逆さまの愛
研究塔が崩壊した翌日。
王都は静かだった。
大きな被害は出たものの、死者は出なかった。
リディアの魔法によって救われた人も多い。
けれど。
彼女を見る人々の目が、すべて優しくなったわけではない。
むしろ以前より複雑だった。
「アストレア嬢の魔法がなければ、もっと被害が大きかった」
「でも、あの魔法は危険だ」
「助かった人間まで彼女を嫌うんだろう?」
「なら、使わないほうがいいのでは?」
様々な声が街に溢れていた。
リディアは、そのどれも否定しなかった。
正しい答えなど、きっと一つではない。
そんなことを考えながら、王宮の廊下を歩いていると。
「リディア」
後ろから声をかけられた。
振り返る。
エドガーだった。
魔力遮断はまだ続いている。
「体調は?」
「少し疲れています。でも大丈夫」
「無理はしないで」
「エドガーこそ」
「僕は平気」
少し間が空く。
「……本当に?」
「本当に」
彼は笑った。
「今の僕は、君の魔法を受けていないから」
「そうですね」
「だから、昨日言ったことも」
「はい」
「ちゃんと覚えてる」
リディアの頬が熱くなる。
「……私も覚えています」
「それならよかった」
二人は並んで歩き始めた。
けれど、角を曲がったところで足を止める。
グレンが待っていた。
両脇には騎士がいる。
「グレン・ハルフォード」
騎士が告げた。
「王命により、研究塔での不正研究、および北区魔力災害への関与について拘束する」
「王命?」
グレンは笑った。
「随分と急ですね」
「証拠は揃っています」
若い魔導師が前へ出た。
北区で回収された魔法陣の一部。
研究塔にあった術式。
そして、改竄された三百年前の記録。
「すべて繋がりました」
グレンはそれを見て、しばらく黙っていた。
やがて。
「……そうですか」
諦めたように息を吐いた。
「では、一つだけ聞かせてください」
リディアを見る。
「あなたは、これからどうするつもりです?」
「どうする?」
「魔法を使えば、人に嫌われる。使わなければ、人を救えない」
グレンの目には、最後まで理解できないものを見るような色があった。
「あなたは、その矛盾をどうするのです?」
リディアは少し考えた。
「分かりません」
「……」
「でも、今は分からなくてもいいと思っています」
以前なら、答えを探していた。
誰からも嫌われない方法。
魔法を使っても嫌われない方法。
誰かを傷つけずに済む方法。
そんなものがあると思っていた。
けれど。
「私は、人を助けたら好かれると思っていました」
リディアは静かに言った。
「だから嫌われたとき、自分が間違ったんだと思った」
グレンは黙っている。
「でも、違いました」
魔法には代償がある。
その代償を受け入れた上で使うかどうか。
それを決めるのは自分だ。
「助けた人に嫌われるかもしれない。それでも助けると決めることもある」
「……」
「助けないと決めることもある」
それも、間違いではない。
「私はもう、誰かに好かれるために魔法を使いません」
グレンの表情が僅かに歪んだ。
「それでは、あなたは何のために使う?」
「私が、そうしたいと思ったときです」
騎士がグレンを連れて行く。
彼は最後までリディアを見ていた。
「……あなたは、強くなりましたね」
その言葉を聞いても。
嬉しいとは思わなかった。
以前なら、褒められることに安心していたかもしれない。
今は違う。
誰かの評価で、自分の価値を決めなくていい。
グレンが去ったあと。
エドガーが隣に立った。
「よかったね」
「何がですか?」
「自分で答えを見つけた」
「まだ分からないことだらけですよ」
「それでいいと思う」
エドガーは笑った。
「僕だってそうだから」
「エドガーは……」
リディアは少し迷った。
「本当に、私のことが好きですか?」
エドガーは足を止めた。
「今、魔法は?」
「使っていません」
「じゃあ」
彼はまっすぐリディアを見る。
「好きです」
胸が熱くなる。
「……本当に?」
「何度でも言うよ」
「でも、魔法を使ったときはもっと強くなるんでしょう?」
「たぶん」
エドガーは苦笑した。
「だから、僕は君に魔法を使ってほしくないわけじゃない」
「え?」
「必要なときは使ってほしい」
彼は少し考えてから言った。
「ただ、僕のためには、できるだけ使わないでほしい」
「どうして?」
「君が僕を治すたびに、好きという気持ちが強くなるなら……」
彼は照れたように笑った。
「そのたびに、ちゃんと自分で選び直したいから」
リディアも笑った。
「面倒な人ですね」
「そうかもしれない」
「でも」
リディアは彼の手を取った。
「私は、そういうところが好きです」
エドガーの目が見開かれる。
「……それは」
「魔法じゃありません」
「分かってる」
二人はそのまま歩いた。
その日の夕方。
王宮の庭に出る。
空は夕暮れ色に染まっていた。
「リディア」
「はい」
「一つだけ、聞いてもいい?」
「何ですか?」
「僕と……これからも一緒にいてくれる?」
リディアは少し笑った。
「それは、私が選ぶことですか?」
「うん」
「なら」
手を握る。
「私が選びます」
エドガーも握り返した。
「僕も選ぶ」
魔法のない世界ではない。
嫌われることもある。
不安になることもある。
それでも。
二人は、そのたびに選び直せばいい。
そう思えた。




