第8話 織姫と彦星
間野久一の世界に戻ってみると、時差ボケのように頭がふわふわしていた。
当然のように部屋で待ち構えているまりんを見ると、この少女も学園の生徒のように思えてきた。
考えてみると、学園の生徒たちに引けを取らないキャラクターなのである。
――みんなで俺をからかってるんじゃないか?
まさか、カメラが仕掛けられていないだろうな? などと、意味不明の妄想までする始末だった。
とりあえず、まりんに何をどう伝えるべきか悩みながら、先にシャワーだけ浴びてきた。
制服と体操服はロッカーに置いてきたので、持ち帰りの荷物はない。
そこで、ポケットに入れてあった『扇子』をテーブルに残していた。
アイエルからもらったシネマ部のノベルティで、コマチを中心に俳優と思われる生徒たちの写真がプリントされたものだ。
校則違反にも思えるが、映画の宣伝という崇高な『行為』には違いない。
そんな背景を理解するはずもなく、まりんは「うわぁ」と子どもらしい声を上げて喜んでいた。
(考えすぎか)
マス層に転落した凡人に、世間が興味を抱く理由がない。
この子が喜んでくれればそれでいいと思った。
「シネマ部の俳優なんだって。映画は仏土市でしか放送してないらしいけどな」
「そうなんだぁ」
まりんは嬉しそうに扇子をクルクル回して眺めてみたり、扇いでみたりしていた。
「他にはどんな部活があったんですか?」
間野は、まりんがこうして母親の質問をしてこないことを、なんとなく予感していた。
ファイナル学園そのものに異常な興味を示していたからだ。
彼女の天秤が、母親より学園に傾いている理由はわからないが、話を聞かせてやることには変わりない。
間野はスマートフォンでMovitoを開いた。
Movitoは校則、生徒の学園名と年齢、所属する部活、部長名と所属人数を検索することができる。
ただし、わかるのはそれだけで、顔写真やプロフィールは登録されていない。『ユメジ』の所属はまだ空白になっていた。
間野は校則と部活の一覧を紙に書き起こした。
校則は先のとおりで、部活は以下のとおりである。
【シネマ部】
部員35名、部長:ローレンス(男27)
オリジナル映画・他部PV制作(市民エキストラ参加可)
【生カラオケ部】
部員32名、部長:ジギィ(男35)
生演奏カラオケ(市民参加可)
【サバゲー部】
部員30名、部長:殺生石(男23)
校舎・市内でサバイバルゲーム(市民参加可)
【新聞部】
部員25名、部長:ヤツメ(女29)
月間『学園新聞FINAL』発行、仏土市ネタ取材・世論調査等
【ビオトープ部】
部員22名、部長:葦人(男36)
池・水槽でビオトープ製作、川釣りや水草採取(市民鑑賞可)
【ゴムベースボール部】
部員19名、部長:玄能(男28)
ゴムボール・プラスチックバットで男女混合野球(市民参加可)
【儀式体験部】
部員18名、部長:マジャイ(女31)
世界の儀式を研究・体験(市民参加可)
【社交ダンス部】
部員16名、部長:ヴァルザー(男52)
社交ダンス(市民参加可)
【雑煮倶楽部】
部員12名、部長:クフオー(男31)
餅つき・餅料理研究(市民参加可)
【講座部】
部員10名、部長:ナッティ(男33)
市民向け講座開設、他部との掛け持ち多
【陶芸部】
部員8名、部長:ゴースト(男42)
本格陶芸制作、作品は市民に格安販売
【美術部】
部員8名、部長:シマウリ(女27)
美術作品制作、作品は市民に格安販売
【フットサル部】
部員11名、部長:サナギ(男24)
男女混合フットサル(市民参加可)
【サウナ部】
部員9名、部長:蒸波(男33)
自作サウナ・水風呂で季節問わずととのう(市民利用可)
【未定研究部】
部員4名、部長:猫又(男35)
活動内容未定、やると決めたら全力
【生徒会】
専従会員2名、生徒会長:アドロ(女29)
その他一般会員10名は各部から選出
まりんは食い入るように読み、やがて紙を置くと、満足そうに扇子で顔を扇いだ。
「いいですね~。シネマ部もビオトープ部も、新聞部なんかもいいですねェ~」
どうにも学園に行きたくてたまらないのだろう。
想像を楽しむように、斜め上をぼんやり見つめていた。
「校則も面白いですね。間野さんはどう思いましたか?」
しかし数秒のうちに、まりんは笑みを消して、間野に視線を向けた。
「どうって?」
「ここのところ、契約書ばかり読み込んでいたはずです」
「は?」
「第二条をどう思いますか?」
これは彼女の父親が詰めてくるやり方だ。理解力を試しているのだ。これでいつも神経を削られている。
しっかり遺伝子が受け継がれているようだが、子どもに負けるわけにはいかない。
「まあ、宣伝を禁止しているわけじゃないってことはわかったよ。この扇子みたいに。リスクはあるけど、顔出しも解釈次第でグレーゾーンになると思う。その分、生徒会の権力が大きいってところかな」
「それだけですか?」
まりんは表情を変えなかった。マジに父親そっくりだ。
「そうだな…シネマ部は映画を一般公開してるんだよな。だから、新聞部なんかもそのまま掲載するだろ。故意の暴露やSNSはアウトだとしても、部活動の範囲となれば、第二条には抵触しないと思う」
「なるほど。では、他の条文はどうです?」
間野は腕組みした。
「う~ん、理事会ってのが何者かわからないし、生徒会もよくわからないけど、バランスはとれてるんじゃないか?改定もできないみたいだし、権力を持ち過ぎないように監視も入ってる感じだ」
まりんは悲しそうに首を振った。
「改定は無理っぽいですね。でも、重要なのはそこじゃないです。第三条じゃないですか!制服や体操服だけじゃなくて、承認されたら着替えができるんですよ?儀式体験部とかシネマ部とか、いろんな衣装で楽しんでるってことですよね?」
言っている意味がよくわからなかったが、妄想を膨らませているまりんを見ていると、考えるのが面倒になった。
「それより、ママのことはいいのか?それが目的だろ?」
まりんは宙に向けていた顔を戻して、得意げに目を閉じた。
「ママの部活はわかっています。サバゲー部ですよね?」
「はぁ?」
「ママは紛争のニュースが好きでしたから。霞が関の役人なんですけどね。私を産んでから、がんばって公務員試験を受けたらしいんですけど、休職して出ていくような人です。内に秘めた破壊願望があるのですよ。もちろん、間野さんもサバゲー部に入ってくれたんですよね?」
「いや…」
当たらずとも遠からず、か?
「残念ながら違ったよ。ママは、未定研究部だった」
まりんは鼻で笑った。
「バカ言わないでください。ママみたいに時間にうるさくてキッチリした人が、そんなところにいるはずないじゃないですか」
「いや、本当だって。だから俺も未定研究部に入ってきたんだよ」
まりんは口をぽかんと開け、しばらくの間、固まった。
何がショックだったのかわからないが、家庭ではどんな母親だったのだろう?
間野の脳裏には、シャロンのあの迫りくるシーンが流れていた。
「さすがに写真は撮れなかったけど、まりんが見せてくれた人で間違いなかった」
「会話…したんですよね?」
まりんは呟くように口を開いた。
「したよ。少しだけど」
「…どんな会話を?」
「まあ…なんというか、疑われたんだよ。なんで未定研究部に入りたいんだって」
「ええっ?」
まりんの目が大きく見開いた。
「スパイなんじゃないかって言われたよ」
「それって…」
「いや、他の部のスパイ容疑らしい。まりんのことは気づかれてない。ユメジって名乗った時も反応なかったし」
「そうですよね…気づくわけないですよね。でも、なんでママはそんな部に…」
「わからん。とりあえず、明日は俺の歓迎会らしい。入部の理由くらいは聞けるんじゃないかな」
ついに、まりんはいつかの探偵ごっこのように思案し始めた。
「ママのニックネームは?」
「シャロンだ」
間野はMovitoで検索してみせた。
「ほら。所属は未定研究部になってる。年齢も二十九歳だろ」
「確かに…なんで未定研究部なのかは興味ありますね。出ていくほどの理由がある部にはとても思えません。どんな活動しているのか聞きましたか?」
「そういや聞いてなかった。というより、入部したのになんの説明もなかった。あとからアイエルに聞いた話じゃ、未定研究部は『雑魚部』と呼ばれてるらしい」
「雑魚部?」
「ああ。万年最下位争いを演じる、お荷物部だそうだ」
フム…とさらにまりんは考え込んで、呟くように言った。
「何かあるとしか思えませんねェ。まずはそのシャロンさんが、本当にママなのか確かめる必要があります。私の名前を出してみますか…」
「待て待て。まりんの名前を出したら、さすがにアウトだ。ママのプライベートの開示と同等だろう。告発されたら、俺のクビが飛ぶ」
「そうでしたね…であれば、最終手段しかありません」
「最終手段?何だよ」
まりんは探偵になりきった様子で、間野を指差した。
「真実はいつも…じゃなかった。確かめる方法が、ひとつだけあります」
間野の瞼が半分ほど下がった。飲みかけの野菜ジュースをすする。
「だから、それは何だ?」
「ママの左のおっぱいにはホクロが二つ並んでいます。それを確認してきてください」
――ブホォッ!
間野は吹き出した。まったく予想だにしない方法だった。
「お、おっぱいだと…?」
「そうです。織姫と彦星のように美しく二つ並んでいます」
「そ、そんな比喩をするな…じゃなくて、そんなの確認できるわけないだろ」
「なんとかするのが、あなたの仕事です」
まりんは、あくまで真顔で言っている。
「いや…お前さんに言っていいものかな。えっと…ママとそういう雰囲気になれと?」
「できない、と?」
間野は両手を挙げて降参するしかなかった。
娘の許可が出たということではないだろう。しかし、彼女とそういう雰囲気になったら…いや、そんなことになれば大問題だ。社長に知られでもしたら…などと、よからぬ妄想が頭の中で回り始めた。
明日が日曜日でよかったと間野は思う。おそらく、今夜は眠れないだろう。
「では、頼みましたよ」
そう言い残すと、まりんは迎えに来た父親に手をつながれて帰っていった。
彼の背中を目で追いながら、間野は背徳感どころか寒気を感じていた。
しかし、それはすぐに収まった。こういう展開も悪くないかもしれない。
それもまた人生――そんな歌みたいな言葉が、頭をよぎった。
間野は、自然と込み上げてくる笑いに身を任せた。
いかがでしたでしょうか。新たなミッションを付与された間野の活躍にご期待ください。
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