すべてを選んだ日
それから一週間後。
王宮で、正式な審問が開かれた。
北区の魔力災害。
研究塔で行われていた実験。
三百年前の記録の改竄。
そして、グレンが長年続けていた反転者に関する研究。
すべてが公の場で明らかにされた。
リディアも証言台に立った。
大勢の人間が見ている。
昔なら、それだけで身体が震えていただろう。
けれど今は。
怖くないわけではない。
ただ、逃げる必要はないと思えた。
「リディア・アストレア」
裁定官が尋ねる。
「あなたは、自分の魔法が他者への感情を変化させることを知っていましたか?」
「はい」
「その上で、魔法を使いましたか?」
「はい」
「嫌われる可能性を理解していましたか?」
「はい」
会場がざわつく。
それでもリディアは続けた。
「それでも、使いました」
「なぜです?」
少しだけ考える。
「助けたいと思ったからです」
単純な答えだった。
「それは、相手から好かれるためではありません」
視線を上げる。
「嫌われないためでもありません」
「では?」
「私が、その人を助けたいと思ったからです」
会場が静まった。
「だから、魔法を使った結果として私を嫌いになった人に、好きになってほしいとは思いません」
その言葉は、自分自身にも向けていた。
「私の魔法には、代償があります。それを隠すつもりもありません」
もちろん怖い。
この先、誰かが自分を嫌いになるかもしれない。
陰で悪く言われるかもしれない。
それでも。
「私は、もう誰かに好かれることを、自分が正しいことの証明にはしません」
裁定官がしばらく黙っていた。
やがて。
「分かりました」
証言が終わる。
席へ戻ると、エドガーが待っていた。
「お疲れさまでした」
「緊張しました」
「顔には出てなかったですよ」
「嘘です」
「本当ですよ」
エドガーは笑う。
「以前よりずっと堂々としてました」
「以前の私は、そんなに酷かったですか?」
「酷いというより」
少し考える。
「自分を責めるのが上手でした」
「……それは褒め言葉ですか?」
「いいえ」
二人で笑った。
審問の結果、グレンには研究権限の剥奪と拘束が決定した。
研究塔も閉鎖される。
反転者に関する研究は一度すべて停止され、改竄された記録も復元されることになった。
三百年前の女性と反転者についても、正式な記録として残されることになった。
けれど。
それですべてが変わったわけではない。
王都を歩けば、リディアを見て小声で話す人もいる。
助けられたにもかかわらず、彼女を嫌う者もいる。
逆に、魔法のことを知った上で感謝を伝えてくれる者もいた。
人の気持ちは、ばらばらだった。
そのことが、今は少し嬉しい。
以前のリディアは、全員に同じ気持ちを持ってほしいと思っていた。
でも、人はそれぞれ違う。
同じ出来事を見ても、感じ方は違う。
だから。
「リディア」
隣から呼ばれる。
「はい?」
「明日、時間はありますか?」
「ありますけど」
「一緒に行きたい場所があります」
「どこですか?」
「秘密」
「……怪しい」
「ひどいな」
二人は笑った。
翌日。
連れて行かれたのは、王都の外れにある小さな丘だった。
春には花が咲くらしい。
今はまだ少し寒い。
「ここに何が?」
リディアが尋ねる。
エドガーは何も言わず、丘の上へ歩いていく。
そこで立ち止まった。
「ここなら、王都が見える」
「そうですね」
「研究塔も」
遠くに白い塔が見える。
今は封鎖されている。
「……あの日、怖かったです」
リディアが言った。
「あなたが魔法を受けて、私を見たとき」
「はい」
「好きって言われても、素直に喜べなかった」
「分かります」
「あなたも怖かった?」
「怖かったです」
エドガーは正直に答えた。
「あなたを好きだという気持ちが、全部自分のものなのか分からなかったので」
「今は?」
「分からないことは、まだあります」
リディアを見る。
「でも、魔法がなくても君を好きだと思いました」
「……はい」
「だから、これからも何度でも確かめる」
エドガーは一歩近づいた。
「あなたが嫌なら、今まで通り離れます」
「嫌じゃありません」
「じゃあ」
彼の手が、そっと頬へ触れる。
魔法は使われていない。
何の光もない。
ただ、人の手の温度だけがある。
「キスしてもいいですか?」
リディアは少しだけ笑った。
「それも、私が選ぶんですよね?」
「もちろん」
「なら」
リディアから、少しだけ顔を近づけた。
二人の唇が触れる。
ほんの一瞬。
それだけだった。
離れたあと。
エドガーは耳まで赤くなっていた。
「……今のは」
「魔法じゃありません」
「分かってます」
「でも」
リディアは笑う。
「ちょっと緊張しました」
「僕も」
風が吹く。
冷たい空気が頬を撫でた。
遠くに王都の屋根が見える。
その景色を眺めながら、リディアは思う。
きっとこれからも、嫌われることはある。
魔法を使えば、誰かの気持ちが変わる。
だからといって、魔法を捨てる必要はない。
誰かを救うことも。
誰かに愛されることも。
どちらも、自分で選んでいい。
「エドガー」
「ん?」
「帰りましょうか」
「はい」
二人は並んで丘を下りていった。




