第2章 一回だけ
検索結果の上位には、いかにもそれらしい求人が並んでいた。
イベント設営、倉庫の夜勤、短期スタッフ、家庭教師。
高嶺ノゾムは帰り道、端末を片手に一つずつ条件を開いていった。
時給を見て、一日に入れる時間を考える。個展が終わるまでに何日働けるか数え、今の口座残高を足してみる。
「……足りない」
別の求人を開く。
今度は深夜勤務で、時給も少し高い。
それでも足りなかった。
もちろん、働き続ければ金は貯まる。何週間か、何か月か続ければ、いずれ手が届くかもしれない。
それは分かっている。
けれど、ギャラリーで見たあの階段が頭から離れなかった。
真夏の光が差す古びた階段。その端に置かれた鉢植え。
あれを、自分の金で買いたい。
できれば、今。
ノゾムは検索結果をさらに下へ送った。
そこで、やけに明るい広告動画が自動再生された。
抜けるような青空の下を、白を基調に明るく塗り分けられた走行服姿の若い男が走っている。肩も胸も分厚く、脚には機械式のフレームまでついていた。
画面が切り替わる。
大理石で造られた、城と見紛うほどの豪邸。その正面階段に、豪華なドレスを着た若い女性が立っている。
金髪を長く伸ばした、妙に顔の濃い男前のランナーが、光沢のある走行服のまま大型カーゴを開いた。
深い青のクッションの中央で、赤いガラスの靴がきらきらと光っている。
女性が両手を胸元で合わせ、嬉しそうに笑った。
画面いっぱいにコピーが浮かぶ。
あなたがかなえる特別なお届け。
それは素敵な未来のはじまりです。
最後に、丸みを帯びた軽いロゴが現れた。
デリQ便
「……デリQ?」
名前だけなら、近所の店から弁当でも運んできそうだった。
ノゾムは広告を開いた。動画がまた最初から流れ始める。
今度は、男の着ている装備の方へ目がいった。
走行服・装備一式貸与
「走行服……」
明るくカラフルに塗られてはいる。
けれど形だけ見れば、どこかの紛争地帯で兵士が使っていそうな装甲服にしか見えない。
これを「服」と呼ぶらしい。
ページを送ると、走行服を着たランナーが大型コンテナを背負い、荒れた道路を走る映像が出てきた。
そこでようやく思い出した。
聞いたことがある。
いや、配信番組で何度か見たことがあった。
防壁の向こうにある高級都市。
番組の中では、天へ伸びるガラス張りの建物が並び、その足元には手入れされた緑と水があふれていた。夜になれば、街そのものが巨大な照明みたいに輝いて見える。
通称――ガラスのお城。
こことはまるで違う、夢の世界。
本当に配信で見るような場所なのか、ノゾムには分からない。
この街を出たことがないのだから。
「これ、あそこに行く仕事か……」
ノゾムは広告を読み進めた。
高級都市へ行くには、防壁の外に広がる都市間地域を越えなければならない。
求人ページには、戦争や社会崩壊のあと十分な管理がされなくなった土地が残り、場所によっては道路や橋が壊れ、治安も維持されていないと書かれている。
それでも、都市同士の物流が途絶えているわけではない。
食料や燃料、医薬品のような生活に欠かせない物資には護衛がつき、大規模な輸送隊が都市間を往来しているらしい。
でも、花束一つのためにそんな輸送隊は動かない。
そういう、社会全体には必要ではなくても、誰か一人には必要な荷物を運ぶのが、デリQ便のランナーだった。
ノゾムは広告動画をもう一度見た。
赤いガラスの靴を受け取った女性は、本当に嬉しそうに笑っている。
「……わざわざ、これを?」
靴なら、向こうにもありそうなものだ。
それでも別の街から、自分のためだけに届けさせる。
しかも、あんな装備を着た人間に。
金持ちの考えることは、よく分からない。
ページを送ると、さっきまでの華やかな画面から色が引いた。
都市間配送には危険が伴います。
崩れた道路や廃墟、水没した地下道の写真が並び、道路や橋の損壊、治安の維持されていない地域、危険生物の存在などが説明されている。
「いや、普通に危ないじゃん」
ノゾムは画面を閉じかけた。
その直下で、ページはまた急に明るくなった。
でも、ご安心ください!
「……軽いな」
走行服の図解が表示される。
長距離歩行や荒地の踏破を補助し、荷物は専用コンテナで保護。護身装備にルートナビゲーション、緊急時のランナーサポートも用意されている。
別の映像では、走行服姿の若者が大きなケースを軽々と持ち上げていた。
少なくとも、生身で荒野へ放り出される仕事ではないらしい。
装備は貸してもらえる。道も案内される。危険があるからこそ、それに対応するための道具も用意されている。
さらに、
未経験からスタート可能
とある。
「未経験でもいいんだ……」
広告動画に出てくるのは若い男女ばかりで、軍人にも傭兵にも見えない。
ノゾムはそのまま案件情報へ進んだ。
配送距離や装備貸与、契約形態などの項目に続いて、
危険度 B
と表示されていた。
「……B?」
言われても、何がBなのか分からない。
Aよりは下。
そのくらいしか分からない。
ノゾムは一度デリQ便のページを離れ、検索窓を開いた。
危険度A 仕事
出てきた結果を見て、眉を寄せる。
武装警護に、戦闘経験必須の危険地域勤務。立入制限区域での作業や、ほとんど傭兵としか思えない契約まで出てきた。
「……いや、Aは無理だろ」
試しに何件か開いてみる。
どう考えても、デリQ便より物騒な仕事ばかりだった。
ところが報酬欄を見ているうち、ノゾムは妙なことに気づいた。
「……あれ?」
一つ戻って別の求人を開き、また戻る。
そして、もう一度デリQ便のページへ戻った。
成功報酬。
480,000
「……四十八万?」
一瞬、桁を読み間違えたのかと思った。
四万八千ではない。
四十八万。
さっきまで見ていた危険度Aの求人をもう一度確認する。
戦闘経験必須。武装警護。傭兵まがいの仕事。
どう考えても、こちらの方が危険そうだ。
それでも、一日で四十八万なんて報酬は出てこない。
「……なんで配達の方が高いんだよ」
デリQ便の広告へ戻る。
動画の中では、女性が笑顔で赤いガラスの靴を受け取っている。
あなたがかなえる特別なお届け。
セレブがあなたを待ってます。
「金持ちって……」
その先は言葉にならなかった。
もう一度、四十八万を見る。
ギャラリーの作品票が頭に浮かんだ。
昼飯代を一か月削ったくらいでは、どうにもならなかった金額。
それが、一件で手に入る。
ノゾムは危険度の表示へ目を戻した。
B
Aではない。
危険度が何段階あるのかも、Bが実際どの程度なのかも知らない。
それでも、さっき見たAの求人よりは、少しだけましに見えてしまう。
「……Bだし」
口にしたあとで、自分でも苦しい理由だと思った。
けれど画面には、あの分厚い走行服がある。護身装備も、ナビも、サポートもついている。
「装備もあるし」
未経験者応募可。
危険度B。
四十八万。
一回くらいなら。
ページの一番下には、
ENTRY
のボタンがあった。
押せば応募手続きへ進む。
ノゾムはしばらく見つめたあと、端末を閉じた。
押さなかった。
まだ。
*
深夜。
自室の机には、いつもの画材とヨルコの個展案内が並んでいた。壁際には、描きかけの都市風景が立てかけてある。
その前でノゾムは、端末に表示された文字を読んでいた。
デリQ便 パートナーランナー応募手続き
昼間に見た広告と同じサービスなのに、こちらの画面には青空も笑顔もない。
最初のうちは、報酬や装備、サポートについて昼間と同じ説明が続いた。
その先から、急に文章が長くなる。
事故が起きた場合の扱い。装備を破損したときの負担。契約解除や自己責任についての規定。それに「独立契約者」という、読んでもいまひとつ意味の掴めない言葉。
細かな文字が何ページも続いた。
「長……」
それでも読んだ。
全部理解できている自信はない。
だが、何も読まずに応募するほど度胸もなかった。
ページを送り続けていた指が、途中で止まった。
死亡
「…………」
ノゾムは端末から顔を上げた。
「いやいやいや」
その二文字だけが、急に画面から浮き上がって見えた。
危険なのは知っていた。
防壁の外へ出る。治安の維持されていない地域を通る。護身装備まで貸し出される。
安全な仕事のはずがない。
分かっていた。
それでも、画面の中で「死亡」という言葉を目にすると話が違った。
「普通やらないだろ、これ」
自分でもそう思う。
ここで画面を閉じればいい。
明日になったら、また普通のアルバイトを探す。夜勤でも倉庫でもいい。時間をかけて働けば、いつかは金が貯まる。
それだけの話だ。
ノゾムは椅子にもたれた。
机の端に置かれた個展案内が目に入る。その向こうには、自分のキャンバスがあった。
綺麗に整った建物。
誰もいない風景。
ノゾムは端末へ視線を戻した。
画面を少し上へ戻す。
危険度 B
「……Bだし」
昼間に見たAの求人とは違う。
さらに戻ると、明るく塗られた走行服が表示された。あれだけの装甲があり、護身装備まである。
「装備もあるし」
そして、その下。
480,000
結局、そこへ戻ってきた。
ギャラリーの絵が浮かぶ。
あの絵を、自分の金で買いたい。
欲しい。
結局、それだけだった。
ノゾムは契約内容へ戻った。
事故についても読んだ。自己責任についても読んだ。
死亡する可能性があることも、読んだ。
そのうえで最後まで画面を進める。
中央にボタンが表示された。
ACCEPT
指が止まった。
戻るなら、ここだった。
まだ何も始まっていない。
机の上には個展の案内。その向こうには自分の絵。そして、目の前の端末。
「……一回だけなら」
押した。
短い電子音が鳴り、画面が切り替わる。
ENTRY ACCEPTED
ノゾムはしばらく、その文字を見つめていた。
「…………マジで応募しちゃったよ」
誰も答えない。
部屋の隅で、描きかけのキャンバスだけが黙って立っていた。




