第39話 ミスリード
金曜日の夕刻。表の仕事を終えて、俺は自宅のソファで天井を眺めていた。
疲れていた――わけではなく、学園に行く必要がないからだ。つまり、ぼーっとしている。
未定研究部の活動は小休止。明日の会見と明後日の最終日に備えて休養日になっていた。
というのは建前で、じつはリーダー権限を行使していた。
この日が、まりんに話を聞かせてやれる最後のチャンスだったため、無理やり時間をとったわけである。
まあ、捜査は大概終わったので、特にやることもないし。
ほどなく、ピンク色のリュックサックを背負った少女がインターホンも押さずに入ってきた。
「ただいま帰りました。お久しぶりですね」
『ただいま』も『久しぶり』も意味がよくわからないのだが、ここは彼女の父親の部屋のようなものだし、上体を起こして笑顔を見せてやる。
荷物の量を見ると、泊まる気満々のようだ。俺はいつものように冷蔵庫に向かう。
コップにジュースを入れて戻ると、まりんはリュックを置いて、行儀よく座って待ち構えていた。
「さっそく聞かせてください」
「よし。晩ご飯までに説明を終わらせよう」
俺は今週の出来事や活動について、号外のPDFや撮影した画像などを見せながら、つぶさに話してやった。
まりんは丸テーブルに可愛らしいキャラクターノートを広げ、時折メモしながら聞き入っていた。
世論調査で最下位になった話をしている時には、さもありなんといった目をしていたが、捜査の話になると手が忙しく動き、音楽室の実地調査のくだりでは、表情を緩めて笑ったり、質問してきたり、興味深そうに聞いていた。おかげで、つい熱を入れて喋り過ぎてしまった。
話し終えた時には19時を過ぎていたので、急いで食事の準備に取り掛かったのだった。
「今日は、仏土市名物のイノシシカレーだ。ジビエだぞ、ジビエ」
またカレーか、と書いてあるような顔をしていたが、それでも計算した笑顔を見せるあたりがこの子らしい。
ジビエには反応なしか。ちょっと悲しい。
「生きくらげのサラダもあるぞ。道の駅で買ってきた」
これも反応なしかよ。
まあいいか、と思ったが、まりんはカレーを口に含むと一瞬動きを止め、まんざらでもなさそうに食べ始めた。
美味しかったのだろう。よかったよかった。
「それで、どうするつもりなんですか?もう証拠は見つかりそうにないんですよね?」
まりんは、スプーンを咥えながら言った。
「さすがにもう金曜日だからなぁ。明日の会見で自白させるしかないんだけど、簡単にはいかんわな」
そう答えると、まりんはスプーンを置いて、ティッシュで口を拭った。
「話の持っていき方次第だとは思いますけど、そんなに時間をくれないでしょうね」
「それな。大枠はわかってんのに、どうやってアデルが指示したのかだけがわからんのだよ」
まりんの反応がないのでふと目を向けると、なぜか感慨深そうに頷いていた。
「あの間野さんが、こんなに化けるとは思いませんでした」
「それ、褒めてんのか?」
「そうですよ。別に無理して自白させる必要はないじゃないですか。犯人と殺害方法が正しければいいんですから」
「いや、クフオーはもう集中砲火で自白は免れないと思う。だが、イベントの犯人じゃない。俺がアデルを自白させることが絶対条件だ」
「どうしてですか?」
このキョトンとした目は、どうしたことだろうか。そんなの決まっている。
「そりゃあ、市民に見せつける必要があるからだよ。俺が自白に追い込むサマを見せつけて、支持率を回復させるしかない」
すると、まりんは一瞬、目を見開いたが、なぜか少し困ったように目を細めた。
「はあ…まあ、間野さんが自白させるかどうかは置いておくとして、会見で自白させちゃったら誰が覇者になるんですか?最初に投函しないといけないんですよね?」
「それもわからんのだよ。でもこの方法なら、覇者になれなくても支持率は上がるはずだ。映像が中継されたら、誰もが真の覇者は俺だってわかるだろ。覇者になるより確率が高いってもんだ」
まりんは、再びカレーを口に運んだ。どういう反応だろう。
「まあでも、権利をもらえなくなるのは困るんだよな」
「困りましたねぇ」
「困りましたねぇって、何か考えてくれよ。マジで困ってんだからさ。実際のところ、お前は俺の推理をどう思う?」
まりんは沈黙した。口元には笑みを浮かべているが、笑っているようには見えなかった。
「正直に言っていいよ」
「そうですね…思うところはあります。でもね、間野さんに任せたんですから、間野さんの答えでいいんですよ。それでもし覇者になれなくても、がんばった姿を見てもらえばいいんです。きっと支持率は回復しますよ」
俺は頭を掻いた。
さすがに、女心に鈍感な俺でもわかるよ。
「それは、見立てが違うって言ってるのかな?」
まりんは表情を変えなかったが、こう言われては真意を確かめずにはいられないというものだ。
「教えてくれよ」
「いえ…私も確信があるわけじゃないんです。それに、間野さんの質問でクフオーは打ち取れると思いますよ」
「犯人を突き止めなきゃ意味がない。ママの捜査もできなくなる」
声を大きくしたつもりも、視線を強めたつもりもなかったが、まりんは気圧されたような表情で溜め息をついた。
「ママには負けたくないと言いましたが、ママに負けた気がして嫌なんですけどね…仕方ありません」
どういう意味なのかわからなかったが、俺は黙って続きを待った。
まりんは、子供らしからぬ落ち着きで、淡々と切り出す。
「アドロ会長がイベントを通してクフオーを制裁しようとしているのは、間野さんの推理どおりだと思います。市民に知れ渡るわけですから、効果は絶大ですよね。そのためには、彼の行動をコントロールする必要があります。自発的にコマチちゃんを音楽室に連れて行ってもらう必要があるわけです。しかも、このイベント中にです」
「それはわかってるよ。だから、その方法がわからないんじゃないか」
「だから、もう一度言っているんです。ママの質問を思い出してください。きっとママはわかっているはずです。なぜダイイングメッセージを残したのか、その意味を考えてみてください」
「ダイイングメッセージだって?そりゃあ、ミスリードのために…」
まりんは首を振った。
「文字に意味はありません。ミスリードの意味が違うんです」
こいつ、本当に九歳か?と思うのはいつものことだが、外見がそう見えるだけなのだ。可愛い顔をした悪魔なのである。
なんせ、あのシャロンの娘なわけだし。
俺は目を閉じた。親のように諭されているわけだが、先生と呼んでも差し支えない。
とにかく、シャロンの質問を思い出す。
確か指示書のことを聞いていたはずだ。それがどこにもなかったと。
その紙はどこへ行ったのか?犯人に渡したのか、それともトリックに使ったのか?
もう一度、頭の中でシミュレーションし直してみる。
ダイイングメッセージを残した意味か…。
タマルに疑いを向けさせることが目的ではないとすると、なんの意味があるのか?
アドロの視点になって思考する。
アデルにダイイングメッセージを残させた意図があるとすれば、それがクフオーをコントロールする方法なのだろう。
つまり、トリックであるはずだ。
――指示書……ん、指示書か!
そして、ついに閃きが脳内を駆け抜けた。
だから左手が…いや、待て待て…でも指示書を見せただけで、クフオーを誘導できるはずがない。
コマチに疑いを向けさせる決定打にはならないだろう。
そういえば、あの音楽室…清掃は…他にも意味が?
ということは…ああ、そうか、そういうことか!
俺は目を開けた。
「左手をカモフラージュするためだな」
まりんは肯定も否定もしなかった。黙ってカレーの残りを丁寧にスプーンで集めて食べ切った。
その落ち着いた手つきが、彼女の真意を物語っている。
「目が曇っていたみたいだな。まんまと嵌められた気がするよ」
「凄いですね。アドロ会長は」
最後までお読みいただきありがとうございます。
ユメジが何を閃いたのか、推理してみてください。ご感想などお待ちしています。




