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第三章 其の四

 コロナが神父を追って行き着いた先は夜の教会であった。

 厚い雲で覆われた夜空に頂を突き出すリュックブルセルク大聖堂には、昼間にはない他を圧する峻厳さ(しゅんげん)を構えていた。

 既に神父から発せられていた忌々しい魔力は感じられなかったが、コロナの第六感がリュックブルセルク大聖堂の違和感を告げていた。

 コロナは一息呑み込み、昂る(たかぶる)気持ちを落ち着かせた。そっと扉を押して中に入る。扉が嫌な軋み声を上げた。


 暗く静まり返った教会内部。一筋の光さえ差し込まぬ教会内部は不気味なほど静寂が降りている。静謐せいひつを割るように跳ね返る靴音が薄暗い不気味さをいっそう増長させる。

 コロナは息を潜めながら周囲の様子を窺った。いつ、どこから奇襲されぬとも限らない。


 月を覆っていた厚い雲が切れたのだろう。暫くすると、色鮮やかなステンドガラスから教会内部に光が差し込み、当たりの様子を浮かび上がらせた。

 広い構内。整然と並べられた長椅子。備え付けられたアリア像に、掲げられたエレスト像。普段と何一つ変わらない。ただ或る一点を除いては。


 ‘ソレ’は目の前の教壇に佇んでいた。

 姿は神父。しかし、神父であって神父でない。

 口元が浸るのは狂いの悦、コロンを射る目は獲物を仕留める時の蛇のソレ、身に纏う(まとう)気は漆黒よりも禍々しさを植え付ける邪。

 今は翼こそないにしろ、‘ソレ’がヒトではないことはすぐに分かった。


 神父のカタチをした‘ソレ’は静かに口を開いた。

 「なかなか洒落たシチュエーションだろ?」

 「自分で自分のことをカッコいいと思っているパターン?趣味が悪ければ性格も最悪ね」

 鼻先で笑うコロンに、‘ソレ’も鷹揚に一笑で応える。


 余裕の素振りで口先には冗談まで飛ばすが、コロナは冷静に戦況を見極めようとしていた。

 見極めるべき点は大きく二点ある。

 神父は今どういう状態なのか?

 そもそも‘アレ’は何か?

 ――もし、アレが私が考えている通りであれば、神父様を助ける術はあるわ。

 コロナの頭の片隅には、一つ思い当たる節があった。


 それは、ヒトの心の闇に憑け入り、蝕み、腐らせ、ヒトが壊れるまで精神を貪るモノ。忌み嫌われると共に、その強大な力から他の種族に恐れられる種族、――デーモン族だ。

 ヒトに取り憑く種族は幾つか知られているが、その中でもデーモン族は格別だ。高い知性と強大な力はデーモン族をデーモン族たらしめ、他の種族に取り付く島などない。


 「いくつか聞きたいことがあるわ」

 コロナは右手を後ろに回して密かに次の一手を準備する。

 「うむ、良いだろう」

 絶対的な自信の現われか、‘ソレ’はコロナの問に鷹揚に応じた。

 「まず、一応確認から。貴方は神父様じゃないわよね?」

 「そうだ。身体は神父のものだが、お前たちが神父と呼んでいる者はココにはいない」

 「成る程。つまり、神父様に憑いたということね?」

 「ヒト聞きが悪いな。身体を譲り受けたに過ぎん。永遠にだがな」

 「横暴ね。神父様を解放する気はない?」

 「無論だ」

 「交渉決裂ね。残念」


 いうが早いかいなか、コロナは後ろに回して魔力を充填していた右手を、天向けて高らかに突き上げた。そして、高速詠唱を行う。

 「我は汝に命ずる。此処に偽りの姿でヒトを欺き、ヒトを苦しめるモノ在りけり。我、汝の力を以って彼のモノの真なる姿を現しめる。リトレイ!」


 コロナの掌に眩いばかりの光が迸った(ほとばしった)かと思うと、泉のように祝福された輝きが溢れ出した。その力強い輝きは、神話に登場する、闇を遍く(あまねく)照らした光を冠した魔術だ。世界を初めて照らした光であり、真実を統べる光でもあった。その光の前には、如何なるモノ、たとえ神の偽りと云えども、真実の暴きからは免れない。

 直視できない程の眩さが、神父のカタチをしたモノの頭上に降り注いだ。


 「ぐぅぁぁ――」

 神父のカタチをしたモノは呻き声を上げた。表情はたちまち苦悶のそれに歪み、発作を起こしたように身をくねらせた。身体を小刻みに震わせ、床に崩れたかと思うと、のたうち回った。毒を盛られた囚人のように咽喉元を掻き毟り(かきむしり)、神父のカタチをしたモノは金属と金属を擦り合わせたような鋭く甲高い、聞くに堪えない悲鳴を上げた。


 その時である。コロナが神父の影に異変を認めたのは。

 光によって壁に映し出された神父の影絵は、ぶくぶくと肥大化していったのである。壁に投じられた膝を折った神父の影絵の背中が、まるで赤子を詰められたように、ぶくりと盛り上がった。脹らみは蠢動しゅんどうを繰り返し、いよいよ脹らみを増す。そして、神父の背中は、大人一人よりも大きくなると、次の瞬間、化膿した傷口のように弾けた。壁の影絵は、神父の背中から黒い雨を噴出させた。


 神父は気を失い、床に倒れこんだ。壁には横たわった神父の影が映し出され、その横には優に二メートルを超える『黒い巨躯きょく』が居た。

 壁に溶け込んだ『黒い巨躯』の頭部には、鮮血よりも赤い二つの瞳が浮かび上がり、ギロリと敵意の塊でコロンを睨み附けた(にらみつけた)。コロンは本能的に戦慄いた(わなないた)。


 ‘ソレ’は、黒い影と呼ぶには生易し過ぎた。

 ‘ソレ’は、黒い影をもっと濃縮したモノだ。


 「ハァ、ハァ、ハァ……」

 『黒い巨躯』が上がった息をする。荒い息は、まるで耳元にかけられているかのような錯覚を覚えるほど生暖かく、本能的に怖れを抱くほど獣じみていた。


 「どうやら、死にたいようだな小娘」

 低くくぐもった声がしたかと思うと、『黒い巨躯』は、ぬらりと両手を壁から生やした。てのひらを返し、壁に突けて踏ん張ると、壁からそのカラダが徐々に抜き出て来る。先ずは上腕、次は肩まで、そして頭部と……。


 コロナに死をもたらす為に、『黒い巨躯』はやって来る――!

 コロナは、知らず知らずのうちに後退った。


 「ま、まさか……。う、嘘でしょう……」

 『黒い巨躯』がその姿を現すにつれて、コロナは唖然とせずには居られなかった。‘ソレ’はコロンの予想を大きく裏切るものだったからだ。


 ついに、『黒い巨躯』はその真なるカタチをコロナの前に現した。

 コロナは壁から抜き出た『黒い巨躯』を驚きを持って見た。

 巨躯と呼ぶに相応しい、並みの冒険者を抜きん出た背の高さと、肩幅の広く、胸板の厚い城塞のようなカラダ。薄黒い肌色をしたカラダは、首筋、両腕、身体、両足と、寸分も隙間なく緻密ちみつ且つ大胆に隆起した筋肉で覆われていた。百戦錬磨の鍛え上げられた肉体は、如何なる剣をも弾くような黒曜石の鎧その物であった。そして、何よりも際立った特徴は頭部にあった。米神コメカミ部分から、左右一対の見事にまで捻り込まれ、S字を描いた頭角が生えていた。それは、一部の上級種族のみが持つモノ――。すなわち、……


 「小娘、このグレータデーモンの我を怒らした罪、万死に値するぞ!!」

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