第8話 織姫と彦星
――ええっと、今の俺はどっちだっけ?
間野久一の世界に戻ってみると、時差ボケのように頭がふわふわしていた。
校則第二条に抵触しないようにと、閑院から釘を刺されている。
名前を口にする時には注意が必要だ。しかし、自分の中での切り替えが難しい。
慣れの問題だろうが、慣れた時が怖いとも言える。まあ、名前を三つも四つも持っている芸能人がいることだし、口を滑らせたくらいで退学になることはないだろう。
ただ、当然のように部屋で待ち構えているまりんを見ると、この少女も学園の生徒のように思えてくるのだ。あの生徒たちに引けを取らない強烈なキャラクターだし。
みんなで俺をからかってるんじゃないか?
まさか、カメラが仕掛けられていないだろうな?シネマ部の。
なんて、意味不明な妄想が浮かんでくる。
とりあえず、まりんに何をどう伝えるべきか悩みながら、先にシャワーだけ浴びてきた。
制服と体操服はロッカーに置いてきたので、持ち帰りの荷物はない。
そこで、ポケットに入れてあった『扇子』をテーブルに残していた。
アイエルからもらったシネマ部のノベルティで、コマチを中心に俳優と思われる生徒たちの写真がプリントされたものだ。
校則違反にも思えるが、映画の宣伝という崇高な『行為』には違いない。
そんな背景を理解するはずもなく、まりんは「うわぁ」と子どもらしい声を上げて喜んでいた。
その顔を見るだけで、疲れが吹っ飛んでいくようだった。
ああ、世間の父親が言うやつだな。わかるよ、その気持ち。
て、いかんいかん。何を考えているんだ俺は。
「シネマ部の俳優なんだって。映画は仏土市でしか放送してないらしいけどな」
「そうなんだぁ」
まりんは嬉しそうに扇子をクルクル回して眺めてみたり、扇いでみたりしていた。
「他にはどんな部活があったんですか?」
俺は、まりんが真っ先に母親の質問をしてこないことを、なんとなく予感していた。
ファイナル学園そのものに異常な興味を示していたからだ。
彼女の天秤が、母親より学園に傾いている理由はわからない。母親がそこにいるというだけで満足しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
ただ、話を聞かせてやることには変わりないのである。
まあ、あのシャロンに俺が『帰りましょう』と言ったところで、うんというはずもないしね。
俺は身震いがおさまるのを待って、スマートフォンからMovitoを開いた。
Movitoは校則、生徒の学園名と年齢、所属する部活、部長名と所属人数を検索することができる。
ただし、わかるのはそれだけで、顔写真やプロフィールは登録されていない。『ユメジ』の所属はまだ空白になっていた。
そして校則と部活の一覧を紙に書き起こした。校則は先のとおりで、部活は以下のとおりである。
【シネマ部】
部員35名、部長:ローレンス(男27)
オリジナル映画・他部PV制作(市民エキストラ参加可)
【生カラオケ部】
部員32名、部長:ジギィ(男35)
生演奏カラオケ(市民参加可)
【サバゲー部】
部員30名、部長:殺生石(男23)
校舎・市内でサバイバルゲーム(市民参加可)
【新聞部】
部員25名、部長:ヤツメ(女29)
月間『学園新聞FINAL』発行、仏土市ネタ取材・世論調査等
【ビオトープ部】
部員22名、部長:葦人(男36)
池・水槽でビオトープ製作、川釣りや水草採取(市民鑑賞可)
【ゴムベースボール部】
部員19名、部長:玄能(男28)
ゴムボール・プラスチックバットで男女混合野球(市民参加可)
【儀式体験部】
部員18名、部長:マジャイ(女31)
世界の儀式を研究・体験(市民参加可)
【社交ダンス部】
部員16名、部長:ヴァルザー(男52)
社交ダンス(市民参加可)
【雑煮倶楽部】
部員12名、部長:クフオー(男31)
餅つき・餅料理研究(市民参加可)
【講座部】
部員10名、部長:ナッティ(男33)
市民向け講座開設、他部との掛け持ち多
【陶芸部】
部員8名、部長:ゴースト(男42)
本格陶芸制作、作品は市民に格安販売
【美術部】
部員8名、部長:シマウリ(女27)
美術作品制作、作品は市民に格安販売
【フットサル部】
部員11名、部長:サナギ(男24)
男女混合フットサル(市民参加可)
【サウナ部】
部員9名、部長:蒸波(男33)
自作サウナ・水風呂で季節問わずととのう(市民利用可)
【未定研究部】
部員4名、部長:猫又(男35)
活動内容未定、やると決めたら全力でやる
【生徒会】
専従会員2名、生徒会長:アドロ(女29)
その他一般会員10名は各部から選出
まりんは食い入るように読み込んだ。
すごい食いつきだな。微笑ましく眺めていると、やがて紙を置き、満足そうに扇子で顔を扇いだ。
「いいですね~。シネマ部もビオトープ部も、新聞部なんかもいいですねェ~」
どうにも学園に行きたくてたまらないのだろう。
想像を楽しむように、斜め上をぼんやり見つめていた。
「校則も面白いですね。間野さんはどう思いましたか?」
しかし数秒のうちに、まりんは笑みを消して、視線を向けてきた。
「どうって?」
「ここのところ、契約書ばかり読み込んでいたはずです」
「は?」
「第二条をどう思いますか?」
これは彼女の父親が詰めてくるやり方だ。理解力を試しているのだ。これでいつも神経を削られている。
しっかり遺伝子が受け継がれているようで何よりだ。だがね、子どもに負けるわけにはいかないのだよ。
「まあ、宣伝を禁止しているわけじゃないってことはわかったよ。この扇子みたいに。リスクはあるけど、顔出しも解釈次第でグレーゾーンになると思う。その分、生徒会の権力が大きいってところかな」
「それだけですか?」
まりんは表情を変えなかった。マジに父親そっくりだ。
「そうだな…シネマ部は映画を一般公開してるんだよな。だから、新聞部なんかもそのまま掲載するだろ。故意の暴露やSNSはアウトだとしても、部活動の範囲となれば、第二条には抵触しないと思う」
「なるほど。では、他の条文はどうです?」
俺は腕組みをする。質問の勢いが収まらないからだ。
「う~ん、理事会ってのが何者かわからないし、生徒会もよくわからないけど、バランスはとれてるんじゃないか?改定もできないみたいだし、権力を持ち過ぎないように監視も入ってる感じだ」
まりんは悲しそうに首を振った。
「改定は無理っぽいですね。でも、重要なのはそこじゃないです。第三条じゃないですか!制服や体操服だけじゃなくて、承認されたら着替えができるんですよ?儀式体験部とかシネマ部とか、いろんな衣装で楽しんでるってことですよね?」
ハイ?
何を言っておられるのかな、このお嬢様は。やっぱり思考は子どもなのか?妄想を膨らませているまりんを見ていると、考えるのが面倒になった。
「それより、ママのことはいいのか?それが目的だろ?」
まりんは宙に向けていた顔を戻して、不敵な笑みを浮かべた。
「ママの部活はわかっています。サバゲー部ですよね?」
「はぁ?」
「ママは紛争のニュースが好きでしたから。霞が関の役人なんですけどね。私を産んでから、がんばって公務員試験を受けたらしいんですけど、休職して出ていくような人です。内に秘めた破壊願望があるのですよ。もちろん、間野さんもサバゲー部に入ってくれたんですよね?」
「いや…」
当たらずとも遠からず、か?
確かに破壊願望はありそうだな、とは思う。
「残念ながら違ったよ。ママは未定研究部だった」
すると、まりんは鼻で笑った。
「バカ言わないでください。ママみたいに時間にうるさくてキッチリした人が、そんなところにいるはずないじゃないですか」
「いや、本当だって。だから俺も未定研究部に入ってきたんだよ」
まりんは口をぽかんと開け、しばらくの間、固まってしまった。
それほどショックだったのか?どちらかというとあの感じは、サバゲー部より未定研究部に合っているような気がするけど。
もしかしてキャラ変しているとか?家庭ではどんな母親だったのだろう?
聞きたいけど、空気の読める俺はそれを口にできない。人物像がわかるまでは、変に期待を持たせてもいけないしね。
「さすがに写真は撮れなかったけど、まりんが見せてくれた人で間違いなかった」
「会話…したんですよね?」
まりんは呟くように口を開いた。
「したよ。少しだけど」
「…どんな会話を?」
「まあ…なんというか、疑われたんだよ。なんで未定研究部に入りたいんだって」
「ええっ?」
まりんの目が大きく見開いた。
「スパイなんじゃないかって言われたよ」
「それって…」
「いや、他の部のスパイ容疑らしい。まりんのことは気づかれてないよ。ユメジって名乗った時も反応なかったし」
「そうですよね…気づくわけないですよね。でも、なんでママはそんな部に…」
「わからん。とりあえず、明日は俺の歓迎会らしい。入部の理由くらいは聞けるんじゃないかな」
ついに、まりんはいつかの探偵ごっこのように思案し始めた。
「ママのニックネームは?」
「シャロンだ」
Movitoの画面を見せてやる。
「ほら。所属は未定研究部になってる。年齢も二十九歳だろ」
「確かに…なんで未定研究部なのかは興味ありますね。出ていくほどの理由がある部にはとても思えません。どんな活動しているのか聞きましたか?」
「そういや聞いてなかった。というより、入部したのになんの説明もなかった。あとからアイエルに聞いた話じゃ、未定研究部は『雑魚部』と呼ばれてるらしい」
「雑魚部?」
「ああ。万年最下位争いを演じる、お荷物部だそうだ」
フム…とさらにまりんは考え込んで、呟くように言った。
「何かあるとしか思えませんねェ。まずはそのシャロンさんが、本当にママなのか確かめる必要があります。私の名前を出してみますか…」
「待て待て。まりんの名前を出したら、さすがにアウトだ。ママのプライベートの開示と同等だろう。告発されたら、俺のクビが飛ぶ」
「そうでしたね…であれば、最終手段しかありません」
「最終手段?何だよ」
まりんは探偵になりきった様子で、俺をビシッとを指差した。
「真実はいつも…じゃなかった。確かめる方法が、ひとつだけあります」
俺の瞼が下がっていく。とりあえず、飲みかけの野菜ジュースを啜る。
「だから、それは何だ?」
「ママの左のおっぱいにはホクロが二つ並んでいます。それを確認してきてください」
――ブホォッ!
ジュースを吹き出した。咳き込みながら、ティッシュ箱に手を伸ばしつつ、今の発言を吟味する。
いや、吟味できない。ちょっと待って。
「お、おっぱいだと…?」
「そうです。織姫と彦星のように美しく二つ並んでいます」
「そ、そんな比喩をするな…じゃなくて、そんなの確認できるわけないだろ」
「なんとかするのが、あなたの仕事です」
まりんは、あくまで真顔で言っている。
「いや…お前さんに言って大丈夫なのかな。えっと…ママとそういう雰囲気になれと?」
「できない、と?」
まりんの視線は氷のように冷たい。もう両手を挙げて降参するしかなかった。
さすがに娘の許可が出たというわけではないだろう。仮にOKだとしても、俺がそんな雰囲気に持ち込めるはずがない。彼女すらいたことがないのだから。つまり、童…なわけで。
でも、もしそういう雰囲気になれたとしたら…彼女のセーラー服姿が脳裏に浮かんでくる。ヤバいヤバい。落ち着け。
とにかく、そんなことになれば大問題だ。社長に知られでもしたら、じゃなくて、人として倫理的にダメだ絶対。かといって、どうする?
頭を抱えていると、いつの間にか社長が迎えに来ていた。
「では、頼みましたよ」
そう言い残すと、まりんは社長に手をつながれて帰っていった。
社長の顔を見た時は、マジでドキッとしたよ。彼の背中を目で追いながら寒気を感じていた。
明日が日曜日でよかった。おそらく、今夜は眠れないだろう。
あ、待てよ。間野は休みだが、明日はユメジの歓迎会だった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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