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9/19

魔法のない一週間

 エドガーが王宮を去ってから、一週間が経った。


 最初の数日は、妙に静かだった。

 朝になっても、窓の外を見ても、彼の姿はない。 

 いつもなら魔法の訓練を終えた頃に訪ねてくることもあったけれど、それもない。


 当然だ。

 彼自身が、自分の意思で距離を置くと決めたのだから。

 それなのに私は、何度も玄関のほうを見てしまった。


「……来るわけないでしょう」


 自分に言い聞かせるように呟く。

 エドガーは、私から離れている。

 魔法を受けたことで、自分の気持ちが変わってしまったのではないか。

 それを確かめるために。

 だったら、私が待っていること自体が、彼の判断を邪魔してしまう。

 そう思って、私はできるだけ普段通りに過ごした。


 朝食を食べて、庭の手入れをして、本を読む。

 夕方になれば窓を閉め、夜になれば灯りを落とす。

 何も変わっていない。

 ……そう思いたかった。


 けれど、夜になると駄目だった。

 ベッドに入って目を閉じると、どうしても彼の声を思い出す。


『僕は、君を好きになった』


 あの言葉が、本当に彼自身のものなのか。

 それとも、私の魔法がそうさせているだけなのか。

 私には分からない。

 分からないからこそ、怖かった。

 もし、魔法の影響だったら。

 魔法がなくなった瞬間、彼が私を見なくなったら。

 今まで向けられていた優しさも、心配も、あの真っ直ぐな目も、全部消えてしまったら。

 私はきっと、耐えられない。


 ……だからこそ。


「確かめてもらわないと」


 小さく呟いた。

 私が望んでいるからではなく。

 エドガー自身が、自分の気持ちを選べるように。

 私は彼を好きだからこそ、偽物かもしれない気持ちを押しつけたくなかった。


 それからさらに数日が過ぎた。


 六日目の夜。

 私は机の前で、古い魔法記録を眺めていた。

 そこには、私の魔法について書かれている。

 治癒。

 防護。

 そして、その代償。


 魔法を受けた人間は、術者に対する好意を失っていく。

 どうしてこんな魔法が存在するのか。

 何度読んでも答えは書かれていなかった。

 ただ、ひとつだけ。

 何度も目に留まる言葉がある。


 ――反転。

 エドガーのことを調べるために見つけた記録だった。

 私の魔法が本来持つ性質とは逆に、術者への感情が強くなる人間。

 それが、反転者。

 私はその文字を指でなぞった。


「……エドガー」


 彼は、本当に反転者なのだろうか。

 もしそうなら。

 私が魔法を使うほど、彼は私を好きになる。

 それは、普通の人が私を嫌うのとは正反対だ。

 だからこそ、怖い。

 好きになることさえ、魔法のせいなのではないか。

 そう考えてしまう。


 翌朝。

 私は庭に出た。

 空は薄曇りだった。

 花壇の隅に咲いていた小さな花へ手を伸ばす。

 以前なら、枯れかけた花を見つければ、反射的に魔法を使っていた。

 けれど今は使わない。

 私の魔法は、誰かを救える。

 その代わりに、その人の心を変えてしまう。

 だから私は、ずっと魔法を使うことを怖がっていた。


 でも。


「……全部、怖がらなくてもいいのかもしれない」


 初めて、そんなことを思った。

 魔法を使えば嫌われる。

 それは変わらない。

 だったら、嫌われないために生きることをやめればいい。

 そんな簡単なことではない。


 でも、少なくとも。

 誰かに好かれるためだけに魔法を使うわけではない。

 誰かに嫌われるのが怖いから、助けることまで諦める必要もない。

 私はまだ、その答えを見つけたわけではなかった。


 ただ。

 エドガーが戻ってきたときには、彼自身の気持ちをちゃんと聞こう。

 そう決めた。


 そして七日目の夕方。

 玄関の外で馬車の音が止まった。

 私は思わず立ち上がった。


 胸が大きく跳ねる。

 けれど、すぐに首を振った。

 エドガーとは限らない。

 期待してはいけない。

 そう思って玄関へ向かう。


 扉を開けると、そこに立っていたのは見覚えのない王宮の使者だった。


「リディア・アストレア様ですね」


「……はい」


 使者は一礼し、封蝋の押された封筒を差し出した。


「王宮より召喚状をお預かりしております」


「私に?」


「はい」


 封筒を受け取る。

 嫌な予感がした。

 封を切り、中の紙を開く。

 そこには簡潔な文章が記されていた。


 ――明朝、王宮へ出頭せよ。


 そして、その下には。


 ――反転者、エドガー・ヴァレンタインについて聴取を行う。


 指先が止まった。


「……エドガー」


 名前を口にしただけで、胸の奥が苦しくなる。


 一週間。


 長かった。

 けれど、明日。

 ようやく、会える。


 そう思った瞬間、嬉しさより先に、不安が込み上げてきた。

 彼は、何を言うのだろう。

 魔法がなくても、私を好きだと言ってくれるのか。


 それとも――。


 私は召喚状を握りしめた。

 逃げることはできる。

 王宮が何を聞こうとしているのかも分からない。

 けれど、ここで逃げれば、エドガーの気持ちを確かめることもできない。


「……行こう」


 自分に言い聞かせる。

 明日、彼に会う。

 そして、今度こそ。

 魔法ではなく、彼自身の言葉を聞こう。

 それがどんな答えだったとしても。

 私は、受け止めようと思った。


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