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第5話 新入生

まりんの父親の会社は、完全週休二日制で土日が休みだった。

そして、九月一日は都合よく土曜日である。


間野――改めユメジ――は、学生服と体操服を詰めた鞄を抱え、電車に揺られていた。

とても中身は見せられないと思いつつ、奇妙な使命感に胸の高鳴りを感じていた。


(そういえば、仏土市にも行ったことがなかったな)


窓から外を見ると、ずいぶんと建物の背は低くなり、遠くには山が見えていた。

早く学園に行きたいような、このまま着かないでほしいようなフワフワした気持ちだった。

そのせいか、移動時間は気にならなかった。

アクセスマップを見ると、仏土駅前から学園行きのシャトルバスが出ているらしい。


こうして降り立った仏土市は、想像していたよりも栄えていた。

田園も瓦屋根もなく、虫や鳥の代わりに車の音や人の話し声が耳に入ってきた。

高層ビルと呼べるほどの建造物はないが、郊外の都市のような落ち着いた街並みが広がっていたのだ。


とはいえ、駅前のロータリーはそう大きくない。バスターミナルらしき標識のところに行くと、市営バスの時刻表の隣に、『学園行きシャトルバス』と記されたプレートが、カラカラと風に煽られていた。

時刻表はなかった。


(本当にここで合ってるのか?)


不安に駆られながら五分ほど待っていると、ぽつぽつと人が集まってきた。

同世代くらいの人もいれば、三十代や四十代に見える人もいる。

ただ、口を開く者は一人もいなかった。彼らも同じ新入生なのだろうか。


合計八人の列ができたころ、一台の古ぼけたマイクロバスがやってきた。

行き先はどこにも掲げられていない。ドアが開き、サングラスをかけた運転手は顔をこちらに向けただけで前を向いた。

ユメジは、なぜかこのバスで間違いないと思った。


(まるでミステリーツアーだな)


誰も乗っていない車内に一番に乗り込み、中ほどの席に腰を下ろすと、すぐ後ろに一人の男が座ってきた。


(なんでこれだけ空いてるのに、すぐ後ろなんだよ)


そう思ったが、バスが走り出す頃に思考が変わった。まあ、あいさつくらいはしておくか。別に避ける必要はない。

と同時にユメジは驚いた。本来、自分から話しかけるタイプの人間ではなかった。

どちらかというと人と距離を置くタイプだ。これが成長というやつか。まりんのニヤけた顔が頭に浮かんできた。


「…君っ…ねえ」


ハッとした。後ろの男が先に話しかけてきていたのだ。


「一人で妄想するタイプ?聞こえてます?」

「あ…はい?」


振り向くと、男はサラサラの髪を右手でかき上げ、顔を近づけてきた。


(こういうタイプは苦手なんだよな…)


そんな心の声が届くはずもなく、男はまじまじとユメジを見つめた。


「君も新入生だよね?同い年くらいかな?俺はアイエル。よろしく」

「俺は、間…じゃなかった、ユメジです。よ、よろしく」


握手には抵抗があったので手は出さなかったが、アイエルはユメジの肩をポンと叩いて、小声でささやいた。


「なんか辛気臭いやつばっかで退屈してたんだよね。ユメジ君、何歳?」

「二十四です」

「じゃあ、タメじゃん。ならタメ口でいこうよ。な?」

「う…うん」


やけに明るいやつだ。それに悪い感じの男でもなさそうだった。


「ユメジは、何回目?」

「は?」

「入試だよ。俺なんか三回目でやっとさ。めっちゃ入りたかったんだよね。夢が叶ったってカンジでさぁ、テンション上がりまくりなんだけど」

「三回?俺は一回で…」

「マッ!?」


静かな車内にアイエルの甲高い声が響いた。視線を感じたのか、照れ笑いしながら頭を軽く下げている。

根は真面目なやつなのかもしれない。


「じゃあ、一発合格かよ。すげぇな」


アイエルは声のトーンを落として言った。


「そうなの?いや…よく知らなくて」

「知らねえ?お前、変わってんな。だいたい傾向と対策調べて…まあそれはいいや。AIの判定だもんな。なんか『表』で、すげぇ業績があるとかなのかな」

「オモテ…?」

「そうだよ。ここじゃ、リアル生活のことを『表』って言うんだ。あ、いいよ、言わないでくれ。表の詮索は厳禁だから」


アイエルは慌てたように両手を向けたが、その様子を見ると、どうやら思慮深い性格ではないようだ。すでに声のトーンが戻っている。


「アイエルは、よく知ってるっぽいね」

「そりゃあそうだよ」


さらにアイエルは目を輝かせた。


「学園に入るのが夢だったからさ。基本的なことはほとんど知ってるぜ」

「それは心強い。そんなに学園って楽しいところなのか?」

「お前、ほんとに何にも知らないで入学したんだな。そういうやつが通るのかな…いや、第二の青春だぜ?同世代の女子がセーラー服着てんだよ?最高じゃないか」


(ああ、そっちね)


「まあ…それもあるけど、憧れてる人がいてさ。その人に近づきたいんだ」


急に遠い目をしたアイエルを見て、もしや、とユメジは思った。


「その人って…」

「ああ、聞かないでおいてくれ。いずれわかると思うし」


――いずれ?

どういう意味だろう。この男とそこまで親密になるとは思えないが、目的が違うはずだ。

ただ、その誰かが気になって仕方がなかった。


「でもさ、逆になんでそんなに詳しいの?ネットでも学園の情報はぜんぜん出てこなかったよ」

「ネットには出せないんだよ。校則で禁止されてるから。まあ…解釈はいろいろ分かれるんだけど、本名なんかがバレると下手すりゃ退学になるんだ」

「そういや、身分証の携帯は厳禁だったなぁ。でもさ、だったら、なんで知ってるの?」


アイエルは少し考えるように、笑みを消して答えた。


「俺、仏土市で働いてんだよね。言えるのはここまでだけど、仏土市と学園は密接につながってるんだ。住民投票のことは知ってる?」

「確か…部活のランキングとかなんとか」

「そうそう。言ってみれば、住民が学園を監視してる感じかな。市民は自由に学園に出入りできるし、だから生徒は問題を起こさない」

「それって…楽しいの?」

「ハハハ。言葉どおりにとるとそうなるよな。でも、逆に市民は入学できないシステムなんだ。生徒は市民を大切にするし、市民も学園を誇りに思ってる。そういう関係なんだよ。だから、俺はここで働いてるけど住民票は別さ」


こう説明されても、ユメジにはピンと来なかった。


「まあ…ここにいるからわかるってことか。学園に入ったこともあるの?」


アイエルはサラサラヘアーを左右に振った。


「仏土市に住民票がある者だけが『市民』として入れる。でも、いろいろ知ってるぜ。地元のケーブルテレビで、住民投票なんか放送されるからな」

「マジで?」

「ああ。かなり盛り上がる。飲み屋でおっさん連中が賭けてるくらいだしな。部長クラスなら顔と名前もわかるよ」

「じゃあ…」


と言いかけて、ユメジは慌てて口を閉じた。まりんの母親のことを聞こうとしたからだ。

勢いで写真を見せようとしていたかもしれない。


「いや…だんだん俺も楽しみになってきたよ」

「そいつはよかった。お、そろそろ着くぜ」


車窓の景色は、いつの間にか山道に変わっていた。動物注意の看板が見える。


「けっこうな山の中だろ?まあ、秘境ってわけでもないけどな」


後ろを見ると、麓に仏土市の住宅街が広がっていた。学園を示す看板は見当たらなかったが、やがて視界が開け、ついに校舎らしき建物が見えてきた。


「うわ…なんか、古い建物だな」

「だろ。もとは廃校になる予定の高校でさ。使い道でモメたんだけど、前の市長が学園を誘致したんだ」

「誘致?」

「ああ。運営は『ワイナテック』っていう福利厚生サービスなんかを手掛ける大企業だよ。実際の運営は…」


その時、バスは情けないブレーキ音を立てて停車した。

クジラの潮吹きのような不気味なドアの開閉音が響く。運転手の肉声ではなく、それが到着の合図だった。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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