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最後の救済

 塔の最上階へ続く階段は、すでに半分ほど崩れていた。

 壁に刻まれた魔法文字が明滅している。

 その一つひとつが、王都のどこかから集めた魔力を吸い上げているのだろう。


「これを止めれば、王都の暴走も止まる?」


 リディアが尋ねる。


「中心の魔法陣を壊せば、おそらく」


「おそらく?」


「僕はこういう大規模な術式は専門じゃないんです」


「それ、今言います?」


「今だから言いました」


 こんな状況なのに、少しだけ笑ってしまう。

 それだけで、張り詰めていた心がわずかに軽くなった。


 最上階に着く。

 そこには巨大な円形の魔法陣があった。

 中央に、一人の男が立っている。


「グレン……」


「来ましたか」


 グレンは二人を見ると、静かに微笑んだ。


「予想より早かった」


「これを止めてください」


「できません」


「なら、私が止めます」


「どうやって?」


 グレンが指を広げる。

 魔法陣が一斉に輝いた。


「あなたが魔法を使わなければ、王都の魔力は行き場を失います」


「だったら魔法陣を壊します」


「壊せば、集められた魔力が一気に解放される」


 リディアは息を呑んだ。


「そうです」


 グレンは笑う。


「王都中が危険になる。だから、あなたは使うしかない」


「……それが目的だったんですね」


「そうです」


 北区も。

 研究塔も。

 すべてはリディアに大量の魔法を使わせるためだった。


 そして、そのとき。

 エドガーの身体に魔力が流れ込む。


「っ……!」


 膝をついた。


「エドガー!」


「来ないでください!」


 彼の周囲に、異常なほど強い光が集まっている。


「反転者は、治癒者の魔法に強く反応する」


 グレンが言った。


「あなたの魔法を受ければ受けるほど、彼の感情は増幅される」


「だから何ですか」


「だから、彼はあなたを守るためなら何でもする」


 エドガーが立ち上がった。

 その目には、これまで見たことのないほど強い光が宿っている。


「……リディア」


「エドガー?」


「僕から……離れてください」


「え?」


「今の僕は、危ない」


 自分自身でそう言った。

 そのことに、リディアは胸を締め付けられた。


「あなたを守りたい」


 エドガーは苦しそうに息を吐く。


「グレンを殺してでも、君をここから連れ出したいと思ってる」


「……」


「それが僕の本心なのか、魔法で膨らんだ感情なのか分からない」


 彼は自分の手を見た。


「だから、今の僕を信用しないで」


 リディアは首を横に振った。


「いいえ」


「リディア」


「信用します」


「どうして」


「あなたが、自分の感情を疑っているからです」


 リディアは一歩近づいた。


「本当に危険な人なら、自分が危険だなんて言わない」


「……」


「あなたは、私を守ることより、私があなたを怖がらないことを選んだ」


 エドガーが目を伏せる。


「だから私は、あなたを信じます」


 グレンが舌打ちした。


「くだらない」


「何がですか」


「そんな曖昧な感情に命を預けるなど」


 グレンは魔法陣を操作した。

 塔全体が揺れる。


「感情など、操作すればいい」


「違います」


 リディアは答えた。


「人の気持ちは、操作するものじゃない」


「では何だというのです」


「その人が、自分で選ぶものです」


 リディアは魔法陣の中心へ歩いた。


「私は魔法を使います」


 エドガーが顔を上げる。


「リディア」


「でも、あなたの言いなりにはなりません」


 グレンを見る。


「王都の人を救うために使います」


 そして。


「あなたの実験のためには使いません」


 魔法陣に手を触れる。

 巨大な光が広がった。

 王都中へ散らばっていた魔力が、一気に戻ってくる。

 身体が軋む。

 苦しい。

 それでも耐える。


 街のあちこちで起きていた魔力暴走が、少しずつ収まっていく。

 けれど。

 魔法を使った瞬間から、リディアに向けられる感情が変わっていくのが分かった。


 研究員たちの目。

 グレンの目。

 そして、エドガー。


 エドガーだけは違う。

 いや。

 違うのではない。

 強くなっている。

 彼女への執着が。


「エドガー……」


「大丈夫」


 彼は震える手を握った。


「僕は、自分で決める」


 グレンが笑った。


「それができるとでも?」


「できる」


「あなたの感情はもう、彼女の魔法に侵されている」


「だから」


 エドガーは一歩前へ出た。


「もう一度、選び直す」


 彼は自分の胸元に手を当てた。

 魔力遮断の術式が発動する。

 光が彼を包む。


「エドガー!」


「少しだけ、離れる」


「でも……」


「大丈夫」


 光が消えた。

 エドガーの魔力が完全に遮断される。

 そして。

 彼はリディアを見た。

 さっきまでの激しい感情が、静かになっている。

 それでも。

 彼は笑った。


「……やっぱり、好きだ」


 リディアの目から涙が落ちた。


「今度は、魔法のせいにしなくていい」


 エドガーはそう言った。


「僕が自分で選んだ」


 グレンの顔から、初めて余裕が消えた。


「そんな……」


 魔法陣が崩れていく。

 グレンが術式へ手を伸ばす。

 しかし、もう遅かった。

 研究塔を覆っていた光が、一つ、また一つと消えていく。


 そして最後に。

 巨大な音とともに、中心の魔法陣が砕けた。

 リディアはその場に崩れ落ちた。

 エドガーが駆け寄る。

 けれど、すぐには触れなかった。


「……触ってもいいですか?」


 リディアは涙を拭った。


「はい」


 今度は、リディアのほうから手を伸ばした。

 二人の指が重なる。


 その温度は、魔法ではなかった。


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