第5話 売上金が使えない。
《残高:1世界》
何度見ても変わらない。
一。
世界。
「…………」
俺はスマホを伏せた。
もう一度見る。
《残高:1世界》
「やっぱり世界だな」
《はい。》
「表示バグとか」
《正常です。》
「翻訳ミス」
《正常です。》
「一円の間違い」
《違います。》
「じゃあ説明してくれ」
《できません。》
「だと思ったよ」
石造りの小さな部屋。
宿、と呼んでいいのかは微妙だ。
ベッド。
机。
椅子。
以上。
風呂はない。
トイレは廊下の先。
窓は閉めても少し風が入る。
一泊、金貨二枚。
この世界に来たばかりの頃は高いと思った。
今は安いと思う。
人間、基準なんて三週間で壊れる。
机の上には、例の剣。
あの男は帰った。
正確には、
「明日また来る」
と言って帰った。
剣を置いて。
金貨三百万枚で買うと言っていた男が、
商品を置いて帰った。
意味が分からない。
だが、
もっと意味が分からない物が、
俺の手元にはある。
《残高:1世界》
「なあ」
《はい。》
「これ使えるの?」
《使用可能です。》
「マジで?」
思わず起き上がった。
「何に?」
《確認します。》
画面が切り替わる。
《残高の利用先を検索中》
数秒。
《検索完了》
一件。
「少なっ」
表示された項目を開く。
《市場機能の拡張》
「……課金かよ」
《表現としては近いかもしれません。》
「異世界まで来て課金させられるとは思わなかった」
項目をタップする。
さらに三つ。
《鑑定》
《保管》
《翻訳》
全部、
価格は同じだった。
《必要残高:1世界》
「高くない?」
《比較対象がありません。》
「全財産だぞ」
《はい。》
「一個しか買えない?」
《はい。》
嫌な三択だ。
鑑定。
商品の情報が分かるなら、
せどりでは強い。
というか強すぎる。
保管。
説明がない。
だが名前だけなら、
在庫を置ける機能だろう。
これも欲しい。
そして翻訳。
「翻訳って、今も会話できてるよな?」
《はい。》
「じゃあいらなくない?」
《詳細情報を表示しますか?》
「頼む」
《翻訳》
《市場を経由して取得した文字情報の翻訳精度を拡張します。》
「文字か」
思い当たる。
剣。
あの文字。
昨日まで読めなかった。
所有者登録が終わった瞬間、
《第一境界》
と読めた。
「……これも必要そうだな」
三択から二択になるどころか、
三択のままだった。
「相棒ならどれ選ぶ?」
《判断材料が不足しています。》
「お前のおすすめ」
《ありません。》
「役に立たねえ」
《三回目です。》
「まだ数えてたのかよ」
俺はベッドへ倒れた。
天井を見る。
鑑定。
保管。
翻訳。
全部欲しい。
残高は一。
これ、
ゲームだったら一時間くらい悩むやつだ。
だが現実だ。
セーブして試すこともできない。
「……保留」
《承知しました。》
結局、
何も買わなかった。
こういうところだけは昔から変わらない。
欲しい物ほど、
一晩考える。
そして翌日売り切れて後悔する。
何度もやった。
それでも治らない。
ポン。
通知。
俺は反射的にスマホを見る。
昨日から、
この音が嫌いになりつつある。
《新しい出品先を確認できます。》
「そういやあったな」
《出品可能世界:2》
一つは、
今いる世界。
たぶん。
もう一つ。
昨日増えた場所。
「見るだけならタダ?」
《はい。》
「見るだけな」
念を押した。
誰に対してなのかは分からない。
画面を押す。
《出品先を選択してください》
一件目。
《第一世界》
状態。
《接続中》
二件目。
《第二世界》
状態。
《未接続》
「名前そのまんまかよ」
《正式名称を取得できていません。》
「第二世界に繋いだら?」
《不明です。》
「危険?」
《不明です。》
「帰れなくなる?」
《不明です。》
「爆発する?」
《可能性を否定できません。》
「最後だけ怖えよ」
画面には、
《接続》
のボタン。
押さない。
絶対押さない。
今日はもう、
何も起こさない。
俺はスマホを机に置いた。
そして剣を見る。
「……お前も今日は静かにしてろよ」
当然、
返事はない。
――コン。
「…………」
返事するなよ。
翌朝。
腹が減った。
世界の謎より、
まず飯である。
宿を出る。
市場はもう人でいっぱいだった。
昨日、
地面から腕が生えてきた場所とは思えない。
石畳も直っている。
露店も並んでいる。
誰も気にしていない。
この世界の復旧速度、
妙に早い。
「串焼き一つ」
「三枚だ」
「昨日二枚だっただろ」
「今日は三枚だ」
「なんで」
「肉が高い」
「じゃあ二枚」
「三枚」
「二枚」
「三枚」
「二枚と半分」
店主が睨んできた。
「半分の金貨なんてねえよ」
「じゃあ二枚」
「三枚だ!」
交渉失敗。
仕方なく三枚払う。
串焼きを受け取る。
一口。
うまい。
「……三枚でもいいか」
《交渉の意味がありませんね。》
「うるさい」
歩きながら食べる。
昨日、
レシート一枚を売った。
売上は一世界。
今日は、
肉一本に金貨三枚払った。
どちらが高いのか、
俺には分からない。
たぶん、
比べること自体が間違っている。
市場の端。
地面に布を敷いただけの露店があった。
ガラクタ。
錆びた金具。
欠けた皿。
壊れたランプ。
片方しかない靴。
こういう店は好きだ。
「見るだけ」
店主の婆さんが言う。
「触るなら買いな」
「厳しいな」
しゃがむ。
一つずつ見る。
価値があるかは分からない。
だから面白い。
新品なら、
だいたい値段が決まっている。
中古は違う。
壊れているなら、
もっと違う。
見る人間によって、
ゴミにもなる。
宝にもなる。
布の端に、
小さな箱があった。
手のひらサイズ。
木製。
蓋が割れている。
金具は錆びていた。
「これいくら?」
「十枚」
「高っ」
「なら置け」
即答。
強い婆さんだ。
箱を持ち上げる。
軽い。
振る。
カラカラ。
中に何か入っている。
「開けていい?」
「壊すなよ」
蓋を開ける。
中には、
小さな青い石。
宝石というほど綺麗ではない。
曇っている。
傷だらけ。
「石付き?」
「それ込み」
「何の石?」
「知らん」
「箱は?」
「知らん」
「どこで手に入れた?」
「忘れた」
強い。
情報が何もない。
スマホを出す。
「相棒」
《はい。》
「これ分かる?」
カメラを向ける。
数秒。
《商品情報を取得できません。》
「だよな」
《ただし――》
「ん?」
《市場接続反応があります。》
俺の手が止まった。
「……この箱に?」
《内部の物体です。》
青い石を見る。
昨日の剣と同じ。
この世界の商品なのに、
市場が反応している。
《出品可能商品を検出しました。》
商品名。
《不明》
状態。
《破損》
価格。
《算定不能》
「またか」
婆さんが俺を見る。
「買うのかい」
「五枚」
「十枚」
「六枚」
「十枚」
「七枚」
「十枚」
「全然下がらねえな」
「なら置け」
俺は箱を見る。
青い石。
市場接続反応。
価格算定不能。
昨日なら、
迷った。
今日は違う。
「……八枚」
「十枚」
「九枚」
「十枚」
強すぎる。
俺はため息をついた。
「分かった。十枚」
金貨を渡す。
婆さんは数える。
一枚。
二枚。
三枚。
きっちり十枚。
そして、
俺に箱を押し付けた。
「毎度」
「負けた気がする」
《完全に負けています。》
「黙れ」
歩き出す。
仕入れ値、
金貨十枚。
商品名、
不明。
用途、
不明。
相場、
不明。
普通なら買わない。
だが。
昨日、
ただのレシートが売れた。
なら、
これが売れない理由もない。
俺は少し笑った。
「出してみるか」
《出品しますか?》
「第一世界に」
《承知しました。》
画面が切り替わる。
《商品を登録します》
《仮名称:青い石》
「雑だな」
《名称を変更しますか?》
「いや、それでいい」
《価格を設定してください》
ここで止まる。
値段。
一番難しいところだ。
安すぎれば損。
高すぎれば売れない。
相場はない。
比較対象もない。
仕入れ値は十枚。
「……百枚」
《金貨100枚で出品しますか?》
十倍。
強気。
でも、
売れなければ下げればいい。
「出品」
《出品しました。》
閲覧数:0
「まあ最初はな」
十秒。
閲覧数:0
三十秒。
閲覧数:0
一分。
閲覧数:0
「…………」
《いいね:0》
「表示しなくていいよ」
《事実です。》
「分かってる」
俺はスマホをポケットに入れた。
「様子見だな」
《同意します。》
その瞬間。
ポン。
「ほら来た」
スマホを取り出す。
購入通知ではなかった。
《警告》
「…………」
嫌な二文字。
《第二世界から商品が閲覧されました。》
俺は画面を二度見した。
「待て」
第二世界は、
まだ接続していない。
《閲覧数:1》
そして。
《購入希望者から質問が届きました。》
嫌な予感しかしない。
開く。
一行。
《それを、どこで拾いましたか?》
「買ったんだけど」
婆さんの露店を振り返る。
いない。
布も。
ガラクタも。
婆さんも。
さっきまでそこにあった店が、
丸ごと消えていた。
スマホが震える。
《第二世界:接続要求を受信しました。》
選択肢。
《許可》
《拒否》
俺は迷わず、
《拒否》
を押した。
《拒否できません。》
「なんで選択肢出したんだよ!」
画面が暗転した。
白い文字。
《第二世界への接続を開始します。》
その下。
《接続条件を確認中――》
俺は、
金貨十枚で買った箱を見た。
やっぱり。
相場不明の商品を仕入れる時は、
もう少し慎重になるべきだった。
たぶん。




