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第3章 SUIT LOCKED

挿絵(By みてみん)


 翌朝。

 ノゾムは、デリQ便のランナーセンターの前で足を止めた。

「……普通なんだな」

 昨夜、「死亡」の二文字を読んだうえで応募した会社である。

 だから勝手に、もっと物々しい場所を想像していた。鉄条網や厳重な警備があって、いかにも危険な仕事をしていそうな連中が出入りしているような場所を。

 実際に目の前にあるのは、大きくて新しい物流施設だった。

 ガラス張りの自動ドア。その上には、昨日見たデリQ便の軽いロゴが掲げられている。入口脇のディスプレイでは、若い男女が笑顔で走行服を着こなしていた。

 なんなら物流施設というより、若い女の子が集まりそうなアイスクリームショップみたいな雰囲気さえある。

 自動ドアが開いた。

 中へ入ると、まず明るさに驚いた。

 広いロビーの正面には受付カウンターがあり、その向こうで若い女性スタッフが端末を操作している。壁際には飲み物や軽食を扱う売店があり、反対側には走行服メーカーやスポンサーの広告が並んでいた。

 物流センターというより、スポーツ施設に近い。

 違うのは、そこを歩いている何人かが大がかりな走行服を着ていることだった。

 白と青を基調にしたものから、赤や黄色の派手な機体まである。スポンサーらしいマークを付けたものもあった。

 どう見ても装甲服なのに、その格好で売店から飲み物を買っている。ベンチに腰掛けて端末を眺めている者もいれば、仲間と笑いながら話している者もいる。

 少なくとも、誰もそれを特別なことだとは思っていないらしい。

「受付番号をお願いします」

「あ、はい」

 声をかけられ、ノゾムは慌てて端末を取り出した。

 昨夜届いた登録画面を提示すると、女性スタッフがコードを読み取る。

「高嶺ノゾム様。パートナーランナーの初回登録ですね」

「はい」

「本人確認が取れました。このまま私がご案内します」

「お願いします」

 あまりにも普通だった。

 大学の事務窓口と、大して変わらない。

「こちらで少々お待ちください」

 指定された待合スペースへ移動する。

 頭上の大型モニターでは、デリQ便の広告動画が流れていた。

 昨日見たものと同じだ。

 けれど大画面で見ると、煌びやかさも豪華さも一段増して見える。

 白を基調に明るく塗られた、光沢のある走行服。それを身につけた金髪の若い男が、荒れた道を爽やかな顔で走っている。

 場面が切り替わった。

 大理石で造られた、城と見紛うような豪邸。

 豪華なドレスをまとった女性の前で、ランナーが大型カーゴを開く。深い青のクッションの中央で、赤いガラスの靴がきらきらと光っていた。

 女性が嬉しそうに両手を合わせる。

 画面いっぱいにコピーが浮かんだ。

あなたがかなえる特別なお届け。

それは素敵な未来のはじまりです。

 ランナーが笑う。

 女性も笑う。

 四十八万。

 一回だけ。

 届ければ――。

 奥の自動ドアが開いた。

 金属が床を擦るような音がした。

 ノゾムは振り向いた。

 一人のランナーが、二人のスタッフに両脇を支えられて入ってくる。

 走行服の片側が黒く焦げていた。肩の装甲には深い擦り傷が走り、片脚はまともに動いていない。その脚を引きずるようにして、ゆっくり進んでくる。

 その後ろから担架が入ってきた。

「…………」

 担架の上にも人がいた。

 走行服を着たままだった。

 担架の下から血が一滴、また一滴と落ち、磨き上げられた純白の床に赤黒い染みを残していく。

 スタッフたちは足を止めない。そのまま奥へ運んでいった。

 受付では別の利用者の手続きが続いている。売店の店員も一度そちらへ目を向けただけで、すぐ仕事へ戻った。

 床に残った血だけが、白いロビーの中で妙に目立っていた。

 少し遅れて、小さな円盤型の清掃ロボットが現れる。

 担架のあとを追うように滑ってきて、赤黒い染みの上を何度か往復した。

 血の跡はみるみる薄くなり、ロボットが通り過ぎたあとには、元どおり光沢のある白い床だけが残った。

 頭上から明るい音楽が流れている。

 モニターの中では、金髪のランナーが笑っていた。

 赤いガラスの靴が光を弾く。

それは素敵な未来のはじまりです。

 ノゾムは白く戻った床を見た。

 それから、担架が消えていった奥の通路へ目を向ける。

「高嶺ノゾム様」

「はい!」

 反射的に声が大きくなった。

 さっきの女性スタッフが立っている。

「こちらへどうぞ」

「あ……はい」

 立ち上がる。

 帰るなら、今かもしれない。

 昨夜済ませたのは、アプリへの登録とランナーへの応募だけだ。まだ仕事は受けていないし、走行服も着ていない。

 今なら、まだ引き返せる。

「高嶺様?」

「すみません」

 ノゾムは女性のあとを追った。


    *


 初回オリエンテーションは、拍子抜けするほど事務的だった。

 先ほどの女性担当者が卓上端末の画面を切り替えながら、淡々と説明を続ける。

「パートナーランナーの皆さまには、ご自身で配送案件を選択し、受注していただきます」

「はい」

「走行服および配送に必要となる装備は、原則として当センターより貸与いたします」

「はい」

「なお、パートナーランナーの皆さまと弊社との間に、雇用関係はございません」

 ノゾムは顔を上げた。

「……はい?」

「ランナーの皆さまは独立契約者として、個別の配送案件を受注していただく形となります」

「ああ……はい」

 独立契約者。

 昨夜も読んだ言葉だった。

 社員でもアルバイトでもなく、自分で仕事を選んで受ける。ノゾムには、とりあえずそのくらいにしか分からなかった。

「弊社は、配送案件の仲介や必要装備の貸与などを通じて、パートナーランナーの皆さまのお仕事をサポートする立場となります」

 担当者は画面を切り替えた。

「配送中の判断および安全管理につきましては、各ランナーの責任においてお願いいたします」

「……はい」

「なお、貸与された走行服は装着後、安全管理および盗難防止のためロック状態となります」

「はい……」

「ロックの解除は、配送契約終了に伴う所定の手続き完了後に行われます」

「……はい」

 丁寧な口調だった。

 ノゾムは、さっきの担架を思い出した。

「何かご質問はございますか?」

「あの……」

 怪我をしたらどうなるのか。危なくなったら。死にそうになったら、どこまで助けてもらえるのか。

 そこまで頭に浮かんで、止まった。

 昨夜の規約にも、帰還時の処理や貸与装備の返却、契約が終了する条件について何か書かれていたはずだ。

 全部理解できている自信はない。

「……いえ。大丈夫です」

「承知しました」

 女性は笑顔で頷いた。

「それでは、お手元の端末をご覧ください。現在受注可能な依頼が表示されています」

「こっちでやるんですか?」

「はい」

 目の前に担当者が座っているのに、結局、自分の端末で操作するらしい。

 ノゾムはアプリを開いた。

 配送案件が縦に並んでいる。一枚のカードに、配送品目、目的地、距離、危険度、成功報酬など、いくつもの項目が表示されていた。

 画面を送る。

 次の案件を開き、さらに次へ進む。

 そして、指が止まった。

REWARD:480,000

「あっ」

 昨日見た数字だった。

「これ」

「こちらですね。画面下部の『受注』を押してください」

 ノゾムの指は、もう動いていた。

 案件カードには、ほかにも文字が並んでいる。

 だが、それを追うより先に、

受注

 を押した。

 画面が切り替わる。

CONTRACT ESTABLISHED

契約が成立しました

CONTRACT STATUS:ACTIVE


「えっ?」

 ノゾムは画面を見た。

「……もう?」

「はい。契約成立です」

 女性担当者は変わらず笑顔だった。

 ガコン。

 背後で重い音がした。

 ノゾムは振り返る。

 さっき通ってきた扉が閉じていた。

「…………」

「それでは、装着デッキへご案内します」

「あ……はい」

 女性が示した先で、別の扉が開いている。

 ノゾムは閉じた扉をもう一度見た。

 仕事を受けたのだから、次へ進む。

 そういうものなのだろう。

 担当者に促されるまま、奥へ進んだ。


    *



 最初に渡されたのは、鮮やかなオレンジ色のインナースーツだった。

 ノゾムは更衣スペースで両手に広げた。

「……派手だな」

 何か機能的な理由があるのだろう。

 たぶん。

 着替えて鏡を見る。

 全身オレンジだった。

 少なくとも、美大へこの格好で行く勇気はない。

 更衣スペースを出て装着デッキへ進んだところで、足が止まった。

「……おお」

 白と青の走行服を直立した状態で固定したワゴンが、こちらへ運ばれてくる。

 思わず、もう一度声が漏れた。

「……おお」

 走行服が立っていた。

 白を主体に、青い装甲が入った共用機。

 間近で見ると、広告動画とは印象がまるで違う。

 大きい。

 そして、思った以上に機械だった。

 白い装甲には細かな傷が走り、ところどころ塗装が剥げている。肩の一部は周囲とわずかに色味が違い、脚にも補修した跡が残っていた。

 新品ではない。

 何人ものランナーが、これを着て外へ出たのだろう。

 そして、戻ってきた。

「こちらが共用走行服です」

 スタッフが、走行服を載せたワゴンを押してくる。

「前へお進みください」

「はい」

 ノゾムはワゴンの前に立った。

 走行服の背面フレームが開き、内部が露出する。

「身体を預けてください」

「こう?」

「もう少し後ろです」

 恐る恐る背中をつける。

 スタッフの操作に合わせ、脚、腰、腕のフレームが身体へ寄ってきた。

 金属の部品が自分のすぐ横を動くたび、身体が少し硬くなる。

 腕が収まり、脚が固定された。

 視界の端に表示が立ち上がる。

「起動します」

「はい」

 低い駆動音がした。

 脚の奥でモーターが回り、細かな振動が背中へ伝わってくる。

 重い。

 当然だ。これだけの機械と装甲を全身につけている。

 こんなものを着て何十キロも歩くなんて、やっぱり無理なんじゃないか。

「駆動補助、入ります」

 次の瞬間。

「……え?」

 重さが消えた。

 いや、装備そのものが軽くなったわけではない。

 それでも、身体へかかっていた重量だけが、すっと抜けた。

「立ってください」

「これで?」

「はい」

 恐る恐る脚に力を入れる。

 立てた。あっさり。

「え、軽っ」

 一歩出す。

 機械の脚が、自分の動きを追って前へ出た。

 もう一歩。

 普通に歩ける。

 いや、生身より軽いくらいだった。

「ちょっと待って、これ……」

 歩幅を広げる。

 走行服は遅れない。

 自分が動くのとほとんど同時に、大きな機械がついてくる。

「すご……」

 手を握ると、機械の大きな指も同時に閉じた。

 開く。

 もう一度握る。

「これ、俺が動かしてるんですよね?」

「動作補助システムが装着者の動きを追従しています」

「へえ……」

 思わず笑った。

 楽しい。

 単純に、楽しかった。

 二十一にもなって、こんなことで興奮するとは思わなかった。

 でも仕方がない。

 たいして力も入れていないのに、これだけ大きな機械が自分の身体みたいに動く。

「軽く跳んでみてください」

「ジャンプ?」

「その場で軽くお願いします」

 ノゾムは膝を曲げた。

 ほんの少し跳んだつもりだった。

「うわっ」

 身体が予想以上に持ち上がる。

 着地すると、脚部が衝撃を吸収し、ほとんど膝に響かなかった。

 ノゾムは思わずもう一度膝を曲げる。

「高嶺様」

「はい」

「一回で結構です」

「すみません」

 さすがに恥ずかしくなった。

 それでも、口元は緩んだままだった。

 これなら、いけるかもしれない。

 昨日画面で見た荒れた道路も、瓦礫も、生身で越えるわけではない。

 これだけのものを着ていくのだ。

 そのとき、ロビーで見た担架が頭をよぎった。

「最終装着を行います」

「はい」

 ノゾムは答えた。

 背後で装甲が動き始める。

 背面ユニットが閉じ、胸の左右から装甲がせり出して身体の前で固定された。

 最後に首まわりの装甲が動く。

 ガコン。

「……あ」

 さっき聞いた音に似ていた。

 次の瞬間、視界の中央に文字が浮かぶ。

SUIT LOCKED

「……え?」

 ノゾムは表示を見た。

「ロック?」

「装着完了です」

「いや、ロックって」

「先ほどもお話したように装着完了後、走行服は配送契約終了までランナー側から解除できません」

 一瞬、意味が入ってこなかった。

「……脱げないってことですか?」

「はい。配送契約終了後、所定の手続きを経て解除されます」

「それまでは?」

「ランナー側からの解除はできません」

「…………」

 配送契約終了。

 ノゾムはその言葉を頭の中で言い直した。

 要するに、荷物を届け終わるまでってことだろう。

 自分の胸元を見る。

 白い装甲。

 ほんの少し前まで、格好いいと思っていた。

 身体を軽くしてくれた、同じ装甲だった。

 言われてみれば、聞き流していた説明でそんな話を聴いた気もする。

「……これ脱げないんですか?」

「ご安心ください。ロッカーでお預かりした私物は厳重に管理されております」

 聞きたいのは、そこじゃない。

 ノゾムは無言でスタッフを見る。

 スタッフは笑顔のまま、にこやかに頷いていた。

 視界の中央では、

SUIT LOCKED

 の文字が消えずに光っていた。

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