第四章 其の六
かくして、『神隠し』の元凶は拭い去られた。
しかし、教会および周辺の被害もまた甚大であった。
教会にとって重要な象徴でもある、壇上に備え付けられているアリア像と掲げられたエレスト像、そして正面に嵌め込まれた煌びやかステンドガラスが無事だったのは奇蹟に近い。
しかし、グレーターデーモンが残した損害は、物理的な破壊に限らなかった。それは、精神的な苦痛、さらわれた子たちはいうに及ばない。しかし、特に、憑かれていた神父の精神的苦痛が甚だしかった。
既に、教会内部の一部は自警団の手によって片付けられていた。グレーターデーモンの出現によって、教会周辺は封鎖されていたが、元凶が消失した今、その警戒は緩められている。
倒れていた自警団員は、戦いに参加しなかった他の部隊や有志の近隣住民たちの肩を借り、安静できる場所まで運ばれていった。夜も更け、片付けは明日に持ち越され、多くの人々は引き上げを始めていた。
そのような中、康介は教会の扉で立ち尽くしていた。
「どうしたの、康介?そろそろ、私たちも帰るわよ」
手当てを受けたコロナが声を掛けてきた。コロナは深手の傷を受けていたが、康介に魔力を供給してもらい、半分近くは既に自力で治していた。残りの半分は、医術師によって手当てを施されていた。残った傷も大したことなく、二三日もすれば完治するだろうとのコトであった。そもそも、見た目以上に彼女は丈夫であった。
「神父様どうにかならないものかな?」
康介は、地面に頭を擦りつけて一心に祈りを捧げているライヤ神父を見て心が痛んだ。
――ライヤ神父。
ある意味、今回の事件の一番の被害者ともいえた。精神と身体をグレーターデーモンに略奪され、思考と行動を束縛されていたのだから。
被害者の子供たちにも実害はないことが分かった。それ故、エルシールによれば、今回の件でライヤ神父の罪が問われることはないだろうとのコトだった。子供たち自身も神父を責め立てる気はなかった。
しかし、精神や身体を乗っ取られていたとはいえ、殊勝なライヤ神父が自分の犯した過ちを許せる筈もなかった。
だから、ライヤ神父は今回の事件を全て自分の心の弱さから来たものだと糾弾していた。彼はエレスト像の前に跪き(ひざまずき)、恭しく項垂れていた。その姿は、正に自ら犯した罪に懺悔する罪人そのものであった。
そのような姿を見て、康介はいた堪れなくなった。康介だけではない。コロナも、そしてエルシールや自警団の者たちもだ。
「そもそも、どうして神父様はグレーターデーモンに憑かれたのかしら?」
コロナは尤もなことを口にした。
グレーターデーモンはヒトの記憶を弄り、心の弱みにつけ入るのだ。
「ライヤ様の心の闇は深く、それを私たちには決して教えて下さろうとはしない」
隣には、いつの間にかエルシールが立っていた。
「ただ、一言だけ、『私は昔友人を殺してしまったことがあるのです』と」
その言葉にどのような意味があるのか、康介には分らなかった。しかし、神父の力になりたいという気持ちは本当であった。
「神父さまは神様からの赦しがない限り、後ろ向きの後悔の中で生きていくのだと思う」
コロナは悲しそうに呟いた。
しかし、この何気ない一言に、康介の頭の中にはあることが浮かんだ。そして、
「ねぇ、ちょっと相談したいことがあるんだけれども」
康介はそういって、今しがた思いついたことをコロナとエルシールに打ち明けた。
――
さらに幾許かの時間が流れた。教会内にはライヤ神父を除いて人影はいない。
「ライヤ神父様」
心配になったエルシールは、再び神父のもとに訪れていた。
「ライヤ神父様。今日はもう遅いので、お休みになって下さい」
「エルシールよ、私は罪人なのだ。決して許されることのない罪人なのだよ」
神父はエルシールの顔も見ず、ただ弱々しく呟くばかりであった。
その時である。
突然として、神々しい光が出現した。
眩いばかりの光がステンドガラスを通って洪水のように流れ込み、教会内部を遍く光で満たしたのである。光は天空から降り注ぐ雨のようであり、一筋一筋の光片は確固たる力をもっていた。
光は、天井に描かれた神の奇蹟という祝福を授かる女性の仔細を浮かび上がらした。ウェーブがかった金色の髪、栗色の細長い睫毛、雫のような円らな翡翠色の瞳、紅潮した頬、柔らな脹らみを帯びた唇、奇蹟を拝受する白魚のような掌、彼女が着こなしている袈裟の鳶色(とび色)とその翳り(かげり)……。そればかりではない、光は教会の隅々、即ち、投げ出された椅子や床に敷き詰められた剥がれかかったタイルの一枚に渡るまで、全てを等しく照らしたのである。天光が世界を覆ったのである。
理解の範疇を越えた目の前の出来事に、エルシールとライヤ神父は暫く恍惚と見入っていることしか出来なかった。言葉もなく、二人は光の裡に身を委ねた。
掲げられたエレスト像は、大きな陰影を二人に落としていた。その翳りは、二人を包み込む大きな存在であった。
「迷える子羊は誰ぞや」
太く、低い声が教会内に響き渡った。
「こ、コレは神さま?」
突然のことに、エルシールは戸惑った声を上げた。




