第17話 男女の準備
部室を出ると、木々の隙間から青い空が見えた。
澄みわたるような青さ。快晴だった。九月下旬に差しかかっているが、日差しは健在のようだ。
夏はまだ終わりそうもない。
――最悪だ。
ユメジは、溜息をついた。
なぜなら、これから森に分け入らなくてはならない。
松茸狩りだとしても気持ちが揺らぎそうなのに、竹を切り出しにいくハメになるとは想定外だ。
いや、想定できたはずだが、見通しが甘かった。
チラリと横を見る。
部長と副部長が学ランをワイシャツの肩にかけ、まるでアフターファイブの居酒屋に行くような雰囲気を醸し出している。
舐めているとか以前に、戦力としてまったくカウントできない。
ユメジは再び溜息をついた。
「えっと…お二人とも、そのスタイルで行くつもりですか?」
猫又とギンブナは顔を見合わせる。
何を言っているんだこいつ、と思っていそうな顔だ。
「あ、もしかして、汚れるかもって心配してくれているのかい?」
猫又が笑いかけてくる。
(いや、頭の心配してるんだよ)
ユメジは口まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「制服なんて汚してナンボだろ?大人はこういうところにお金をかけるもんさ。買い替えるだけの蓄えはあるからね。むしろ汚したいくらいだよ」
「まさにまさに。男の勲章ですな」
そう言って笑い合う二人を見て、ユメジは目を閉じた。
「そうですか。じゃあ…道具がノコギリ一本に、軍手が三つだけというのは、何かの冗談ですよね?」
猫又が爽やかに笑いかけてくる。
「そのまさかだよ。今ある道具でなんとかするのが未定研究部なんだ。逆に、より達成感が得られるというものだよ」
「至極当然」
また二人は笑い合う。
もう何を言っても無駄だ。体操服に着替えることすらバカらしくなり、ユメジは思考を放棄した。
まあ、森といってもすぐそこだし、目星もつけてあるのだろう。
そう思って二人について行くことにした。
道は――というか、人が踏みしめただけの山道だが、ビオトープ部が引き込んだ小川に沿って森へ続いている。
こうして男たちは、学生服で山登りを始めたのだった。
「ところで、勝手に竹を切っても大丈夫なんですか?」
まだハイキング道のような登り坂でユメジが聞くと、「ああ」と澄ました顔で部長が答えた。
「森の恵みは平等にって方針だよ。私有林らしいけど、学園が自由に使っていいって話だ。規定はないんだけど、少しなら問題ない。伐採とか開拓になると申請が必要だね」
(森の恵みってなんだよ)
「そ…そうですか」
それからの山登りは無言だった。
気まずかったわけではない。足が重くて喋れないのだ。
山道は獣道に変わっていく。ひどく暑いうえに、体じゅうが痒くなってきた。
「もう…着きますか?竹林は…どこです?」
猫又は無言になっていた。
爽やかな笑みは消え、口から吐く大量の息によって眼鏡を曇らせている。
しかし、どこかを目指していそうな雰囲気だけはあった。
ギンブナに目をやると、集団から遅れ、後方に頭だけが見えていた。
「竹はァ!千年竹はどこじゃ…どこにあるんじゃあ!」
いきなり叫んだ。やはり泣き言か。
君が真っ先に脱落するよ、と思っていた予感が的中したのだが、また別のシナリオが頭をよぎる。まさかな…。
「部長、どこに向かってるんです?竹を目指してるんですよね?」
猫又は前を向いたまま、白い眼鏡を押し上げた。
「…知るかよ」
ユメジは、思いもよらない回答に言葉を失った。
「ハ?いや…え?」
白い眼鏡が九十度回転し、ユメジを見据える。
「こっちが聞きたい、ユメジ君」
「意味が…わからないのですが」
「君が竹が必要とか言うからだろ。もちろん竹の場所も調べてあるんだろうね?」
「はぁ?」
(何を言ってるんだ、こいつ)
「いや、知らないですよ。部長たちが先に歩き始めたじゃないですか」
白い眼鏡が九十度回転し、前を見据える。
「わかってるよ」
「は?」
「ちょっとした思い違いでさ。竹なんてその辺に生えてると思うじゃないか」
ユメジはその場に崩れ落ちそうになった。なんという思慮の浅さだ。
もはや説教でどうにかなる段階ではない。開頭手術が必要な状態だ。
「ちょっと、休憩しませんか…」
ユメジは枯れ木に腰を下ろした。
部長も頷き、「さて、どうしたものかな」と、ワインでも眺めるように眼鏡を空にかざしている。
さすがに殺意が芽生えたが、この世の終わりのような表情で、ギンブナが追いついてきた。
「こ…こりゃあ、神木をいただく必要がありそうじゃわい…千年の時を経た竹を…」
彼にも、かける言葉が見つからない。
「あの、お二人とも。太い竹は必要ありませんよ。逆に太すぎると、そうめんが暴れて取れませんからね」
こう言うと、二人は目を丸くした。
「ほんとかい?それなら、体育館の裏のあたりに生えてるよ」
猫又がサラリと言い放った。
同時にキラリと瞳が光った気がした。次の瞬間、ギンブナが飛びかかり、二人まとめて坂道を転げ落ちていった。
***
動画サイトで入念に工程を調べ、厳選した材料を取り寄せた。
国産の小麦粉、天然塩、昆布、かつお節、醤油、製麺機も家庭用だが、安く購入することができた。
とりあえず、見よう見まねで試作品を作ってみた。
男どもは外で竹と遊んでいる。
最初の頃は手頃なサイズで始めたようだが、結局また森に入って大きな竹を切ってきたらしい。
まあ、おっさんが協力したおかげだろう。
おっさんの指導で枝を落としてヤスリをかけ、何やらトリッキーな動きをさせるために凹凸をつけたり、曲げてみたり、接続部分のジョイントを工夫しているらしい。まあ期待はしていないのだが。
「よし、試食してみるか」
シャロンはコノハに告げた。見た目は普通のそうめんとつゆになっている。
一口すすった次の瞬間、二人同時に箸を置いた。
「お、おいしい…」
シャロンは目を閉じ、心地よい喉越しに身を委ねた。すると、次第に肩が震え始めた。
「フフフ…確定だな」
自然と漏れ出た声に、コノハが純情な瞳をパチクリさせている。
「何がですか?」
「私が天才だってことだよ」
「え?」
「もはや、私はなれてしまったのだよ、コノハ。鉄人になッ!」
そう言うと、なぜかコノハの瞼が沈んだ。
「ハイハイ。確かに凄くおいしいです。でも、もう少し改良の余地があると思います。めんの滑らかさが均一ではありませんし、つゆもめんの水分に負けている気がします」
コノハは鋭い味覚の持ち主だった。
お嬢様育ちだからな。落としどころなんて感覚は持ち合わせていない。
「そうか…まあ、それは気づいていたよ」
それから、地獄の試行錯誤が始まった。コノハのOKが出るまで二週間かかった。
男どもはその間に仕上げたらしい。すでに見たくもないアクリル板のクソボックスが部室に置かれている。
何度つゆをぶっかけてやろうと思ったことか。だが、こちらもついに完成した。文化祭の一週間前のことだ。
その頃になって、ようやく猫又が言い出した。「何か手伝おうか?」と。
不思議と腹は立たなかった。こいつらに食べさせてみて、どんな反応をするか楽しみだからだ。
「ああ。食ってみろよ。飛ぶぞ?」
「どうやら、うまくいったようだね。じゃあ、実際に流してみないか?」
なるほど。お前たちも同じ考えか。よし、勝負だ。
シャロンとコノハは、茹でたてのそうめんを皿に盛って部室を出た。
外にあったのは、まるでウォータースライダーのような竹の芸術品だった。
どうやったのかは知らないが、傾斜は直線ではなく、カーブしながら降下して折り返している。
捻じれて反転している箇所さえある。
「こ、こんなんで最後まで流れるのかよ」
シャロンが驚いたのに気をよくしたのか、ギンブナが得意げに答えた。
「当然だ。ラーメンで実験済みだよ。さあ、やってくれ」
ペットボトルに入れた水を、ユメジが竹に流す。
すうっと滑らかに水が流れていった。
緩やかな捻じれに沿って、水はトルネード回転しながら折り返し地点に進む。
そこにある程度の水が溜まると、鹿威しのように傾いて、下の竹に移動していった。
なんてアクロバティックな。シャロンは素直に感心した。
「やるな。じゃあ、こっちも流してみてくれ」
コノハがそうめんをつまんで水に流した。そうめんが勢いよくトルネードスピンしながら流れていく。
男どもは一本も箸で掴めなかった。
「………」
全員、呆然とスライダーを見つめていた。
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