第20話 野球拳
午後五時を知らせる号砲花火が打ち上がった。
これは模擬店の終了と、ステージの部への移行を意味する。
ステージの開演は午後六時からなので、実質的には選出された八つの部の準備時間というわけだ。
そのほかの部は、せっせと後片付けを始めるか、ダラダラと余韻に浸る。
お客のほうも、この時間にお手洗いをすませたり、気の早い者は体育館に移動して場所を確保する。
未定研究部の一行は、食器をざっと洗い、竹のスライダーを分解してテントの下にまとめ置くと、急いで体育館に向かった。なんせトップバッターである。
とはいえ準備はそれほどない。衣装は制服のままだし、例の半透明ボックスを用意するだけだ。
ちゃっかりレンジャー二人が、ボックスを用意して舞台袖で待っていた。
舞台の幕は下りているが、ステージ上を裏方のスタッフが忙しそうに動き回っている。
彼らは選抜されていない部から任命された舞台スタッフで、音響や照明、タイムキーバーなどを担当してくれている。漏れた部の宿命とはいえ、感謝しなければ。
ユメジは緞帳の隙間からこっそりアリーナを覗いてみた。すると、もうすでに満員御礼状態になっていた。
考えてみると、こんな舞台に立った経験などなかった。ここは異世界、『ユメジ』というアバターでステージに立てばいい。
そう安易に考えていたが、さすがに緊張してきた。
もっとも、緊張具合が段違いなのは、MCのコノハであった。
マイクを両手で握りしめたまま、「ガクガクガクガク…」と一心不乱に呟いている。
ただ、彼女に関しては秘策がある。
「頼みましたよ、ユメジさん」
ユメジはレンジャー二人とグータッチした。今回に限り、彼らはユメジの味方である。
「そろそろ、いい頃だね」
猫又が合図を送ると、ギンブナがお盆に瓶を二つと小さなショットグラスを乗せて運んできた。
「コノハ君、ちょっといらっしゃい」
ギンブナの呼びかけにコノハは反応しなかったが、猫又が部長らしく手を引いて連れてきた。
「まんまるまるくまるくまんまる…」
意味不明な呪文を唱え続けているコノハに、ギンブナは優しく言った。
「大丈夫。魔法の薬を飲みなさい」
バーテンダーのように慣れた手つきで、二つの瓶から、およそ一対一の割合でショットグラスに注ぐ。
それを猫又が手に取り、「ドーン!」の掛け声とともに、手でグラスに蓋をしたまま床に叩きつけた。
勢いよく炭酸の泡が噴き出す。テキーラショットガンだ。それを有無を言わさず、コノハの口に流し込んだ。
「よし。これでなんとかなるだろう」
二人はコノハの様子をしばらく観察すると、不気味に頷き合って、飲み物を舞台袖に運んでいった。
「まったく、無茶しやがって」
ここでようやくシャロンが登場した。姑息にもカーディガンを羽織っている。
「コノハはなあ、無理やり飲ませると人が変わっちゃうんだよ。上品な飲み方しかしてねえからな」
「そういえば、お嬢様みたいですね。100%の執事が迎えに来てましたから」
「知らねえぞ。覚醒するからな。それより、じゃんけんの手順は覚えてんな?」
「はい」「イエッサー」「もちろん」
三人の声が重なった。いつの間にか部長と副部長がいて、未定研究部の五人が舞台に整列していた。
「開きます!」
スタッフの合図とともに緞帳が上がり始めた。
お願いしていたCOMPLEXの『BE MY BABY』が流れてくる。
歓声はない。ただ、満員の観客から刺さるような視線を感じて、心臓の躍動とは反対に、顔から血の気が引いていった。
打ち合わせどおりに、ドリフのような情けないステップを踏むと、失笑のような笑いが起きた。
掴みは成功したのだろうか?ライトが眩しくて観客の反応は見えない。
曲の変調に合わせて次の位置に移動しようとした時だった。予想外のことが起きた。
コノハの動きがおかしい。独特のステップでステージを闊歩し、中央に躍り出たかと思うと、歌声が重なって聴こえてきた。
なんと、歌いはじめたのだ。まるでご本人が乗り移ったような特徴的な歌い方で。
たちまち『BE MY BABY』は、アリーナで大合唱になった。
そのままワンコーラス歌い切ったコノハは、人差し指を天に突き上げ、拍手喝采を浴びたのだった。
「お前らぁ、刮目せよっ!未定研究部のステージはぁ、野球拳だァァ―-ッ!」
地鳴りのような歓声だった。コノハが覚醒した。
ここまでやるのは想定外だったが、素晴らしい!その勢いにつられて、ユメジの緊張が解けていった。
「雑魚部流野球拳はぁ、シャロン対男三人の勝ち抜きバトルであるッ!」
歓声は鳴りやまない。一部でシャロンコールが起きていた。
「まずは、シャロン対ぃ~、ユーメージ~ぃ!」
怒涛の盛り上がりの中、シャロンとユメジは対峙した。
シャロンは余裕の笑みを浮かべている。当然だろう。出来レースなのだから。
しかし、スポットライトに照らされた顔が美しい。見惚れてしまわないように、ユメジも笑みを返した。
「では、向かい合って礼っ!」
二人が一礼すると、コノハは声のトーンを変えて軽やかに歌い始めた。
「ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
観客も大合唱である。ユメジはグー、シャロンはパーを出した。合わせたように、大きな溜め息が体育館に反響する。
これはシナリオどおりだ。まず一人目は惨敗して、あえて客のフラストレーションを高めておく戦略である。
脱衣タイムには、『GOLDFINGER'99』が流れる。曲に合わせてカッコ良く、かつ焦らしながら学ランを脱ぐ。
失笑が心地よい。もちろん制服を脱ぐ申請は通してある。いい感じだ。どんどん行こう。
そして数分後、ユメジはパンツ一丁になっていた。対してシャロンはカーディガンを脱いだだけだった。
すでに、『GOLDFINGER'99』のイントロが流れるたびに怒号が起きていた。
パンツの柄は雑魚に掛けた小魚のイラスト。火に油を注ぐのはわかっている。
一度下げてから上げる戦略なのだ。
「では、選手交代だー!次鋒はぁ、ギンブナーッ!」
ブーイングと歓声で異様な盛り上がりをみせる。ギンブナは不敵な笑みを浮かべて、歓声に答えた。
シャロンは腕組みをしたまま、余裕の表情を崩さない。
「いくぞっ!ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
ギンブナはグー、シャロンはチョキだった。割れんばかりの歓声が巻き起る。
シャロンは無表情のまま、左足の靴下を脱いだ。
ここまでは計画どおり。あとはギンブナが全敗し、猫又が一勝して、シャロンが右足の靴下を脱いだところで終了だ。
だが、予定はあくまで予定。そうは問屋が卸さないのが世の中なのである。
***
フロアからは男どもの声しか聞こえない。だが、トップバッターの役目は十分果たしたはずだ。
シャロンは片足だけ素足という情けない格好で、ふてぶてしい感じを演出しながら、すでに達成感を得ていた。
あとは手はずどおりにするだけだ。
「ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
コノハも大したやつだ。ところどころに入る『ア』が気になるが、マイクを掴んだらマジでナンバーワンかもしれない。
このあとのフリースタイルバトルに、飛び入りで参加すればいいのにと思う。
「シャロンさんの負けで~すっ!」
――え?
シャロンは耳を疑った。そんなはずは…ギンブナの二回目は、グーだったはず。間違えるはずがない。
ギンブナは指をチョキにしたまま、観客の声援に答えている。
「お、おい!お前…」
ギンブナはシャロンの視線に気づいて、片手でスマンとジェスチャーした。
「悪い。間違えちゃって。次はパーを出すから」
ギンブナはこっそり耳打ちした。
こいつ、本当に間違えたのか?しかし、この場で問い詰めることはできない。
シャロンはしぶしぶ右足の靴下を脱いだ。片方だけ素足でいるよりマシか。次は間違えるなよ。
「ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
シャロンはチョキを出した。ギンブナはグーだった。
「キサマァーッ!」
シャロンの激高は歓声にかき消された。ギンブナは勇者のように拳を突き上げ、観客を煽る。
「ぐぬぬ…」
そういうことかよ。お前たちの考えはよくわかった。
だが、気づいた時にはあとの祭りだった。完全にハメられた。ギンブナが胸くその悪いしたり顔で近づいてくる。今すぐ張り飛ばしてやりたい。
「勝負に汚いもタピオカもないんだよ、シャロン君。人類は我に味方しているぞ。さあ、脱ぐのだ」
「覚えてろよ、お前…」
シャロンはセーラー服のリボンを外した。そして腕組みする。たちまちブーイングが巻き起こった。
「リボンも服だろ?審議でもするか?」
「いいだろう。だがもうアトはないぞ」
確かにそうだ。カーディガンで予防線を張っておいたが、学生服の下はインナーが一枚あるだけだ。
シャロンは頭を回転させた。予定では次にチョキを出すはずだ。やつの性格からして変えてくるに違いない。
「ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
(頼む!)
シャロンはチョキ、ギンブナはパーだった。
「うおおおおォーッ!」
シャロンはブイサインを突き上げた。歓声とともにギンブナへの怒号が飛び交う。
「さあ、脱げ」
しかし、ギンブナは上着を脱ごうとするが、恥ずかしがってなかなか脱がなかった。『GOLDFINGER'99』が、業を煮やした観客の怒号に呑み込まれてく。
ここでチャンスと見たシャロンは、掴みかかって上着を剥ぎ取った。
すると、コノハも加わってズボンまで脱がしてしまった。涙目になったギンブナは、服を抱えてステージから逃走したのだった。
観客の怒号は笑い声に変わっていた。
――あと一人。一回勝てば丸裸にしてやる。
「力技とは、穏やかじゃありませんねェ」
猫又がラスボスになりきった風に眼鏡を押し上げる。
「お前も同じ目に合わせてやるよ」
シャロンは知っていた。猫又の思考が浅いことを。じゃんけんならなおさらだ。
少し揺さぶりをかければ、すぐに本性をあらわす。
「パーを出せ。そうすりゃ、お前にだけ見せてやるよ」
「フ…裏取引かね。いいだろう。約束だぞ」
このムッツリ野郎が。見せてやるのは、地獄だけどな!
「ア、やーきゅーう~ぅ、す~るなら、ア、こういう具合にしやしゃんせ、アウト!セーフ!よよいの、よい!」
シャロンはチョキ、猫又はグーだった。
「キ、キサマァーッ!」
シャロンの激高は歓声にかき消された。猫又は勇者のように拳を突き上げ、観客を煽る。
フロアの男どもから下品なシャロンコールが巻き起こった。
ユメジの野郎が、クソボックスの前で手招きしている。クソ!逃げられない。
「シャロンさん、大丈夫ですよ。見えませんから。どうせインナー着てるんでしょ?」
「ぐっ…お前も覚えてろよ」
「ヒヒヒ…無駄無駄」
ユメジはボックスの一辺を開け、シャロンを中に入れるとカチリと鍵をかけた。
シャロンコールがピークに達する。やるしかないか。シャロンがついに覚悟した時だった。
「ハイ~!いいところですが、お時間となりましたぁ~!」
コノハがボックスの前に割って入った。
「残念ですねェ~。もう少しでしたねェ~。では、また来年お会いしましょう!」
すると、また『BE MY BABY』が流れ始め、緞帳が下りてきた。
シャロンは半透明ボックスから、鎖骨から上と足だけを亀のように出していたが、その姿を恥ずかしいと思う間もなかった。
緞帳の向こうは、怒号や歓声、そして笑い声が飛び交い、とにかく盛り上がっているようだった。
***
三バカトリオは舞台袖で土下座していた。いや、させられていた。
「やってくれたよな、あんたら」
アイエルがステージに向かう横目に、そう吐き捨てた。
「どうすんだよ、この空気。フットサルは泣いてたぜ。出にくいったらねえってな」
シネマ部の短編舞台劇の直前のことである。確かに申し訳ないが、それどころではないのだ。
シャロンが戻ってきたからだ。コノハが舞台終了と同時に、めまいと吐き気を訴えたため、控室に連れて行ったところだ。
「さて、お前ら…よくもこの私を嵌めてくれたな。どういうつもりだ?」
ユメジは顔を踏みつけられそうな圧を感じていたが、猫又もギンブナも慣れているのか、スンとして答えなかった。
「誰の発案だ?」
ユメジは二人の視線を感じた。
「部長!ちょっと待ってくださいよ。三人で考えたじゃないですか」
「いや、君の案だ。君が生チチを見たいとか言うからだろう」
「副部長!テメェは…」
こういう時の二人の連携には惚れ惚れ――いや、辟易する。
「もういい」
シャロンの目が氷のように冷たく沈んでいく。
「歯を食いしばれ」
舞台ではシネマ部のステージが開幕したようだ。聞き覚えのある音楽が鳴り響き、大きな歓声が上がっている。
それに合わせるように、シャロンのビンタが炸裂した。三連発だった。目がチカチカするほどの衝撃を受けた。
「バカどもが。そこで終わるまで正座してろ」
こうして三人は、舞台袖の奥で座したまま、ステージの部の終焉を待つことになった。
入れ替わり立ち代わり、目の前を横切っていく出演者たちの冷ややかな視線を感じながら。
社交ダンス部が派手な衣装で目の前を通った時には、さすがに虚しくなった。
「アラアラ。あなたたち、そこで何してるの?」
優雅なマダムが、野良犬を見るような哀れみの目で話しかけてくれたのだ。少し涙が出た。
だが、トリの生カラオケ部の頃には開き直っていた。聴こえてくるアニソンを三人で口ずさんだほどだ。
彼らの姿が見えなくなると、部長と副部長は立ち上がって足を伸ばしていた。
結局、シャロンは儀式体験部のステージの頃に一度見にきて、それから姿を見せなかった。
「さてと。次はどうやって懲らしめてやりますかね、部長」
「楽しみだね、副部長」
ユメジはふくらはぎを叩きながら、二人の逞しさに呆れるほかなかった。
「アンタら、まだやるつもりなんですか?」
「何を言うか。これが我が部の伝統だ。男と女の戦いの歴史があるのだよ。当然…」
「ちょっと、あなたたちいいかしら」
ここで突然、会話に割り込んできた者がいた。立っていたのは、見たことのない女性だった。
制服姿から生徒であるのは間違いない。ホワイトブロンドの髪に目を奪われるが、シャロンのように美しい顔立ちで、その大きな瞳には強い意志を宿している。
腕組みをした細い腕と指は、シルクのように滑らかだった。
「おやおや、久しぶりだね、ユメジ君。面白い見世物でしたよ」
舞台袖の通路から姿を現したのは、閑院だった。ということは…。
――彼女が生徒会長アドロか!
「見世物ねえ」
アドロは呆れたように目を細め、三バカトリオを一瞥した。
「猫又にしては思い切ったことをやるとは思ったけど、まあいいわ。今からここは生徒会が使うから、観客の方に回ってくれないかしら」
とてもノーとは言えない威厳があった。閑院の目も笑っていなかった。
「御意」
こうして三バカトリオは、いつも女性に翻弄されるのであった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
文化祭で野球拳やれたら盛り上がるだろうな~無理だけど。と妄想しながら書きました。
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