第三章 其の五
「小娘、このグレータデーモンの我を怒らした罪、万死に値するぞ」
大気が爆ぜた。グレーターデーモンが腕を突き上げた瞬間、烈風が巻き起こり、信徒席が紙屑同然に舞い上がった。さらに、放たれた衝撃波がコロナを切り刻もうとする。
「光の盾よ、汝我を護り給え。レイシールド!」
コロナが手を突き出し、魔力を掌に集中させる。展開された幾何学模様が、襲いかかる衝撃波を相殺した。風の一刃すらコロナには届かない。
しかし、そこへ、グレーターデーモンが飛びかかり、巌のような拳で魔法陣を破砕する!咄嗟にコロナは飛び退き、難を逃れる。撃ち込まれた拳は、轟音を立てながら地面に巨大な孔を穿った。
「ほう、なかなかやるではないか」
グレーターデーモンは、余裕の笑みすら浮かべていた。
一方のコロナは、先程まで自分が立っていた場所に開かれた孔を見て、グレーターデーモンの規格外の力を思い知る。魔力、腕力、速度、全ての性能が桁違いだ。決して手を抜いて勝てるような輩ではない。おそらく防御力も段違いな筈だ。アレには、最初から全力を以って立ち向かわなければならぬ!
コロナが掌に魔力を込めると、轟然と旋回する炎柱が立ち昇った。コロナは暴れ狂う炎を諫め(いさめ)、紅蓮の炎を右手に纏わす。
「成る程、小娘にしては上出来だ。少しは魔術を心得ているようだな」
「当然でしょ。私は、生まれながらにして炎を飼い馴らしているのよ」
「では、その飼い犬の力とやらを見せてもらおうか」
「いわれなくても、そうする積りよ」
コロナは右手に魔力を籠め、炎を強めると共に、可能な限り圧縮させる。炎は圧縮させればさせるほど、解放したときの反動が強くなる。即ち、攻撃力を増すのである。
並の攻撃が通じないのであれば、圧縮した炎を直接カラダに叩き込んで爆発させるしかない。相手に近づけば近づくほど、爆発に自分が巻き込まれるリスクと相手から反撃を喰らうリスクは増加するが、今は身を捨てた攻撃に一縷の希を賭けるしかなかった。
コロナの金色の瞳の中に、熱く燃え滾った(たぎった)炎が揺らいだ。地を蹴り、コロナは俊敏さを生かして、己が拳を叩き込めんとグレーターデーモンに攻め入った。
グレーターデーモンの数歩手前で身を屈めて、真横に舞い跳ぶ。しかしすぐさま、地面を蹴って、進路を元に戻し、飛び掛かる。つまり、フェイントだ。
しかし、そもそもコロナの攻撃自体が無意味であった。
「な!?」
コロナの金色の双眸が驚愕に見開かれる。
コロナが渾身を籠めて殴りかかった右手はグレーターデーモンの左手によって阻まれた。コロナの握り拳の二倍はあろうかという掌に掴まれ(つかまれ)、次の瞬間、空中で勢いを殺されたコロンの鳩尾にグレーターデーモンの巌のような拳が叩き込まれる。
「うっ、っ」
コロナの意識が一瞬飛ぶ。辛うじて意識を繋ぎとめるが、身に力が入らなかった。
グレーターデーモンは、コロナの美しく長い薔薇色の髪を鷲掴み(わしづかみ)にすると、
「この程度で、気を失ってもらっては困るな。お楽しみはこれからだ」
歪んだ笑いを口元に浮かべて、コロナを壁に向って叩きつけた!
投げ飛ばされたコロナは、背中に激しい強打を受けながら分厚い壁をぶち抜いて、そのまま教会の外に放り出された。地面に落ちても速度は衰えず、数メートル石畳を削ってようやく止まる。
コロナはよろめく足で立ち上がると、すぐさま教会の方に視線を転じた。しかし、
「いない!?」
目の前にいる筈のグレーターデーモンが視界から消えていた。慌てて周囲を見回すが、グレーターデーモンの姿はどこにも見当たらない。
コロナは、自分の足元に黒い水溜りのような大きな影ができているのに気がついた。はっ、と弾かれたように頭上を見上げると、真上からグレーターデーモンが鉄鎚の如く一撃を振り下ろしてくる。
コロナは真後ろに飛び退き、間一髪で一撃を免れる。しかし、地面がめり込んだ場所には、既にグレーターデーモンは居なかった。真後ろに気配を感じ、
「遅い」
振り返った瞬間、壮烈な痛みを伴って、コロンの右頬は一文字に薙がれた(ながれた)。世界が数回横転したかと思うと、地面に打ち飛ばされる。身体のあらゆる関節と云う関節が、骨と云う骨が悲鳴を上げて、コロナはぐったりと倒れこんだ。
何とか起き上がろうと試みるが、ここに来て、臓腑がじんじんと痛み始めた。肺が焼けるように熱い。
「はぁ、はぁ、はぁ、……。こんなヤツに負けるか……」
鉛のように重くなった身体で唯一自由が利くコロナの目は、グレーターデーモンが闊歩して自分に近づいてくる様を捉えた。樹のような厳つい脚がゆっくりと近づいて来る。
コロナの鼻先で、その甲冑を纏ったような脚はぴたりと止まる。
「小娘よ、自分の無力さを思い知ったか?」
グレーターデーモンの無機質的な声が響いた。
横たわるコロナからは、グレーターデーモンの顔まで見ることは能わなかったが、その分、グレーターデーモンが一層大きく、恐ろしいモノに感じられた。ここに来て、自分とグレーターデーモンの歴然とした力の差をはっきりと認識した。
――今の私で、コイツには勝てない。間違いなく殺される。
それを察したかのように、グレーターデーモンは子供をあやすような甘い声でいった。
「今一度だけ、お前にチャンスを与えてやろう。お前の心の中には、深い闇が眠っている。私には分かるぞ、お前が自分の出自に関してどれだけ周りの者から蔑視されてきたのかを。お前は、本当は自分を蔑んできた者たちに復讐したい筈だ。この私を受け入れろ。そうすれば、お前は比類すべきなき力を手に入れ、自らの本望を果たせる」
乾いた涙が、コロナの頬を伝わった。グレーターデーモンの声は、麻薬のようにコロンの心に染み入り、辛い過去を呼び起こさせた。それは魔の洗礼であった。深い記憶の底に封じ込めてきた、力を渇望していた日々の灰色の世界を抉り出すには十分であった。だけど、――
「折角の良いお話だけど断るわ。今のわたしの半身を形作っているのは、間違いなく当時の苦い経験でもあるのよ。だから、それを否定すると云うことは、今の自分自身を否定することに繋がるわ。半身を打ち捨ててまで、過去を清算したいとは思わない。自分でもいうのもなんだけど、わたしは今の自分を結構気に入っているのよ」
コロナは、自分はグレーターデーモンに力では絶対敵わないと悟ったが、魂を売り渡したいとまでは決して思わなかった。コロナは、心まで砕かれることはなかった。
「そうか、残念だ。ならば、死ね」
グレーターデーモンは抑揚のない声でいうと、地面に横たわるコロナの頭に足を掛けた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
グレーターデーモンの巨大な足でグリグリと頭を踏み躙られた(にじられた)コロナは、引き裂いたような悲鳴を上げた。
ああ、最早、これは蹂躙だ。蹂躙と呼ばずして、これを何と呼ぶのか。
「そこまでよ!その子を放しなさい」
その時、二人の間に割って入る者があった。
駆けつけたエルシールたちであった。気がつけば、建物の角から自警団の兵士達が飛び出し、グレーターデーモンを取り囲むように円陣を組んだ。
「あ、アレはグレーターデーモン!?」
兵士達の中の数人から驚愕と恐怖が入り混じったどよめきが湧き上がった。
「怯むな。我らリュックブルセルク自警団の誇りを忘れるな」
エルシールは鋭く喝を入れると、腰に差していた剣を抜いて構えた。
「グレーターデーモン、その子を放しなさい」
「貴様たち下等生物が、我に勝てるとでも本気で思っているのか?」
「黙れ下衆。我ら誇り高きリュックブルセルク自警団の力思い知るがいい」
「良いだろう。その威勢の良さに免じて、特別お前達の相手をしてやろう。束になるなりして、全力でかかって来るがよい」
グレーターデーモンが、コロナから離れ、エルシールの方に数歩出る。
「第一部隊は、私に続け!第二部隊はその場で待機、次撃の準備を怠るな。目標はグレーターデーモン、これを殲滅せよ」
「「オ――、オ――、オ――!」」
高らかにエルシールが宣言すると、兵士達の間を鼓舞が駆け抜ける。グレーターデーモンを取り囲んでいた兵士の前衛達が、一斉に鞘から剣を抜いた。
「かかれ!」
「「オ――!」」
エルシールの号令と共に、怒涛の勢いで兵士達がグレーターデーモンに押しかけた。雪崩のように、兵士達はグレーターデーモンの逃げ場を塞ぎながら畳み込んだ。
しかし、グレーターデーモンは動ずることなく、冷酷に云い放った。
「五月蝿い(うるさい)下等生物どもめ。自らの無知を悔いるがよい。お前ら全員皆殺しだ!」
「逃げて――!」
グレーターデーモンの急激な魔力の高まりに気がついて、コロンは声を振り絞る。
「死ね、下等生物ども。ヘルファイア!」
グレーターデーモンは腕を突き上げ叫ぶ。
次の瞬間、周囲の空気が大きく変質した。グレーターデーモンに向って風が吹き込んだかと思うと、爆ぜたように炎柱が立ち昇る。一度上がった炎は地面目がけて再び降下し、風と混じって極限まで濃縮される。そして、同化した風と炎の嵐はグレーターデーモンからエルシールたちへと一気に解き放たれた。
灼熱の地獄の嵐が周囲の全てを蹂躙した。




