適性検査
扉を開けた瞬間、騒がしい声が耳に飛び込んできた。
酒を酌み交わす男たち。壁に貼られた無数の紙。剣や弓を携えた者たちが、思い思いに談笑している。
ニュートンは入口で足を止めた。
「どうしたの?」
隣に立つ女性が振り返る。
「……ここは、何をする場所なのですか?」
「何って、冒険者ギルドよ。見れば分かるでしょう?」
女性は不思議そうに首を傾げた。
「冒険者……」
ニュートンはその言葉を小さく繰り返した。
冒険者という職業自体は、彼の知る世界にも存在する。未知の土地を探検する者、海を渡る者、新たな交易路を求める者。
しかし、目の前の光景はそれらとは随分違っていた。
鎧を着込んだ大男が、受付と思しき場所で何かを報告している。その手には、獣のものとは思えない巨大な牙が握られていた。
「とりあえず、こっちに来て」
女性に促され、ニュートンは建物の奥へと進んだ。
受付には若い女性が座っていた。
「あら、リーナさん。お帰りなさい」
「ただいま、エマ。この人、ちょっと困ってるみたいなの」
リーナと呼ばれた女性は、ニュートンを指さした。
「街の外から来たらしいんだけど、お金が使えないって言うのよ」
「外国の方ですか?」
受付の女性がニュートンに尋ねた。
「……恐らく、そういうことになるのでしょう」
曖昧な返事だった。
外国。
果たして、自分のいた場所をそう呼んでよいものだろうか。
少なくとも、この街の建築様式も、住民の服装も、先ほど目にした不可思議な現象も、彼の知るどの国とも一致しなかった。
「お名前を伺っても?」
「アイザック・ニュートンです」
「アイザックさんですね。出身地は?」
ニュートンは少し考えた。
「イングランドのウールスソープという村です」
受付の女性は手元の書類を確認した。
「イング……ランド?」
「ご存じありませんか?」
「申し訳ありません。聞いたことのない地名です」
彼女は困ったように微笑んだ。
「随分遠くからいらしたんですね」
ニュートンは答えなかった。
遠い。
恐らく、それだけでは説明できない場所から来たのだ。
「それで、どうしてギルドに?」
リーナが口を開いた。
「この人、泊まる場所もないみたいなの。何か仕事を紹介できない?」
「なるほど。それでしたら、冒険者登録をしていただくのが一番早いかと」
「冒険者登録?」
ニュートンが聞き返す。
「はい。ギルドに所属していただければ、依頼を受けて報酬を得ることができます。薬草採集や荷物運びなど、危険の少ない仕事もありますよ」
「なるほど……」
ニュートンは顎に手を当てた。
この世界にも労働と報酬の仕組みがある。
貨幣の種類こそ異なるが、社会を維持する基本的な構造は変わらないらしい。
「ただし、登録には適性検査が必要になります」
「適性検査?」
「はい。魔力量と属性を調べる簡単な検査です」
ニュートンの眉がわずかに動いた。
「……魔力量?」
「ええ。魔法を使うために必要な力の量です」
受付の女性は、まるで水の量を説明するかのように答えた。
ニュートンは黙り込んだ。
森で出会った少年。
その掌から生じた炎。
傷口を塞いだ不可思議な光。
あれらは、やはりこの世界では特別な現象ではないらしい。
「その検査を、見せていただくことは可能でしょうか?」
「もちろんです。こちらへどうぞ」
⸻
案内されたのは、ギルドの奥にある小さな部屋だった。
中央には机が一つ。
その上に、拳ほどの大きさの透明な球体が置かれている。
「こちらが魔力測定器です」
受付の女性が説明する。
「この水晶に手を触れてください。魔力の量に応じて光が強くなり、属性によって色が変化します」
ニュートンは水晶を見つめた。
透明度は高い。
表面には継ぎ目がなく、内部にも目立った不純物は見られない。
「これは、どのような仕組みで動いているのですか?」
「仕組み、ですか?」
「ええ。何を検出し、どのように光へ変換しているのでしょう」
受付の女性は目を瞬かせた。
「ええと……魔力を流すと光るんです」
「それは現象の説明です。私が知りたいのは、その原因なのですが」
「原因……?」
彼女は困惑した表情を浮かべた。
リーナが横から口を挟む。
「アイザック、難しく考えすぎよ。魔道具なんだから、魔力を流せば動くの。当たり前でしょう?」
ニュートンはリーナを見た。
「当たり前、ですか」
「そうよ」
「では、なぜ火は上へ昇るのでしょう?」
突然の問いに、リーナは首を傾げた。
「……火?」
「なぜ石は地面へ落ち、水は高い場所から低い場所へ流れるのでしょうか」
「そんなの、そういうものだからじゃない」
「ええ。多くの人はそう答えます」
ニュートンは再び水晶へ視線を戻した。
「しかし、現象には必ず何らかの理由があるはずです」
そう言って、水晶に手を伸ばした。
指先が冷たい表面に触れる。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起こらなかった。
「……あれ?」
受付の女性が首を傾げた。
「もう少し強く触れてみてください」
ニュートンは言われたとおり、掌全体を水晶に押し当てた。
しかし、変化はない。
水晶はただ、透明なままだった。
「おかしいですね……」
受付の女性が呟いた。
「故障でしょうか?」
リーナが尋ねる。
「いえ、そんなはずは……」
彼女は水晶に自分の手を触れた。
すると、内部に淡い青色の光が灯った。
「ほら、正常です」
続いてリーナが手を置く。
今度は赤い光が水晶の中心から広がった。
「ちゃんと動くじゃない」
リーナはそう言って、ニュートンに場所を譲った。
彼が再び触れる。
やはり、何も起こらない。
受付の女性の顔から笑みが消えた。
「……魔力が、ない?」
「そんなことあるの?」
リーナが驚いた声を上げる。
「普通は考えられません。魔力の少ない方でも、多少は反応するはずなんですが……」
ニュートンは二人の会話を聞きながら、自分の掌を見つめた。
魔力がない。
それが何を意味するのか、彼にはまだ分からない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
自分とこの世界の人間には、何らかの違いが存在する。
「もう一度、よろしいでしょうか」
「え? ええ、構いませんが……」
ニュートンは水晶に触れた。
変化はない。
今度は指を一本だけ当てる。
やはり変化はない。
続いて手の甲を当て、さらに袖越しに触れてみる。
「……何をしているの?」
リーナが尋ねた。
「条件を変えています」
「条件?」
「この装置が何に反応するのか、確かめているのです」
ニュートンは水晶から手を離した。
「直接触れる必要があるのか。接触面積によって結果が変わるのか。あるいは、人体の特定の性質に反応しているのか」
「ちょっと待って。あなた、本当に何者なの?」
リーナが呆れたように尋ねる。
ニュートンは少し考えた。
そして、静かに答えた。
「自然哲学を研究している者です」
「……しぜんてつがく?」
「この世界で何と呼ばれているかは分かりませんが、自然界の法則を探究する学問です」
「学者さんってこと?」
「そう考えていただいて構いません」
リーナは額に手を当てた。
「学者が一人で森を歩いて、魔物に襲われて、無一文で街に来たってわけ?」
「概ね、そのとおりです」
「……変な人を拾っちゃったわね」
⸻
結局、ニュートンの魔力は測定できなかった。
受付の女性によれば、魔力を持たない人間の記録は、少なくとも彼女の知る限り存在しないという。
ただし、冒険者登録そのものは可能だった。
「魔法が使えなくても、依頼を受けることはできますから」
そう言って、彼女は一枚の金属製の札を差し出した。
「こちらが登録証です。紛失しないようにしてくださいね」
ニュートンは札を受け取った。
表面には、彼の名前と見慣れない紋章が刻まれていた。
「ありがとうございます」
「それと、今日の宿ですが……」
受付の女性が言いかけたところで、リーナが口を開いた。
「私が紹介するわ。安い宿を知ってるから」
「よろしいのですか?」
「ここまで来たんだもの。今さら放り出せないでしょう」
ニュートンは小さく頭を下げた。
「ご親切に感謝します」
「いいのよ。その代わり、変な質問ばっかりするのは勘弁してね」
リーナは苦笑した。
二人が部屋を出ようとしたときだった。
「あの」
ニュートンが受付の女性を呼び止めた。
「一つ、お願いがあります」
「何でしょう?」
「先ほどの水晶を、もう一度見せていただけませんか?」
リーナが大きくため息をついた。
「また?」
「最後に一つだけ、確かめたいことがあるのです」
受付の女性は困ったように笑った。
「少しだけでしたら」
ニュートンは水晶の前に戻った。
そして、机の上に置かれていた小さな紙片を手に取る。
「この紙を、水晶の上に置いても構いませんか?」
「ええ」
ニュートンは紙片を水晶の上に載せた。
続いて受付の女性に頼む。
「この状態で、手を近づけていただけますか?」
彼女が紙越しに掌を当てる。
水晶が青く光った。
ニュートンの目が細くなる。
「……なるほど」
次に、紙を二つ折りにする。
再び光る。
四つ折り。
それでも光る。
八つ折り。
今度は、光がわずかに弱まった。
「……!」
ニュートンは顔を上げた。
「もう一度、お願いできますか?」
同じ操作を繰り返す。
結果は変わらなかった。
紙が厚くなるにつれて、光は少しずつ弱まっていく。
「何か分かったの?」
リーナが尋ねた。
ニュートンはすぐには答えなかった。
紙の厚さ。
光の強さ。
そして、接触の有無。
頭の中で、いくつもの可能性が組み立てられていく。
「まだ、何も」
彼は静かに答えた。
「ですが、興味深い結果です」
「どういうこと?」
「この装置は、少なくとも直接触れなければ反応しないわけではありません」
「それがどうしたの?」
「つまり、何らかの作用が紙を隔てて伝わっている可能性があります」
リーナは不思議そうに水晶を見つめた。
「魔力なんだから、そりゃ伝わるでしょう?」
「ええ。ですが……」
ニュートンは紙片を机に戻した。
「伝わるということは、その伝わり方を調べられるということです」
窓から差し込む夕日が、水晶の表面を赤く染めていた。
ニュートンはその光景をじっと見つめた。
かつて、彼は光について研究した。
白い光が単一のものではなく、異なる色の光から成り立っていること。
プリズムによって分かれる色彩が、光そのものの性質に由来すること。
誰もが当たり前のように見ている光の中にさえ、解き明かされていない法則が存在していた。
ならば。
この世界の魔法も、同じではないだろうか。
人々が魔法と呼ぶ現象。
それは本当に、理解を超えた神秘なのだろうか。
あるいは、まだ誰も説明できていないだけなのだろうか。
ニュートンは窓の外を見た。
見知らぬ街。
見知らぬ空。
そして、見知らぬ法則。
帰る方法は分からない。
自分がなぜここにいるのかも分からない。
それでも、彼の胸には、ある感情が芽生え始めていた。
恐怖でも、絶望でもない。
それは、未知の現象を前にした研究者の、純粋な好奇心だった。
「……面白い」
思わず、声が漏れた。
「え?」
リーナが振り返る。
ニュートンは水晶を見つめたまま、もう一度呟いた。
「実に、面白い」
彼の知る世界では、りんごは地面へ落ちる。
この世界でも、恐らく同じだろう。
では、魔法はどうだ。
魔法にもまた、りんごを地面へ引き寄せる力と同じように、普遍的な法則が存在するのだろうか。
その答えは、まだ誰も知らない。
少なくとも、この街の人々は知らないようだった。
ニュートンは静かに微笑んだ。
知らないということは、これから知ることができるということだ。
「さあ、行くわよ!」
リーナの声が響く。
ニュートンは水晶から目を離し、彼女の後を追った。




