第15話 半額には、なりません。
午前六時十五分。
スマホのアラームが鳴った。
「……あと五分」
そう呟きながら、画面を確認する。
メリカリから通知が一件。
昨日出品した、古い携帯ゲーム機へのコメントだった。
『半額になりませんか?』
「……ならねえよ」
寝起きの第一声がこれである。
昨日の夜、出品したばかりの商品だ。
充電器をつなぐと電源ランプは点灯する。
しかし、すぐに電源が落ちてしまう。
正常に動かないため、ジャンク品として出品した。
もちろん、そのことは説明文にも書いてある。
相場も調べた。
同じように動かないゲーム機でも、部品取りや修理目的で購入する人がいるらしい。
だから、動作品より安い価格に設定した。
そこから、さらに半額。
「……俺が処分に困ってると思ってんのか?」
布団の中で、もう一度コメントを読む。
『半額になりませんか?』
実に簡潔だった。
挨拶もなければ、理由もない。
ただ、こちらが決めた価格を真っ二つにするだけの文章。
「切れ味だけは一級品だな……」
時計を見る。
六時十八分。
出勤まで、まだ時間はある。
とはいえ、ここで感情的な返信をしても仕方がない。
相手は、購入者になるかもしれないのだ。
俺は返信欄を開いた。
『コメントありがとうございます。
申し訳ありませんが、出品したばかりのため、半額までのお値下げは考えておりません。
現在の価格でご検討いただけますと幸いです。』
送信。
「……大人だな、俺」
心の中では、もっと短い返事が完成していた。
『無理です。』
いや、正確には違う。
『寝言は寝て言え。』
さすがに送れない。
「……俺も寝てたけどな」
スマホを置き、布団から出た。
顔を洗い、身支度を整える。
朝食を済ませ、軽自動車に乗り込んだ。
通勤時間は、およそ三十分。
田舎道を走りながら、ふと昨日の夢を思い出そうとする。
石畳。
大きな城壁。
白い扉。
そして、誰かの声。
「……なんだったっけ」
確か、妙な夢を見た。
それだけは覚えている。
だが、内容を思い出そうとすると、霧がかかったように曖昧になる。
「ま、夢なんてそんなもんか」
車を走らせる。
午前七時二十五分。
職場に到着。
始業は七時四十五分。
いつものように、指定された喫煙場所でタバコに火をつける。
片手にはブラックコーヒー。
「……ふぅ」
スマホを取り出す。
メリカリから新しい通知。
まさか、もう売れたのか?
期待して画面を開いた。
『コメントありがとうございます。
では、いくらまで値下げできますか?』
「……お前、諦めねえな」
朝から、なかなか手強い相手である。
時計を見る。
七時三十二分。
あと十三分で仕事が始まる。
「……昼休みに考えるか」
スマホをしまい、残りのコーヒーを飲んだ。
今日も一日が始まる。
どうやら俺の副業には、休日という概念がないらしい。
昼休み。
弁当を食べ終え、スマホを取り出した。
朝のコメントは、そのまま残っている。
『では、いくらまで値下げできますか?』
「……いくらまで、ねえ」
俺は出品画面を開いた。
古い携帯ゲーム機。
電源は一瞬だけ入る。
しかし、すぐに落ちる。
正常に動かない以上、ジャンク品だ。
だからこそ、安めに設定したつもりだった。
「これ以上下げたら、送料と手数料でほとんど残らねえな……」
メリカリには販売手数料がある。
さらに、発送にも金がかかる。
梱包資材だって、空から降ってくるわけではない。
いや。
異世界なら降ってくるかもしれないが。
……なんで異世界なんて言葉が浮かんだんだ?
「寝ぼけてんのか、俺」
軽く首を振る。
とにかく、今は値段の話だ。
「……百円くらいなら、まあ」
俺は返信を入力した。
『ご返信ありがとうございます。
送料・手数料もありますので、大幅なお値下げは難しいですが、100円引きでしたら対応可能です。
ご検討よろしくお願いいたします。』
送信。
「これでダメなら仕方ねえ」
スマホを伏せた。
数分後。
通知が鳴る。
「……早っ」
画面を確認した。
『もう少し何とかなりませんか?』
「……何とかって何だよ」
値下げ交渉というより、もはや耐久戦である。
こちらが折れるまで、ひたすら押し続けるつもりなのだろうか。
「……値段って、言ったもん勝ちなのか?」
そう考えて、ふと手を止めた。
いや。
買う側には、買う側の事情がある。
少しでも安く買いたい。
それは分かる。
俺だって、店で値札を見る。
安い方がいいに決まっている。
だが、売る側にも事情がある。
手数料。
送料。
梱包。
発送。
そして、売れるまでの時間。
商品を出品するというのは、ただ写真を撮って値段をつけるだけではなかった。
「……思ったより、めんどくせえな」
それでも、少し面白かった。
今まで店で買い物をするとき、値札の向こう側なんて考えたこともなかった。
誰が値段を決めたのか。
なぜ、その金額なのか。
いくらで仕入れて、いくら残るのか。
今は、そんなことばかり考えている。
「……職業病になるには早すぎるだろ」
俺は最後の返信を送った。
『申し訳ありませんが、現時点では先ほどご案内した金額が限界です。
ご希望に添えず恐縮ですが、よろしくお願いいたします。』
これで終わり。
そう思った。
ところが。
『分かりました。検討します。』
「……お?」
意外にも、あっさり引いた。
「なんだ。話の分かる人じゃねえか」
少しだけ申し訳ない気持ちになる。
いや、別に悪いことはしていない。
値段を決めるのは出品者。
買うかどうかを決めるのは購入者。
それだけの話だ。
俺はスマホをしまい、午後の仕事に戻った。
午後五時十五分。
仕事が終わった。
軽自動車に乗り込み、帰路につく。
途中でスーパーに寄り、夕飯の材料とビールを買った。
帰宅後、風呂を済ませる。
夕飯を食べながら、いつものようにアニメを流す。
ようやく落ち着いた。
「……さて」
スマホを開く。
携帯ゲーム機の出品画面。
いいねが、昨日より増えていた。
「お、見てる奴はいるんだな」
値下げしなくても、いつか売れるかもしれない。
そう思った瞬間だった。
通知が鳴った。
『商品が購入されました』
「……は?」
思わず画面を二度見する。
売れた。
しかも、値下げする前の価格で。
「……マジか」
購入者の名前を確認する。
昼間、値下げ交渉してきた人とは別のアカウントだった。
「……あっぶねえ」
もし半額にしていたら。
もし、しつこい交渉に根負けしていたら。
今ごろ、ずいぶん安く売っていたことになる。
「……値段って、難しいな」
売れたのは嬉しい。
だが、今度は発送だ。
あの携帯ゲーム機を、どう梱包するか。
液晶画面がある。
ボタンもある。
古い機械だから、衝撃にも気をつけたい。
「……また段ボール工作かよ」
以前、漫画を発送したときの苦労が頭をよぎる。
箱を切って。
折って。
失敗して。
また切って。
二時間。
あれは、なかなかの地獄だった。
「今回は、そんなにかからねえだろ」
そう言いながら、押し入れから梱包資材を取り出す。
プチプチ。
袋。
テープ。
段ボール。
「……ん?」
ちょうどよさそうな箱がない。
小さいものは入らない。
大きいものは、中で商品が動いてしまう。
「……またかよ」
俺はカッターを手に取った。
そして、ふと思う。
この作業。
毎回やるのか?
商品が売れるたびに。
箱を探して。
サイズを測って。
切って。
折って。
テープを貼って。
「……誰か、全部やってくれねえかな」
もちろん、誰もやってくれない。
一人暮らしなのだから。
仕方なく、段ボールにカッターを入れる。
そのとき。
スマホが震えた。
新しいコメントの通知だった。
昼間、値下げ交渉をしてきた相手からだった。
『先ほどの商品、売れてしまったんですね。
残念です。』
「……ああ、そうだな」
続けて、もう一件。
『同じもの、もう一台ありませんか?』
「……あるわけねえだろ」
俺は部屋を見回した。
押し入れ。
棚。
古いゲームソフト。
使わなくなった周辺機器。
そして、押し入れの奥に積まれた、いくつかの箱。
「…………」
いや。
待てよ。
俺はカッターを置いた。
押し入れの奥へ手を伸ばす。
そこには、長いこと触っていない箱があった。
中身を確認した覚えも、最近はない。
「……何入ってたっけ、これ」
箱を手前に引き出す。
積もった埃が舞った。
「げほっ……!」
箱の側面には、昔、自分で書いたらしい文字があった。
『ゲーム関係』
「……雑すぎるだろ、昔の俺」
蓋に手をかける。
もしかしたら。
まだ、何か売れるものが入っているかもしれない。
そんな期待が、少しだけ膨らんだ。
俺はゆっくりと箱を開けた。
――その中身を見て、思わず呟いた。
「……おいおい。これ、まだあったのかよ」




