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『万有引力は異世界にも働くのか』  作者: 赤CABINたーる1


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9/9

急がば回れ。

翌朝、ニュートンが食堂へ降りると、マーサが大きな包みを机に並べていた。


干し肉、固いパン、それから布にくるまれた何か。


「おはようございます」


「ああ、おはよう。先生、ちょっと手を貸しておくれ」


マーサは包みの一つを持ち上げた。


「こいつを紐で結びたいんだけど、どうにも上手くいかなくてね」


ニュートンは近づき、包みを受け取った。


「どちらへ運ばれるのですか?」


「リーナちゃんだよ。今日、北の街道へ出発するだろう?」


「ああ……」


ニュートンは包みを見下ろした。


昨夜、リーナは明日から町を離れると言っていた。


食事のあとも、彼女は仲間たちとの待ち合わせがあるからと、慌ただしく宿を出ていった。


「これを持たせるのですか?」


「そうさ。あの子、仕事となると食事を抜くことがあるからね」


マーサは呆れたように肩をすくめた。


「冒険者ってのは、どうしてああも自分の体を大事にしないんだろうね」


ニュートンは少し考えた。


「危険な状況では、食事を取る余裕もないのではありませんか?」


「だからって、出発前から食べない理由にはならないだろう?」


「……確かに」


ニュートンは包みを紐で結んだ。


「これでよろしいでしょうか」


「おや、ずいぶん綺麗に結ぶねえ」


「荷物を運ぶ際、紐が緩めば中身が落ちてしまいますから」


「そういうところは、よく気がつくんだね」


マーサは笑った。


「先生も、少しは冒険者らしくなってきたじゃないか」


「私は冒険者になった覚えはありませんが」


「ははは! そうだったね!」


食堂に笑い声が響いた。




冒険者ギルドの前には、数台の荷馬車が停まっていた。


護衛依頼の参加者たちが集まり、荷物の確認をしている。


ニュートンが通りかかると、ちょうどリーナが仲間の一人と話しているところだった。


「……だから、薬草の袋はこっち。食料はそっちにまとめて」


「分かったって。何度も言わなくても覚えてるよ」


「前に忘れたのは誰だったかしら?」


「……俺です」


「でしょ?」


リーナは満足げに頷いた。


ニュートンは少し離れたところで、その様子を眺めた。


冒険者としてのリーナは、普段宿で話しているときとは少し違って見えた。


言葉は相変わらず軽快だが、荷物の位置や仲間の装備を細かく確認している。誰が何を持ち、何が足りていないのかを把握しているようだった。


「ニュートン先生?」


リーナがこちらに気づいた。


「おはようございます」


「どうしたの? 見送り?」


「ええ。マーサさんから、こちらを預かりました」


ニュートンは包みを差し出した。


「あっ、これ!」


リーナの顔が明るくなった。


「マーサさん、わざわざ作ってくれたんだ」


「食事を抜くことがあると心配していました」


「……余計なことまで聞いてるのね」


リーナは苦笑した。


「まあ、ありがたくもらっておくわ」


包みを荷物にしまい、彼女はニュートンを見た。


「それで、昨日の話だけど」


「街道の様子について、ですね」


「そう。覚えてたら教えてほしいって言ってたわね」


リーナは少し考えた。


「ただ、実際に行ってみないと分からないことも多いと思うわ。道の状態は季節によっても変わるし、荷馬車の大きさによって通りやすい場所も違うから」


「……なるほど」


ニュートンは頷いた。


「私が知りたいのは、街道そのものの性質です。もし可能なら、坂道の傾斜や、車輪が沈み込むような場所があるかを教えていただきたいのです」


「分かった。危なくない範囲でね」


「もちろんです」


リーナは腕を組んだ。


「でも、先生。昨日の荷馬車の仕事、どうなったの?」


ニュートンは少し目を伏せた。


「……うまくいきませんでした」


「えっ、そうなの?」


「積載量を増やすことはできませんでした」


「そっか……」


リーナは意外にも、笑わなかった。


「でも、荷車が壊れそうだったんでしょ?」


ニュートンは顔を上げた。


「ご存じなのですか?」


「昨日、ギルドでその商人の話を聞いたのよ。最近、北の街道の輸送が滞ってるから、商人たちはみんな焦ってるんだって」


リーナは荷馬車の方を見た。


「荷物が届かなければ、売るものもなくなる。売るものがなければ、商人は稼げない。だから、多少無理をしてでも一度に運ぼうとするんでしょうね」


「……そうですね」


「でも、荷車が壊れたら、もっと困るわ」


リーナはニュートンに向き直った。


「先生が止めたのなら、それは間違いじゃなかったんじゃない?」


ニュートンは返事をしなかった。


昨夜から、何度も考えていたことだった。


自分の判断は正しかったのか。


商人の依頼に応えられなかったことは、失敗なのか。


まだ、はっきりした答えは出ていない。


「……ありがとうございます」


ニュートンはそう答えた。


リーナは少し驚いたように瞬きをした。


「別に、お礼を言われるようなことじゃないわよ」


「いえ。参考になりました」


「本当に、先生って変なところで真面目ね」


リーナは笑った。




出発の合図がかかった。


護衛の冒険者たちが荷馬車の周囲に集まり、装備を確認する。


リーナは肩に掛けていた荷物を背負い直した。


「それじゃ、行ってくるわ」


「お気をつけて」


「先生も、研究ばかりしてないで、ちゃんとご飯を食べるのよ」


「……マーサさんと同じことをおっしゃいますね」


「マーサさんが正しいのよ」


リーナは得意げに笑った。


そして、荷馬車の横を歩き始めた。


ニュートンはその背中を見送った。


荷馬車がゆっくりと動き出す。


車輪が石畳の継ぎ目を越え、木材が小さく軋んだ。


ニュートンは、その音に耳を傾けた。


荷台の揺れ。


車輪の回転。


馬の歩幅。


どれも、彼にとっては興味深い観察対象だった。


しかし、今は記録を取ることができない。


目の前を通り過ぎる荷馬車は、すぐに遠ざかっていく。


リーナの姿も、町の門の向こうへ消えていった。


ニュートンはしばらく、その方向を眺めていた。


「……さて」


呟いて、歩き出す。


自分には、自分の仕事がある。




昼過ぎ。


ニュートンは書店を訪れた。


扉を開けると、鈴の音が鳴った。


「こんにちは」


「おや、先生。今日は何を調べに来たんだね?」


店主の老人が顔を上げた。


「今日は、少し相談がありまして」


「相談?」


老人は眼鏡を直した。


「珍しいな。いつもは質問ばかりなのに」


「相談も、質問の一種ではありませんか?」


「……そう来たか」


老人は苦笑した。


ニュートンは昨日の荷馬車の件を話した。


荷物の重量を量ったこと。


車軸の傷みを確認したこと。


配置を変えても、積載量を増やせなかったこと。


そして、輸送費そのものを考え直す必要があると気づいたこと。


老人は最後まで口を挟まずに聞いていた。


「……なるほどな」


話を終えると、老人は顎に手を当てた。


「それで、先生はどうしたいんだね?」


「もう一度、商人と話をしたいと思っています」


「何を話す?」


ニュートンは少し考えた。


「積載量を増やす以外の方法で、輸送費を減らせないかと」


老人は頷いた。


「よい考えだと思うよ」


「ただ、具体的な方法が思いつきません」


「それは、話を聞いてみなければ分からんだろう」


老人は棚から一冊の本を取り出した。


古びた表紙には、街道と町の位置を記した地図が描かれている。


「この町から北へ向かう街道の地図だ。商人たちが使うものほど詳しくはないが、主要な町と宿場は載っている」


ニュートンは本を受け取った。


「ありがとうございます」


「返してくれれば、しばらく貸しておこう」


ニュートンはページを開いた。


町から北へ伸びる道。


途中にある小さな村。


川を渡る橋。


そして、街道が山地へ入る地点。


彼は地図をじっと見つめた。


「……この橋は?」


「古い橋だよ。大きな荷車が何台も続けて渡るのは、あまり勧められんな」


「橋の強度が分からないのですか?」


「正確にはね。昔から使われているが、修理も何度かしておる。どの程度の重さに耐えられるか、数字で示せる者は少ないだろう」


ニュートンは橋の位置に印をつけた。


「……なるほど」


老人はその手元を眺めた。


「先生。昨日の荷馬車の件で、一つ学んだことがあるんじゃないかね?」


ニュートンは顔を上げた。


「何でしょう」


「物を正確に測ることは大事だ。だが、何を知るために測るのかを忘れてはいかん」


ニュートンは、昨夜自分が書いた言葉を思い出した。


――まず、目的を確かめること。


「……ええ」


「そして、測れないものがあるからといって、何も分からないわけではない」


老人は地図を指で叩いた。


「道を歩いた者は、どこが危ないかを知っている。荷を運んだ者は、どこで車輪が沈むかを知っている。数字にできなくても、知識はそこにある」


ニュートンはしばらく黙っていた。


やがて、地図に視線を戻した。


「……その知識を、どう扱うかも重要ですね」


老人はわずかに目を細めた。


「そうだな」


それ以上、老人は何も言わなかった。




書店を出たニュートンは、宿へ戻る道すがら、地図の内容を頭の中で整理していた。


街道には、橋がある。


山地がある。


村がある。


そして、それぞれの場所に暮らす人々がいる。


荷馬車を一度に多く走らせることができれば、輸送費は減るかもしれない。


しかし、橋の強度が分からないなら、重い荷車を通すのは危険だ。


山道が険しいなら、荷物の重さだけでなく、車輪や馬の負担も考えなければならない。


それならば、荷物を運ぶ経路を変える方法はないだろうか。


あるいは、出発する時期を調整することは。


ニュートンは足を止めた。


「……一つずつ、確かめるしかないか」


空を見上げる。


太陽は西へ傾き始めていた。


元の世界では、考えごとをしているうちに、食事の時間を忘れることも珍しくなかった。


しかし、この世界では、考えるだけでは何も手に入らない。


紙も、インクも、食事も、誰かが作り、運び、売っている。


そして、自分もまた、その営みの中で生きている。


ニュートンは地図を閉じた。


今度は、答えを急ぐまい。


まずは、知っている者に話を聞くところから始めよう。


そう考えながら、彼は宿への道を歩いていった。

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