第四章 其の五
「康介、受身を取れ!」
「!?」
ジャックの声が耳を貫いた。
腕輪とコロナに見惚れていた康介が我に返ったのは、地面が目の前に迫って来た時であった。受身の取りかたなど知らない康介は、咄嗟に目をつむる。
しかし、予想した衝撃に代わり、康介は急に身体が軽くなるのを感じた。
目を開けると、華奢な白い腕のコロナに抱きかかえられていた。
「コロナ!?」
「たく。本来、お姫様抱っこは男がするものでしょう?」
コロナはぼやくと、「それにしても、重い」などと不平をいいながら、康介を降ろした。
「バカな。何故お前が動ける?そうか、今のは『契約の腕輪』だな」
「ピンポーン、御名答」
警戒し始めるグレーターデーモンに、コロナの口調は平常時の少しおどけたそれと変わらない。そこには、幾許かの余裕すら見て取れた。
「康介、私の後ろに隠れていなさい。それから、チャンネルを閉じたら殺すわよ」
振り返ったコロナの眼は金色から紅に染まっていた。軽い興奮状態であった。
コクコクと頷く康介に、宜しいとばかりに微笑むと、コロナは再び目の前の敵を睨む。
「さて、第二ラウンドといきましょうか」
コロナの全身からは紅蓮の焔が迸る。猛る熱風を放射し、先程グレーターデーモンに叩き込んだ炎よりも一回りも二回りも大きい。しかし、コロナは見事に御し、咆哮を上げる猛獣を右手に手懐ける。
コロナが走る。今の彼女には姑息な算段など一切不要であった。コロナ自身、右手に巻きつけた灼熱の焔は先程の数段上であることが分かる。改めて『契約の腕輪』の力を実感する。己の力を信じ、駆け引きなしでグレーターデーモンに真正面から立ち向う。
先程を遙かに凌駕する焔を見て、グレーターデーモンはコロナを敵とはっきり認識した。凝集させた焔は、赤々と燃えるに止まらず、青白い光すら放っている。温度は摂氏数千度を軽く越えているだろう。測りかねるコロナの底に、グレーターデーモンの原初の戦闘本能が警告を鳴らす。
今まで後手に徹して来たグレーターデーモンが、初めて先手を撃った。大きく息を吸い込むと、口から凍える吹雪を吐き出した。無数の氷の飛礫を含んだそれは、烈風の刃も同じく含み、襲った相手を突き刺し、切り裂き、動きを封じ込める。
「今の私を舐めるなよ!」
コロナは右手に凝集させた焔を、今とばかりに解き放つ。極限まで圧縮されていた焔は、荒れ狂う竜神の如く唸りながら、吹雪と激しくぶつかった。
吹雪の氷は灼熱の焔によって、液体状態を経ず、一瞬にして昇華する。烈風と烈風が互いを相殺しあい、周囲に衝撃波を撒き散らす。溢れたエネルギーは光のエネルギーへと変わった。
閃光と爆発が炸裂した。あまりの激しさに、さすがのグレーターデーモンとはいえ、数瞬状況を失う。認知が回復した時、そこにはいる筈のコロナの姿がなかった。
「ぬぅ!?」
「グレーターデーモン、覚悟!」
グレーターデーモンが頭上を見上げる。
月を背に、情熱的な薔薇色の髪を乱しながら、コロナは躍りかかる。右手には、既に次撃の焔が纏っていた。
コロナの焔を纏った拳とグレーターデーモンの巌のような拳が交錯する。単なる肉弾戦では、決して華奢なコロナには分がない。相手にぶつける力は質量と速度に依存するからだ。細腕のコロナでは、どう足掻いて(あがいて)も城塞のようなグレーターデーモンには勝てない。
しかし、魔術の焔で補強された今は、攻撃力は単純な物理法則の蚊帳の外だ。何倍にもなっている。
コロナの一撃はグレーターデーモンにとって十分な脅威となりえた。交錯した瞬間、グレーターデーモンの拳は木端微塵に四散し、ささくれ立った。
予想外の事態に、グレーターデーモンはすぐさま距離をとる。
「バカな。この私が、お前らのような下等生物に遅れをとるというのか?」
飛び出した骨とドロリと落ちるどす黒い血を見て、グレーターデーモンは歯軋りをした。ジャックの時とは異なり、今は完全に競り負けたのだ。グレーターデーモンにとって決してありえない事態。自尊心が疼き(うずき)、醜悪な劣等感が沸き起こる。
グレーターデーモンは、目の前の薔薇色の髪の少女を睨みつけた。
「どう、私の一撃は?次はその身体を全て吹き飛ばしてあげるわ!」
「この私が、貴様のような下等生物に破れるわけはないのだ!」
グレーターデーモンが空へと飛び上がった。
おぞましい程の邪気が渦巻く。
「許さんぞ!許さんぞ!許さんぞ!貴様!」
グレーターデーモンが呪詛を吐く度に、周囲の大気は邪気に塗り変えられていく。ドロリと粘質を帯びた『漆黒の邪気』が湧き起こったと思うと、圧倒的な質量で濃縮されていく。空気が陽炎のように数瞬揺らぐと、漆黒の邪炎が立ち昇り、撒きつく蛇の如く右手に収斂する。コロナの技に酷似しているようにも思えたが、ソレは似て非なるもの。触れたものを徹底的に蹂躙して、焼き尽くす魔の邪炎。グレーターデーモンは次の一撃で全てを無に還す気だ!
コロナとて黙って看過する気はない。次の一撃に全てを賭す覚悟をした。グレーターデーモンの次撃は、『ヘルファイア』よりも熱量を含み、段違いな殺傷力を有すると想像がついた。しかし、決して今なら負ける気がしなかった。康介の方をちらりと一瞥する。目が合った康介が力強く頷く。一人では打ち勝てない困難であっても、二人なら絶対に乗り越えることが出来る。コロナは自分を、そしてパートナーである康介を信じる。
「左手には弓を、右手には矢を」
コロンが左手を真上に翳した(かざした)。左の掌から一本の光の棒が伸び、それは弓なりに反る。左手を構え、右手を添えると、一本の光の矢が顕れた(あらわれた)。張られた弦と矢尻を引き絞る。
「焔は魔を薙ぎ払い、光は闇を切り裂く!我ココに人々を虐げモノを打つことを誓わん!」
コロナは高らかに宣言する。引き締めった白銀の矢を、紅蓮の焔が包み巻く。白銀の矢と紅蓮の焔は一体化して、深紅の光り輝く矢へと変化した。
グレーターデーモンは、濃縮した邪炎を纏わせた右手を突き出した。
「デスファイア!」
禍々しい邪気を孕んだ漆黒の炎がコロナに襲い掛かる。
「ホーリーアロー」
コロナは極限まで引き絞った弦を放した。弾かれた弦の小気味の好い音と空を疾走する矢の鋭い音が響く。吸い込まれるようにして、深紅に輝く矢は一直線に飛び抜ける。
漆黒の邪炎と深紅の矢が正面からぶつかる。掛け値なしの衝突。大気が絶叫し、地が震撼する。頬にぶつかる轟然と吹き荒ぶ風が冷たい。
康介は見た。
漆黒の邪炎と深紅の矢が拮抗し、周囲に逆向く烈風が擦れ合い、軋み声を上げていた。漆黒と深紅。ぶつかり合ったまま寸分も動かないそれらは、ほぼ互角のように思われた。
康介は、左手の『契約の腕輪』を右手の掌で握った。赤く光を輝く腕輪は熱を帯びて、意思を持った生命のような鼓動が触れる指先に伝わる。きっと、それは絆という名の奇蹟。
そして、康介は咆哮した――
「いけっっっっ――」
深紅の矢は輝きを一層深めたかと思うと、漆黒の邪炎は捲れ上がり貫いた。
「グゥァァァァァ―――――」
グレーターデーモンの絶叫がこだまする。圧倒的な質量の光が、グレーターデーモンを襲う。深々と突き刺さる光はグレーターデーモンのカラダを切り裂いて、焼き尽くす炎は細胞の欠片すら残さない。
空を突き抜ける光。突き破る、飛翔する。
コロナが放った光の矢は、グレーターデーモンの断末魔と共に、リュックブルセルクの闇夜を切り裂いた。




