第三章 其の三
エルシールは梯子を上り、重く閉じているフタを持ち上げた。鈍い音をしながら、フタが開いた。
エルシールは隙間から様子を窺う。隙間から覗いたそこは、天井には灯の一つぐらいは点いているのだろうか、かろうじて周囲が見えた。エルシールが読んだ通り、どうやらそこは地下室のようだ。エルシールはフタを外すと、素早く身体を引き上げた。エルシールの後に続いて、次々と選抜隊の団員たちも地下室に流れ込む。
周囲を検める。エルシールの背丈ほどある本棚が規則正しく据えられ、背表紙から察するに年代物の稀覯書の類が収められている。
「『国富論』、『鉱業と経済』……、神父さまが読まなさそうな本ばかりね」
恐らくここに並べられている本の大半が、神父の父親である先代の領主が読んでいた本で、ここの地下室は書庫として利用されているに違いない。
エルシールたちは周囲に気を配りながら、本棚の間を進んでいく。角の所で、不意な物音に足を止めた。何かが、ゴソゴソともがいている音が聞こえたのだ。
手を腰の剣柄に携えながら、エルシールは角から気配の元を窺った。
書庫から隔てたところに、鉄格子が嵌められた牢屋の一角があった。そこに、子供たちが居たのだった。
近寄って見れば、音の元は、猿轡に手足を縛られて芋虫のようにもがいているターニャであった。
「バカ、心配したんだから」
エルシールは鉄格子の隙間から、ターニャの猿轡を外してやる。
「お姉ちゃん上!」
猿轡を外されたターニャが鋭く叫ぶ。
エルシールが上を見ると、天井から数体の『黒い影』が降り掛かって来た。エルシールは咄嗟に身を捻るが、躱し切れず、牙のような爪に頬を切られる。傷口が鋭く熱をもったように痛む。
「隊長!」
後ろに控えていた団員の一人が剣を振るった。刀身が影を真っ二つに切り裂くと、『黒い影』は奇声を発しながら崩れ去る。
「罠か!」
一体を葬り去ったところで、地下室という狭い空間に『黒い影』が、まだ数体も居ることには変わりない。狭い空間で剣を振るえば、下手をすれば団員同士で相討ちしかねる。明らかに相手の魔術師は、エルシールの手の内を見越している。
「見た目に騙されるな。こいつらは、所詮は使い魔だ。落ち着いて対処すれば脅威じゃない。最小限度の動きで、体をぶった切れ」
エルシールは的確な指示を出す。
エルシールは逸る(はやる)気持ちを抑えながら、魔術師の目的を推し量る。元から同志討ちを狙った罠だとしても、この程度の数では足止め程度にしかならない。相手の魔術師とて、それは百も承知であろう。それに、もしエルシールたちがここに来ることが分かっていたのであれば、なぜ魔術師は逃げ出さなかったのか?逃げ出さないのであれば、子供たちを人質に取るなど、対策を講じなければおかしいではないのか?エルシールは、目の前の子供たちの無事に安堵する一方で、魔術師が手を出さなかったことに疑問を感じ始めていた。否、それは確信に変わりつつあった。
――ひょっとして魔術師じゃないのか?
そもそもの前提が間違っていたのではないかと云う考えが脳裏をかすめたところで、エルシールの思考は中断される。身を潜めていた『黒い影』が後方からも急襲して来たのだ。
エルシールは自分の思い違いに危機感を募らせながらも、この急場を凌ぐことに全力を傾けなければならなかった。
―――――
エルシールと『黒い影』の奮闘より遡ること数分前、ライヤ神父は自室で『漆黒の影』と対坐していた。
部屋の南側に張られた大きなガラス窓から差し込む、時折切れる雲の隙間から垣間見せる冷たい月光が、書斎の椅子に腰を降ろした神父の影を長く引き延ばして、壁に大きな人型の影を投じていた。しかし、それを神父の影とするにはあまりにも面妖すぎた。
米神からはS字を描いた頭角が生え、顔の中央に位置する双眸は鮮血のように赤くギラツキ、耳元までざっくりと裂けた口は歪な嗤いを浮かべていた。
『漆黒の影』はライヤ神父の体から延びた影であったが、それは紛れもなく人間のそれではなかった。『漆黒の影』は押し潰された声でいった。
「この屋敷を嗅ぎつけるとは、下等生物にしてはなかなかやるでないか。そうでなくては面白くない」
「貴様が何を考えているのかは知りませんが、エルシールたちは聡い子です。貴様の思う通りには行きませんよ」
「ほう、お前もまだ精神を完全に明け渡してはおらぬか。ますます我を愉しましてくれる。我は、御前らのような下等生物が徐々に壊れて行くところを見るのが愉しみで仕方がないのだよ。そろそろ一カ月だ。お前の精神力も限界だろう」
『漆黒の影』は悦に浸った笑いを浮かべると、ライヤ神父は憎しみをもって、「この悪魔め」、と吐き捨てた。
「さて、下水道を這いずり回る鼠は、下種にでも相手をさせるとして、屋敷の周りの下等生物は、我が直々に相手をしてやるか」
ライヤ神父の意思とは無関係に、神父の体は糸で操られた人形のように動き出す。立ち上がって窓に寄ると、神父の体は窓を開けてバルコニーに出た。そして、神父の口からは、神父自身ではない声が空に向かって叫び出た。
「さあ、下等生物ども、ゲームの始まりだ」
―――――
時刻は、真円の紅い月が天高く昇り、静寂が支配する深夜。
コロナは、リュックブルセルク自警団員と共に、日中に辿り着いたライヤ神父の屋敷が佇む林に身を潜めていた。窺う限り、屋敷に特に目立った変化は見られない。木々の梢が風に揺らされる音が聞こえてくるだけの静けさは、これから起こる悲劇の予兆のようにも思われた。
「本当に、神父様が『神隠し』に噛んでいるのか?」
「私に聞かれてもわからないわよ……」
傍に居た自警団員に訊かれて、コロナは弱々しく答えるより外なかった。誰しもが、『神隠し』とライヤ神父の関係性に対して半信半疑であった。
しかしそれ以上に、コロナはこの事件の構図に不可解さを感じ始めていた。エルシールが強く推したのは、ライヤ神父が何者かの魔術師に操られているという説だった。なるほど、一見にして、それは最も当たり障りのない説である。しかし、当たり障りがないからこそ、核心が全く見えてこないのだ。何の為に、魔術師は『神隠し』を起こしたのか?
コロナが考えを巡らしていると、「そろそろ時間だ」という伝令が回ってきた。エルシールの奇襲と同時に、グレイの指揮の下、第二部隊は屋敷を急襲する手筈だった。
第二部隊が、屋敷への輪を狭めた時、団員たちの間にざわめきが起こった。
騒ぎの元は、三階のバルコニーにライヤ神父が現れたことだった。
「さあ、下等生物ども、ゲームの始まりだ」
ライヤ神父が現れたことだけでも十分驚愕に値するにもかかわらず、神父の声とは思われない、唸る獣のような低くザラついた声で放った一言は、団員たちをより驚かした。
「神父さまは、一体どうなってしまわれたんだ?」
団員たちは動揺の色が隠せなかった。
そこへ、さらに神父の奇形な変化は団員たちに追い打ちを掛けた。神父が天に向かって、この世のモノとは思えないおぞましい声で咆哮をあげると、背中に二つの瘤のようなモノがぶくぶくと膨れ上がった。瘤は瞬く間に大きくなると、大きく展かれた。それは、蝙蝠の羽ような、一対の漆黒の翼だ。
「我を止めることのできる自信のある奴は街まで来い」
神父のカタチをしたソレは翼を羽ばたかせると、大きく舞い上がって街の中央の方向へと飛び去った。
不測の事態に、団員たちは当惑して集中力は細切れになったが、グレイの的確な判断で指揮系統はすぐさま落着きを取り戻した。
「慌てるな。あれは、私たちを揺さぶって裁断する為の芝居だ」
淀みのない決然とした口調に、団員たちの注目が集まる。
「四対六の二班に分ける。第一班は屋敷の征圧ならびに、第一部隊の救出だ。第一部隊は敵の罠に掛ったと見ていいだろう。第二班は神父を追いかける」
「四が第一斑ですか?」
若い団員の一人が尋ねた。
「そうだ。何か不服か?」
「神父が陽動で、主犯がまだ内部にいる可能性はありませんか?」
「その可能性は低い。今回の事件の主犯は普通の魔術師とは異なる。恐らく、奴は確固たる目的を持っていない」
グレイの説明を疑う者はいなかった。恐らく主犯は確固たる目的を持って行動していない、これはすべからく団員たちが抱いている直感だ。
余計な説明を省くため、グレイは伏せていたが、先程の神父から感じた禍々しい魔力は、昼間屋敷を訪れた時に感じたそれと一致していた。あれほど、死屍めいた魔力を間違えるはずもなかった。
グレイは二班に分けると、すぐさま散開を命じる。
「コロナ、君はどうする?君なら分かっていると思うが、神父様に憑いていたアレはまともじゃない。かなり危険なモノだ」
「乗り掛かった船よ。神父様を追うわ」
「安全は保障できない」
「心得ているわ」
グレイは民間協力者にすぎないコロナの身を案じるが、勝気な彼女が聞く筈もなかった。
「そでじゃあ、武運を」
「貴方こそ、武運を」
二人は短く互いの無事を祈る詞を交わし、街へと下りた。
どこかに潜んでいるであろう、闇との対決の為に。




