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それでも手を伸ばす

 研究塔の床を走った光が、壁を伝って天井へと伸びていく。


 白い石造りの塔全体が、巨大な魔法陣へ変わっていくようだった。


「何をしたんですか!」


 リディアが叫ぶ。

 グレンは答えなかった。


 代わりに、部屋の奥にある扉が開いた。


「助けて……」


 かすかな声が聞こえた。

 その瞬間、リディアの身体が動いた。


「待ってください!」


 グレンの制止を振り切り、扉へ駆け寄る。

 その先には、数人の研究員が倒れていた。

 誰もが苦しそうに胸を押さえている。

 床には、北区で見たものと同じ魔法陣が刻まれていた。


「魔力が……逆流している」


 リディアは膝をついた。

 一人の研究員の顔が青ざめている。


「治療を……」


「触らないでください」


 グレンの声が飛んできた。


「これは実験です」


「実験?」


 リディアは振り返った。


「人が苦しんでいるのに?」


「彼らは承知の上です」


「だから何ですか」


 自分でも驚くほど、声が低かった。


「承知していたら、苦しんでいる人を放っておいていいんですか」


 グレンが目を細める。


「あなたは本当に変わりましたね」


「私は変わっていません」


 リディアは立ち上がった。


「今まで、自分が嫌われるのが怖くて逃げていただけです」


 手を握る。

 魔力が指先に集まる。

 けれど、すぐには使わない。

 以前の自分なら、目の前で苦しむ人を見れば、何も考えずに魔法を使った。

 そして、助かった人たちから向けられる嫌悪に傷ついていた。

 今は違う。


「あなたたちは、治療を受けたいですか?」


 倒れている研究員たちに尋ねる。

 最初は誰も答えなかった。

 やがて、一人の男が小さく頷いた。


「……頼む」


「私の魔法には代償があります」


「知ってる」


「治ったあと、私を嫌いになるかもしれません」


 男は苦しそうに笑った。


「今より嫌いになったって、大したことないだろ」


 その言葉に、リディアは一瞬だけ目を伏せた。


「分かりました」


 手を伸ばす。

 光が溢れた。

 傷ついた魔力の流れが、少しずつ正常に戻っていく。


 けれど。

 同時に、胸の奥に刺さるような感覚がした。

 いつもの感覚だった。

 魔法が誰かを救うたび、自分の中から何かが引き抜かれていく。

 そして治療を終えた男が、リディアを見た。


「……ありがとう」


 まだ、その目に嫌悪はない。

 けれど、すぐに男の表情が曇った。


「なんだか……お前を見ると、妙に腹が立つ」


「はい」


「助けてもらったのに」


「それが私の魔法です」


 リディアは静かに答えた。


「だから、気にしないでください」


 男は何とも言えない顔をして視線を逸らした。


 その瞬間。

 塔のさらに上から、爆発音が響いた。


「始まったか」


 グレンが呟く。


「何が?」


「あなたがここに来た目的ですよ」


 グレンは窓の外を見た。

 王都の上空に、巨大な魔力の渦が生まれている。

 雲が渦を巻き、空が暗く染まっていく。


「王都全域の魔力を、この塔へ集めています」


「どうして……」


「あなたに使ってもらうためです」


 リディアは息を呑んだ。


「やめてください」


「やめられません」


「私が使わなければいい」


「そうすると、王都の魔力暴走が止まらない」


 グレンが淡々と言った。


「あなたが治癒魔法を使えば、魔力の流れを整えられる。北区と同じです」


「私を利用するつもりですか」


「ええ」


 あまりにもあっさり認められた。

 リディアは拳を握る。


「人を助けるためなら、何をされてもいいと思っているんですか?」


「あなたはそういう人間でしょう」


「違います」


「では、見捨てますか?」


 その言葉が胸に刺さる。


 塔の外から、また爆発音。

 遠くで人々の悲鳴が聞こえた。


 リディアは目を閉じる。


 怖い。

 魔法を使えば、また嫌われる。

 使わなければ、人が傷つく。

 どちらを選んでも、何かを失う。

 そのときだった。


「リディア!」


 聞き慣れた声が響いた。

 振り返る。

 廊下の奥から、エドガーが走ってきた。


「エドガー……?」


「遅くなりました」


 息を切らしながら、彼はリディアの前に立った。


「どうしてここに……」


「あなたがここへ連れていかれるのを見て、黙って待っていると思いましたか」


「接触禁止の命令が」


「だから?」


 エドガーは笑った。


「僕はもう、王宮の命令だけで君との距離を決めるつもりはない」


 その言葉に、リディアの胸が熱くなる。

 けれど。


「エドガー、近づかないで」


「……え?」


「魔法陣が、あなたの魔力にも反応してる」


 エドガーの足元を見る。

 確かに、彼の周囲だけ魔法陣の光が強くなっていた。


「私が魔法を使えば、あなたにも影響がある」


「分かってる」


「だったら――」


「それでも来た」


 エドガーは一歩近づいた。


「僕は君を守るために来たんじゃない」


「え?」


「君がどうするかを、君自身に決めてもらうために来た」


 その言葉に、リディアは目を見開いた。


「僕が決めたら、君を守ることにはならない」


 エドガーは続けた。


「君が魔法を使うのか。使わないのか。誰を助けるのか。誰を助けないのか。僕が決めることじゃない」


「……でも」


「怖いなら、怖いって言っていい」


 リディアの目に涙が滲んだ。


「嫌われるのが怖い」


「うん」


「魔法を使うたびに、誰かの気持ちが変わるのが怖い」


「うん」


「あなたの気持ちまで、変えてしまうのが怖い」


 エドガーは少しだけ黙った。


 そして。


「それは、僕も怖い」


 正直な言葉だった。


「だから、僕は何度でも選ぶ」


「何度でも……?」


「魔法の影響があるかもしれないなら、ない状態でも選ぶ。迷ったら、また確かめる」


 エドガーは手を伸ばした。

 けれど、触れなかった。


「君が僕を選ばなくても、僕は君を選ぶ」


 リディアは震える息を吐いた。


「……ずるいです」


「何が?」


「そんなこと言われたら、頑張るしかないじゃないですか」


 エドガーが少し笑った。


「頑張らなくていい」


「でも」


「僕も一緒にいる」


 その瞬間、塔が大きく揺れた。

 天井から石片が落ちてくる。


「リディア!」


 エドガーが彼女を庇った。

 直後、彼の肩に石が当たった。


「エドガー!」


「大丈夫です」


「血が……」


 傷から魔力が漏れ出していた。

 リディアの手が自然と伸びる。

 止める。

 魔法を使えば、彼の感情がまた強くなる。

 それでも。


「……治してもいい?」


 リディアは尋ねた。

 エドガーは彼女を見た。


「はい」


「後悔しませんか?」


「するかもしれない」


「……え?」


「でも、それも僕が選ぶことです」


 リディアは微笑んだ。


「分かりました」


 光が、二人の間に広がった。

 エドガーの傷が消えていく。

 そして同時に。

 彼の目に、強い感情が浮かんだ。

 抱きしめたい。

 離したくない。

 そんな衝動が、明らかに表情に出ていた。

 けれどエドガーは一歩下がった。


「……やっぱり、強くなるな」


「ごめんなさい」


「謝らなくていい」


 彼は深く息を吐いた。


「今、君を抱きしめたい」


 リディアの心臓が跳ねる。


「でも、今はしない」


「どうして……」


「魔法で強くなった気持ちなのか、自分で選んだ気持ちなのか。今の僕にはまだ分からないから」


 エドガーは苦笑した。


「だから、もう一度選べるようにする」


 そして彼は、手を差し出した。


「行こう、リディア」


「どこへ?」


「この魔法陣を壊す」


 二人は、光に包まれた塔の奥へ向かった。


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