ツイてるかついてないか
「あら、いらっしゃい。どうだった?」
また事もなげにそう言ってきた母親に、ただ何も言うことが出来ず背中を叩いた。どういう感情の発露かは自分自身わからないままに。それの仕返しと言わんばかりに、ごすりと脳天を小突かれながら、ようやくこの困惑を言語化する準備が整う。
「…母さん知ってたの?」
「うん。可愛くなったわね、しーちゃん。元々可愛らしい子だったけど。あんたもああなれば良かったのに」
「無茶言うなよ!というかまだ色々訳がわかってないっていうか…あの、ちんちくりんが、シオンがあんな…ええ…?」
元々、線が細くはあった。めそめそと、女々しいと思う事もままあった。だから逆に本当は女だった、だけならばまだ理解はできたのだ。大人になって、ああまで美人になって、と。それで終わりのはずだった。
だけれどそれでいて当人は自分を男だと言った。まあ言われればそれはそうだろう。いくら小学生の頃だろうと性別を間違えるなんてのはリアリティがあることではない。
そう考えてから、ああいや、違うか、と思い直す。なぜならもっとリアリティの無い事態が先程目の前で起こったのだ。成長し第二性徴も終えたであろう男性があのような姿で現れたのだから。
その寒さから頬を赤くして、こっちを潤んだ目で見つめた、あの…
「ぐああ駄目だ頭がおかしくなる」
思い出しても、まだ狂いそうだった。
美女、としか言いようがない見た目だったのだ。確かに声は少しハスキーだ。そう言われれば、髪だってロングではない。勝手に勘違いしただけと言われればまあそうではあるのだけれど。
「はぁー…次会う時どんな顔したもんか…」
「?」
こうも短いスパンで、何を言っているんだ、という顔をした母を見る事はあるだろうか。いや、むしろこの顔は何を言っているんだ、ではない。なんだこいつ、というもっと冷ややかなものだ。
「えっ、今回はそんなおかしい事言ってなくない?」
「あんた後ろ見てみなさい」
「…お、お邪魔してまーす…」
そこで、控えめに気まずそうにそう声を出していたのは、つい先までその心を惑わせていた人物。汐音は、おずおずと、その、見た目から想像するよりかは少し低い声を、固い笑みと共に出していた。
「……?……あれ!?付いてきてる!?」
「えっと…なんだかごめんね。確かに、着いてっていいか聞いても、うわの空だったけど…まさか気付いてなかったとは思ってなくて」
「いいのよしーちゃん、そこのバカが悪いんだから」
「あ、ご無沙汰してますおばさん。
これ前美味しかったジャムです。よければ」
「あらどうも」
気がつけば自分よりも馴染んでいるシオン。そんな風に招かれてる様子を、ああ、前からちょこちょこ顔を出してはいたのかななんてどこか他人事のように見ていた。
それじゃ私ちょっと買い物にでも行ってこようかしら、なんて白々しく言って、にやっとこっちを見てからそのまま扉を開けてせかせかと出て行った母を尻目に、二人はそうして同じ炬燵の中に入った。
少しの間の沈黙。から、会話が始まる。
「…改めて、久しぶり。カイにぃ。
ずっとこうやって、また話をしたかった」
「大袈裟だな。それとカイにぃ、なんて呼び方やめてくれ。カイリ。海莉って呼び捨てでいいよ」
「嫌だよ。僕にとっちゃ、カイにぃはカイにぃ。
僕に取っては、ずっとアニキのままなんだ」
「…ま、そっちが呼びたいならいいけどさ」
海莉は、そうして諦めたように笑う。子どもの時のままの呼び方で呼ばれる事の、むずがゆさと、ただそのままで呼ばせてほしいというまっすぐな好意は、しかしまだ嬉しいと思えてしまう。
「こっちも久しぶりに会えて嬉しいよ。
…しかしお前、随分と…」
「随分と…なに?」
「いやあ。可愛くなったなって」
「なにそれ」
おっと、失礼だったかもしれないと口をつぐむ。女性相手なら常套句であるかもしれないが、これを口走った相手は男だ。ならばそれは、むしろ女々しいと言っているようなものなのかも、と。
「当然でしょ!
僕はそこらの子よりずっと可愛いもの!」
「あ、そういう感じなんだ」
胸に手を当て、ふんすと鼻を鳴らす姿を見て、まあこれも喜んでいるならいいかと納得をする。いまいちわからないままではあるが、別にまあ、わからなくてもいいのかもしれない。
目の前にいるのはシオンだ。あの時のままかもしれないし、そうでもないかもしれないが、シオンである事には間違いはないのだから。
価値観とか、可愛いとか、そういうのを除いて。
「なぁんだ、お前。あの時のままだ」
胸を張る姿や、人懐こく近づいてくる姿に、その喋り方。そして何やらたまに頑固。びっくりするくらい、記憶の中のままで。
あの場でシオンにもう一度逢えてよかった。
そう思う。
そうだ。ただ連絡もなく、二度と接点がないままだった、ただの小さな時の縁が再び繋がったというのは、それだけで運のいいことだ。
非常に、ツイていることだ。相手からするとどうかわからないが。
「失望させちゃった?」
「違うよ、安心した」
「そっか。僕も、同じ」
よいしょ、と横に座り直したシオン。炬燵で、隣に詰めて座るくらいなら、普通の距離感なのだろうか。きっと、そうかもしれない。
男友達との距離感など、正直いまいちわからないから。
「僕も安心した。すごく久しぶりに会って、全然変わってたら、同じように喋れるかなって怖かった。でも、カイにぃはカイにぃのまんまだ」
そうして、にっ、と笑う。
その笑顔は、それだけは男児のそれのままのよう。
無邪気で快活なまま。
「あの時のまま、ずっとかっこいいよ。僕の憧れだ」
…
……
『しおん、しおーん!
こっち来いよ、早く!』
『ま、待って、待ってったら!』
『足おっせえなぁ、そんなんだと置いてくぞ?』
カイリは先を走り、それを必死に追いかける。ガキ大将のそれのような行動を、ただお互いが楽しくてやっていた。
目的があってというより、ただそれをやる事だけが。
シオンは折り紙やあやとりなど、女の子が好きになるような遊びが好きで、カイリは走り回ったりチャンバラだのが好きだった。
だけれどそれでも、二人の時ならカイリは不器用にくしゃくしゃになった折り紙をやっていたし、二人の時ならシオンは、カイリとともに自転車やその足で道路を走り回った。
『…だいじょうぶか?無理してないか』
『無理?僕が?してないよ!
僕さ、カイにぃと一緒にいられるのが嬉しいんだ!』
『ふふん、そっか?だろ?
よーし、休憩終わり!さあ、アニキに着いてこい!』
『わっ、わわ、やっぱり待って!』
そうだ、あの時からそうだった。
人懐こくて、子犬のようなその様子は。
今になっても、ぜんぜん変わっていない。
『カイにぃは、すごいなあ。
前向きで、かっこよくて、男っぽくて』
『僕もそんな風になりたい!』
…
……
「んが…」
気がつけば日は落ち、17時を知らせるベルが鳴る。
17時、子どもが帰る時間帯であり、夢の追憶から戻される時間。
気がつけば、炬燵で寝てしまっていたよう。
カイリは軽く痛む頭を抑えながら立ち上がる。
その、横で。シオンもすう、すうと寝息を立てていた。
(…アニキ、か。
まだカイにぃだなんて呼んでくれるんだもんなぁ)
ずっとかっこいいままだ、と。言われた喜び。自分はそんなに大した人間ではないと。その信頼への怯え。
どちらも、大したものではないと首を振るう。
考える代わりに、寝たままの幼馴染の、ひとまず肩にまで毛布をかける。あまり身体には良くないが、まあ身体を冷やすよりかはいいかと。
「…ん…ごめん、寝ちゃったみたい」
「……」
ちょうど起きたシオンを、カイリはしばらくじっと見つめる。髪をかきあげる所作、眠気に潤んだ目、あくびの動き、さまざまな所を、ただじっと。
「……?な、なに?なんか変かな」
「なあシオン」
「うん…?」
「やっぱりお前、本当はついてなかったりしない?」
「ついてるよ!男だよ!」
可愛い、は言われても喜ぶのに、女なんじゃないか、男じゃないんじゃないか、と言うと怒る。ううむ。
よくわからない。
どうにも、頭がおかしくなりそうだ。




