「細けえなあ……」
そう言いながらも、バルドは作業員たちに指示を出した。
作業は思ったより早く進んだ。
午後。
荷物の重量が、おおよそ明らかになった。
ニュートンは紙の上に、荷台を横から見た図を描いた。
「荷車の重さを、仮に無視するとします」
バルドが眉をひそめた。
「無視していいのか?」
「荷物によって増える負荷を比較するためです。実際の車軸には、荷車自身の重さもかかります」
「……ふうん」
ニュートンは図の前後に点を打った。
「荷台の重さは、主に前後の車輪を通して地面に伝わります」
「そりゃそうだろう」
「しかし、どちらにどれだけ伝わるかは、荷物を置く位置によって変わります」
ニュートンは紙に線を引いた。
「例えば、同じ重さの箱でも、後ろに置けば後輪側の負担が大きくなります」
「……ほう」
「反対に、前へ置けば前輪側の負担が増えます」
バルドは図を覗き込んだ。
「つまり、前と後ろに均等に積めばいいのか?」
「必ずしもそうではありません」
「またかよ!」
ニュートンは顔を上げた。
「車軸や車輪の強度が、前後で同じとは限りませんから」
バルドは黙った。
ニュートンは続けた。
「それに、道が平らとは限りません。坂道や凹凸によって、荷重のかかり方は変化します」
「……なるほどな」
バルドは腕を組んだ。
「じゃあ、今の積み方はどうなんだ?」
ニュートンは計算した数字を示した。
「後輪側に、かなり負担が偏っています」
バルドは荷車を見た。
「……そういや、後ろの車輪ばかり傷むんだよな」
「それは関係しているかもしれません」
ニュートンは頷いた。
「ただし、傷みの原因がそれだけとは限りません」
「分かった分かった。先生は簡単に決めつけねえんだな」
バルドは苦笑した。
荷物を積み直すことになった。
ニュートンは重い箱を前後に分散させ、荷台の中央付近に重量が集中しすぎないように配置を考えた。
ただし、前輪が旋回するときに荷台へ干渉しないこと、馬への負担が増えすぎないことも考慮する必要があった。
作業員の一人が口を開いた。
「先生、こっちの箱は横にしない方がいいですよ」
「なぜですか?」
「中に瓶が入ってるんです。横にすると割れるかもしれません」
「……なるほど」
ニュートンは図を修正した。
別の作業員が言った。
「それと、布の箱は上にしてくれませんか。雨が降ったら、すぐ覆いをかけられるようにしたいんです」
「承知しました」
さらに別の男が口を挟んだ。
「この樽は一番奥に置くと困りますよ。途中の村で降ろす荷物なんで」
ニュートンは手を止めた。
「……途中で降ろすのですか?」
「ええ」
ニュートンは積荷の一覧を見直した。
到着地。
荷降ろしの順番。
荷物の性質。
重量だけでは、最適な配置は決まらない。
「……これは、思ったより複雑ですね」
作業員たちが笑った。
「でしょう?」
「俺たちだって、毎日考えて積んでるんですよ」
ニュートンは頷いた。
「ええ。よく分かりました」
彼は紙の端に、新しく項目を書き加えた。
『荷降ろしの順序』
『破損の危険』
『雨への対策』
バルドはその様子を見ていた。
「先生」
「はい」
「俺たちの仕事、ただ箱を積むだけだと思ってたか?」
ニュートンは少し考えた。
「……正直に申し上げれば、ここまで多くの条件があるとは思っていませんでした」
バルドは笑った。
「そうかい」
「勉強になります」
その言葉に、作業員たちの表情が少し和らいだ。
夕方近く。
荷物の積み直しが終わった。
見た目には、最初と大きく変わっていない。
しかし、箱の配置はかなり異なっていた。
バルドは荷台を見上げた。
「……で、先生」
「はい」
「結局、何箱増えた?」
ニュートンは答えた。
「増えていません」
沈黙。
「…………は?」
「積載量は、増えていません」
バルドは両手で顔を覆った。
「おい……」
作業員たちも顔を見合わせた。
ニュートンは続けた。
「ですが、後輪側に偏っていた負荷は、ある程度分散できたと考えられます」
「それで?」
「それに、先ほど確認した亀裂が気になります」
ニュートンは荷台の下を指さした。
「この荷車に、これ以上の荷物を積むべきではありません」
バルドは黙っていた。
「……あんた」
低い声だった。
「俺が何を頼んだか、覚えてるか?」
「はい。積載量を増やしたいと」
「そうだ」
「ですが、危険な状態で積載量を増やす方法を提案することはできません」
バルドはニュートンを睨んだ。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて。
「……ちっ」
バルドは舌打ちした。
「金を払ってまで聞く話じゃなかったな」
ニュートンは静かに頷いた。
「ご期待には沿えませんでした」
「まったくだ」
バルドは背を向けた。
ニュートンは紙をまとめ始めた。
「おい、先生」
帰ろうとしたところで、作業員の一人に呼び止められた。
先ほど、瓶の入った箱について教えてくれた男だった。
「ちょっと待ってくれ」
「何でしょう」
男は荷台の下を指さした。
「さっきの亀裂なんですがね」
「はい」
「実は、前から気になってたんです」
ニュートンは顔を上げた。
「そうなのですか」
「ええ。最近、荷車がやけに揺れるようになって」
男は声を落とした。
「旦那には何度か言ったんですが、忙しいから後にしろって」
ニュートンは亀裂を見た。
「……なるほど」
「先生が言ってくれて、少し助かりました」
男は苦笑した。
「俺たちが言っても、なかなか聞いてくれないんで」
ニュートンは首を横に振った。
「私は、見たことをお伝えしただけです」
「それが大事なんですよ」
男は笑った。
「見えてても、言えないことってありますから」
ニュートンは少し考えた。
そして、静かに頷いた。
帰り道。
ニュートンは、商業区を歩いていた。
報酬は得られなかった。
時間も使った。
紙とインクも消費した。
それでも、今日の出来事は無駄ではなかった。
荷物の重量。
車軸への負荷。
作業員たちの経験。
そして、商人の事情。
同じ問題を見ていても、人によって重要なものは異なる。
バルドにとっては、輸送費を減らすこと。
作業員にとっては、荷物を壊さず、安全に運ぶこと。
ニュートンにとっては、正確な計算をすること。
どれも、間違いではなかった。
しかし。
「……計算が正しいだけでは、足りないのか」
ニュートンは小さく呟いた。
元の世界でも、学問と人間の思惑が衝突することはあった。
それでも、目の前の問題に対して、正しい答えを示せば十分だと考えていたのかもしれない。
だが、今日のバルドは、その答えを求めていなかった。
彼が求めていたのは、荷物を増やす方法だった。
ニュートンは歩きながら考えた。
危険を承知で積載量を増やすことはできない。
しかし、だからといって、何もできないわけではない。
「……ふむ」
彼は足を止めた。
そして、懐から紙を取り出した。
先ほど描いた荷車の図。
その横に、輸送費の計算を書き加えた。
荷物の量。
輸送回数。
護衛費。
荷車の修理費。
「……待てよ」
ニュートンは眉を寄せた。
そもそも、バルドが減らしたいのは荷車の数ではない。
輸送にかかる費用だ。
積載量を増やすことは、そのための一つの方法にすぎない。
「ならば……」
彼は紙に新しい式を書き始めた。
その夜。
宿の食堂には、いつものように温かな灯りがともっていた。
マーサが皿を運びながら、ニュートンに声をかけた。
「先生、今日はどうだった?」
「仕事は、うまくいきませんでした」
「ありゃ、そうかい」
「ええ」
ニュートンは椅子に腰掛けた。
「ただ、もう一度お話を伺いたいと思っています」
マーサは笑った。
「諦めが悪いねえ」
「よく言われます」
「だろうね」
マーサはスープを置いた。
「でも、あんまり根を詰めるんじゃないよ」
「ありがとうございます」
ニュートンは匙を手に取った。
そのとき、食堂の扉が開いた。
「こんばんはー!」
リーナだった。
「おや、リーナちゃん」
「マーサさん、まだご飯ある?」
「あるよ。座んな」
リーナはニュートンを見つけると、隣の椅子に腰掛けた。
「先生、今日は何してたの?」
「荷馬車の積載量について調べていました」
「……荷馬車?」
「ええ」
「今度は荷馬車なの?」
「はい」
リーナは呆れたように笑った。
「先生って、本当に何でも調べるのね」
「興味深い問題でした」
「またそれ!」
二人は笑った。
やがて、リーナが言った。
「そういえば、明日からしばらく町を離れるから」
ニュートンは顔を上げた。
「北の街道ですか?」
「そう。前に話した護衛の仕事」
「……そうでしたね」
「何かお土産でも買ってこようか?」
「いえ、お気遣いなく」
「遠慮しなくていいのに」
ニュートンは少し考えた。
「では、一つお願いしてもよろしいでしょうか」
「何?」
「街道の状態を、できるだけ詳しく覚えてきていただけますか」
リーナは瞬きをした。
「……道?」
「はい。坂の傾斜や、路面の凹凸、ぬかるみの有無などです」
「…………」
「特に、荷馬車が大きく揺れる場所があれば、教えていただきたいのですが」
リーナは額に手を当てた。
「先生」
「はい」
「私、遊びに行くんじゃないのよ?」
「承知しています」
「魔物から商人を守る仕事なの」
「もちろんです。安全を最優先にしてください」
「……だったら、道なんか見てる余裕ないかもしれないでしょ」
ニュートンは頷いた。
「その場合は、構いません」
リーナはしばらく彼を見つめた。
そして、ふっと笑った。
「……まあ、覚えてたらね」
「ありがとうございます」
「その代わり、帰ってきたらご飯おごってよ」
ニュートンは少し困った顔をした。
「……今は、あまり持ち合わせが」
「冗談よ!」
リーナは声を上げて笑った。
マーサも厨房から笑っていた。
食事を終えたあと。
ニュートンは部屋に戻った。
机の上に、今日の記録を広げる。
荷車の図。
重量の一覧。
積み直した配置。
そして、輸送費についての計算。
彼は紙の端に、一つの問いを書いた。
『何を最小にすべきか』
荷物の重さか。
輸送回数か。
費用か。
危険か。
答えは、問題の立て方によって変わる。
ニュートンは筆を置いた。
窓の外では、夜の町が静かに眠り始めていた。
彼はもう一度、紙に目を落とした。
そして、問いの下に短い一文を書き加えた。
『まず、目的を確かめること。』




