第8章 撃てるからって撃つな
休憩地点を出てから、ノゾムは自分の歩き方が変わっていることに気づいた。
最初の頃のように、一歩ごとに走行服の動きを確かめなくなっている。脚を前へ出そうとすれば、その意思を拾った外骨格がわずかに先回りする。着地するときも、膝をどの程度曲げればいいかまで考えなくていい。身体を預けてしまえば、機械の方がうまくやってくれる。
少し前を歩くカイトとの距離も、ほとんど開かなくなった。
「慣れたじゃん」
カイトが振り向かずに言った。
「まあ」
「最初、すげえ慎重だったもんな」
「初めてなんだから仕方ないだろ」
「一歩ずつ確認してたじゃん。右、よし。左、よし、って」
「そんなことしてない」
「してたしてた」
笑いながら、カイトは崩れた舗装を一段飛ばしで越えていく。
ノゾムも続いた。
前なら一度止まって高さを確かめた段差だった。今は歩幅を少し伸ばすだけで、走行服が身体を向こう側へ運んでくれる。着地の衝撃もほとんどない。
悪くない。
野犬の群れに襲われたときは本気で死ぬと思った。それでも生き残ったし、走行服の力を借りて何頭かは自分で倒した。
もう一度やれと言われたら断る。
それでも、ここへ出てきた直後の自分よりは、この荒野で何ができるのか分かってきた。
少しくらいなら役に立てる。
そう思える程度にはなっていた。
「止まれ」
シンゴの声で、二人とも足を止めた。
前方で古い道路が砂に埋もれ、その先に半ば崩れた商業区画が続いている。正面の壁を失った店舗の奥には、低いビルが何棟も重なっていた。
「何です?」
カイトが声を落とす。
シンゴは答えず、ヘルメットをわずかに前方へ向けた。
ノゾムもそちらを見る。
最初は、瓦礫の一部が動いたのかと思った。
ビルとビルの間を、人が横切った。
続いて、もう一人。
ノゾムはHUDの倍率を上げた。
武装している。
服装はばらばらで、その上から金属板や防弾材らしいものを継ぎ合わせていた。一人が抱えている細長い輪郭が銃だと分かる。
「アウトローか」
カイトが言った。
名前なら知っている。
城塞都市などの管理圏外を根城にする武装者の総称だ。都市を追放された者もいれば、自分から逃げ出した者もいる。外から流れてきたものの、どちらの街にも入れなかった者もいる。
もちろん全員が強盗というわけではない。ただ、大型定期便を襲う集団がいることはニュースでもよく報じられていた。
「こっち来るかな」
「分かんね」
カイトは人影を見たまま答えた。
「ランナー狙う奴なら、荷物より俺たちの服じゃね?」
「走行服のこと?」
「そっちの方が金になる。駆動系もバッテリーも武器もあるし」
ノゾムは自分の右腕を見た。
白い装甲の外側に沿って、銃身が伸びている。
これまでは頼もしいと思っていた。
今は違って見えた。
遠くの一人が、銃口をこちらへ向けた。
構えているだけなのか、本当に狙っているのか。距離があるせいで分からない。
ノゾムは少し前にいるシンゴを見た。
次にカイトを見る。
もう一度、人影へ視線を戻した。
相手は銃を持っている。
自分にもある。
ノゾムは右腕を上げた。
腕に固定された銃身が人影へ向き、HUDの中央に細い十字が浮かぶ。
十字越しに相手を見る。
どこかで知っている感覚だった。
デッサンを取るとき、鉛筆を目の前に立てて対象を見る。長さや傾き、位置を測るために、一本の線を基準にして形を拾っていく。
少し似ている。
ノゾムは十字の中心を、人影の胸元へ重ねた。
距離が数字で表示される。
今見えているのは三人だった。
こちらも三人いる。
「下ろせ」
シンゴだった。
「え?」
「銃」
ノゾムは横を見る。
シンゴのヘルメットは、正面の男たちだけには向いていなかった。建物の上へ向き、割れた二階の窓から右手の高架下へ動く。そこから道路脇へ向き、また前方へ戻った。
「城戸さん」
カイトも銃を下げた。
「三人なら、いけるんじゃないですか?」
「三人?」
「見えてるのは」
「見えてるのが、だろ」
シンゴが二階の窓を示した。
「そこは?」
ノゾムも見る。
暗くて、中までは見えない。
「右の高架下」
柱の向こうは濃い影になっていた。
「……見えません」
「だろ」
シンゴはもう進行方向を変えていた。
「迂回する。行くぞ」
「え、これだけで?」
「弾、何発ある」
「まだ余裕ありますよ」
「残り四十キロ、それで足りるのか」
カイトが黙った。
シンゴは待たずに歩き出した。
ノゾムはもう一度だけ人影を見る。
向こうもこちらを見ているようだった。
撃ってはこない。
ノゾムも撃たない。
やがて建物に遮られ、姿が見えなくなった。
右腕を下ろし、二人を追った。
*
「避ける必要あったんですかね」
相手が完全に見えなくなってから、ノゾムは聞いた。
シンゴは足を止めない。
「撃ってこなかったし。こっちも走行服着てるし」
「撃たれてから考えるのか」
「いや、そういうわけじゃ」
「一発食らえば足が遅くなる。関節に入れば動けなくなる。装備を壊せば金もかかる」
「でも、向こうが襲ってきたら?」
「そのときはそのときだ」
「そのときは撃つ?」
シンゴが一度だけ振り返った。
「撃てるからって撃つ奴から死ぬ」
前を向く。
「俺たちは戦争をするために来たんじゃない。荷物を届けにいくために来たんだ」
ノゾムは返事をしなかった。
背中のコンテナを意識する。
中にあるのはケーキだ。
自分は、これを届けるためにここまで来た。
何のために届ける。
四十八万を稼ぐため。
何のために四十八万がいる。
篠原先輩の絵を買うため。
何のために、その絵を買いたい。
自分のことを篠原先輩に知ってもらうため。
何のために知ってもらいたい。
自分の力を、認めてもらいたいからだ。
そこまで考えたところで、歩調がわずかに鈍った。
シンゴが一歩戻り、ノゾムの肩装甲を軽く叩いた。
「荷物を届けてからじゃないと、何も始まらないぞ」
ノゾムは顔を上げた。
「……はい」
「城戸さん、ほんと無駄撃ち嫌いっすよねぇ」
カイトが言った。
「当たり前だ」
「今回まだ保証分、結構残ってますよ」
「残ってるから撃つのか」
「余らせたら評価ポイントつくし」
「だったら余らせろ」
「ですよねぇ」
カイトが笑った。
ノゾムは二人を見る。
「余らせると何かあるの?」
「弾薬効率」
カイトが答えた。
「案件ごとに保証されてる弾数があるだろ。それより少なく済ませると評価が上がる」
「へえ」
「ポイント貯めとくと、次から予備弾の枠増えたりするし。逆に保証分超えたら報酬から引かれる」
「超えるな」
シンゴが前を向いたまま言った。
「城戸さんなら絶対残すじゃないですか」
「必要ないから撃たねえだけだ」
「そういう人がポイント貯まるんだよなあ」
カイトの声には、どこか感心した響きもあった。
ノゾムも少しだけ笑った。
そのとき、下げた右腕が目に入った。
腕部銃は地面を向いている。
上げれば、またあの十字が出る。
撃とうと思えば、撃てる。
さっき人間の胸元へ十字の中心を重ねた感覚だけが、まだ視界の奥に残っていた。
*
迂回路は、放棄された工業地区の中へ続いていた。
敷地へ入ると、道路の両側から巨大な建屋が迫る。その間を太い配管が何層にも渡り、建物同士をつなぐ鉄骨の通路が頭上を横切っていた。
傾き始めた陽が鉄骨の隙間から差し込み、地面には長い影が複雑に重なっている。
ノゾムは思わず歩調を緩めた。
「……こういうの、ちょっといいな」
「何が?」
カイトが振り向く。
「絵にしたら」
「またそれ?」
「悪いかよ」
「廃工場見て喜ぶの、美大っぽい」
「偏見だろ」
言い返しながら、ノゾムは頭上を見る。
二階の連絡橋の向こうに窓が横一列に並んでいる。その列を目で追うと、途中を横切る太い配管に遮られ、建物の一部が見えなくなった。
ノゾムは一度そちらを見てから、前へ戻る。
「高嶺、遅れるぞ」
「あ、はい」
歩幅を戻した。
しばらくして、手すりに片方だけの作業手袋が引っかかっているのが目に入った。その下では古い台車が斜めに倒れ、荷台からこぼれたボルトが錆びた床に散っている。
少し先の機械には、作業着が掛けられていた。
誰かが仕事の途中で脱ぎ、すぐ戻るつもりだったように。
廃墟なら、もっと荒れていてもよさそうだった。
ここは壊れたというより、仕事の途中で人だけがいなくなったように見える。
ノゾムは作業着を振り返った。
「どうした?」
「……いや」
前を歩くシンゴが少し速度を落とした。
ヘルメットが建物の上へ向き、次に横道、それから頭上の連絡橋へ動いていく。
ノゾムもつられて上を見る。
誰もいない。
「離れるな」
シンゴが言った。
それきり会話が途切れた。
三人の足音が建屋の壁に反響する。
さっきまでは、窓や配管や連絡橋の重なり方ばかり見ていた。
今は、その向こう側が気になった。
窓の奥に何がいる。
配管の向こうには何が隠れている。
連絡橋の下へ落ちた影は、どこまで続いている。
前方でシンゴが右手を上げた。
「間、詰めろ」
カイトが無言でシンゴとの距離を縮める。
ノゾムも続いた。
そのとき、どこかで金属が小さく鳴った。
靴か何かが、床に転がった部品を蹴ったような音だった。
ノゾムは音のした方を見る。
誰もいない。
少なくとも、見えるところには。
さっきまで線と面にしか見えていなかった工場の影が、今はひどく深く見えた。




