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反転者の代償

 エドガーが魔力遮断を受けてから、三日が経った。


 その間、彼は毎日のようにリディアのもとを訪れた。

 ただし、以前とは違う。


 魔法を使わない。

 怪我をしていても治さない。

 重い荷物を持っていても、リディアが手伝おうとすると自分で持つ。


「それくらいできます」


 そう言われてしまえば、リディアは何もできなかった。

 以前なら、傷ついた人を見ると反射的に魔法を使っていた。


 けれど今は。

 エドガー自身が、それを望んでいない。

 それを尊重することも、彼を大切にすることなのだと思うようになった。


「今日は少し顔色が悪いですね」


 昼過ぎ。

 庭のベンチに座っていたエドガーが言った。


「そうですか?」


「ええ」


「昨日、少し眠れなくて」


「では、今日は早めに休んでください」


「エドガー様もです」


「僕は大丈夫です」


「それ、私もよく言います」


「……確かに」


 二人で笑う。

 こんな時間が、少しずつ当たり前になっていった。

 けれど。


 四日目の朝。

 魔力遮断の術式が、一時的に解除された。

 王宮側が、追加の検査を行うためだった。

 そしてその検査で、ひとつの問題が起きた。


「……これは」


 魔術師が、エドガーの魔力反応を見て眉をひそめる。


「何かありましたか?」


 リディアが尋ねる。


「遮断前と比べて、感情反応が強くなっている」


 エドガーの顔が曇った。


「どういう意味です?」


「君の場合、彼女に対する好意だけではない」


 魔術師は記録を見ながら言った。


「庇護欲、警戒心、独占欲。あらゆる感情が強く出ている」


 リディアの背中が冷たくなった。


「……独占欲?」


「反転位相の特徴だ」


 そこへ、以前から調査に関わっていたグレンが現れた。


「やはりそうか」


 低い声だった。


「三百年前の記録と一致する」


 グレンは古い記録帳を開いた。


「反転者は、術者への好意が増す。それだけではない。術者に危害を加える者への敵意も強まる」


 リディアはエドガーを見る。

 彼は黙っていた。


「だから危険なんだ」


 グレンが言う。


「術者を守るためなら、他者を傷つけることさえ厭わなくなる」


「僕はそんなことをしません」


 エドガーが静かに返した。


「今は、な」


 グレンは冷たく笑った。


「魔法を受け続ければ分からない」


 リディアの胸が締め付けられる。


「……なら、私が魔法を使わなければ」


「それでも完全には消えない」


 グレンは記録帳を閉じた。


「一度反転した感情は、簡単には戻らない」


 その言葉に、リディアは俯いた。

 自分がエドガーを壊してしまう。

 そんな恐怖が、初めて現実味を持った。


「リディア」


 エドガーが呼ぶ。


「……はい」


「僕を見てください」


 顔を上げる。


「僕は今、自分の意思でここにいます」


「でも……」


「確かに、あなたの魔法で感情が強くなることはある」


 エドガーは正直に言った。


「それは否定しません」


「……」


「だからこそ、僕はあなたに魔法を使ってほしくない」


 リディアは目を見開いた。


「少なくとも、僕が望んでいない時には」


「はい」


「そして、あなた自身が責任を感じて魔法を使うこともやめてほしい」


「でも……人を助けられるのに」


「助けることと、あなたが全部背負うことは違います」


 その言葉が胸に刺さった。


「僕は、あなたに救ってほしいんじゃない」


 エドガーが少しだけ笑う。


「あなたに、あなた自身でいてほしい」


 リディアは何も言えなかった。

 魔法を使えば嫌われる。

 だから使わない。

 そんな単純な話ではなかった。


 魔法を使わなければ助けられない人もいる。

 けれど、使えば誰かの気持ちを変えてしまう。

 その間でずっと迷っていた。


「……エドガー様は」


「はい」


「私の魔法が怖くないんですか?」


「怖いですよ」


 即答だった。


「あなたを傷つける可能性があるなら、怖い」


「それなのに……」


「それでも、あなたが怖いから離れる、とは思いません」


 リディアは唇を噛んだ。

 涙が落ちそうになる。


「泣かないでください」


「……泣いてません」


「泣いてます」


「これは、その……」


「僕のせいですか?」


「違います」


 エドガーは困ったように笑った。


「なら、少しだけ泣いてください」


 その優しさが、余計に苦しかった。

     *

 その夜。

 リディアは一人で古い記録を読み返していた。


 三百年前の反転者。

 術者への異常な執着。

 そして、その末路。

 記録にはこう書かれていた。


 ――反転者は術者を愛した。


 その一文だけなら、綺麗な話に見える。

 けれど、その続きは違った。


 ――されど、その愛は術者を守ることと同義になり、己の人生を捨てることへ変わった。


 リディアはページを閉じた。


「……そんなの、嫌」


 エドガーに自分だけを見てほしいわけではない。

 自分のために何かを失ってほしいわけでもない。

 だから。


 明日、もう一度話そう。

 魔法を使うことも。

 使わないことも。

 エドガーが自分で選べるように。

 そして自分も。

 嫌われることを恐れて、何もできない人間にはならない。

 それが、今の自分にできることだった。


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