第二章 其の十一
康介たちは孤児院に着くと、子供たちに外出しないように云いつけて、二手に分かれた。
コロナの、「そろそろ、カミーユが詰所に着く頃の筈だわ。捜索の効率を考えるのであれば、彼らは詰所の近辺から手を附け始めると思う。だから、私たちはこの辺りから捜し始めましょう。私は東の方を捜すから、康介は西の方を捜して」、との言に従い、康介は孤児院の西側を担当することにした。
嫌な天気だった。
晴れていた空には、何時の間にか鈍い鉛色の雲が垂れ込めていた。空気はべっとりと湿り、服は肌に張り附く。街全体が澱の中に沈んでいくようだった。
何処を如何捜せば好いのか分からなかない康介は、手当たり次第に路地と云う路地を隈なく捜すより外なかった。人の気配が無かった。まるで死んでいるかのように、街全体が不気味なほど静かだった。恐らく、休日の今日、ミサなどに出払ったりして人が居ないのだろう。
捜し始めてから一時間は経っただろうか。康介の疲労は既に頂点を向え、足は軋み声を上げていた。心臓の脈動は壊れるのでないかと思われるぐらい高まり、重苦しい空気は咽喉に絡み附いた。
肉体の疲労、鼓動の高まり、息苦しさ、此れらのモノは体力的な限界から来るだけではなかった。何故だか、康介の頭の片隅には、確信めいた、予感とでも呼ぶべきモノがあった。何かが、頭の中で警鐘を鳴らしていた。
――早く見つけろ。早く見つけなければ大変なことになる。
康介は石畳の隙間に足を掬われ転んだ。気が附いた時には、顔と地面は鼻先との差であり、咄嗟に手を衝くが間に合わなかった。派手に転ぶ。
「痛い……」
片膝を着いて立ち上がろうとする。とても自分が惨めな気がした。転んだことで集中力が途切れ、思ってはならないことが頭を掠める。
――赤の他人だろう、どうして其処まで必至になって捜す必要があるんだ?
自分でも分からなかった。康介は、息を整えながら、卑しい考えだと頭を強く振った。
――何を考えているんだ、俺は。コロナも、エルシールさんも、カミーユも、サーニャも、クレスタもメイも、皆自分に優しくしてくれたじゃないか。困っている彼らを見捨てて好い訳ない!
康介は顔をぴしゃりと叩き、自分を奮い立たせた。
其の時だ。
遠くの方で、建物の角を曲がる少女の姿を認めた。間違いなく、クレスタだ。
「クレスタ!」
康介は叫ぶが、喉が渇ききっており、声にならない。康介は駆け寄り、声を掛けた。
「クレスタ……」
皺枯れた声に、クレスタは肩をびっくと震わせた。慌てて振り返り、康介だと分かると安堵の表情を浮かべた。
「康介さんですか。吃驚しました」
其の表情と声は、普段のクレスタと変わらなかった。しかし、すぐさま視線を鋭くし、
「康介さん、お願いがあります。どうか、このことは姉には黙っていてくれませんか?」
初めは何を云っているのか解らなかった。しかし、此れから行おうとしていることに関係しているのだと判断した。
康介が、彼女たちが何をしようとしているか尋ねようとすると、クレスタは、「静かにしてください」、と康介の口を押さえる。
クレスタは、建物の陰から何かをしきりに覗っていた。
康介も、顔を半分ばかり出す。
居た。康介たちから少しばかり離れた道路を、サーニャが歩いていた。
赤色の髪の端を青色のリボンで一寸結い、臙脂色の無地の服装をしていた。おめかししているようであった。
康介が角から飛び出そうとすると、クレスタが裾を掴んだ。
「ダメです、康介さん」
「君たちは何を考えているんだ?」
クレスタは困ったように間誤附くと、少し俯いた。口をモゴモゴさせるが、はっきりと聞き取れない。上目遣いで康介を見上げながら、
「サーニャが囮になるんです。そして、『神隠し』の正体を暴くのです」
クレスタは、静かに、そして重く云った。彼女の一句一句には、平地に立脚した砦のような固く揺るぎない決心があった。しかし、其れは余りにも無謀で、下手をすれば二人とも攫われる虞があった。危険なことは火を見るより明らかだ。
「無茶だ。反対だ」
止めるクレスタを振り切って、康介が角を飛び出した矢先のことだった。
サーニャが次の角を丁度曲がろうとした時、得体の知れない『黒い影』が躍り出て、刹那に彼女を捕らえた。
「サーニャ!?」
慌てて、康介は駆け出す。クレスタも後に続いた。
「サーニャ!サーニャ!」
康介は、張り裂けんばかりに咽喉を震わして叫んだ。康介は追い縋らんとした。
康介が次の角を切るとき、『黒い影』は一角先を曲がる所であった。
「待て!」
康介が叫ぶと、『黒い影』は、サーニャを小脇に抱えたまま、此方を睨んだ。
黒い。ヒトのカタチを切り抜いた、只ひたすら黒い影。まるで、闇夜から抜け出してきたみたいな漆黒の影。体の部分部分の区別があるのか判らないほど、其れらは混然と一体化した漆黒の影。然し、頭部と思しき所に、一対の赤く大きな目がギラギラと輝いていた。漆黒の体とは不釣合いなほどに禍々しい光を帯びている。
康介は、思わず立ち止まった。背中の毛と云う毛を粘着質の舌でぞぶりと舐めまわせられる感触。数十メートルの空間を隔てて、どす黒く変色した空気が圧し掛かってくるようであった。
クレスタも同じく、異様な気配に中てられたようであった。「うぅっ」と、小さく呻くと、口元を押さえて蹲った。
其れを見た『黒い影』は、口元をざっくり開き、歪んだ嗤いを浮かべた。そして、角に消えていった。
「クレスタ、君は此処に居るんだ」
康介は、やっとのことで其れだけを口にすると、再び駆けた。
好くない兆候であった。事態は最悪の展開を迎えうようとしているように思われた。




