第17話 売れたのに、発送できない。
午前六時十五分。
スマホのアラームが鳴った。
「……あと五分」
いつもの言葉を口にして、目を閉じる。
五分後。
もう一度アラームが鳴った。
「……うるせえ」
自分で設定したくせに、毎朝腹が立つ。
布団から這い出し、顔を洗う。
昨日の夜、何か変な夢を見た気がする。
石畳。
古い建物。
それから、誰かの声。
「……何だったっけ」
思い出そうとすると、かえって遠ざかっていく。
まあ、夢なんてそんなものだ。
台所で水を飲み、スマホを確認する。
メリカリから通知が来ていた。
『商品が購入されました』
「……お?」
眠気が少し飛んだ。
昨日、古いゲーム用品をいくつか出品していた。
そのうちの一つが売れたらしい。
「……朝から景気いいな」
購入されたのは、古いゲーム機用の接続ケーブルだった。
何年も使っていない。
そもそも、何のゲーム機につなぐものだったかも曖昧だ。
出品前に型番を調べ、対応機種を確認した。
動作確認はできていない。
そのことも説明文に書いた。
それでも買う人がいる。
「……捨てなくてよかったな」
購入者からメッセージが届いていた。
『購入させていただきました。よろしくお願いいたします。』
「……丁寧な人だな」
俺も返信する。
『ご購入ありがとうございます。準備ができ次第、発送いたします。よろしくお願いいたします。』
送信。
「……よし」
そこで時計を見る。
午前六時二十八分。
「……やべ」
朝からメリカリを眺めている場合ではない。
仕事に遅れる。
慌てて支度を済ませ、車に乗り込んだ。
いつもの道。
いつもの信号。
いつもの通勤。
午前七時二十五分。
職場に到着した。
「……間に合った」
指定の喫煙場所でタバコに火をつける。
ブラックコーヒーを一口。
「……うま」
仕事が始まるまで、まだ少し時間がある。
スマホを取り出した。
売れたケーブルの発送方法を確認する。
薄い。
軽い。
小さく畳めば、送料もそれほどかからないだろう。
「……今回は楽勝だな」
前回のゲーム機の梱包とは大違いだ。
あれは大変だった。
段ボールを切って、折って、詰め直して。
ようやく完成したと思ったら、中で紙が動く。
「……思い出したくねえ」
一人で苦笑いしたところで、始業時間が近づいた。
スマホをポケットにしまう。
午前七時四十五分。
仕事開始。
午前中は、いつもより少し忙しかった。
頼まれた作業を片づけ、次の仕事へ移る。
「これ、終わったらこっちもお願いします」
若いリーダーに声をかけられた。
「了解です」
手を動かしながら、ふと朝の売上を思い出す。
たった一本のケーブル。
それでも、売れればうれしい。
家の中で眠っていたものが、誰かの役に立つ。
しかも金になる。
「……悪くねえな」
小さく呟いた。
そのときだった。
作業台の脇に置かれた機械から、聞き慣れない音がした。
カタ。
カタカタ。
「……ん?」
振り向く。
音は止まった。
「どうかしました?」
リーダーが尋ねる。
「いや、何か音がしたんで」
「ああ、それ、たまに鳴るんですよ。今度点検してもらいます」
「そうなんですね」
それだけの話だった。
古い機械だ。
多少の異音くらい、珍しくもない。
俺は作業に戻った。
ただ、その機械の脇に貼られていた小さな注意書きが、妙に目に残った。
『停止を確認してから開けること』
当たり前のことだ。
危険だから、止まるまで開けるな。
それだけの意味だろう。
俺は何も考えず、次の作業へ向かった。
午後五時十五分。
「……終わった」
今日も無事に仕事が終わった。
車に乗り込み、エンジンをかける。
帰り道、コンビニに寄った。
夕飯とビールを買う。
ついでに、発送用の封筒も見てみた。
「……高いな」
この前、まとめて買っておけばよかった。
そう思いながら、結局何も買わずに店を出た。
家に帰り、着替える。
まずは売れたケーブルの発送準備だ。
「……さて」
昨日の段ボール箱を開ける。
『ゲーム関係』
その中に、ケーブル類をまとめた小さな袋があった。
「……これだな」
袋を取り出し、中身を広げる。
黒いケーブル。
白いケーブル。
赤、白、黄色の端子がついたもの。
何に使うのか分からないもの。
「……多すぎだろ」
一本ずつ確認する。
売れた商品は、黒い接続ケーブル。
端子の形に特徴がある。
出品写真と見比べれば、すぐに分かるはずだった。
「……あれ?」
ない。
「……ん?」
もう一度探す。
黒いケーブルは何本もある。
だが、売れたものと同じ端子が見当たらない。
「……おいおい」
袋をひっくり返す。
床にケーブルが散らばった。
「……どこ行った?」
昨日は確かにあった。
写真も撮った。
型番も確認した。
その後、袋に戻した。
……はずだ。
「……まさか」
別の箱を開ける。
押し入れを探す。
机の下を見る。
テレビの裏まで確認する。
「……ねえぞ」
十分。
二十分。
三十分。
見つからない。
「……売れたのに、物がねえって何だよ」
自分でも意味が分からない。
スマホを取り出し、出品写真を確認する。
確かに黒いケーブルが写っている。
端子の形も間違いない。
「……これをどこに置いた?」
写真を拡大する。
背景には、いつもの机。
その端に、小さく何かが写っていた。
「……ん?」
黒い布袋だった。
昨日、古いメモリーカードが入っていた袋。
『冒険の記録』
「……これ、まだ出しっぱなしだったか?」
机を見る。
布袋はない。
攻略本もない。
「……あれ?」
攻略本は昨日、確か机の上に置いた。
出品しようとして、やめた。
そのあと、どこへ置いた?
「……片づけたんだっけ」
引き出しを開ける。
古いカードが一枚、入っていた。
『受け取ったものは、返せない』
「……ああ、これか」
昨日見つけた、意味の分からないカードだ。
だが、探しているのはケーブルである。
「……お前じゃねえ」
引き出しを閉めた。
もう一度、ケーブルの袋を探る。
すると、底の方から小さな紙切れが出てきた。
「……何だこれ」
古いレシートだった。
文字はほとんど消えかけている。
日付だけが、かろうじて読めた。
ずいぶん昔のものだ。
「……こんなのまで取っとくなよ、昔の俺」
丸めて捨てようとした。
だが、裏面に何か書いてあることに気づいた。
手書きの文字。
『貸したもの』
その下に、短いメモが続いていた。
『黒いケーブル』
「…………は?」
思わず声が出た。
「……貸した?」
誰に?
いつ?
まったく覚えていない。
そもそも、昨日撮影したケーブルだ。
昔の貸し借りとは関係ないはずだ。
「……偶然だろ」
紙を机に置く。
そのとき、スマホが鳴った。
メリカリの通知だった。
購入者からメッセージが届いている。
『すみません。発送はいつ頃になりますでしょうか?』
「……早えな」
まだ購入された当日だ。
急ぎで必要なのかもしれない。
俺は返信画面を開いた。
だが、指が止まる。
商品が見つからない。
発送できると言ってしまっていいのか。
「……いや、ダメだろ」
俺は文章を打ち直した。
『ご連絡ありがとうございます。申し訳ありませんが、現在商品の保管場所を再確認しております。発送予定については、確認でき次第ご連絡いたします。お待たせしてしまい申し訳ありません。』
送信。
「……参ったな」
売れたのに、発送できない。
せどりを始めてから、初めての失敗だった。
いや、まだ失敗と決まったわけではない。
探せば見つかるかもしれない。
「……もう一回だ」
俺は立ち上がった。
今度は、部屋の隅から順番に探すことにした。
床。
棚。
押し入れ。
テレビ台。
そして、机の裏。
「……あった!」
黒いケーブルが一本、落ちていた。
「……お前、こんなところに!」
拾い上げる。
端子を確認する。
違う。
「……クソが」
思わず床に座り込んだ。
そのまま天井を見上げる。
「……何で一本のケーブルに、こんな苦労してんだ俺」
時計は午後九時を回っていた。
夕飯もまだ食べていない。
ビールも冷蔵庫に入れたままだ。
「……今日はもう無理だ」
いったん探すのをやめた。
食事を済ませ、明日また確認しよう。
そう決めたとき。
机の上のスマホが、小さく震えた。
また購入者からだろうか。
画面を見る。
だが、通知は何も来ていなかった。
「……?」
スマホを持ち上げる。
画面は普通に動く。
メリカリも開ける。
「……気のせいか」
そう呟いた瞬間。
画面の端に、見慣れない文字が一瞬だけ浮かんだ。
《保管場所を確認しています》
「……は?」
すぐに消えた。
俺はしばらく画面を見つめた。
「……何だよ、最近」
昨日からスマホの調子がおかしい。
買い替え時だろうか。
「……金ねえんだけど」
ため息をつく。
そのころ。
机の引き出しの奥で、古いカードが一枚、静かに裏返っていた。
誰も触れていない。
引き出しも閉じたままだ。
カードの表面には、昨日までなかった小さな文字が浮かんでいた。
《返却待ち》
だが、その文字を見る者は、まだ誰もいなかった。




