20話 境にて灯を現す 後編
窓を横切った影形を目で追えばただの一般車。反対車線に投げ飛ばされ回転するその車中の人の呆然とした顔を一瞬だけ視認出来たものの、飛んで行ったその車を追うように赤い火球が放物線を描き、着弾。
爆音と共に、トンネル内の薄暗さを舐め広がる炎の舌がそこかしこを這い回った。
途端に鳴らされるクラクション。次いでトンネル内にビービービーと響き渡る警報機の甲高い音。それらを搔き消すが如き狂った怒号に悲鳴。
トンネル内を照らしていたオレンジ灯が数秒の間を置いて赤い警報灯へと変わり、その薄暗さを舐めとるかのように盛大な爆炎の柱が進行方向の先、トンネル奥の方からも複数上がったのがバス内からでも確認できた。
「非常事態発生!繰り返す非常事態発生!こちら信宿方面地下道東3番1層途中!救援を要請する!武力攻撃をデモ隊の民衆、暴徒の群れから受けている!繰り返す――」
授業中や登校中にテロリストが襲撃、なんて妄想をした類の人間であった私だが、ここまで大勢の人間が狂ってる現場は想像の埒外。トンネルの奥の方まで進行方向の4車線は車を縫って半狂乱な暴徒の群れ。もちろん反対4車線はデモ参加者の暴徒どもで埋めつくされて地面のコンクリート舗装が見えないほどだし、拡声の魔導具で煽ってる主導者なんかはおそらくカーブで見えなくなっている奥の奥にいるのだろう。飛んでいる火球それ自体は、見た目だけで魔力がそう多く込められていないようなのは救いか……。
運転手が大声でどこかしらに伝えている大声で気を取り直せたが、装甲バス内が安全な場所だと思い込んでいて気が緩んでいたね。
ひとつ息を深く吸って吐いて、気分を切り替える。ここはもう戦場だと気を引き締めないと。
その思い、魂から沸き立つ言の葉を舌に乗せる。
「――積もりて焦がせ」
魂宣。魂の中にある門を開けるイメージで起動鍵を口にした。以前は『積もり舞え』というワンフレーズだったが、やはりというか神の恩恵を得てその文言が変わったようだ。そんな確信がある……が、もやっとしていていまいち掴めない。本当に喉元まで来ている感覚はあるのだが……無念。何か切っ掛けか、もしくは習熟が足りないという事だろう。ふぁっきゅ。
全身から冷気を撒き散らしつつ周りを確認。どこか皆浮足立っていて、寝ていた人なんかはきょろきょろと挙動不審になってたりしていた。私たちに限れば退避も可能だろうけど、いの一番に逃げ出した臆病者なんてレッテル張られたらこの地下街で生きるの辛いだろうし逃避の選択は無し……逆に突っ込めば戦帯のひと薙ぎで暴徒どもの先頭辺りは止められるだろうが、テロリストの扇動者を逃がしてしまったら厄介な事になるし、とぐだぐだ考えを頭の中で巡らせていれば
「セイちゃんユキちゃん!ちょっと行ってくるね!!」
「メイちゃん!?行くってどこにー、「外っ!」ああ、もう外は危険だって!」
ふたりの気配が離れる前に金魚のフンのように付いていけばバス前方で運転手に詰め寄る空梅ちゃん。
「扉開けてください!あの吹っ飛ばされた車の中にいる人を救助してきますっ!今なら回復薬で間に合う筈です!!」
「ああ?今、各方面に連絡中なのが分かんねぇのかっ、っつーか探校の1年がしゃしゃんなっ!窓際にいる探索者ぁ!!テメエらちょっと行ってこい!!」
鬼気迫る気迫を湛えた彼女はやはり、マッキーと同様に善性の塊らしい。私には無いその言動はとてもまばゆい
だが、あなたが外に出るのはNGだ。まかり間違って捕らえられたら悔やんでも悔やみきれない。
私が意思を固めている間にも、運転手の声にのろのろと動き出す数名の探索者たち。うん、協力要請は出来る立場であれど命令権自体は無い筈の運転手だが、堂に入った言葉には確かな圧があった。結構な熱を感じるし元探索者かな?運転手兼任の現役かもしれないが初老を超えた見た目からして老兵という言葉が似合う運転手である。
ただ動き出した探索者たちは、先程魔災対応に駆り出された探索者たちとは比ぶるべくも無いほのかな熱というか年齢も若く弱い部類だ。これなら私が動いた方がマシだろう。それに彼等、こっち見るなり顔色悪くしているしなんとも失礼な輩なのだ。見覚えが無い顔だし、私何かキミらにやった覚えないよ?
なので扉が解放されると同時にマッキー達に「ここにいて」と言い残し、彼等彼女等の頭上を飛び越え炎上する車の下へ駆け走る。もちろん飛行なんて目立つ真似はせず、地面のアスファルトに足着け走ってる。
何か運転手の怒鳴り声が聞こえた気がしたが、空梅ちゃんが焦れて装甲車から出るよりマシ。
中央分離帯を跳ね超え、背中の鞄から戦帯を操り取り出し、大トンネルの対向車線壁際で燃え続ける車の扉部分を力づくで引っぺがす。
そんな作業をしていたら後方から熱が飛来してくるのを感知。振り向きざまに戦帯をはためかせぶつければボフンと情けない音と共に火球は掻き消えた。うん、熱加減からして予測出来た事だけど、仮に直撃しても大した事ないね。ゾウワニの泥弾の方がはるかに重かった。
翻って車中の人間を見れば腕が骨折で全身黒こげ状態。エアバッグとシートベルトのおかげか首の骨は無事そうで呼吸も意識もあるし、助かるか助からないかで言えば十分回復可能だろう、中学の時に燃やされた同級生の方が炭化するくらい酷い有様だったが元通り治ったし。まあこういった瀕死の場合は蘇生可能と言うべきか?ただ問題は回復薬を運転手が使う判断をしてくれるかどうかって考えてる間にも、戦帯で黒こげ体をグルグル巻きにして背負い、バスへと駆け戻り始める。
途中途中で飛来してくる火球は無視。当たりようが無い火球まで散らそうとは思わない。重症者抱えてるし、と思っていたら頭上から爆音。
ちらりと振り返り見上げれば、天井で回っていた巨大な扇風機が警光灯もろとも爆散、被害としては辺りが少し暗くなった程度(酸素を含む空気は魔導具で大量生成可能な為)だがどんだけノーコンなんだ。にしてもこのトンネルてスプリンクラーとか無いのだろうか。暴徒の頭も水掛ければ冷えたりしない?しないか。
そんな事を考えつつも前方から火球がビュンビュンと飛んできた。速度的には弾丸よりは遅く前世の投球より速いくらいで対処も簡単ではあるが数が多いしバラけている。私らが乗って来たバスの後ろにも何も抵抗出来ない一般人が乗った車が並んでるしで、打ち落とすべきかと悩んでいる間に、こちらを庇うように中央分離帯を超えて別の装甲バスが前方へと回り込んで来てくれた。そしてその車体が展開していた魔力壁に衝突して爆炎を上げる火球。わお。漢気あって良いね。
なお車線に並んで止まっていた一般車を弾き飛ばす勢いだったのでぶつかられた一般車の側面はボコボコである。南無。
そんなこんなで重症者を元いたバスの中へと連れ込めば、前方にあった椅子は後方へと投げ飛ばされでもしたのか寝転がせる場が確保されておりマッキー達が安堵した顔でこちらを見ていた。
「1年にしちゃ良い動きじゃねえか!よくやった!負傷者はそこに寝かせとけ!てめえは8番の赤で魔力充填だ!」
運転手の声、大き過ぎ問題。丁寧語を投げ捨てた運転手の声は耳が痛くなるわ。てか8番とか言われても何処だよ分かんないよ。座席に数字を印字しといてくだしあ。
地上と地下をつなぐ大トンネルの中、車線自体が8本ほどある幅広の大道路で、動かず止まったままの車列に群がる群衆・暴徒の姿はどこか獣染みている。
四人乗り程度の小さな一般車はフロントガラスを叩き割られたり扉をこじ開けられたり殴り潰されたり投げ飛ばされたりと散々で、私達が乗っているバスのようなバカでかい装甲車にはひっきりなしに火球が飛んで来ている。
それもこれも運転手が車線を跨ぐようにバスを移動させ、暴徒どもの目線を集めるようにクラクションを鳴らしたりした為だろう。幸いながら、他のバスや装甲車の類も同様の振る舞いをして暴徒共の注意を引き付け、ぶっ倒しながら徐々に徐々にトンネル奥側へと進めていけている。数は群衆に圧倒的に劣るが、こちらも車線の幅全てをカバー出来る程度には探索者の数に余裕があるようなのだ。
このバスだけが集中砲火を受けているわけでも無い。むしろ簡易的な野外病院とか前線救護車のような扱いで、他装甲車がこのバスを護ろうと動いてる気がする。
火球もほぼ同じ形に熱具合と来て、規格統一された魔導具を大量に仕入れたテロリストの仕業と考えてよさそう。それはともかく、前方奥で暴れる探索者たちのひとりがしれっと暴徒からその棒状の魔導具を奪い盗って、腰のベルトに差したのを目撃してしまった。絶対ネコババする気だろ。
私も一本、いや複数本確保したいな。攻撃魔法系の魔導具なんて探校生からしたら金目の物でしか無いのだ。魔導重機関銃とか持ち出せる金満テロリストじゃなかった事は残念……いや、さすがにこの想定だと大惨事過ぎるか。即死すれば回復薬も効果無いし。
ただ、何かトンネル内に悪意がうごめいてるような、そんな嫌な感じが拭い切れない。それこそ切り札的な武装をテロリストが持ち出したら今の優勢なんか簡単にひっくり返されそうな、そんな予感がずっとしている。だが背筋を這い回るような不快感を振り払いたい衝動のまま乱闘に混ざるのはあまりにも【愚鈍者】。マッキー達と離れない方がいいと頭の中の冷静な私が判断している。テロリスト共の魔導具は本当に惜しいんだけどね。
ちなみにぶっ飛ばされた群衆《暴徒ども》で気を失ったもの達は道路上に放置で、余裕がある人達が反対車線の壁際へとそいつらを放り投げてる。正直はじめはどうなるか心配だったが、暴徒どものほとんどが弱く、探校生であっても片手でぶっ飛ばせる程度であったようで人数差があっても割と余裕があるようだ。こういう対多数戦っていう状況も慣れてるんだろうね。ダンジョンの小型種って大体群れだし、探索者はどいつもこいつもケンカ慣れしてる。であるのに
「なんでコイツラ逃げないんだ……?」
私の隣席で冷気で震えていた(端末の臨時班間同盟締結機能を使用後は治まった。こちらを見て顔色を悪くしていたのは私の魂宣による冷気が原因だったらしい。彼等は戦闘モードとか何とか言ってた)探索者がぽつりと声を漏らした。
そうなのだ。一般人が集まった所で相手になるわけが無い。むしろ普段は探索者と見れば目線を逸らして近寄らない一般人たちであるのに、乱闘という拮抗やや優勢程度の現状には少しどころでは無い違和感がある。
一般人の中でも強めである探索者崩れ、その多くは道場での稽古という名の暴力で心がへし折られて屈した負け犬だ。探索者と見れば震えて道を空ける程度にトラウマは刻まれている。そもそも霧界に数回入った程度の一般人なら探校生相手であっても歯を剥ける筈も無い。
「なんだか、霧球域内の魔物みたいですね」
オレも同じ印象だ、という同意がまた別の席から上がった。
気絶するまで狂ったように喚き手足を振り回す狂人たち。これがひとりふたりならまだしも数百人を軽く超える数というのはちょっと意味が分からない。ヤバイ薬でも使われたのか?ちょっと小学時代を思い出すね。ほんの少し獣性が抑えられている連中も中にはいるが、そうでなければ火球の魔導具なんて装備すら出来ないだろうしテロリストの一味だからだろうけど……コイツラも理性的とは言い難い。
このバスが会敵した周辺は魔法有りのケンカ延長線上大乱闘といった具合の緩さがあったが、トンネル奥で群衆に飲み込まれてる辺りは阿鼻叫喚かもしれないね。デモ隊が暴走する時にこのバスと距離があったのは割と幸運だったとそう思う。
まあもうすでに、トンネル奥側から探索者達に護られながら移動して来る集団も何回か合流していて、一般人はそのまま地上側へ避難し、探索者や意気軒昂な探校生、【勇猛童女】などの班はこのバスや少し前に出ている装甲車の護衛や、トンネル奥へと暴徒どもをぶっ飛ばしながらまた向かって行った。強い。
暴徒どもは必死に火球を連射してくるが、こちらは非殺傷の魔法のみが使われている辺りにも格の差を感じる。
そんな中でもしょうもない連中はいるもので
「地上に向かいなさいよ!!」「そうだそうだ!探索者なんだろ!一般人を保護護衛するのは当然だろ!」「だまれバカどもが!襲われてるヤツラが見えねえのか!?ふざけてんじゃねえぞ!!」「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!!」「場合なんだよタコが!!探索者は他にいねえのか!?赤の取っ手を使ってクソどもを薙ぎ払え!!」「何するつもりだ!?暴力は止めろ!一般人相手だぞ!!」「あああああ!クソ共の掃除に決まってんだろが!叩きだすぞボケェ!!……ソイツは壁際に転がしとけ!」「ヒィ!?」「こ、こんな事許されていいわけがない!」「お、おう」「チッ、おい14番で魔力流してる奴!余裕がねえならこのおエライ一般人さまどもを連れて地上へ向かえ!!ああ歩けねえ怪我人も背負ってけよ!」
バス内にいる一部はいまだに半狂乱。
どこか狂気さを感じる顔つきで唾を飛ばして運転手に詰め寄り、その運転手から叩きだすぞという宣言通りにぶっ飛ばされて道路上で横になってしまった者さえいた。まあそんな輩は放置で、マッキー達はせっせと運ばれてくる負傷者へと手当を施す為に動いているのだから善性極まってる。私はぶっ飛ばす側だなぁ……。
なんとも我先にとバスから出て地上へと走り去って行った人達は冷静だった。一般人の鏡。生存本能ヨシって現場猫がいたら指差ししてそう。歩ける足が無事で喚くくらい元気ならあの人達を見習ってさっさと自主避難して欲しいものだ。
それに暴徒たちの、一般人にしか見えない服装も面倒くさい。たぶん詰め寄ってた連中の中にも治療された暴徒が混じってた気がするね。興奮状態ではあるようだけど、気が狂ったような言動は一度気絶したから治ったのだろう、たぶん。頭が冷えたとも言う。
原作シリーズのように分かり易い敵キャラみたいな同一の服装だったら簡単に識別できるのに。
だがそのせいかおかげか、暴徒たちは殺されずに済んでいる、みたい所がある。鉄火場に慣れている大人の探索者間で「一般人と大差無い程度なら本気で殺しにいかないでいい」という共通認識というか暗黙の了解みたいな雰囲気を感じるのだ。まぁ探索者は基本的に幼い頃から一般人には手を出すなって厳しく物理的にも躾られるし、家族は一般人という探索者も多いしね。
しばらくそんなやり取りを繰り返しつつも、順調にトンネル奥へと進めていけている。
そして不快感も時が経つほど増して来ている感じなのは気のせいでも無いだろう。なんなんだこの心をざわつかせる感覚は……。情勢を見るにまったく真逆で順調なのに、化け物の腸の中へと進んで行っているようなそんな感覚。
自分の感覚に違和感を覚えつつも朗報が耳に入ってきた。
どうやら警察や消防・救急といった人達、組織もこちらへ向かって来ているらしく、これでやっと鎮圧の目処も見えてきた感じか。反対車線に伸されて気絶した暴徒全員を収容なんて人数的に難しいだろうしどうすんだろね。放水でもして解散させるのかな?
運転手は運転手でいまだに頭に血が上っていそうな形相で車内マイクも通さずがなり声を響かせ続けている。私は赤の取っ手に魔力を流して攻撃系魔導具の発動を運転手の指示通りに何回かすでにぶっ放し済み。人殺しに忌避感が無いとは言わないがいずれ通る道だと何年も前から覚悟はしていた、とは言ってもこのバスの攻撃系魔導具は非殺傷の暴風爆弾。緊張感も今はもう薄れて、暴徒襲撃と言ってもこんなものかという感じで砲撃自体は肩の力を入れずに行えている。
「そっち抑えて!」「この人も追加です!」「指噛み千切られたんだ!誰か回復薬くれよ!?」「その程度は自分で処置しな!」「メイちゃんそっち持って!」「うん!!」「ああああああ!いやあああ!来ないで!お願いだから!!」「大丈夫です!ここは安全ですよ!!」「包帯にゃ限りがあんだ!探索者以外にゃ回復薬ぶっかけるだけでいいぞ!」
ただ忙しいのはバス内の治療現場。マッキーも空梅ちゃんも、上級生や協力的な一般人達と一緒に次から次へと運ばれて来る患者の応急手当を担当中。時々発狂した人の抑え。そうして応急手当を受けて立てるようになった人の一部が、この場で指示出ししてる運転手に詰め寄ったりするもんだから、まぁ、うん……繰り返される問答と対処。大変そうだなぁっておもいましたまる。
ちなみに一番最初に車を爆散させられた重症者でもバス内に常備してあった回復薬を振りかければ、瀕死から命を取り留めたように伺えた。やっぱり丈夫だなこの世界の人間。回復薬の等級自体は中学のモノより安そうだったけど、装甲車設備である窓下の青の取っ手へ魔力注入し生成される回復薬なので贅沢は言えない。多分、地上の公園周囲にある生成魔導具よりも質が悪いんじゃないかな。それでも毒混じりの粗悪品や最低等級よりはマシ。
マッキーが回復用に整えられる狙属性魔力を使わないのは、そんな回復薬で十分蘇生が叶うのだから必要無いって判断かな。こんな大勢の中で使おうとしたら殴ってでも止めるけどね。もうちょい良い回復薬使えば指くらい生えるし。
そんな事をつらつら考えられるほど時間を持て余していたら疑問の声が隣席から届いた。
「なんだ……?」
探索者が目を凝らすその先を追ってみれば……行き止まり、な筈が無いし、だとすれば暗くなってる?
「あのカーブの先、真っ暗になってねえか?」「魔導灯が全部壊されたんだろ」「あんな真っ黒な壁みたいにはならんだろ」「さっき奥から戻って来た探索者はそんな報告してなかったが」「十数分も経ちゃ情勢なんざいくらでも変わんだろうよ」「あん中突っ込むのはさすがに、なあ」「ああどうすんだろ」
砲撃手間でそんな話が飛び交う間にもどんどん近付き、ついには装甲車集団の先頭車両が真っ暗エリア直前まで進んで停止の声をスピーカー通して辺りに響かせた。そこら中にいる探索者やバスの運転手たちが喧々諤々と言い争っている中で、治療もひと段落ついたのかマッキー達がこちらに来た。
「おうユッキー、今どうなってんだ?」
「目に見える暴徒はほぼ鎮圧完了。ただトンネル奥への道が真っ暗になっててバスの魔導灯も通さない暗闇空間みたい。魔法的な妨害だろうって話で、ここで増援待つか進むかで揉めてるみたいだね。まあもう何人かが突っ込んでったみたいだからその帰りを待つんじゃないかなって所。そっちは?」
「運ばれて来た連中で死者は出なかったぜ」
「言い方よ」
「もうセイちゃん、とりあえずここの皆は安定した呼吸確保が出来てるから大丈夫だよユキちゃん。意識が戻ってない人なんかは絶対安静だけど後は救急隊に任せたら後遺症も無いだろうって元看護士って人が太鼓判押してた」
だから心配しないで、という空梅ちゃんだがその様子を伺えば、どこかほっとひと息つけた感じを見受ける。そりゃそうか、道場稽古で骨折程度の治療くらいは経験してるだろうけど、普通に探校目指してる過程で焼死寸前の人なんか滅多に見ないだろうし。
助けられなかった人も道には疎らながら転がってるし彼女からすればこの状況は精神的にキツそう。反面マッキーは丈夫なようでケロリとして、トンネル奥を睨んでいた。
「にしても、暗闇空間ねぇ。フィールド効果とかリアルじゃ厄介だよなぁ……黒禍とかかね?」
「そんなエグイ魔法使えるならトンネル全体に敷くだけで私ら全滅でしょ。精々、闇精霊の腕あたりじゃない?」
「あ、闇精霊の腕は私も受験勉強で覚えたよ!セイちゃんが言った方は聞き覚え無いけどどんな――」
空梅ちゃんの疑問の最中に、後方地上側からクラクションをけたたましく鳴らしながら近付いてくる装甲警邏車。パトランプからして警察かとも思ったがデカいとはいえ2台だけというのは奇妙な話だ。それに周辺もかなり薄暗い。新月の真夜中という感じでぞわぞわとする。魔導灯が壊されまくってるから仕方無いとはいえ……。
で、警邏車から続々と出て来る警邏服姿の大人たちに加えて、見たくも無かった面々がそこに混じっていた。
赤下黒舌のシタシタコンビにキノコ君たちという、朝に見たチンピラ集団と再会である。何故に警邏車から……シタシタコンビが何かやらかして捕まって護送されてる途中なら降りて来ないだろうし手枷も着けてない。うーむ、よく分からない集団だ。大人たちが身に纏っている警邏服からして公的な警察でも無さそうだし、多分私的護衛官とかその辺りなのだろうけど……。
そんな考察を暢気に考えられるほど今は休憩時間のような待機時間。無線で何やら話し合っていた運転手が悪態を付きながらバス外に出て応対しに行った。他の装甲バスの運転手連中から説明役か交渉役かを押し付けられたようだ。貧乏くじだねぇ、哀れ。
しばらく経つも禿頭運転手のジェスチャーからしてどうやら芳しくないようだが、警邏車からあるひとりが姿を現した時、それまでどこか暢気に流れていた時間にヘドロを塗りたくるようなおぞましい気配がして肌が粟立った。
席から立ち上がり目を見開く。丁度いま警邏車から降りてきたのっぽキノコ、そいつが手に持つケースカバンから得体の知れない不気味で淀んだ熱を感じるのだ。どこかこのトンネル内に満ちる空気と似通った、だがそれとは別種の煮詰めたようなそんな悍ましい気配。
「マッキー、アレ」
「あん?どれの事だよ」
「嘘でしょ?あの今出て来たのっぽキノコが持ってるカバンケース。アレやばくない?」
「いや……普通のカバンケースに見えるがどうヤバイんだ?」
「こう、なんか淀んだ感じがヤバイ。呪われてそうっていうか」
「あー?んー?……メイちゃんはどう?」
「うーん、遠目だし、私には高級そうなカバンとしか」
ふたりの言葉を聞いて首をひねり、もう一度目を細めて注視してみればやはり不気味過ぎる気配。
何か良くない事が起こりそうなそんな嫌な直感にもやもやする。そんな時、シタシタコンビが足早に窓下へと近付いて来た。
「おうマジでユキノお嬢がいるじゃねえか」
「だから言っただろ赤下ア!このボクが見間違うなんてありえないね!」
「ああ?車ん中じゃひとっことも喋らなかった癖に随分調子が戻ったじゃねえか。久しぶりに見たっつう白昼夢はもう過ぎたって事でいいのか?」
「まだだ!まだだが!ンははっ!だが!だがだ!そもそも状況が変わってる!!この場に、蛮族ガールがこの場にいる事それ自体が女神から垂らされた糸に違いない!助かったぞ赤下!やはり僕たちは見捨てられて無かったんだ!ンはは!」
随分とおかしなテンションになっている黒舌の言動に、ピクリと片眉が上がった。夢、夢ねぇ……シタシタコンビに何か特別な原作エピソードあったかな?木端貴族の末端組織でしょうもない犯罪の片棒担いでるってエピソードの記憶しか無い……マッキーを見ても彼女もまた何やら考え込んでいそうで答えは得られそうに無い。
というか、蛮族ガールってのは私の事か?蹴られ足らなかったみたいだね。赤髪の方もお嬢呼びを訂正させよう。朝のマラソンで時々呼ばれる事あるけど私は別に誰にもそんな呼び方を許した覚えは無いぞ。という事で、今はちょうどもやもやを晴らしたい気分だしいっちょシメるか。
窓越しでも彼等はやかましく、話を聞くにしても一発かました後の方が余計な舌も回らないだろう、とチンピラ共にメンチ切りした後「ちょっと黙らせて来る」とマッキー達に伝えてバスの外へと歩き進む。と、バス外まで追って来たマッキー達に左右から腕ずくで止められた。
「待てステイだユッキーステイ」
「意味不明な言動はキモいしとりま蹴った方が早くない?」「マテ」「待って欲しい」
「ユキちゃん気持ちは分かるけど抑えて抑えてー」
赤下の方は気まずそうに頭を掻いているが、黒舌はなぜか自信ありげに肯いている。
「ふっ!侮って貰っては困るな!そんな蹴られる真似などもうしないさ!薄暗い洞穴に咲く一輪の輝く花、それがあなただ可憐なレディ!どうかこの道化を哀れに思うなら悪夢を醒ますような熱烈な口づけを――」
「演劇がしたいなら場違いだド阿呆め。邪魔だ黙れ」
黒舌がいつもの髪を掻き上げるポーズでペラペラと喋っている口を遮るように、のっぽなキノコ君が運転手や護衛連中を後方に従えて、眼鏡を片手で押し上げつつ前に踏み出て来た。それでも変わらず口を開き続ける黒舌はちょっと可笑しい。
「なんで黙ってあげなくちゃいけないんだい?湿り腐り往くキノコはそこらの溝にでも埋まった方がよほど建設的だよ。今からでも瓦礫の下に這いつくばった方がいいんじゃないかい?ほら、キミって臭うからさ。身の程を弁えてちゃ何も出来やしないなんて親父殿に啖呵を切ったとて、それでそこら中にその悪臭振り撒くキミには思う所しかボクにはなぁぁぁいたたたた!?」
キノコリーダーが眼鏡から離した手を流れるように黒舌の頭に持っていき、掴み吊り上げた。
「どうやってお前がその会話を知ったのかは知らんが……まったく父上はどうしてこの様な者達を案内役に指名したんだ。……さて、すまないが説明する余裕は無い。ただキミ達、バスの中にいる者達もだ。確かめて欲しい事がある。暴徒たちの中にこのような遺失物を持った人物を見なかったか?」
そう言ってキノコリーダーが右手で黒舌を投げ捨て、左手に持ち続けている厳重なケース、先程から辺りを汚し蝕むような気配を漂わすその蓋を開ける。ほぼ同時に黒舌が目を剥いて喚きだした。
「嘘だろ?ハァッ!!??バカか!?底抜けにバカなのか!??それをすぐさま開けるなんて!信じられん!テメエ!頭がイカれてナァ!?」「リーダーの邪魔すんじゃないよおおっ」「黒舌ぁ!テメエらア!!」「赤髪の方も取り押さえろ!」「ぐほっ、ぐぅぅ、キサマ!自分が何してるか本当に分かってるのか!?あの悍ましい悪臭はなつ汚物がどういうモノかも知らずに!なぜ開けたあああああ!!」「口もふさいどけ!」「やり過ぎるなよ。そんなのでも長官から指名された案内役だ」
キノコリーダーの後方で何やら寸劇が広げられているがそんな事はどうでもいい。私の視線はケースの中身に引き寄せられた。
カバンケースが開かれた途端に広がった淀み腐った不浄なる汚泥に浮かぶ獣の死体が如き悪臭、ワカメではないがその臭いにまず顔をしかめて鼻を抑える。あまりに臭い。
そこに納まっていたのは、軟体生物の触手のような造形の、ひと目で分かるほど禍々しい気配をまとう悪性魔性の物体。
小指の先程度という大きさからしてただの欠片だろうが、視界に入っただけで厄過ぎて全身が粟立った。こいつこんなの持たされるとか実は一番下っ端か?よく見れば手が震えてるし、脂汗も酷く顔色も悪い。しおしおのっぽキノコだ。
「何そのくっそ厄い代物っ!?」
「厄いのか?ただのキモい小物か何かにしか見えねえが」
「絶対ヤバイってマッキー!見るのも止めたほうがいい!正気度削れるヤツじゃん!!空梅ちゃんも!」「ええ?」
「見なかったか聞いてるんだ、さっさと答えろ!」
「見てない!!」「見てない」「見てません」「見てないなー」「知らね」「見てねー」「持ってたとしてもちっちゃ過ぎて分かんねーだろそのサイズじゃあよ」「お坊ちゃん方よお、今のこの状況分かってんのか?見世物芝居に探し物なんざ後にして重症者地上に運んでくれや」
私達以外にも後方のバスから野次がやいやいと飛ぶ状況だが、そんな事はどうでもいい。
見てたら絶対に記憶にこびりつくタイプの気持ち悪さだろ。というかさっさと仕舞え腐れキノコめっ!
無理矢理閉じさせようかと考え出した頃になってようやく、震える手でうずくまるようにしてケースを閉じたキノコリーダーはすぐさま身を翻し去ろうとしたが、その動きをオブネ君が両手を広げて遮った。
「リーダー!ほほほ、ほんの少しでいいから待って欲しい!そこのワカメ野郎の言葉で思い出した事があるんだ!ねえ雪小路さん!キミたしか浄化適性持ってただろ!?」
ここでご指名とか勘弁して欲しい。他の探索者連中もこっち見てんじゃないよ。
「あるっちゃあるけど、社で学んでもいない私が遺失物に対して何が出来るとも思えない」
確かに【巫女】のジョブを目指していると公言していたがそれは神の恩恵の方であって、社勤めの、職業としての巫女じゃない。
私が勤しんでいたのは専ら魔力の向上、つまり武力であったり、浮遊や飛行を最優先に掲げていた。浄化のようなサブ技能は必要となってから(他ダンジョンへの遠征など)でも遅くは無いからと触りくらいで放置していたのだ。そもそも戦帯を主武装としているとはいえ、本当に【巫女】の恩恵を貰えるかも確証は無かったし、事実【雪酔童子】なんて見た事も聞いた事もない神の恩恵を賜ったのであるからして、社で修行をつけてくれるかさえ謎。
原作シリーズでは仲間にひとりは必須扱いされるほど浄化技能は重要であれど、【巫女】じゃなくても浄化技能自体は覚えられるのでそれで十分という扱いでもあった。逆に言えばPTにひとりいれば十分なのだ、瘴気を祓う浄化という技能は。
ちなみに浄化という名だが、別にゴミが消えたり部屋が綺麗になったり肌がぷるぷるになったりする効果は無い。現世で試した実態は空気が美味しくなる程度である。ふぁっきゅ。
「何でもいい!御幣やお守りがあってもボク達じゃ何も発動しないんだ!効果があるのかさえ分からない!それでもリーダーの様子がおかしい事は分かる!頼む浄化をお願いできないか!リーダーの憔悴具合を少しでも緩和出来たらそれでいいから!お願い、お願いします!!」
「おいオブネ。E組の浄化なんてたかが知れてるって」「急ぐべきかと」「いやほんの少しでも効果があるならむしろ盗まれた遺失物捜索に付いて来て貰った方がいいと思います」「リーダーが耐えれなくなったと判断したら次は僕が持つから今は急ぐべきだろ」「いやそれには及ばない。本来私たちが持つべきものです」
キノコ達の中でも意見が割れているようだ。というか警邏服の大人たちもキノコ君たちの関係者か。それも年若い学生に仕える側の立場と、世知辛いね。
それよりも、リーダーが心配なんだと言うオブネ君の声は久しぶりに理性を感じさせた。もう随分とそんなまともな声聞いて無かったななんて思うし、そんな風に請われたなら、まあやるだけやってみようかなんて気分にもなった。
が、具体的にどうするか。
御幣を借りて神楽舞の真似事でも披露しとく?中学時代に触らせて貰えた御幣の振り方程度は習ったが……浄化適性があると聞いた当時は懐疑的だったのだ。これに関しては解決済みでオブネ君が言った通りの事実であるが、平民クラスでも浄化適性持ちは数人はいる程度でいない事は無い程度の珍しさ。原作知識でならば浄化適性自体は修行で後天的に取得可能だし、現世で言われるほど珍しいわけでも無い。
仕入れて貰った御幣を装備出来るか家で試した所、本当に浄化適性があったらしく御幣のアビリティを起動出来て、周辺の空気が美味しく感じる清浄の波動なんて現象を具現出来はした。梓弓の鳴弦みたいなものかな。だが言ってしまえばその程度。体調の回復、いわんや呪いっぽい症状の浄化なんぞどんだけ段数飛ばした難事だと思ってんだ。社に行って来いやというのが正直な感想。
中学の選択授業で道場の稽古を選ばず、社での稽古を選んでいれば正式に学べる神楽舞といった浄化儀式は教科書やネット動画で見漁った事がある程度。つまり私はこの分野に関して完全に素人なのだ。なんとも無茶振りしてくれると頭を掻いて御幣を借りようかとした所、シタシタコンビがもぞもぞと動き出した。
「ぐぅぅう!!まだだ!まだ夢に見たあの銀髪美女に出会えてさえいないというのにっ、こんな地面の下で朽ち果てるなどあり得ない!!」
「とはいっても黒舌よぉ、こりゃ抜け出すの無理ってもんだぜ。この護衛ども多分トッププロ探索者と同レベル帯だって」
「クソッ、何暢気に寝転がってるっ、お前なら出来る筈だろ赤下ァ!3年前を忘れていないだろう!?あの悪夢だ!それがまた、いや今度のはもっと、もっとヒドイ事になる!いいか、まただ。また瘴気が原因の魔災が起きるんだぞ!寝てる場合じゃないだろうが!!だから、今だ!今、もう繰り返すな。3年前とはボクも違う。変わった。変えたんだ!今なら止められる!なんならボクごとぶっ飛ばしていい。そこで寝ているだけのお前程度にぶっ飛ばされる気も無いがね!お前はどうだ赤下ア!ああ!また脅え縮こまるだけでいいのかテメエエ!!」
「……はっ、そうかよ。ああ、ああそうかよクソが。じゃあ、しょうがねえよなあ!どうなっても知らねえ!処罰なんざクソ食らえ!!ぉぉおおおお【燃え憑き狂え炎の猪獣】ァア!!キノコどもヲブットバセエエエ!!」
その言之葉を叫んだ赤下はふたまわり体格が膨れ上がったように全身の筋肉が盛り上がり拘束していた警邏服の大人達を弾き飛ばした。次いで魔力が炎の熱となって辺りに吹き散らす。突然の熱波にこのバス近く以外の探索者連中もなんだなんだと騒ぎ出した。
「そう、今だ……今なのだな!女神よ!愚昧なるボクでも踏み出せると、どうか御照覧あれぇえ!!キィェェエエエエエ!!!!」
そこで黒舌を押さえていた男達も赤下の変貌と暴れに気を取られたのか、隙を見て自力でなりふり構わず服を蛇のように脱ぎ、抜け殻のようにして拘束を抜け出した黒舌が、奇声を上げながらキノコリーダーが持っていたカバンを蹴り飛ばした。赤下への発言とかどこまで陽動だったのだろう。「おおう」と思わず感心して声が漏れた。
「はぁ!!??」「何しとんだキサマらァア!!」
「節穴キノコどもこそ黙るがいい!!一度でも開けたらもう時間ぐほっ、このクソどもっ!絶対に許さん!が!鈴を!蛮族ガール!いや初心なる巫女姫よ!鈴を!どうか鈴を振ってくれたまえ!早く!今すぐに!鈴の音で早く浄化をぉおおおおおお!!」
間に合わなくなるぞぉと殴られながらも叫ぶワカメ。
鈴って神楽鈴の事しか無いわな、とマッキーを見たら私と同じ考えを確信したような顔で肯き、次いで落ちたカバンケースを睨みつけた。
うん、鈴の事なんて知る筈も無い黒舌の言動は、未来視や予知夢の類を見れる技能持ちだと連想させる。それがこんなに焦っているなら、放置するときっと碌なことにならない。彼等は低レベルだろうし、警邏服の大人たちに殴られてもうすでに鎮圧されかけている。まぁそんなシタシタコンビは、放置。彼等が発狂済みで発言が狂言だったとしても、見様見真似の浄化儀式をして悪い事にはならないだろう。
貰ったばかりの神楽鈴が入った桐箱を急いで鞄から取り出す。
ほぼ同時に、辺りに嫌に耳にこびり着くように響く粘着質な音。ぬちゃりにちゃりぎゅちゅちゅと粘つき鳴るソレは這い回るような音を皮切りに、茶褐色の濁った色の筋をカバン表面に這わせ始めてうごめき出し――
――濁りに濁ったヘドロを煮凝らせたような黒角膜に血走った赤目玉がぎょろりと生えた
オブネ君をどけようとしていたキノコリーダーや、赤下や黒舌を殴り取り押さえようとしている連中もその生理的嫌悪感をもよおす嗤い声のような濁音に動きを止めた。
それまでの喧噪が一斉に鳴り止むほどの異常。
暗闇空間前に陣取る探索者連中さえ後方のこちらへと振り返るほどの、頭に直接伝えられる不快音に加えた圧迫感。
誰も彼もが独りでにぐにゃりぐにゃりとうごめき変貌途中のカバンに目を遣る中で、私は桐箱の蓋を開け神楽鈴に手で触れ魔力を通すと、こちらを気遣うように魔力が吸い込まれていく感触。この鈴自体に意思があるかのような変な感触であるが、装備に必要な魔力がこの程度なら問題無し。少しずつ魔力を吸うような動きに苛立ちこちらから魔力を流し叩き込めば、神楽鈴がようやく起きたように応えてくれた。寝坊助め。その事に安堵しつつ桐箱から取り出す。
――シャラララ……
その手に取った身動ぎで響いた雑な音だけで、この辺りが幾分か息がしやすくなった気がする。
うん、これなら大丈夫そう
遠くに落ちて汚濁音を響かせうごめき続けている目玉カバンを睨みつけ、昔に少し習った御幣で悪邪不浄を祓うように、シャンシャンと軽く二度三度左右に素振り。その際、最初の素振りにのみ粉雪が舞うように銀色に輝く粒子が飛び散り舞った。ふむ、再使用待機時間がある系の魔導具っぽい挙動である。注射針に液体を補充するように私の魔力が満たされないと粉雪が舞わないのだろう。ただ、今は何より不浄の気配を注視。
ケースから滲み漂っていた気配も、この清浄なる鈴の音を嫌がるように震えた様子を見せて確信。効果あるわコレ。
ギョロリと生えた目玉もこちらへと視線を合わせ、嫌そうにしかめた。キミ、目ん玉ひとつなのに意外と感情が分かり易いね。
厄過ぎておぞましいと感じたあの遺失物も、この神楽鈴の頼り甲斐ある力の音が背中を支えてくれるようで、ふふっと笑えるほどに余裕を持てた。
それならばと、魔力を全力で神楽鈴に回してシャンと鳴らし続ける――
問答無用で浄化の時間だコラァ!
フッと鋭く息を吐き、タンッと爪先で床を打ち、跳躍して神楽鈴を振りかざし呆けたように立ちつくすキノコリーダーの真横で打ち下ろす壱之音。悪邪を断つように思い切り盛大に鈴の音を打ち鳴らした。その鈴の音に追随するかのように光が広がる清浄の波動にビクリと震えた彼は放置で、くるりとまた身を一回転させ再度天頂から振り降ろす弐之音、でさらに目玉カバンへと一歩踏み近付き、再度回り舞って腕を引き絞ってから元凶であるカバンを刺し穿つように突く参之音でもう一歩。
ひとつの音を打ち鳴らす度に視覚的にも銀光が満ちていくように広がり祓う浄化の儀式である神楽舞、その簡易ばーじょんの三鳴三歩、さらに言えばこの仕草様式そのものがネットで見た動画の見様見真似という体たらく。それでも効果は目に見えるほど分かる。
ふふん、こりゃ楽勝かあ?
にしても御幣じゃこんな光を伴う現象なんて起きなかったしやっぱこの神楽鈴が凄い代物なんだろうね。原作ゲームにこんな範囲浄化できる便利アイテムなんて無かったから助かるね。浄化なんてPTメンが受けた呪いを祓う時に使えれば良かったからそんな必要が無かったという事情は置いといて。
三鳴三歩が見様見真似に過ぎないのは私が正式に習ってないからだ。それで巫女巫女言ってたのでマッキーからは若干呆れられていた。
まあ何にしても、巫女装束でも無く制服姿だろうが、この身が汗埃に汚れていようが、正式な禊作法を踏襲していなかろうが、浄化舞や祝詞の類は動画で見て真似した事がある程度の私でも、効果があるならそれでヨシ!私の中の現場ネコもグッドサインだ!
「いってぇ!?」「何だ!?」「魔物だ!!」「いつの間に!?」「陣を崩すな!」「どっから出て来やがった!?」「暗がりから出てきてんぞ!」「足!お前足かじられてんぞ!!」「いってえええ!!ざけんなクソ雑魚魔物があ!!」「うおっぉぉおお!?なんで気付かなかったおれぇぇえぇ!?」「腐泥の魔物だ!灯りを絶やすな!」「浄化灯なんざ今持ってねえっつの!!」「精神汚染だ!侵食されてるぞ!!退け退け!一旦下がれ!」「後方のバスまで下がれ!!浄化光域だ!浄化光で満ちてる!」「呆けてるヤツらを後方のあそこまで投げ飛ばせ!浄化光の範囲に入れれば正気に戻る!!」
「……ギリギリ、間に合ったか?」「アア、オイモウ離セ護衛ドモ。っツーかオレ等に構うヨリ先にヤル事アんダろテメエら」「髪色が違うが、やはり彼女だったか。合っていて、ほんとうに、良かった……赤下、紺髪の巫女を、ユキノお嬢を護衛するぞ。神楽中は無防備になるんだ。死んでも護れ」「ヘイヘイ。ンジャもやしワカメはバスん中にデモ引っ込んデロヨ。今のオレハ最強だゼ」「バカ言うな。僕が体を張らなきゃ惚れて貰えないだろ。それに最強と言うならそこらのに伸されるんじゃない」「クハッそリャソウだ。今は気分良いカラ指示ニモ従っテヤルヨ。あノ腐レはオレも気に入ラネエシナ」
「リーダー大丈夫?」「ああ……戦闘態勢を取れ!巫女を最優先に守護の陣を組め!!浄化の進路を妨げさせるな!」「「「「了解!!」」」
「メイちゃんはバスん中に戻った方がいいぜ」「セイちゃんは?」「ユッキーが浄化に集中してる今、オレがユッキー護らなきゃな。あんなキノコ達だけに任せておけっかよ」「じゃあ私はそんなふたりを護る―ーには力不足だけど助力するよ。これでも援護には自信があるんだ」
くるくると回りながら鳴らし続けていれば耳に入って来る音。ただの雑音としてスルー。一つ鳴らしてまた一歩。
内心で言葉を垂れ流して正気度チェックを常に行いつつ、目玉と目を合わせ鈴を鳴らしてまた一歩。おうおう焦ってんねと目玉に口角上げて笑い掛ける。
そう、余裕だ。心にゆとりを持つのは浄化に必要な心構え。巫女動画でそう言ってた。信じるから信じてるから私にゆとりを、と願いつつ言い聞かせて一鳴一歩。なんか目玉周辺の瘴気の色濃くなってない?いやいや、気のせいだ気のせい。気のせいか?分からんとりあえず浄化だ。
何にしても、神楽舞を繰り返して近付く他無いのだから。
今まで見て来た動画やテレビやら何やらでも、瘴気とやらは画面越しでは見て取れなかった。話に伝え聞く程度だった瘴気という概念がある事は知識として既知であったものの、直接相対すれば厄介なんてもんじゃない。息を吸うどころか、その場にいる、ただそれだけで全身を侵食されるような不快感があるのだから。そしてその不快感が瘴気によるものだと気付くまで、自身の不調原因を察せなかった事に肝が冷えた。
魂を汚すという瘴気汚染を浄化する為の方法、お勉強知識はある。前提としてまず周囲の環境が清められている事を確認。うん、周辺環境ぐちゃぐちゃに汚染されとるわ。ふぁっきゅ。なのでとりあえず汚染領域の掃除から始めなきゃという事で、ただこれは神楽鈴のおかげでどうにか出来そうである。
が、瘴気汚染の根源がある場合はいくら浄化しようと再度汚染されてしまうので、滅却もしくは封印しなければその場の完全な浄化は不可能という話。社に通っていないので当然ながら滅却も封印も結界などによる隔離もどの方法も具体的にどうしたらいいかなんて何も知らん。謎。原作ゲームだとコマンドを選択するだけだし原作アニメとかだと何人もの巫女が御幣を振ってたシーンがあったが、具体的に私ひとりでどうすんのって話。ふぁっきゅ。とりあえず近付いて鈴で殴り砕くのを目標に動くしか無い。ふぁっきゅ。
中学で浄化適性持ちを集めた授業で教わった事は、瘴気の根源の扱いについて。社にて浄化儀式を執り行う必要があり、根源を見つけた場合は封印もしくは撤退し報告する事が浄化適性持ちには義務付けられている。
ここから撤退したとして……多分逃げてる途中で正気を失う。そんな確信がある。気のせいじゃなく、どんどん瘴気の色が濃くなってるし私の浄化がやや優勢くらいにまで押し返されている。さっきまでイケイケドンドンと瘴気を祓えていたのに。
圧が、圧が強まってる。この目玉カバン、もしかして……これで目覚めたてとか寝惚け眼とかそういう感じ?目だけに。
瘴気の波に強弱緩急があるものの確実にきつくなって来ている。どうも目玉が宿っているカバンが無機物なせいか殺意とかそういうのを感じにくい。ただの魔物相手なら噛みついて来るような害意殺意を振り撒くし分かり易いんだけどね……
そして私もこの神楽鈴に触れるまで気付けなかったが、トンネル内に満ちる空気というか空間そのものが汚されていくのが肌感覚として分かる。洒落にならん。薄暗さも魔導灯が壊されたせいだけじゃなく、蔓延していく瘴気のせいだこれ。
瘴気か……。今振り返れば色々と気付ける兆候はあった。神の恩恵が低いとそれだけで瘴気に抵抗出来ず精神に異常を来すなんて事はずっと知っていた筈なのに。それこそ明確に異常なデモ達の様子を見れていたのに――。
――シャン。
ああ、違う。マイナス方向の気分も思考も反省もポイっと捨てる。今じゃない。
幸いながら、汚染領域の浄化は進んでいる。私の力というより神楽鈴が持つ力におんぶに抱っこ状態だが効果は目に見えて分かるほど薄暗さが払われるので分かり易い。銀光のなんと頼もしい事か。
それに反して目玉カバンよ。黒舌が言ってたようにどんだけコイツは悪臭を溜め込んでいるのだ。まさに生ごみをぎゅうぎゅうに詰めたゴミ袋。そんな淀み腐った臭いも生臭い熱も、浄化の音は銀光と共に打ち祓ってくれる。わはは、内心で笑いつつまた鈴を鳴らすと――
意識の隙間に飛んできた瘴気で固められた触手。半透明のヘドロの塊。――あ、コレ、躱せないや
糞尿袋をぶつけられる程度で済む感じの熱量でも無い。頭部が爆散しそうな予感で歯を噛み締めたが、当たる直前で後方から飛んできた光弾が弾き飛ばしてくれた。光の尾をたなびかせたその光弾は陽の香りを残り香にする親しい気配。グッジョブマッキー!
触手の残滓も、次いで飛んできた鏑矢が音波防壁のように私の前に展開されて飛沫すら掛かる事無し!こっちは空梅さんかな?
あはあ↑なんともお見事!
振り返ってグッジョブと親指立てたい気持ちが溢れるがそんな余裕も無い。
くるりと回転して再度神楽鈴を頭上へ掲げ、降り降ろす。
涼やかな音と共にぶわりと光が拡がり周囲の瘴気が晴れるも、鈴の音の余韻が消える頃には周囲にまた瘴気が溢れるくらいに満ちる。
一進一退。なんだか突然瘴気生成速度が上がってやしないかい目玉くん。今までの上昇幅じゃない。ちょっと洒落にならんかもと頬を伝う汗を感じ取りつつチラリと前方を睨めば、こちらを見ていやらしく歪める眼球とコンニチハ。オハヨウ?なんとも感情豊かであるがこれからキミ潰すからヨロシクどうぞブチのめす、と口角を上げる。メンチ切りにゃ一家言あんぞコラ。
三鳴三歩、この神楽舞の動きは止めない。もっと早いテンポで鳴らし続けたいが、律を乱せば食い破られると頭の奥で警鐘が鳴っている。
未熟な私のぶっつけ本番ではこの神楽鈴のポテンシャルをきちんと引き出せていないのだろう。
――シャン。
それでも、進める。
であれば、問題無し。腐り淀んだ異臭がする瘴気の波を清め掻き分けまた一歩。
地道に、ひとつ鳴らして汚染を祓いてまた一歩。ただひたすら繰り返すのみ。
近付くたびに、時間が経つ毎に急激に手数を増やしていく目玉カバン。
嵐のように打ち付けて来る触手鞭に、キノコ達も前に出ては撥ね飛ばされ
打ち出される瘴気の汚泥弾は、背後からの光弾や防壁が相殺してくれるも、次第に間に合わなくなって来た。
封印されたまま、寝惚けたままでいてくれれば良かったのにと内心で愚痴りつつも制服や魔導具へ回していた魔力を神楽鈴へと回す。私の魔力をバカ食いするこの神楽鈴が壊れるかも、なんて心配していたら浄化の防波堤が決壊してしまうだろう。
それでも、圧されてる……余剰魔力を注ぎ足した所で焼石に水と嗤うかのように、もうすでに、瘴気の圧が半端無い。
届くか?いや、ムリ、まだ残りの距離的に十歩以上もある。この距離はそのまま彼我の力量差だ。だが無理だとしても引き返す選択も無い。せめてマッキー達だけでも逃げてくれればいいんだが……
怯懦では無く、現状を見て感じる単なる事実としてもう汚染速度と浄化速度では、負けている。目玉の方が一枚も二枚も上手なようだ。
こんな短時間で劣勢へと陥っているが、私はこれでも全力全開で魔力を神楽鈴へと注いでいる。身体強化や防御に回す魔力も全てだ。全て神楽鈴に回している。
そうしなければもう目玉の瘴気生成速度に追いつけないないからだし、それは正しい筈。瘴気に塗れては浄化儀式の効果も減る。そして、この瘴気の波に、溢れる瘴気の泥底に沈まされてしまったらもう誰も這い上がる事叶わないだろう。
神楽鈴を降り降ろすまでの一瞬。
その一瞬に光弾の弾幕を抜け、音波防壁を貫いた触手が迫って来た。
手数が足りない。攻めは出来ず、守り一辺倒という状況。こうなるのもむべなるかな、などと諦めるつもりも無いがどうする事も出来ない。
クソがッ
せめて最後まで睨みつけると歯軋りすれば、誰かの背が割り込んで来た。
血だらけの警邏服。手に持つ武器は半ばで折れている。
名前も知らない大人が我が身を盾にして私の代わりに抉られ貫かれるも矛先を逸らし飛ばされた。次いで刀を持った者がその触手を斬り飛ばす。
光弾だけでは足りない。音波防壁では防げない。その身を捧げてようやくイーブンか。ふざけんなよクソが。
また寄せて来た瘴気の波はこちらの呼吸を乱そうと充満するも、彼の背があった影を踏むようにまた一歩。一鳴。瘴気を打ち祓う。
叫び声は誰の声か。呻き声は誰のものか。
見知った影が、震えるほど怖くてもそれでも、と私に背を見せ、見知らぬ影が巫女の盾になれるなら本望だと笑い、毅然と金色をなびかせた影はオレの番をとばすなと、汚泥を遮る。飛び来る触手や汚泥弾を、腕を足を体を犠牲に防いでくれた。
覚悟ガン決まりかよ。歩みを止めれない理由が増えた。血泥に塗れようが、浄化を果たす。
ああ、絶対に許さん
もっとだ。もっと魔力を。絞り出せ私の魂っ!
誰かの血が頬に掛かるたびに沸き立つ熱。
誰かの肉が飛び散るたびに煮えくり返る熱。
そんな私の怒りの感情が切っ掛けだったのか。魂を焦がすように熱く浮かび上がる言の葉を口に乗せ紡ぎ踏み出す。
「降れよ舞えよ 白銀浄雪」
――シャン。何度と繰り返した打ち下ろしの壱の音。しかしてこの一音は今までとは比較にならない強い輝きを放った。
一音一句ごとに全身から吹き荒れる銀光粒子。私を囲もうとする瘴気の渦を切り裂くように吹雪かせる。
血泥で汚れた私の紺髪も自身から吹き荒れる吹雪によってはためく中で、色が変じていき白銀へと輝き穢れの一切を雪ぎ祓った。
打ち祓った瘴気の波、その押し引きの隙間を縫ってヘドロ触腕が投槍のように瓦礫を貫き火花を散らしながら迫って来る。
死の予感。それでも止まれない。周りがどうにかしてくれることを祈って沸騰しそうな熱で腕を身を焦がしながら神楽鈴へ魔力を叩きつけ続ける。
「積もりて焦がせ 汝が赫怒」
――シャン。くるりと回って天頂から打ち下ろす弐の音。
次々と振るわれて来るヘドロ触腕が不可視の何かに斬り飛ばされる。怒り一心で振るった神楽鈴、その先に見える半透明の刃。
その刃はこちらに背を向ける大人を傷ひとつ付けずに通り抜けて触腕を切り伏せた。
周囲が一瞬驚く熱を感じ取るも、護りの陣に欠けは無し。私はただひたすらに怒りの魔力《熱》を巡らし浄化に専心。
「月の盃 陽の雫」
神楽鈴が持つアビリティが起動したのか、魂宣の影響か。神楽鈴の先に現出していた刀身が半透明に輝く。大太刀よりも長大であるが、重さがまったく無い輝く銀刃。
そこで横から飛んできた瘴気の触腕を、複数人がその身を呈して防ぎ吹き飛ばされるも、私の歩みに支障無し。遂に目玉の全貌を眼前に捉えた。
ここに来てさらに増大した触手の群れ。
伸びて来る触腕の槍は音を置き去りにするような速度。
神楽鈴から刃が出なければもう一歩必要だった。だがそうでは無い。もうすでにこの長大な刀身による刃圏内にキサマはいる。
ようやく捉えたぞ害悪目玉め
「宵の太天にて 天雪に鎮め!!」
怒りに荒立つ心をそのままに、嵐の隙間を泳ぐように腕を引き絞り、撃ち出すように銀刃を突き出す。
それはこちらを貫かんとした触腕を砕き祓い、直進し目玉の中心へと突き立つ
――参の音。終の音
一筋の銀光が闇を突き刺し貫き、光を曳いて奥の暗闇さえ眩く照らし出した。燐光を放つ粉雪が飛び交い、時にはまとまり、それは小さな銀華となって、咲き誇るように次々と花開いていき煌びやかに泥闇を払う。
次いで鈴音ともに浄化域が広がり拡散していく最中、いつまでも響いていた汚濁汚辱の音がピタリと消えている事を察知。
辺りは人の息遣いが聞こえるのみで、まるで時が止まったように場が静かだ。
銀刃は遺失物を確かに刺し貫いた感触を私に伝えているし、目玉の中心を居抜くと同時に、ピタリと時が凍ったように化け物の動きも止まった。それはもう操り人形の糸が切れたようにプツンと止まっている。
私の眼前数センチという所に在る触手棘、心臓も喉も至る所を狙われていたようだが凍り付いたように停止。
何本も目玉から生え伸びた多蛇頭の如きヘドロ触腕の群れは石化したように完全に沈黙。
……ズキリと傷む感覚からして足と脇腹は刺し貫かれているが、この程度で怯んでいては部長に嗤われてしまう。
瓦礫の隙間、いや地中から伸ばして来たのかな。でもまぁそこから体内へと伸ばされる事も無く完全に停止してる。
致命傷には程遠いが、一瞬遅れていれば分からなかった。ギリギリ紙一重。相打ちでも無く、私が競り勝った。
ヘドロ触腕各種も静止状態から、次々と力なく垂れさがっていき微光を放ちながら散っていく。当然足や脇腹に突き刺さっていた触腕も消え去って、血が噴き出すのも分かるが、この程度で倒れるわけも無し。
――法境超えし獣が臭い、其の泥根に纏う汚臭汚濁は許し難し。さあ、妾の使徒よ。折伏せしめよ
魂から響いて来た月読さまの声に、是と返す。
脳裏に木霊する月読さまの言葉が響くほどに、私を中心に吹雪く冷気が螺旋を描いて銀刀へと巻き付いていく。
目玉から半透明の銀刀を引き抜き、血を垂れ流しながらも姿勢を正し、地の底から月を戴くように神楽鈴を両手に持ち頭上へ振りかざす。
流れる血も冷気に呼応するように向きを変えて、全身に幾何学模様の術式を描きつつ足から腰・肩を回り、腕と手を這い進み、神楽鈴を通して銀刀へと理解が及ばぬ文様を描き湛えた。
ふわりとたなびいた私の髪が雪に染まったような清らかな銀色湛えて揺らめく中に、黄金の光が一筋。
さあ引導を渡そうか。遺言は聞かない。口も無ければ目玉のみの怪異へ終の言葉で結ぼう。シャラリと鳴った音は簪の音か鈴の音か、重なり共鳴す――
「「月華浄雪」」
――境獣断ち
両手剣の型稽古通りの唐竹割りを巨獣断ち、別名で凶獣断ちとある。私が道場にて学んできた対魔戦闘は切り結んだり鍔迫り合いなどを極力起こさせない動き、一撃離脱が基本理念の対大型種の闘技。道場で最初に習う対魔戦闘基礎の型である巨獣断ちは、魔物との戦いにおいてもっとも技能として登録されやすいと聞くが一向に私にはその気配が無かった。上段から振り降ろす巨獣断ちは対多数において使いにくいので横薙ぎである一閃の型を愛用していたし、そも原作ゲームのような閃きシステムでの習得・技能登録などこの現実であり得るか半信半疑であったしで、仮に最初に登録されるモノがあれば浮遊や飛行を願っていたくらいだ。
技能として会得したと神々が認めれば魂に名付けと共に、筋肉や重心の動き・魔力の制御や流入量といったその記憶が刻まれる。
今、そんな事象が発生したようだ。境獣断ち、と。
腕を振り切った残身にて、呆けたように動かなかった目玉カバンを真っ二つに断ち割った達成感を噛み締める。
断ち割られたカバンが割り飛ぶ最中、半眼となった邪悪なる目玉が意識を取り戻すも、悔しそうにその姿を歪めたまま宙に粒子を散らせながら消え去りいく。
そして連なる神楽鈴の全てが自ら打ち鳴らし続ける酷く喧しい音の洪水。
辺りも音に連鎖するように銀光に満たされているが、閃光弾のように目を焼くような暴力的なものでは無く包まれるような銀の世界。
次いで刃が弾けて銀光の雪崩と化して周辺へと拡がり流れた。清浄なる光が辺りの瘴気を鎮め押し流し清め行く。
その流れの中には所々に月華を思わせる輝く粒子も乗り飛び散り、暗闇空間さえもその花弁が触れた途端に形を崩し、幕が開けるようにその場を清浄域に譲った。
――くふっ、獣の端とはいえ首級刈り取る雪灯の清、まこと艶やかであった。褒めて遣わす
朦朧とする頭の中で玲瓏な福音が鳴り響き、かの美を湛える御方が微笑んだ姿を白銀の中に幻視した。
浄光が満ち、至る所で歓声が轟き響く地下と地上の境にて。




