第9話 購入したのは、剣だけですか?
《購入者情報を復元中――》
復元率:1%。
「…………」
俺はスマホを見た。
男を見る。
もう一度スマホを見る。
2%。
「遅いな」
《破損した情報を修復しています。》
「あと何分?」
《算出できません。》
「またそれか」
男は短剣を構えたまま動かない。
扉には鍵。
窓は二階。
目の前には正体不明の男。
そして俺の手には、金貨三百二十枚で仕入れた剣。
普通に考えて、
かなりまずい。
「なあ」
男に話しかける。
「お前、何者?」
「知る必要はない」
「じゃあ帰ってくれ」
「それはできん」
「宿代払ってない奴が居座るなよ」
男の眉が動いた。
「ふざけている場合か」
「ふざけてないとやってられないんだよ」
3%。
男が一歩近づく。
俺は剣を構えた。
抜かない。
鞘に入れたまま。
「それで戦うつもりか?」
「まあな」
「剣の使い方も知らんのか」
「知ってるよ」
「なら抜け」
「嫌だね」
男の目が細くなった。
「……なぜだ」
「お前が抜かせたがってるから」
沈黙。
図星か。
知らんけど。
「相棒」
《はい。》
「こいつの動き、見ててくれ」
《承知しました。》
「あと、復元急げ」
《努力します。》
「努力で速くなるの?」
《なりません。》
「じゃあ言うな」
4%。
男が動いた。
速い。
短剣が横から迫る。
俺は反射的にスマホを構えた。
――ガキン!
金属音。
手に衝撃が走る。
だが、
スマホには傷一つない。
「…………」
男が固まった。
俺も固まった。
「……おお」
《端末に損傷はありません。》
「知ってるけど、やっぱすげえな」
男が短剣を引く。
刃先が欠けていた。
「何だ、その板は」
「スマホ」
「すまほ?」
「説明すると長い」
《一般的な説明なら可能です。》
「今はいい」
男が再び踏み込む。
今度は突き。
俺はスマホを盾のように構えた。
――ガン!
また防いだ。
だが、
衝撃までは消えない。
手首が痛い。
「いってえ!」
《衝撃にご注意ください。》
「先に言え!」
《警告が間に合いませんでした。》
男が距離を取った。
俺の手元を見ている。
「その板……壊れないのか」
「試してみる?」
「何?」
「いや、やっぱいい」
こんな奴に貸したら何をするか分からない。
スマホは俺の生命線だ。
それに、
こいつには妙な機能がある。
他人が勝手に操作できないようになっている。
ただし、
その仕組みを試すために誰かへ渡す気はない。
5%。
「相棒」
《はい。》
「まだ5%か」
《はい。》
「一分くらい経ってない?」
《経過時間は一分未満です。》
「体感五分だぞ」
《危機的状況では時間を長く感じることがあります。》
「豆知識いらん!」
男が笑った。
「面白い道具だ」
「売らんぞ」
「値段次第だろう?」
「これだけは売らん」
男の笑みが消えた。
「……なぜだ」
「相棒だから」
数秒。
スマホの丸いアイコンが、
小さく揺れた。
《ありがとうございます。》
「礼はあとでいい」
男は俺のスマホを見つめていた。
剣ではない。
明らかに、
スマホを。
「なるほど」
男が呟く。
「そちらが本命か」
「……は?」
男が短剣を下ろした。
「剣を買ったのは偶然ではなかったか」
「何の話だ」
「お前は何も知らない」
「だから聞いてんだろ」
男は答えない。
代わりに、
俺の背後を見た。
窓。
いや。
窓の向こう。
「時間切れだ」
「何が?」
男が笑った。
「迎えが来た」
――コン、コン。
窓が鳴った。
二階だぞ。
外に足場なんかない。
――コン、コン。
また。
俺は振り返らない。
スマホのカメラを起動する。
画面越しに窓を見る。
そこには、
誰もいなかった。
ただし。
窓の向こうに、
もう一枚、
窓があった。
同じ形。
同じ大きさ。
少しだけ位置がずれている。
「……二重?」
《境界の重複を検出しました。》
「分かりやすく」
《異なる場所が同じ位置を共有し始めています。》
「それヤバいやつ?」
《非常に危険です。》
初めて即答した。
男が言う。
「もう逃げられん」
俺は剣を握り直した。
「逃げるとは言ってない」
「ならどうする」
「返品だ」
「……何?」
「三週間前の取引、調べてるんだよ」
復元率。
8%。
「まだ8%だけどな」
男が短剣を構え直した。
「それ以上見るな」
「なんで」
「知らない方がいい」
「その台詞、もう聞き飽きた」
男が突進する。
俺はスマホを構えた。
今度は防ぐだけじゃない。
突き出された短剣を横へ弾き、
そのままスマホを男の胸へ押し当てた。
――ゴッ!
男がよろめく。
俺の手首も痛い。
「いってえ!」
《打撃に成功しました。》
「俺もダメージ受けてるけどな!」
男が後退した。
その瞬間。
ポン。
《復元処理を一部完了しました。》
「おっ!」
画面が切り替わる。
《関連購入履歴:1件》
《取引金額:金貨320枚》
《取引時期:約3週間前》
《購入者:あなた》
「…………」
俺は息を止めた。
購入者。
俺。
そこまでは分かる。
問題は、
次の項目だった。
《取引対象:2件》
「……二件?」
剣は一本。
俺が買ったのは、
剣一本のはずだ。
画面に、
一件目が表示された。
《名称不明の剣》
《状態:使用済み》
《所有者:あなた》
「まあ、そうだよな」
そして。
二件目。
《名称:非公開》
《状態:使用中》
《所有者:未登録》
「…………」
俺は画面を見つめた。
「使用中?」
《はい。》
「何が?」
《情報が保護されています。》
男を見る。
男は動かない。
短剣を構えたまま、
画面を凝視していた。
「お前、これ知ってるだろ」
返事はない。
「剣を買った時、何か一緒についてきたのか?」
沈黙。
「おまけ?」
《その表現は適切ではない可能性があります。》
「じゃあ何だよ」
スマホが震えた。
《第二件目の情報を復元しますか?》
選択肢。
《はい》
《いいえ》
俺は迷わず、
《はい》
を押した。
男が叫んだ。
「やめろ!」
遅い。
《復元を開始します。》
その瞬間。
男の短剣が、
俺の喉元へ迫った。
――ガキン!
間一髪。
スマホで防いだ。
短剣の刃が滑る。
男の腕が俺の肩をかすめた。
熱い。
服が裂ける。
「くそっ!」
俺は男の腹を蹴った。
距離が開く。
だが、
こっちも限界だ。
剣は重い。
スマホは壊れない。
でも俺は壊れる。
そこが問題だった。
「相棒!」
《はい。》
「復元あとどれくらい!」
《処理中です。》
「それは見れば分かる!」
男が再び迫る。
俺はベッドを蹴った。
木製のベッドがずれる。
男の足に当たる。
一瞬、
動きが止まった。
その隙に、
俺は机を押し倒した。
――ガタン!
「宿の備品!」
《破損時には弁償が必要と思われます。》
「今それ言うな!」
男が机を飛び越えようとする。
俺は剣を横に構えた。
鞘のまま。
男の足へ。
――ゴン!
「ぐっ!」
男が膝をついた。
「よし!」
《有効打です。》
「だろ!」
《ただし相手はまだ戦闘可能です。》
「知ってる!」
窓が鳴る。
――コン、コン。
今度は、
窓だけじゃない。
壁。
床。
天井。
――コン、コン。
――コン、コン。
部屋全体が、
内側から叩かれている。
いや。
違う。
この音は、
ずっと同じだった。
剣の内側。
石畳の下。
青い石。
そして今、
部屋の壁。
「……相棒」
《はい。》
「これ、全部同じ場所から鳴ってるんじゃないか?」
数秒。
《その可能性があります。》
「つまり?」
《境界の向こう側が、複数の場所へ接触していると推測します。》
「……なるほど」
全然分からん。
だが、
一つだけ理解した。
窓を叩いている何かが、
窓の外にいるとは限らない。
男が立ち上がる。
「その剣を渡せ」
「三百万」
「まだ言うか!」
「最初に提示したのはお前らだろ!」
男が止まった。
お前ら。
何となく言った。
だが、
男の反応が変わった。
「……お前ら?」
俺は聞き返す。
「違うのか?」
沈黙。
「最初に俺の剣を買おうとした奴と、お前」
男は答えない。
「同じ目的なんじゃないのか?」
男が笑った。
「似ているだけだ」
「何が?」
「目的が」
「じゃあ別人なんだな」
男の笑みが消えた。
「……余計なことを」
「ようやく一個分かった」
こいつは、
最初の男とは別人。
少なくとも、
そう考える方が自然だ。
なぜ同じように振る舞っていたのか。
なぜ俺のそばにいたのか。
そこはまだ分からない。
だが、
二人が同じ目的とは限らない。
それだけでも大きい。
ポン。
スマホが震えた。
《第二件目の情報を一部復元しました。》
「来た!」
画面を見る。
《名称:非公開》
《状態:使用中》
《所有者:未登録》
その下に、
新しい項目。
《分類:契約》
「…………」
契約。
剣じゃない。
人間でもない。
物ですらない。
「契約?」
《はい。》
「俺が?」
《購入者として記録されています。》
「何の契約だよ!」
《内容は復元できません。》
男の顔色が変わった。
さっきまでの余裕が消えている。
「……そこまで分かるのか」
俺は顔を上げた。
「知ってるんだな」
男は黙る。
「剣を買った時、何か契約したのか?」
「知らん」
「今さら通るかよ」
「本当に知らん」
「じゃあ何で焦ってる」
男は俺を見る。
その目に、
初めて恐怖が浮かんでいた。
「契約は……」
言いかけて止まる。
「何だよ」
「契約は、相手がいる」
「当たり前だろ」
「そう思うか?」
「……は?」
男はスマホを見る。
「その記録に、相手は表示されているか?」
俺は画面を見る。
購入者。
俺。
契約。
使用中。
所有者。
未登録。
だが、
契約相手の欄はない。
「……ない」
男が低く笑った。
「なら、まだ間に合う」
「何が?」
「相手を見つけるな」
意味が分からない。
「契約相手を?」
「ああ」
「見つけたらどうなる」
男は答えない。
代わりに、
短剣を床へ落とした。
――カラン。
「……降参?」
「違う」
男が窓を見る。
「もう俺の役目は終わりだ」
「役目?」
「お前をここに留めておくことだ」
「…………」
嫌な予感。
「誰に頼まれた」
男は答えない。
「いくらで?」
男が俺を見る。
「お前は本当に金の話ばかりだな」
「せどらーだからな」
「……せどらー?」
「知らんか」
「知らん」
「安く買って高く売る」
「それだけか?」
俺は少し考えた。
「まあ、そう単純でもない」
男が黙った。
「誰も欲しがらない物に、欲しい奴がいる」
「…………」
「価値がないって捨てられた物が、別の場所じゃ宝になる」
男の目が細くなる。
「だから探すんだよ」
俺は剣を見る。
金貨三百二十枚。
あの爺さんから買った。
値切った。
何日も粘った。
高い買い物だった。
でも、
今なら分かる。
あの時、
俺は値段しか見ていなかった。
剣の本当の価値なんて、
何も知らなかった。
「……まあ、今回は仕入れ失敗かもしれんけど」
《返品期間を確認しますか?》
「まだその話してたのかよ!」
男が、
ほんの少し笑った。
今度は、
さっきまでとは違う笑い方だった。
「お前は……」
そこで言葉が止まる。
男の背後。
空間が、
縦に裂けた。
音はない。
黒い線が一本。
床から天井まで。
その線が、
ゆっくり開いていく。
「……おい」
男は振り返らない。
「知ってる」
「逃げろ!」
「もう遅い」
裂け目の向こう。
暗闇。
そこに、
何かが立っていた。
人影。
宿の部屋に映っていた、
あの黒い影と似ている。
だが、
輪郭が違う。
男よりも、
ずっと大きい。
「相棒!」
《はい。》
「何だあれ!」
《対象を識別できません。》
「危険度!」
《測定不能です。》
「最悪!」
黒い影が、
こちらへ手を伸ばす。
男は動かない。
逃げようともしない。
「おい!」
俺は叫んだ。
「避けろ!」
男がこちらを見た。
そして、
小さく言った。
「剣を離すな」
次の瞬間。
影の手が、
男の肩に触れた。
男の輪郭が、
崩れた。
砂みたいに。
光の粒みたいに。
少しずつ、
形が失われていく。
「……は?」
男は叫ばない。
抵抗もしない。
ただ、
俺を見ていた。
「待て!」
俺は手を伸ばした。
届かない。
「お前、まだ何も説明してねえだろ!」
男が笑った。
「なら……」
声が途切れる。
「次に会った時、聞け」
「次!?」
男の顔が消える。
肩。
腕。
胸。
最後に残ったのは、
足元に落ちた短剣だけだった。
――カラン。
静寂。
黒い裂け目も、
いつの間にか閉じていた。
俺は立ち尽くした。
男がいた場所。
何もない。
「……相棒」
《はい。》
「死んだのか?」
長い沈黙。
《死亡は確認できません。》
「じゃあどこ行った」
《不明です。》
「……そうか」
俺は床の短剣を拾った。
さっきまで、
俺を殺そうとしていた男。
正体も知らない。
目的も知らない。
味方か敵かすら、
最後まで分からなかった。
だが、
一つだけ確かなことがある。
あいつは最後に、
俺を逃がそうとした。
なぜかは分からない。
剣を見る。
鞘の赤い宝石。
刻まれた文字。
そして、
金貨三百二十枚の取引。
「……相棒」
《はい。》
「契約の相手って、誰だと思う?」
数秒。
《推測は可能です。》
俺は顔を上げた。
「珍しいな」
《ただし、確証はありません。》
「いいよ。言ってみろ」
長い沈黙。
そして、
画面に文字が現れた。
《契約対象は、あなた自身ではない可能性があります。》
「…………」
俺は画面を見る。
「どういう意味だ?」
《購入者と契約対象は、必ずしも同一ではありません。》
「……つまり?」
《あなたが購入した契約を、別の存在が使用している可能性があります。》
背筋が冷えた。
別の存在。
使用中。
未登録。
俺はゆっくり、
スマホを見る。
画面右下。
いつもの丸いアイコン。
「……相棒」
《はい。》
「お前さ」
《はい。》
「いつから俺と一緒にいる?」
返事が止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
そして。
《その質問には、正確に回答できません。》
「……なんで?」
《開始時点の記録がありません。》
俺は黙った。
スマホの画面には、
《関連購入履歴:1件》
《取引対象:2件》
《契約:使用中》
その三つが、
まだ表示されている。
「……そうか」
俺はスマホを閉じた。
聞きたいことは山ほどある。
だが、
今すぐ答えを出す必要はない。
相棒が何者でも。
あの男が誰でも。
俺が何を買ったことになっていても。
一つだけ、
変わらないことがある。
「相棒」
《はい。》
「とりあえず、宿の修理代いくらだと思う?」
数秒。
《金貨48枚程度と推定します。》
「…………」
俺は倒れた机を見た。
ずれたベッド。
割れた椅子。
そして、
傷だらけの床。
「高っ!!」
《破損した備品の弁償が必要です。》
「お前も一緒に戦っただろ!」
《私は損傷していません。》
「そういう話じゃねえ!」
ポン。
スマホが鳴った。
《新しい通知があります。》
「今度は何だよ……」
画面を見る。
《契約情報が更新されました。》
その下。
《契約相手:照合中》
そして、
一行。
《照合対象が、あなたの近くに存在します。》
「…………」
俺はスマホを見る。
剣を見る。
誰もいない部屋を見る。
最後に、
もう一度スマホを見る。
「……近くって、どれくらい?」
《距離を測定できません。》
「じゃあ何で近くって分かるんだよ」
《同一空間内に存在するためです。》
俺はゆっくり、
部屋を見回した。
誰もいない。
剣と。
スマホと。
俺だけ。
そして。
――コン、コン。
今度は、
スマホの画面ではなく。
俺のすぐ後ろから、
音がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
金貨320枚の取引に隠された、もう一つの謎。
果たして主人公は、いったい何を買ってしまったのでしょうか。
さて、本日は22時にも続きの第10話を投稿予定です!
物語はいよいよ一つの節目を迎えます。
よろしければ、今夜もお付き合いください!
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引き続き『異世界せどらー』をよろしくお願いいたします!




