王宮の罠
事件が起きたのは、その二日後だった。
王都の北区で、大規模な魔力事故が発生した。
最初に知らせを受けた時、リディアは意味が分からなかった。
「魔力事故……?」
「結界の一部が破損したそうです」
屋敷へ駆け込んできた王宮の使者が言った。
「負傷者が多数出ています」
その言葉を聞いた瞬間。
リディアの身体は勝手に立ち上がっていた。
「私を呼びに来たんですね」
「はい」
「治癒魔法を使え、と?」
使者は答えなかった。
それだけで十分だった。
リディアは外套を羽織った。
「行きます」
「リディア」
エドガーの声がした。
彼も同行していた。
「無理をする必要はありません」
「分かっています」
「本当に?」
「……分かっているつもりです」
エドガーは黙った。
北区へ向かう馬車の中。
外から、遠く人々の叫び声が聞こえていた。
リディアは膝の上で手を握る。
怖い。
魔法を使えば、また嫌われる。
助けた人たちが、あとで自分を憎むかもしれない。
けれど。
目の前で苦しんでいる人を見捨てることもできない。
「リディア」
エドガーが静かに言った。
「使うなら、あなたの意思で決めてください」
「……はい」
「王宮の命令だからではなく」
「はい」
「そして、できるだけ本人の同意を取ってください」
リディアは頷いた。
「分かりました」
*
北区は、ひどい有様だった。
崩れた建物。
割れた窓。
魔力の残滓が空気中に漂い、近づくだけで肌が痺れる。
治療所として使われている広場には、多くの負傷者が運び込まれていた。
「次!」
「腕を負傷しています!」
「こちらは火傷!」
治療班が必死に動いている。
けれど、人手が足りない。
リディアは目の前の少年に近づいた。
「魔法で治療してもいい?」
少年は怯えながら頷いた。
「……お願いします」
「少し痛みます」
リディアが手をかざす。
淡い光が傷口を包む。
裂けた皮膚がゆっくりと塞がっていく。
「……治った」
少年が自分の腕を見る。
「ありがとうございます」
その瞬間。
少年の表情が変わった。
先ほどまでの感謝が消え、警戒が浮かぶ。
「……なんで」
「どうしました?」
「あなた……」
少年が一歩下がる。
「なんか、嫌だ」
胸が痛んだ。
分かっていた。
これが魔法の代償だ。
「大丈夫です」
リディアは微笑んだ。
「帰って休んでください」
少年は何も言わず離れていった。
それを見ていた別の負傷者が、怯えたように言った。
「あの女に治してもらうと、嫌いになるらしい」
「やめろ」
誰かが制した。
けれど、噂は広がる。
リディアはそれでも治療を続けた。
一人。
二人。
三人。
治すたびに、視線が冷たくなる。
それでも、手を止められなかった。
「もうやめてください!」
突然、エドガーが声を上げた。
リディアが振り返る。
「エドガー様?」
「あなたの顔色が悪い」
「まだできます」
「だから止めろと言っています」
「でも!」
その瞬間。
大きな音がした。
崩れかけていた建物の一部が、こちらへ倒れてくる。
「危ない!」
エドガーがリディアを突き飛ばした。
次の瞬間。
瓦礫が彼の肩を直撃した。
「エドガー様!」
リディアが駆け寄る。
エドガーは片膝をついていた。
肩から血が流れている。
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません!」
「……この程度なら」
「動かないで」
リディアは手を伸ばした。
けれど、途中で止まった。
エドガーに魔法を使えば。
また彼の感情が強くなる。
「……どうしました?」
「魔法を使うと、あなたの気持ちが変わるかもしれない」
エドガーは一瞬黙った。
「そうですね」
「だから……」
「リディア」
彼は傷ついた肩を押さえながら言った。
「僕が望みます」
「……」
「治してください」
「でも」
「これは僕自身の選択です」
リディアの目から涙が落ちた。
「……分かりました」
手を伸ばす。
「痛かったら言ってください」
「はい」
魔法が光る。
傷が塞がっていく。
同時に、胸の奥に何かが流れ込んでくるような感覚がした。
エドガーが目を閉じる。
魔法が終わった。
「……ありがとう」
「大丈夫ですか?」
「ええ」
エドガーは自分の手を握った。
「今、少しだけあなたを強く抱きしめたいと思いました」
「……!」
「でも、しません」
リディアは目を丸くした。
「今の僕の感情が魔法の影響を受けている可能性があるなら、なおさらです」
エドガーは一歩離れた。
「僕は、あなたを大切にしたい」
その言葉は、以前よりずっと重かった。
魔法を否定するのではなく。
その影響を理解したうえで、自分の行動を選んでいる。
その時だった。
治療所の端に、奇妙な魔法陣があることに気づいた。
「……エドガー様」
「どうしました?」
「あれ」
瓦礫の下。
地面に刻まれた紋章。
王宮の魔術師だけが使うことを許されている術式だった。
エドガーの表情が変わる。
「これは……」
「王宮の魔法ですよね?」
「そうです」
彼はしゃがみ込み、魔法陣を調べた。
そして、顔を上げる。
「この事故……自然発生じゃない」
「え?」
「誰かが、結界を意図的に壊している」
リディアの背筋が凍った。
その時。
遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
王宮からの一団が到着する。
先頭にいたのは。
グレンだった。
「ご苦労だったな」
彼は周囲を見回し、それからリディアへ視線を向ける。
「やはり君の魔法は必要だ」
その言葉に、リディアは初めて気づいた。
自分がここへ呼ばれたこと。
負傷者がこれほど多く出たこと。
そして、地面に残された王宮の術式。
すべてが、偶然ではないのかもしれない。
「グレン様」
エドガーが立ち上がった。
「この事故について、説明していただけますか」
グレンは微笑んだ。
「何のことだ?」
「この魔法陣です」
エドガーが指差す。
グレンの笑顔が、一瞬だけ消えた。
それを見逃さなかった。
リディアの中で、何かが繋がり始めていた。
自分の魔法を使わせるために。
誰かが、この状況を作った。
もしそうなら。
次に狙われるのは、自分だけではない。
エドガーもまた。
そして二人は、まだその全貌を知らなかった。




