第9章 人間を撃つ
「止まるな」
シンゴの声が飛んだ。
ノゾムは足を止めかけたまま、どうにか一歩を出した。
「そのまま歩け。間、空けるな」
少し前を行くカイトが速度を落とした。ノゾムも歩幅を広げ、三人の間隔を縮める。
前を見る。
けれど、視界の端が気になった。
左手の建屋。割れた二階の窓。その奥は暗く、何も見えない。
右には、頭上を渡る太い配管。その下に濃い影が落ちている。
そこに、人がいた。
「……いた」
「見るな」
シンゴが言った。
もう遅い。
右側に一人。左手の建屋の陰に一人。さらに後ろにも人影がある。
どれも銃を持っていた。
「囲まれてる?」
「とっくにな」
カイトの声には、もうさっきまでの軽さがなかった。
少し前に見えていたのは三人だけだった。
今は六人いる。
シンゴが言っていた意味が、ようやく身体へ入ってきた。
見えている人数と、いる人数は違う。
分かったところで、もう遅かった。
前方へ三人が姿を現した。
残りは左右と後方に散り、三人の逃げ道を塞ぐ位置にいる。
装備には統一感がなかった。
一人は工業用らしいヘルメットの上からゴーグルを掛け、別の男は旧式の防弾板を胸へ紐で括りつけ、右肩にだけ大きな肩当てを付けている。
銃も同じものは一丁もない。
新品らしいものは、もっとなかった。
中央に立つ男だけが、比較的まともな長銃を持っている。
たぶん、あれがリーダーだ。
「止まれ」
男が言った。
三人は足を止めた。
「荷物置いてけ」
シンゴが半歩前へ出る。
「通してくれ」
「聞こえなかったか?」
「荷物なら大したもんじゃねえ」
男が笑った。
「荷物なんざどうでもいい」
視線が背中のコンテナではなく、三人の身体へ向いた。
カイトが小さく息を吐いた。
「ほらな」
通信の中でしか聞こえない声だった。
「走行服か」
シンゴが聞く。
「三着もありゃ、しばらく食える」
「悪いな。脱げねえ」
「じゃあ中身ごと置いてけ」
後ろから笑い声が上がった。
ノゾムは笑えなかった。
ただ、一人だけ妙に気になる男がいた。
胸から腹にかけて、手榴弾をいくつもぶら下げている。腰にもある。手榴弾ばかりで、右手に持っているのは小型の拳銃だけだった。
信じられないことに、本人はそれを便利な装備だと思っているらしい。
すぐ隣にいた男が、露骨に半歩離れた。
「お前、こっち来んな」
「何でだよ」
「それ付けたままだからだよ」
「すぐ投げられて便利だろ」
安全なのか、それ。
ノゾムは思った。
中央の男が苛立ったように舌打ちする。
「黙ってろ」
「はいはい」
さらに別の男が、ノゾムたちを見ながら銃を持ち直した。
変な銃だった。
銃身には何重にも金属線が巻かれ、ストックには板切れが括り付けられている。補修に使ったらしいテープも、途中から色が違っていた。
カイトが小さく言った。
「……あれ、撃てんの?」
その瞬間だった。
パンッ。
全員が止まった。
ノゾムの右肩で火花が散る。
HUDに警告が出た。
ARMOR HIT
DAMAGE:MINOR
撃たれた。
そう理解するまで、一瞬かかった。
目の前の男も、自分の銃を見ていた。
次に右手を見る。
もう一度、銃を見る。
さっきまで銃だったものの先端が、途中からなくなっている。
男がゆっくりこちらへ顔を向けた。
ゴーグルと頬当てには、銃だったものの破片が何本も突き刺さっていた。
ノゾムには、さながら前衛芸術のように見えた。
「……今の、俺じゃねえぞ」
「お前しか撃ってねえだろ!」
隣の男が怒鳴った。
「いや、勝手に出たんだよ!」
「それをお前が撃ったっていうんだ!」
暴発した男は、そこでようやくノゾムへ目を向けた。
「ほら!」
右肩を指さす。
「効いてねえ!」
そこなのか。
「やっぱ、その服いいな!」
「欲しがってる場合か!」
一瞬だけ、本当に一瞬だけ、場の空気が馬鹿馬鹿しい方向へ崩れた。
別の銃声が響いた。
すぐ横のコンクリートが砕ける。
「伏せろ!」
シンゴが叫んだ。
次の瞬間、もう笑えるものは何も残っていなかった。
*
ノゾムは崩れた壁の陰へ身体を滑り込ませた。
頭上を弾丸が抜け、壁面が次々と削られていく。砕けたコンクリートの粒が装甲へ当たり、細かな音を立てた。
「高嶺!」
「はい!」
「動けるな?」
「はい!」
「なら動け!」
シンゴとカイトは、すでに撃ち返している。
乱射ではない。
相手が遮蔽物から顔を出した瞬間だけ短く撃ち、射線を押さえる。その隙に位置を変え、また別の角度を取る。
ノゾムも右腕を上げた。
HUDの中央に細い十字が浮かぶ。
さっき中央に立っていた、長銃の男へ重ねる。
一本の基準を置けば、距離も位置も身体の傾きも拾える。
そこまではできた。
倍率が上がる。
男の顔まで見えた。
歯を食いしばっている。
息をするたび、口元に巻いた布がわずかに動いていた。
ノゾムの呼吸が止まった。
少し前に遠くから見たときは、人影にしか見えなかった。
今は違う。
十字の中心に、人間がいる。
「ノゾム!」
カイトの声が飛んだ。
「撃て!」
分かっている。
向こうも撃っている。
撃たなければ、こちらが撃たれる。
右腕はもう相手を捉えている。
ほんのわずかな入力だけで弾は出る。
四十八万。
篠原先輩の絵。
あれを買うために、ここまで来た。
そのために。
人を撃つ?
右腕が止まった。
照準は合っている。
それでも撃てない。
「ノゾム!」
もう一度、カイトの声。
十字の向こうで男がこちらへ顔を向ける。
長銃の銃口が持ち上がった。
照準と銃口が重なる。
撃たれる。
分かっているのに、身体が動かなかった。
逃げればいい。
撃てばいい。
どちらもできない。
「高嶺!」
シンゴの声だった。
横から激しい衝撃が来た。
シンゴだった。
ノゾムの前へ身体を滑り込ませるようにして、射線を塞ぐ。
ほとんど同時に銃声が鳴った。
シンゴの肩口で装甲が砕けた。
白い破片が散り、その隙間から血が飛んだ。
「城戸さん!」
シンゴの身体が大きく傾く。
ノゾムは反射的に両腕を出した。
走行服同士が激しくぶつかり、胸の奥まで振動が響く。
重い。
外骨格が支えているはずなのに、シンゴの身体がひどく重かった。
「城戸さん! 城戸さん!」
肩口の装甲が割れている。
その奥から血が流れていた。
血がノゾムの白い前腕装甲へ落ちる。
赤い。
装甲の継ぎ目を伝い、ゆっくり下へ流れていく。
自分が撃てなかったせいだ。
その考えだけが頭に浮かんだ。
シンゴの向こうで人影が動いた。
長銃の男だ。
まだ立っている。
もう一度、こちらへ銃口を向けようとしていた。
ノゾムは考えなかった。
右腕が上がった。
十字が男の胸へ入る。
撃った。
男の胸元で血が弾けた。
男の顔から、さっと色が失せた。
長銃を持ったまま膝から崩れ、そのまま横倒しになった。
動かなかった。
長銃が手を離れた。
ノゾムは、男の顔を見ていた。
そこへ別の影が走った。
手榴弾の男だ。
右手の拳銃を放り捨て、倒れた男の長銃を拾い上げる。
銃口が上がる。
ノゾムへ向いた。
ノゾムはまだシンゴを支えている。
逃げられない。
二度目は、迷う時間さえなかった。
右腕を上げたまま撃った。
手榴弾の男の身体が跳ねた。
一歩、後ろへよろめく。
胸に吊った手榴弾のひとつから、小さな火花が散った。
「え」
男が、自分の身体を見下ろした。
次の瞬間。
視界が白く潰れた。
*
音が消えた。
自分が地面へ倒れていることも、最初は分からなかった。
視界の端が白い。
焦点が合わない。
HUDだけが赤く点滅している。
ARMOR IMPACT
FRAGMENT DAMAGE
SYSTEM NORMAL
文字だけが妙にはっきり見えた。
ノゾムは息を吸った。
胸が動く。
右腕もある。
脚も動いた。
ゆっくり上体を起こす。
黒い煙が立ち上がっていた。
壁が砕け、地面には金属片が散らばっている。走行服の装甲にも細かな破片がいくつも刺さっていた。
それでも生きている。
少し離れたところで、カイトも起き上がった。
何か叫んでいる。
聞こえない。
口の形だけが見える。
「――戸さん!」
音が少しずつ戻ってきた。
「城戸さん!」
カイトはシンゴのところへ走った。
周囲にはアウトローたちが倒れている。
一人は地面を転がり、別の男は腹を押さえて身体を丸めていた。暴発した銃の男も、ゴーグルに破片を刺したまま這っている。
カイトは彼らを見なかった。
シンゴの横へ膝をつき、その腕を自分の肩へ回す。
身体を起こす。
立たせる。
ノゾムだけが、その場に立ち尽くしていた。
煙の向こうには、地面に倒れた人間と砕けた壁が見えた。あちこちで小さな火が燃えている。
最後に、自分の右腕へ目が落ちた。
カイトがこちらを見る。
口が動いた。
まだ聞き取れない。
もう一度。
「――ゾム!」
今度は聞こえた。
「ノゾム!」
カイトだった。
「行くぞ!」
ノゾムは動けなかった。
「でも……」
「ノゾム!」
怒鳴り声だけが、やけにはっきり聞こえた。
ノゾムは一歩出した。
遅い。
カイトがシンゴを支えたまま近づいてくる。
空いた手でノゾムの腕を掴んだ。
「前見ろ!」
強く引かれる。
走行服が一歩を補助する。
もう一歩。
後ろで誰かが呻いている。
カイトは振り返らない。
シンゴも。
ノゾムだけが振り返った。
煙の向こうに、ついさっきまでこちらへ銃を向けていた人間たちが倒れている。
それ以上見る前に、建物の陰へ入った。
HUDが切り替わった。
ROUTE RECALCULATED
ノゾムは歩きながら、その文字を見ていた。
数秒後。
REMAINING:28.6 km




