第4章 お届け物は……
装着デッキを出ると、ノゾムはそのまま荷物受け渡し区画へ案内された。
歩くたび、足元から低い駆動音が返ってくる。まだ慣れない。それでも、自分よりひと回り大きな機械を全身にまとっているのに、生身のときより身体が軽く感じる。
さっきまで面白がって跳ねていたくらいだ。
問題は、視界の隅にまだ表示が残っていることだった。
SUIT LOCKED
できれば、そこは見ないことにする。
「高嶺様。こちらがお荷物です」
スタッフが示した先に、大型のハードケースがあった。
「……でか」
ノゾムの腰から胸ほどの高さがある。角張った外殻を頑丈そうなフレームが囲み、見るからに物々しい。
これだけ厳重にして運ぶのだから、医薬品か精密機械か。もしかしたら、もっと重要な何かなのだろう。
「背面へ接続します」
「あ、はい」
ケースが持ち上げられ、走行服の背中へ固定された。
ノゾムは反射的に踏ん張った。
「……あれ?」
予想していた重みが来ない。
機体そのものは確実に重くなっているはずなのに、身体にはほとんど負荷を感じなかった。
「すご……」
背後へ腕を伸ばす。機械の指先がケースの縁に触れた。
蓋らしい部分へ指をかけてみるが、びくともしない。
「これ、開かないんですか?」
「配送中は、ランナー側からコンテナを開封することはできません」
「中身の確認は?」
「受注時に申告された配送品目をご確認ください。コンテナは受取人様への引き渡し時に開錠されます」
「ああ……」
考えてみれば、その方が当然なのかもしれない。
運んでいる本人が好き勝手に中身を触れたら、そっちの方が問題だ。
中身は端末で確認すればいい。
あとで。
「出発待機区画へお進みください」
「はい」
ノゾムは案内表示に従って歩き出した。
*
出発待機区画に入ると、壁面の大型表示が目に入った。
CLISTA HILLS
その下に、
GATE 04
と表示されている。
クリスタ・ヒルズ。
ノゾムの周りでは、正式名称で呼ぶ人間はあまりいない。
――ガラスのお城。
配信番組の中でしか見たことのない、あの街だ。
その第4ゲートへ、自分はこれから向かう。
待機区画そのものには何人ものランナーがいたが、第4ゲート行きの表示の前にいるのは、ノゾムともう一人だけだった。
ノゾムとそう歳の変わらない青年だ。
向こうも走行服を着ているのに、こちらと違って妙に身体の力が抜けている。機械を着ているというより、普通の服でも着ているようだった。
青年はノゾムを見るなり言った。
「新人?」
「……分かる?」
「見れば」
即答だった。
「動きガチガチだし。それに」
青年は自分の顔を指差した。
「バイザー、閉じっぱなし」
「え?」
「開けないの?」
「これ、開くの?」
「マジ?」
青年が笑った。
「そこから?」
「だって、脱げないって言われたから」
「ヘルメットは無理。外れない。でもバイザーだけなら開くよ」
「どうやって?」
「メンテナンスボタンあるだろ?」
青年が自分のこめかみ辺りを指す。
「これ?」
「それ。間を空けないで連打」
「何回?」
「何回か」
「何回だよ」
「反応するまで」
「雑だな」
「いいからやってみ」
言われるまま、ノゾムはボタンを続けて押した。
何度目かで短い電子音が鳴り、顔を覆っていた装甲バイザーが上へ滑っていく。
「おお……」
待機区画の光が直接目に入った。
「開いた」
「だろ?」
「これ、やっていいの?」
「知らない」
「知らないの?」
「正式な使い方じゃないみたいだけど、まあ、だいたいやってる」
青年のバイザーも開いている。
人懐っこそうな顔だった。
「俺、成瀬カイト」
「あ、高嶺ノゾム」
「ノゾムね」
いきなり下の名前になった。
距離が近い。
「で、ノゾム、どこ行き?」
「クリスタ・ヒルズ」
「何番?」
「えっと……」
端末を見る。
「第4ゲート」
「マジ? 俺も四番」
カイトの顔が明るくなった。
「じゃ、一緒に行こうぜ」
「え?」
「一緒に」
「いや、今会ったばっかりだけど」
「外じゃ関係ないって。同じゲートなら一緒に行った方がいいから」
「なんで?」
「一人より二人の方がマシだろ。何かあったときもさ。会社はチームなんか組んでくれないし、同じ方向に行く奴がいたら、こっちで勝手に固まるの」
「そういうものなの?」
「そういうもの」
独立契約者。
さっき聞いた言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
「二人でもいいけど、三人くらいいた方が――あ」
カイトが話を止めた。
ノゾムの肩越しに何かを見つけ、片手を大きく上げる。
「シンゴさぁん!」
少し離れた場所にいた男が顔を上げた。
ノゾムより明らかに年上だった。三十代の終わりくらいだろうか。
着ているのは、ノゾムと同じ会社貸与の白と青の走行服だった。特別な機体には見えない。
それなのに、その男が着ていると借り物には見えなかった。
余計な動きがない。ただ立っているだけなのに、機械の重さをまるで感じさせない。
顔には愛想がなく、少しくたびれて見えた。
「シンゴさぁん、今回はどちらですか? 俺ら第4ゲートなんですけど」
「四番」
男は短く答えた。
カイトがノゾムへ振り返る。
「ほら。三人」
「え、もう決まり?」
男がこちらへ歩いてくる。
「城戸シンゴさん。ベテラン。ランナー十一年目」
「十一年?」
「余計なこと言うな」
シンゴがカイトを睨んだ。
「いいじゃないですか。すごいんだから」
「年上を名前で呼ぶな」
「まぁまぁ」
「何が、まぁまぁだ」
シンゴはノゾムを一度見た。
「新人か。足手まといは御免だ」
「固いこと言わないでくださいよぉ。城戸さんだって最初は新人だったんだから」
シンゴは第4ゲート方面の表示の周囲を見回した。
他に待っているランナーはいない。
「……ほかに同じ方向へ行く奴はいないようだな」
「でしょ?」
シンゴは小さく息を吐いた。
「仕方ないか」
「決まり」
ノゾムが口を挟む前に、同行することになっていた。
「よろしくお願いします」
とりあえず頭を下げる。
シンゴは返事をせず、ノゾムの装備へ視線を落とした。
「ストラップ緩い」
「え?」
「右」
腰を見ると、固定用のストラップが少し浮いている。
「あ」
「締めろ」
「はい」
慌てて締め直す。
シンゴはもう見ていなかった。
「城戸さん、こういう人」
カイトが小声で言う。
「聞こえてる」
「ほら」
ノゾムは少しだけ笑った。
カイトが背中のコンテナへ視線を移す。
「で、ノゾムは何運んでんの?」
「え?」
「それ」
背中を指される。
「ああ」
そこで答えに詰まった。
「……知らない」
「何が?」
「中身」
カイトの表情が止まった。
「…………え?」
「中身知らないんですか?」
「まだ見てない」
「まだって。もう受注したんだろ?」
「したけど」
「受注するとき見るでしょ、普通」
「……そうなの?」
「そうなの? じゃないって」
カイトが本気で引いている。
「何見て受けたんですか?」
「四十八万」
「…………」
「四十八万だったから」
「それ、一番ヤバい受け方じゃないですか」
「そんな言い方しなくてもいいだろ」
「だって、中身知らない物背負って外に行くんですよ?」
「ケースは開けられないんだろ?」
「だからこそ確認するんだよ」
シンゴだった。
「申告品目くらい見ろ」
「でも、本当にそれが入ってるかは分からないですよね?」
「分からん」
即答だった。
「じゃあ、見ても同じじゃ――」
「違う」
短く遮られる。
「ヤバい物だったらどうする」
「ヤバい物?」
「申告された品目を見てりゃ、少なくとも『そう聞いて運んだ』と言える。何も見てなきゃ、それも言えん」
「……なるほど」
シンゴはそれ以上何も言わなかった。
「城戸さん、こういうところはちゃんとしてるから」
「余計だ」
「はいはい」
ノゾムは端末を取り出した。
「契約したやつ……どこだ?」
「そこ」
「これ?」
「そう」
「なんでお前の方が詳しいんだよ」
「ノゾムが知らなすぎるんだって」
契約中の案件を開き、今度こそ表示された項目を一つずつ確認する。
DESTINATION:CLISTA HILLS
ENTRY GATE:04
クリスタ・ヒルズ。
第4ゲート。
ここまでは分かっている。
DISTANCE:67.8 km
「…………」
目が止まった。
「六十七?」
「六十七・八」
「小数点以下はいらない」
「〇・八も歩くんだぞ」
「今は聞きたくない」
その下。
DANGER:B
これは昨日調べた。
REWARD:480,000
「そこだけは完璧に覚えてるな」
「うるさい」
そして、配送品目。
ITEM:DECORATION CAKE
「…………」
ノゾムは一度読み、念のためもう一度見た。
「…………ケーキ?」
「ケーキじゃん」
カイトが吹き出した。
「笑うなよ」
「だって、四十八万でケーキって」
ノゾムは背中を振り返ろうとして、上半身を妙な方向へひねった。
当然、コンテナは見えない。
「これの中、ケーキ?」
「申告どおりならな」
シンゴが言った。
「四十八万払って、ケーキ一個?」
シンゴは肩をすくめた。
「そういう注文もあるだろうよ。ガラスの城に住んでる奴らの考えることは分からん。おかげでメシが喰えるんだから、文句はないけどな」
四十八万。
それはノゾムが受け取る金額だ。
当然、デリQ便だってタダで仲介しているわけではないだろう。
仮に会社の取り分が三割くらいあるなら、このケーキ一個を届けるために依頼者が払う金額は七十万近くになる。
「……七十万近い?」
「何が?」
「いや」
ノゾムは背中の箱を意識した。
あくまで自分の勝手な計算だ。
それでも、もしそれくらいの金が動いているのだとしたら。
篠原先輩の絵が頭に浮かんだ。
自分には、あれほど高く思えた絵。
それより、このケーキを届けるために使われる金の方が大きいのかもしれない。
じゃあ、このケーキは、あの絵より価値があるってことになるのか。
自分で考えておいて、どうにもしっくりこなかった。
「……そういうものなんですか」
「そういうものなんじゃね?」
カイトが横から口を挟んだ。
昨日の広告動画が頭に浮かぶ。
大理石の豪邸。深い青のクッション。その上で光っていた、赤いガラスの靴。
あれをわざわざ荒野の向こうから届けさせる人間がいる。
なら、ケーキだってあるのかもしれない。
「向こうで買った方が早くない?」
「ノゾム、それ言ったら俺らの仕事なくなるって」
「いや、でもさ」
ノゾムは端末へ目を戻した。
DISTANCE:67.8 km
「これ……車で?」
カイトが一瞬黙った。
「…………」
「何だよ」
「いや」
口元が笑っている。
嫌な予感がした。
ノゾムは近くにいた出発担当スタッフへ尋ねる。
「あの。これ、車で移動するんですよね?」
「徒歩です」
「…………徒歩?」
「走行服による徒歩配送です」
「六十七・八キロ?」
「はい」
「ケーキを?」
「はい」
「徒歩で?」
「はい」
一度も迷わない。
ノゾムはしばらくスタッフを見た。
スタッフも笑顔でノゾムを見ている。
横でカイトの肩が震えていた。
「笑ってるだろ」
「いや、笑ってない」
「絶対笑ってる」
「みんな最初そんな顔するから」
「お前も?」
「俺はちゃんと読んでから押した」
「……腹立つな」
「行くぞ」
シンゴはすでに歩き出していた。
「え、もう?」
「四番だろ」
「あ、はい」
「ほら、行こうぜ」
カイトもそのあとを追う。
ノゾムは二人に遅れないよう歩き出した。
*
出発ゲートへ近づくにつれ、センターの雰囲気が変わっていった。
あれほど明るかった内装は消え、床は灰色の頑丈な舗装へ変わる。壁も厚くなり、頭上には太い梁と配管がむき出しになっていた。
その先に、巨大な防壁がそびえている。
ノゾムは足を止めた。
もちろん存在は知っていた。
自分たちの街を囲んでいる壁だ。子供のころから遠くに見えていたが、こんなに近くから見上げるのは初めてだった。
壁というより、一つの巨大建造物だった。
上を向いても、その向こう側は見えない。
中心には分厚い出発ゲートがあり、その前ではランナーたちが出発を待っている。
「ノゾム」
カイトに呼ばれた。
「何?」
「バイザー閉じとけ」
「あ」
開けっぱなしだった。
「どうやるの?」
「さっきと同じ」
「またメンテナンス?」
「そう。連打」
「開けるのも閉めるのもそれなの?」
「そう」
「なんで?」
「知らない」
「お前、知らないこと多いな」
「使えればよくない?」
言われた通りに操作する。
短い電子音が鳴り、装甲バイザーが降りてきた。
一瞬、視界が暗くなる。
すぐに外部映像が立ち上がった。
カイトもバイザーを閉じる。
「外では基本、閉めといた方がいいから」
「それも会社は教えてくれないの?」
「俺は前のランナーに教わった」
「……そういう仕事なの?」
「そういう仕事」
警告灯が点滅した。
低い警報音が鳴る。
シンゴはすでにゲートを向いていた。
「開くぞ」
三人とも前を見る。
巨大な扉が動き始めた。
低い震動が床から走行服へ伝わってくる。
ゲートの隙間から風が吹き込み、外装を叩く風音が外部センサーを通してヘルメット内へ響いた。通気系が動き、フィルター越しの乾いた空気に、土と埃の匂いが混じる。
肌に直接、風が触れているわけではない。
それでも――外だ。
ゲートがさらに開く。
強い光を拾い、バイザーの明るさが自動で落ちた。
その向こうに荒野が現れる。
舗装された道路は途中までしか続いていない。その先はひび割れ、崩れ、草に飲み込まれていた。
遠くには、崩れた建物の影がある。
クリスタ・ヒルズは、まだ見えない。
六十七・八キロ先だ。
ノゾムはバイザー越しの景色を見つめた。
街の外が存在することは、もちろん知っていた。配信でも見たし、学校でも習った。
けれど、自分がそこへ出ることになるとは思っていなかった。
「ノゾム?」
カイトの声がヘルメット内に響く。
「……本当に外なんだな」
「そりゃそうだろ」
「分かってたけど」
「今さら?」
「今さら」
カイトが笑った。
「じゃ、行きますか」
一歩前へ出る。
「六十七・八キロ」
「それ、言わなくていいから」
「歩け」
シンゴはもう外へ出ていた。
「城戸さん、待ってくださいよ」
カイトがそのあとを追う。
ノゾムは一瞬だけ、その場に残った。
振り返る。
ゲートの内側には、今朝まで自分がいた街がある。大学も、自分の部屋も、篠原先輩の絵も、全部あちら側だ。
前を向く。
荒野が広がっている。
背中には、ケーキが入っているはずの、自分では開けられない箱。
全身には、自分では脱げない走行服。
視界の端には、
REMAINING:67.8 km
の表示。
「……一回だけだからな」
誰に言うでもなく呟いた。
ノゾムは防壁の外へ一歩を踏み出した。
背後で警告音が鳴り、巨大なゲートが閉じ始める。
やがて外部センサーを通して、重いロック音が伝わってきた。
ガコン。




