好きになってはいけない
「私、あなたのことが怖いです」
その言葉を口にしたのは、王宮の庭だった。
エドガーと出会って、一月。
リディアは少しずつ彼との時間に慣れていた。
それが怖かった。
人との距離を縮めること。
誰かを大切に思うこと。
それは、リディアにとって最も危険なことだった。
「怖い?」
エドガーが聞き返す。
「はい」
「僕が?」
「あなたが、私を嫌いにならないことが」
エドガーは黙った。
「普通なら、魔法を使うたびに離れていくはずなのに」
「……」
「あなたは逆です」
「そうですね」
「だから、あなたが優しくしてくれるほど……」
リディアは胸元を押さえた。
「期待してしまう」
風が吹いた。
木々の葉が揺れる。
「いつか、魔法のせいって分かったら」
「はい」
「そのとき、あなたが私を嫌いになったら」
エドガーは答えなかった。
リディアは笑った。
「怖いでしょう?」
「ええ」
「あなたも?」
「はい」
「何が?」
「あなたに嫌われることです」
リディアは目を見開いた。
「……私が?」
「そうです」
「でも、私の魔法ではあなたを嫌いにできないでしょう」
「だから怖いんです」
エドガーは苦笑した。
「僕は今、魔法のせいであなたを好きになることはできても、魔法のせいであなたを嫌いになることはない」
「……」
「だから、あなたが僕を嫌いになったら、それは全部あなた自身の意思でしょう?」
胸が苦しくなった。
そんなふうに考えたことはなかった。
「私は……」
その先を言えなかった。
好き。
そう言ってしまえば。
何かが変わってしまう気がした。
その日の夕方。
王宮から新しい命令が届いた。
リディアの治癒魔法について、正式な公開審問を行う。
その場で魔法の危険性を検証する。
そして。
「私が魔法を使わされる?」
「そうなる可能性があります」
エドガーは険しい顔をしていた。
「でも、僕が証人として立ちます」
「大丈夫なんですか?」
「何が?」
「あなたまで王宮を敵に回すことに」
エドガーは少し笑った。
「もう回しています」
「……」
「今さらでしょう」
公開審問の日。
王宮前の大広場には、大勢の人が集まった。
リディアが姿を現すと、あちこちから声が飛んだ。
「魔女!」
「人の心を壊すな!」
「治癒魔法を禁止しろ!」
リディアは足を止めそうになった。
けれど。
隣にエドガーがいる。
二人で歩いた。
広場の中央には、魔法測定用の水晶が置かれていた。
グレンが立っている。
「アストレア公爵令嬢」
「はい」
「これから、あなたの魔法の性質を公開する」
水晶に手を置く。
「治癒魔法を使用してください」
「誰に?」
グレンが指を向ける。
一人の兵士が連れてこられた。
腕に深い傷がある。
リディアの顔が青ざめた。
「この人は……」
「実験に同意しています」
兵士は無表情だった。
「お願いします」
リディアは手を伸ばした。
魔法を使う。
傷が消える。
水晶が光る。
その直後。
兵士が顔を歪めた。
「……なんだ、この気分は」
「どうしました?」
「あなたを見ると……腹が立つ」
リディアは目を伏せた。
まただ。
群衆がざわめく。
「やっぱり!」
「呪いだ!」
「危険な魔法だ!」
グレンが言った。
「これが証拠です」
エドガーが前へ出る。
「まだ終わっていません」
「何?」
「僕にも同じ魔法を使わせてください」
「エドガー!」
リディアが止める。
けれど彼は進んだ。
「彼女の魔法が本当に危険なら、僕にも同じ反応が出るはずです」
「お前は反転者だ」
グレンが低く言う。
群衆がざわめいた。
「彼は例外です」
グレンは説明する。
「アストレア公爵令嬢の魔法は、通常の人間には好意の減少として作用する。しかし彼だけは逆になる」
群衆がエドガーを見る。
「つまり、その男は魔法に操られているんじゃないか?」
誰かが言った。
「そうだ!」
別の声が続く。
「好きになるように操られているだけだ!」
リディアの胸が痛んだ。
それは。
一番言われたくなかったことだった。
エドガーも黙っている。
グレンが言う。
「どうだ、ヴァレンタイン」
エドガーはしばらく俯いていた。
そして。
「……その通りかもしれません」
リディアの心臓が止まりそうになった。
「エドガー?」
「僕があなたを好きなのは、魔法のせいかもしれない」
広場が静まり返る。
リディアは一歩後ろへ下がった。
「……そう」
胸の奥が痛い。
やっぱり。
そうだったのだ。
自分だけが、勝手に期待していた。
「なら」
エドガーは顔を上げた。
その目には、迷いがなかった。
「だからこそ、確かめます」
「何を?」
「魔法を使わない状態の僕が、あなたを選ぶかどうか」
「……」
「リディア」
彼は彼女の名前を呼んだ。
「少しだけ、待っていてください」
その言葉を最後に。
エドガーは王宮魔術師団の紋章を外した。
「ヴァレンタイン副団長?」
「しばらく職務を離れます」
「何をするつもりだ」
グレンが問う。
エドガーは答えた。
「魔法のない場所で、自分の気持ちを確かめる」
そして。
リディアの前に立った。
「それまで、あなたにも魔法を使わないでほしい」
「……どうして?」
「僕があなたを好きなのが、魔法のせいじゃないと」
エドガーは静かに笑った。
「僕自身で証明したいからです」
リディアは何も言えなかった。
ただ。
彼の背中が遠ざかっていくのを見つめていた。
初めてだった。
自分から離れていく人を。
追いかけたいと思ったのは。




