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第2話 少女との約束

まりんとの衝撃的な出会いは、五月のGWのことだった。


学校が休みのためか、まりんはそれから毎日のようにやってきて、間野を質問攻めにした。

生い立ちから学生時代のこと、仕事のことや彼女の有無まで根掘り葉掘り。

過去を語ることに抵抗がないわけではなかったが、まりんの境遇を思うと、変に取り繕うほうが気が引けて、すべて包み隠さず話して聞かせたのだった。


そのくせ自分のことになると、セクハラだの何だのと騒いで、ほとんど何も語らなかった。

ただ、おかげで信用を得たらしく、引っ越しの整理を健気に手伝ってくれたり、カレーを一緒に作ったりして、すっかり仲良くなったが、名前以外はほとんど知らないままだった。


そして、GW明けに事態は急変した。

朝のニュースで、米国の株価が大暴落したのを知ったのだ。中東で大規模な紛争が始まったらしい。午前八時の気配値はストップ安の様相。市場が開いた午前九時には、溜め息が絶叫に変わっていた。


「あああ…アアアァ―――!」


どの銘柄も値が寄り付かない。とりわけ間野が保有する株式は、軒並みストップ安となった。

それは翌日も続き、間野の資産は二日間にして半減したのだった。


「やはり投資の才能はなかったようですねェ」


カーテンの隙間から床に落ちた光の筋を見つめたたまま、ソファで固まっている間野は、その声に反応しなかった。

しかし、まりんはまったく意に介さない様子で、肩からトートバッグを降ろして行儀よく座った。

大きな荷物を持ってくるのは珍しい。顔がいつもより嬉しそうなのは、間野の姿が面白いからだろう。

間野は朝起こされた子どものように、ふらふらと視線を漂わせるのが精一杯だった。


「あらら…で、これからどうするんですか?」

「だから、それをいま考えて…」


アッパーマス層から一気に転落したのだ。しかも無職。この部屋も引き払わなければならないだろう。


「段ボールはそのまま運べるな」


無理やり笑って見せると、まりんは間野の引きつった顔が面白かったのか、声をあげて笑った。

これだからガキは…デリカシーという概念は持ち合わせていない。だが、頭にきたおかげで少し冷静さを取り戻した。


「ちょっと待て…ていうかお前、どうやって入ってきた?」


部屋に入れた覚えがまったくないことに気がついた。すると、まりんはバッグから鍵を取り出し、フフンと揺らして見せた。


「いつ盗った?」

「人聞き悪いですね。これは間野さんのじゃありません。私が預かったものです」

「はぁ?」


もうこんな時に勘弁してくれと思う。大げさではなく人生のピンチなのだ。

子どもの戯言(ざれごと)に付き合っている気分ではない。


「これはパパからあずかりました。このマンションはパパの会社のものなんです」


しかし、こう宣告されて間野はソファから転げ落ちそうになった。


「ま…マ?」

「話をつけてきてあげたんですよ。間野さんがまだここにいられるように」

「はぇ…?」

「いいですか?状況を理解してください。今回のショックで、少なくとも半年は株価が戻らないでしょう。その間、家賃の支払いを猶予してもらえることになりました。とりあえず半年間です」


本当に小学生かと思うのはいつものことだが、今回はことさら驚いた。


「先生ぇ…」


間野はフローリングを這うように、まりんにすり寄っていった。


「やめてください。そういうのはいいんです。それより、約束…」


まりんの静止も聞かず、間野はその小さな手に額を擦りつけた。


「ありがとう、ありがとう。とにかくその間に仕事を探さないと…」

「だからっ」


まりんは間野を押しやった。


「もう、しゃんとしてください」

「しかし、あのパパがなぁ。人は見かけによらないというか、なんというか…」

「間野さんは見かけどおりですからね。表面しか見ていないからですよ。パパは世襲でもありませんし、もともとIT系のベンチャーから事業を拡大してきたんです」

「そ…そうか」


言葉がなかった。アッパーマス層だなんだといい気になっていたが、目の前にいる少女は、間野とは比較にならない富裕層だったのだ。


「どおりで、お前はそんなにマセてんだな…」


まりんは面倒くさそうに頭を振って、厳しい視線と人差し指を向けた。


「いいですか?間野さんには仕事も用意しました。パパの会社で半年間働いてもらいます。どこも人手不足ですから、間野さんなら信用できるってパパも言ってます」

「お前…」


間野は、まりんの顔を両手で挟んでじっと見つめた。


「神の化身か?」

「だから、やめろッ!」


まりんは挟まった顔を、無理やり引き抜くように振りほどくと、動揺したのか肩で息をした。


「はっきり言って、まりんのこと何にも知らないんだよな。お嬢様だったとはなぁ」

「仕事は明日からです。しっかりやってください。それより、今日は大事な話があるんです」

「エ?これより大事な話があるのか?」


まりんは勢いよく頷いた。


「間野さん、約束しましたよね?ママを探すの手伝ってくれるって」

「ああ、そうだったな」

「じゃあ、これからママに会うためにやってもらいたいことがあります」

「ハイ?」


まりんはバッグからスマートフォンを取り出し、画面を操作して何かを探し始めた。


「じつは、ママの居場所はわかっているんです」

「はあ?」


やはり理解できるタイプの人間ではなかった。言っている意味がさっぱりわからない。


「そこに行ってもらいたいんですよ」

「わかってるんだったら、まりんが行けばいいじゃないか」

「それができないから頼んでるんですよ。相変わらず理解力が乏しいというか…」


そして、ようやく何かを見つけたのか、スマートフォンの画面を向けてきた。

そこには、学生服や体操服姿の生徒たちがグラウンドで楽しそうにポーズを決めた集合写真があった。私服姿の人間も混じっているので、文化祭か体育祭の写真だろうか。


「これがなんだ?ママの昔の写真か?」

「見て気づきませんか?まあ、そうでしょうね。よく見るのです」


間野はスマートフォンを手に取ってあらためた。


「ちょ…何だこれ?学生じゃないだろ」


よく見ると、全員が未成年の顔立ちではなく、中には明らかに中年の男女もいるのである。


「おかしいぞこれ…コスプレ大会か?まさか、変態の集まり…」

「おかしいですよね」


まりんは間野が気付いたことに納得したのか、鼻から息を吐いた。


「ここにママが?」

「端のほうに小さく顔が見切れているんです。ママは写真が嫌いなので」


指で拡大してみると、集団の後方にセーラー服を着た女性が小さく映り込んでいた。

さらに拡大して、間野は手を止めた。


「す…すげぇ美人」

「でしょう?」


まりんは嬉しそうに目を輝かせたが、ハッとして視線を反らした。


「ママに間違いありません」

「待て待て。どう見ても二十代だろ。まりんのママにしちゃ若すぎないか?」

「今年で二十九歳です。女性の年齢はわかりませんよ」

「まあ…そうなのか」


しかし、見れば見るほど美人だ。まりんの面影はなんとも言いがたい。

いや、そんなことはどうでもいいと思うくらいに、その女性に見惚(みと)れていた。

腕組みをして憮然(ぶぜん)と立っているように見えるが、露わになった二の腕や素足がじつに妖艶(ようえん)だった。


「間野さん。そこは特別な学校なんです」

「あ…ああ、そりゃそうだろ。見りゃわかる…ん、学校?」


間野はようやくスマホから視線を切り替えた。


「だから、そこに入学してほしいんです」

「ハイ?」

「もうすぐ入学試験が始まります。入試にパスして入学するんです」

「待て待て待てっ!意味がわからん。明日からパパの会社で仕事だろ?」

「大丈夫です。普通の学校じゃありませんから。部活しかしない学校なんです。仕事が終わってから行けばいいんです」


まりんは畳みかけるように言った。冗談を言っているとは思えないが、頭の整理が追いつかない。


「そう言われてもなぁ…パパに行ってもらえばいいじゃないか」

「パパはだめです。ママは帰ってくると言って聞かないんです」

「ん?というと?」

「じつは…二年前にママが出ていく時に、手紙が置いてありました。三年で帰ってくるからって。でも、今どきそんなことあり得ないでしょう?パパは仕事はできるけど、女心はわからないんです。だから、私とパパの代わりに行ってくれる人を探してたんです」

「う…む」


こう聞かされて心が動かないこともなかったが、今回ばかりは二つ返事というわけにはいかない。

さすがに干渉してはいけない問題なのではないのか。


仮に写真の女性が実の母親だとしても、家族を置いてわけのわからない世界に浸っている人間が、ハイそうですかと帰ってくるはずもないからだ。

正直なところ、この女性に会いたい気持ちがないわけではない。しかし、面倒な話になるのは目に見えている。

すると、まりんは間野の態度に業を煮やしたのか、スマートフォンを奪い取って、また何やら操作を始めた。


「あなたは、約束したのよ」


まりんの敬語が消えた。向けられた画面には間野の姿があった。

「もちろんだ!」と、飛び切りの笑顔で答えている数日前の動画だった。


「お前…撮ってたのか?」

「当然!言質が大事でしょ」


動画は繰り返し再生された。おそらく顔が夕日のように赤く染まっていたことだろう。


「わかった!わかったから、やめてくれ!」

「じゃあ、行ってくれるんですね?」

「行くよッ!」


もはや何でもありだと思い、間野は深く考えることをやめた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

いよいよ間野の人生が動き始めます。

ご感想などいただけると嬉しいです。

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