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19/19

嫌われる令嬢は愛される

 それから一年。


 王都の外れに、小さな診療所ができた。


 大きな看板もない。

 立派な建物でもない。

 ただ、木造の古い家を改装しただけの場所だった。

 入口には一枚の札が掛かっている。


 ――治療を希望する方は、魔法の説明を受けてからお入りください。


 リディアが決めたことだった。

 彼女の魔法には代償がある。

 治療した相手から好意を失わせる可能性。

 それを隠さない。

 治してほしい人には、そのことを説明する。

 それでも治してほしいと言われたときだけ、魔法を使う。


 すべての傷を魔法で治すわけでもない。

 薬で済むなら薬を使う。

 時間を置いて自然に治るものなら、無理に魔法を使わない。


 そして。

 リディア自身が「今は使いたくない」と思ったときには、断る。

 それでいいと思えるようになった。


「リディア」


 診療所の奥から声がする。


「はい?」


「包帯の場所はどこでしたか」


「昨日教えましたよね?」


「覚えてます」


「ならどうして聞くんですか」


「あなたと話したかったから」


「……」


 リディアは呆れた顔をした。


「仕事してください」


「はい」


 エドガーは笑いながら棚へ向かった。

 今では彼もここで働いている。

 王宮魔導師の仕事を完全に辞めたわけではない。

 必要なときには王宮へ行き、戻ってくる。

 その生活を、二人で選んだ。


 エドガーが戻ってくる。

 リディアが迎える。

 そんな毎日だった。


「痛っ」


 突然、エドガーが声を上げた。


「どうしました?」


「指を切りました」


 見ると、小さな傷ができている。

 リディアは反射的に手を伸ばした。

 けれど。

 途中で止めた。


「……どうしました?」


「魔法、使いません」


「え?」


「そのくらいなら、治癒魔法を使う必要ありません」


 棚から包帯を取る。


「これで十分です」


「えー」


「何ですか、その顔」


「あなたに治してもらえると思ったのに」


「嫌です」


「即答」


「だって」


 包帯を巻きながら、リディアは笑った。


「こんな小さな傷で魔法を使ったら、またあなたの気持ちが強くなるでしょう?」


「……それは困りますね」


「でしょう?」


「でも」


 エドガーは彼女を見る。


「今の僕が君を好きなのは、魔法のせいじゃないですよ」


「知っています」


「じゃあ、使っても」


「使いません」


「どうして?」


「私が使いたくないからです」


 エドガーは少し黙った。

 そして笑った。

「それなら仕方ないですね」


「分かればよろしい」


 包帯を結ぶ。


「はい。終わりです」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 エドガーは包帯を見つめた。

 そして。


「それでも、好きです」


 リディアの手が止まった。


「……急に何ですか」


「言いたくなった」


「そうですか」


「うん」


 リディアは少しだけ笑った。


「私も好きです」


 窓の外から、子どもたちの声が聞こえる。

 誰かが笑っている。

 その声を聞きながら、リディアは窓を開けた。

 風が入ってくる。

 穏やかな午後だった。


 かつて。

 彼女は、人に嫌われることが怖かった。

 誰かに嫌われるたび、自分が悪いのだと思った。

 誰かを助けても。

 傷を治しても。

 その相手が自分を嫌えば、すべてが失敗だったように感じた。


 けれど今は違う。

 嫌われることは、必ずしも間違っていることではない。

 好かれることも、正しさの証明ではない。

 魔法を使うことも。

 使わないことも。

 誰かを救うことも。

 救えないことも。

 その一つひとつを、自分で選ぶ。

 そして。

 選んだ結果を、自分の人生として受け止めていく。


「リディア」


「はい?」


「今日はもう仕事終わりにしない?」


「まだ患者さんがいます」


「終わったら」


「そうですね」


 エドガーが隣に立つ。


「どこか行こう」


「どこへ?」


「考えてない」


「……本当に計画性がないですね」


「君となら、どこでもいい」


「それ、ずるい言い方ですよ」


「そう?」


 二人で笑う。

 そのとき。

 外から少女の声がした。


「先生!」


「はい」


 リディアが振り返る。


「お母さんが転んじゃった!」


 リディアはすぐに立ち上がった。


「分かりました。案内して」


 少女のところへ駆け寄る。

 けれど、途中で足を止めた。


「その前に、一つだけ聞いてもいい?」


「なに?」


「お母さんは、私の魔法を受けてもいいと言ってる?」


 少女はきょとんとした。


「魔法?」


「うん。私の魔法には、少し変わったところがあるの」


 少女に分かる言葉で説明する。

 時間がかかる。

 その間に、母親が痛がっているかもしれない。

 それでも。

 リディアは急がなかった。


 助けることを選ぶのは、自分だけではない。

 助けられる側にも、選ぶ権利がある。


「分かった!」


 少女が走って戻っていく。

 しばらくすると、女性がやってきた。


「治してもらいたいです」


「本当にいいんですね?」


「はい」


「分かりました」


 リディアは手を伸ばす。

 淡い光が広がる。

 痛みが消えていく。

 女性は目を丸くした。


「……ありがとうございます」


 リディアは微笑んだ。


「どういたしまして」


 その女性が、明日リディアを嫌うかもしれない。

 もしかすると、二度と会いたくないと思うかもしれない。

 それでも。

 今、この人の痛みが消えた。

 それでいい。


 治療を終えると、リディアは外へ出た。

 エドガーが待っていた。


「終わりましたか?」


「はい」


「じゃあ、行きましょう」


「どこへ?」


「まだ決めてません」


「本当に?」


「本当に」


 二人は歩き出す。

 夕方の街に、長い影が伸びている。

 ふと、リディアは空を見上げた。

 雲の向こうに、一番星が見えた。


「綺麗ですね」


「はい」


 エドガーも空を見る。


「昔は、星を見る余裕なんてなかったな」


「私もです」


「今は?」


 リディアは少し考えた。


「今は、嫌われてもいいと思えるから」


「それと星に何の関係が?」


「分かりません」


 二人で笑う。

 そして、リディアはエドガーの手を取った。

 魔法は使わない。

 光もない。

 特別な力もない。

 ただ、好きだから触れた。

 エドガーも、その手を握り返す。


「リディア」


「はい」


「これからも、何度でも選びます」


「私も」


「嫌われても?」


「嫌われても」


「魔法を使っても?」


「必要なら」


「僕が何度も好きになるのを疑っても?」


「そのたびに、好きだって言ってください」


「分かりました」


 エドガーが笑う。


「何度でも言う」


 夕暮れの街を、二人は並んで歩いていく。

 誰に好かれるかなんて、もう分からない。

 明日、誰かに嫌われるかもしれない。

 それでもいい。

 誰かの気持ちを思い通りにすることはできない。


 だからこそ。

 自分の気持ちは、自分で選べばいい。


 魔法を使うか。

 使わないか。

 誰かを救うか。

 手を差し伸べないか。

 誰と生きるか。

 その全部を。

 リディアは、自分の意思で選んでいく。


 そして隣には。

 魔法がなくても彼女を選んでくれる人がいる。


「エドガー」


「はい」


「今日は、少し遠回りして帰りませんか?」


「いいですね」


 二人は進む道を変えた。

 夕暮れの空の下。

 リディアは笑った。


 かつて、自分は「嫌われる令嬢」だった。

 けれど今は。

 嫌われることを恐れずに、自分の人生を選べる。


 そして。

 愛されることもまた、誰かに与えられたものではなく。

 互いに選び続けた、その先にあるものなのだと。


 そう思いながら。

 二人はゆっくりと、家へ帰っていった。


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