第31話 着替えと化粧直し
部室の窓は、小高い木々のおかげで日が差さない。
夜ともなれば、漆黒の闇に沈む。
ギンブナがぐうぐうといびきをかいて眠っているため、心細い常夜灯だけが頼りだった。
午後九時を回った頃、さすがに男二人だけで薄暗い部屋にいるのは限界だと思い始めた。
いっそ森林浴でもしてやろうか、と思い立って外に出てみたが、すぐに戻りたくなった。
森に落ちた闇は不気味の一言に尽きる。静寂の中にも様々な音が聞こえてくるし、何かにじっと見られている気がする。
ついに人の声が聞こえたような気がして、部室に駆け込もうかと思ったが、声のほうに目を凝らすと、部員たちがゾロゾロと帰ってくるところだった。
「何してんだよ、お前」
固まっている俺に、シャロンが素っ気なく言った。
「い…いや、ちょっと野暮用を…」
「結局、戻ってこなかったじゃねえか。介抱でもしてたのか?」
シャロンはまったく興味なさそうに、俺の横を通り過ぎていく。
部長も涼しい顔をして通過していった。この二人は何を考えているのだろう?
コノハとレンジャー二人が、小さな声で「お疲れ様でした」と言ってくれた。
だよね、普通そう言うよね。真の仲間はお前たちだけだ。
「急変されても困りますからね。静かに寝ていますよ。そっちはどうなりましたか?」
「まあ、ちょっと一服してからだ」
シャロンに続いて、一行はぞろぞろと部室に入っていった。
「ふむ。どうやら、まだ生命の輝きは失っていないようだね、ユメジ君」
部長がギンブナの横に膝をついて、戯言を吐いている。うーん、どつきたい。
ただ、ギンブナについては、まだ目を覚まさないところを見ると、このまま寝かせておくしかないようだ。
とりあえず、全員にお茶を配った。すると、よほど喉が渇いていたのか、皆それをグイっと飲み干し、一息ついたのだった。
「コノハ、説明してくれ」
シャロンの振りに、コノハは空のコップをひっくり返した。
「わっ、私ですか?」
すっかり気を抜いていたのだろう。転がしたコップも掴み損ねていた。
「お前、しっかりメモ取ってたろ。Movitoにアップされるのは、まだ先だろうし」
「は…はい。じゃあ」
コノハはコップを転がしたまま、おずおずとメモ帳を開き始めた。
いや、コップは起こそうよ、お嬢様。
「えっと、副部長が運ばれていったあとからですよね…」
やがて目的のページで手を止めると、軽く咳払いをして続けた。
「市民の男性の質問でした。ええ…コマチ氏に質問します。社交ダンス部の…」
「ちょっと待て」
シャロンがたちまち腰を折った。
「ものまねはしなくていい。要点だけ説明しろ」
「は、はい。では…」
コノハは姿勢を正し、淡々と読み上げるように続けた。
「まずコマチさんへ、社交ダンス部のステージでダンスを踊ったのかという質問でした。答えは、踊っていないでした。体育館の隅のほうで見ていただけだと。おそらく、踊っていたのなら相手がいるはずなので、アリバイの裏付けの意図だったと思います。次はアデル氏へ、19時頃校舎のトイレに行った際に、コマチさんを見なかったかという質問でした。答えは、見ていないでした。誰とも会っていないと。おそらく、その時間にニアミスしたんじゃないかという意図だと思います。それから、タマルさんにも同様の質問がありました。部室で片付けをしていたという証言でしたので、校舎で誰かを見かけなかったかという質問でしたが、見ていないと答えました」
「ちょっと待って」
今度は、俺が話を止めた。
「情報を書き出しましょう。俺が書きます。証言を突き合わせると、コマチとアデルのニアミスの可能性は高いと思っています。なので、共犯という可能性もあるんですよね。そこまで考えた質問だったのかもしれません」
「それはあり得るかもな」
シャロンが言った。
「この中で怪しいのはコマチとアデルだ。アデルは嘘を言っている可能性が高いが、アリバイが強固だろ。それで、質問はコマチに集中したんだよ」
「そうなんです。それから、ほとんどコマチさんへの質問でした」
コノハがメモをめくる。
「まず、校舎のどの入り口から入ったのかという質問でした。監視カメラに映っていなかったので、その確認だと思います。回答は、体育館側の裏口から入ったということでした。施錠はされていなかったと。まあ、校舎からの移動は裏口を使うほうが楽なので、そのとおりかなと思います。アデルさんにも同様の質問がありましたが、同じ答えでした」
「裏口は開放されていたよ」
猫又部長が口を挟んだ。
視線が集まったことに気をよくしたのか、思わせぶりに眼鏡を押し上げる。
へえ、ここで発言するんだ。副部長が倒れている時は、ダンマリ決め込んでたよね?
「イベントのセレモニーが終わって部室に戻る時だけど、校舎で模擬店やってた部の連中が、みんなあそこから入っていくのを見たよ。だから、それまで閉めていたとは思えないよね」
まあ、まともな意見を言ったので許そう。
寛容な心もリーダーの資質だ。
「開いていたのなら、行き来は裏口を使うでしょうね。ありがとうございます。コノハちゃん、続きを」
「はい」と、コノハはまたページをめくった。
「次は市民の方から、ちょっとすごい質問でした。コマチさんの熱烈なファンの方っぽいのですが、19時16分の写真と19時46分の写真で、着ている体操服が違うのはなぜか、という質問でした。私にはまったくわからなかったんですけど、どうやら購入時期による微妙な違いがあるらしいです。コマチさんは確かに着替えたと答えました」
「マジ?」
驚いて聞き返すと、コノハは苦笑いをして頷いた。
体操服を着替えた?なんかいやらし――じゃなくて、どういうことだ?
普通は体操服から体操服に着替えたりしない。それに、着替えに気づいたやつも普通じゃないだろ。
「その方の質問はそれで終わったのですが、次の方が理由を尋ねました。すると、急にコマチさんの歯切れが悪くなって、汗が冷えて気持ち悪くなったから着替えたと答えたんです。それ以降、この件に関する質問ばかりでした」
「ほう。そりゃそうなるよね」
「まとめると、雑煮倶楽部のステージのあと、19時16分の写真のすぐあとに、ステージ出演者の控室で着替えたそうです。控室は男女が別で、コマチさんが入った女性の控室には誰もいなかったと。ただ、雑煮倶楽部が終わったばかりだったので、男性の控室からは声がしていたと証言しています。それから…」
ここでコノハが口ごもったので、視線を向けると、恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「女性の控室には誰もいなかったというか、あの…私が、ひとりで寝ていたと言われました。気になったけど声をかけられなかったって…」
顔を手で覆ったコノハを見て、部長やレンジャーたちは笑った。
微笑ましいね。なんて気持ちはさらさらない。
シャロンに目をやると、無表情にうつむいていた。
「シャロンさん、付き添っておられたんですよね?」
嫌味を効かせて言ったつもりだったが、シャロンはフッと笑って顔を上げた。
「残念だったな。ちょうど、お前らが怠けてないか見に行った時だろ。ずっと付き添っていたわけでもないし、何度かステージを見に行ったよ」
「そうでしたね…」
シャロンはすでに横を向いていた。
うーん、いちいち言うことに筋が通ってるんだよな。最低限のことしか言わないし。
もっと困った顔が見てみたかった――じゃなくて、コノハを放置した責任を感じてもらいたかったのだが、追及できなかった。
「じゃあ、そのタイミングで着替えたことになるのかな…あ、ごめん。続きを」
コノハは、また慌ててメモ帳のページをめくった。
「それから、次の方の質問も凄かったんです。二枚目の写真で、化粧を直しているのはなぜかという質問でした。男性でしたので、たぶんその方も熱狂的なファンだと思います。言われてみれば…という程度で、私も比べてみなければわかりませんでした」
「それも凄いね」
「ちょっと怖かったですよ。で、コマチさんは体操服を着替えた時に崩れたので、簡単に直しただけだって答えました。うーん、って感じですよね」
「うーん…というか、やっぱりあそこの壁際にずっといたわけじゃなかったってことだね。それに、着替えと化粧直しか。その目的がわからないな」
「血が付いたとか?」
青レンジャーが思いついたように言った。
俺は少し考えて、鼻頭を掻く。
「それなら、19時16分より前に着替えるんじゃないかな。着替えたのはそのあとだしね」
「そうじゃなくてさ、19時16分から19時46分の間に殺しに行ったんじゃないの?」
「うむ…」
緩めんな、こいつ。いったいどうした?
だが、柔軟な意見が出るのは歓迎だよ。それを捌くのがリーダーの器だからね。
「音楽室に行った時間を偽ってる可能性はあるけど…だとしたら、19時頃は何をしていたのかって話になるよね?それに死体は演技なんだし、血が着いたのなら、わざとつけたことになると思う」
「そういう、トリックを使ったんじゃないの?」
ちょっと、グイグイ来るんですけど。
そうか、コノハちゃんにカッコいいところを見せたいんだな?
まあ、論破してやれなくもないんだが、ここで若い目を摘む必要はなかろう。
しかしね、少なくともコマチが19時前に音楽室に入ったのは事実だと思っているんだよ。
――ん?
だがこの時、俺の脳裏に閃くものがあった。
(いや、違う)
「蒼井君…そのとおりかもしれない」
そう言うと、青レンジャーは「えっ?」と驚いた。
まさか肯定されるとは思わなかったのだろう。やっぱ、適当に言ってたんだね。
「いや、血ではないんだけど、着替えて化粧も直したっていうのが説明できるかもしれない」
「マ…?」
「とりあえず、情報が出そろってから話すよ。コノハちゃん、続きを」
立ち上がりかけた青レンジャーを落ち着かせ、コノハに続きを促す。
コノハはメモ帳を指で押さえたまま、待ち構えていた。
「はい。それからがまた、凄いことになったんです」
「凄いこと?」
「ええっと…突然、クフオーさんが騒ぎ出して、もう、えらいことに…」
コノハは、わたわたと意味不明なジェスチャーをして、あれほど大事そうにしていたメモ帳を放り投げた。
「さっぱりわからん」
「クフオーが急に立ち上がりまして、マイクを掴んで言いました」
コノハも立ち上がる。どうやら、クフオーになりきっているらしい。
ものまねするなって言われてたよね?
「『あんたら、コマチにばっかり質問してんじゃねえよ。俺にはぜんぜん質問がねえ。まあ、俺は犯人じゃねえからいいけどよぉ。犯人じゃねえんなら、俺が覇者になる権利もあるよなあ?だったら俺にも質問させてくれよ。どうなんだ?生徒会さんよォ!』
すると、閑院さんが答えました。『お答えします。容疑者の方々から質問権を奪っているつもりはございません。挙手があれば指名させていただくつもりでした。ゆえに、なぜ挙手をなさらなかったのですか?というお答えでは少々傲慢ですので、この場で指名いたしましょう。ご質問をどうぞ、クフオーさん』という流れになったんです」
「ほ…ほう」
「『いいだろう。コマチの言ってることは本当だ。俺らのステージが終わって、クールダウンのために外に出たって証言したろ。俺も控室で衣装を着替えてから外に出た。その時にこいつを見たよ。控室から出ていくとこだったと思う。19時20分頃だ。たぶん気づいてないだろうがな』
コマチさんは黙っていましたが、閑院さんが発言を求めました。『残念ですが、気づきませんでした。でも、私の証言が正しいと証明されて嬉しく思います』ということでした」
「あ…ありがとう」
ええっと、コレは名演技なのかな?
合ってるの?って誰かに聞いてみようかと思ったが、やめておいた。
おそらくニュアンスは間違っていないと感じたからだ。
この展開こそ、閃きを裏付けているようで。
「何が面白いんだよ」
その表情を見てとったのか、シャロンが目ざとく聞いてきた。
「いやぁ、しらこい演技だと思いましてね。クフオーのやつ、こいつも大嘘ぶっこいてますよ」
「わかったのか?」
「いえ、犯人もトリックもわかりません。でも、コマチとクフオーが事実を隠していることはわかりました」
そう言い切ると、シャロンは肩をすくめて横を向いた。
「で、コノハちゃん。まだあるのかな?」
放り投げたメモ帳を拾って渡してやると、コノハはまたパラパラとめくった。
もうやめてよそれ、笑っちゃうから。瓶底眼鏡でも渡しましょうか?
「そうですね。クフオーさんのせいで場が白けちゃって、容疑者の方にも質問どうぞって感じだったと思うんですけど、誰も手を挙げませんでした。フロアから何人か手を挙げてポロポロ指名されましたけど、その中にうちらが考えてたやつも混ざってました。クフオーさんと安珍法師さんに、何時ごろ音楽室に入ったのかってやつです。クフオーさんは、夜ではないけど電気がギリいらないくらい、安珍法師さんは、夜はダンスだから明るいうちなのは間違いないと証言されました。で、最後にシャロンさんが質問しました」
「ええっ?」
コノハの様子を微笑ましく見ていた俺だったが、さらっと衝撃発言がきた。
シャロンを見ると、腕組みをして胡坐をかいていた。
なんで、そんな大事なことを黙ってるんですかね?
「何を聞いたんですか?」
「何って、個人的に気になったことだよ。鑑識の益本ってOBだけどな。あいつは飲み仲間で、行きつけの飲み屋が、『ババアばぁ』っていうババアが接客するバーっていう変わり者だ。聞かなきゃ言わない性格のやつでな、どこまで調べたのか聞いたんだ」
「バーバパパ…?えっと、ババア?いや、それは…音楽室をですか?」
シャロンは、やれやれといった感じで息をついた。
やれやれなのは、こっちなんですけど?
頭の中が『バ』で占められてるよ。
「いや、一人一質問だったからな。それも聞きたかったが、環境捜査の範囲だよ。ピンキーの所持品を覚えてるか?」
「確か…時計と、バッグの中に財布、ハンカチ、化粧品、あと薬でしたね」
「それだけだ。あってもいいものがないんだよ。気づかなかったか?」
もう何?リーダーってこんなに大変なの?
全員の視線を感じるし、俺が気づくのかどうか楽しんでやがるな。
「スマホ…ですか?」
「50点だな」
シャロンはフッと笑みをこぼした。
くっ、美しいけどイラつくな。
「スマホはそのとおりだよ。環境捜査は一応、所持品すべてに対して行ったらしい。スマホはクラブハウスのロッカーに着替えと一緒に置いてあったそうだ。ここにはそういうタイプがままいるからな。学園内ではリアルとの通信を一切遮断したいタイプだ。おそらく、ピンキーはこのタイプなんだろう。てことは、スマホで指示を受けていないことになる」
「指示、ですか?」
「ああ。今年は封書で被害者役の承諾を得たって言ってたろ。なら、役としての指示も紙のはずだ。その手の書類がなかった。行動を指示する指示書みたいなもんだよ。なんの指示もないのに、ふらっと殺されに行かないだろ。犯人役と被害者役に利害関係はないと言っていた。つまり、事前に犯人役と顔合わせをしている可能性は低い」
「そうか!殺害される直前に初めて対面した可能性が高いってことか」
シャロンは静かに頷いた。
「現場で相手を確認するしかない状況だったとしたら、そんな大事な書類を持ち帰ったり、捨てるわけがない。荷物の中にないなら、犯人役に見せたと考えるのが妥当だな」
「なるほど。だいぶ絞れてきましたね。じゃあ、今日の情報をまとめないと。遅くならないうちにやってしまいますよ」
「それが…まだ、続きがあるんです」
コノハがぼそっと言った。
「まだあるのかよっ!」
反射的にツッコミを入れていたが、コノハは淡々と続けた。
「今後のことです。最後にアドロ会長が出てきて、時間のかかる質疑応答は、あと一回だけにすると宣言されました。週末の土曜日です。それまでは、質問を専用のアドレスに送ってもらえれば、新聞部から号外で発表するとのことでした」
「ほう。記名式?まさか匿名じゃないよね?」
「記名式ですが、紙面上で氏名の公表は省略されるみたいです」
「なら、特に問題ないんじゃないかな。質問はいくらでも送れそうだし、尋問できないのは残念だけど、考えようによっちゃ利点もあると思うよ。じゃあ、これからどうしますかね?明日の午後には号外が出るかもしれないし、今日はここまでにして、明日も18時に集合しますか?それまでに情報をまとめておきますよ」
全員、異論はない様子だった。
どうやら副部長が目を覚ましたらしく、部長がこちらの話に飽きた様子でギンブナの傍らに移動している。
シャロンとコノハも、さすがに副部長の様子が気になるようだ。
こうして会見二日目の夜は、お開きとなった。
だが、この時はまだ誰も知らなかった。翌日の午後に配布される号外で、未定研究部が奈落の底に突き落とされることを。
最後までお読みいただきありがとうございます。コマチとクフオーの嘘を推理してみてください。ご感想などいただけると励みになります。




