第二章 其の九
「康介!何時まで寝ているのよ!」
怒声に驚いて、康介は目を覚ました。周囲をきょろきょろと見回すと、既に参列者は疎らになっている。残っている人たちも、各々帰り支度を始めていた。康介は、ミサ中に眠りこけていたことに気が附いた。
「あれ?」
「あれ?、じゃないでしょ。此処まで大口を開けて寝ていられる人間も珍しいわ。本当、どういう神経をしているのかしら」
康介が見上げると、コロナが目を逆立てて怒っていた。怒った姿も、金色の瞳と深紅の薔薇色の髪と相まって、凛々しく見栄えた。
「康介には、緊張感の欠片と云うものは無いの?ミサ中に寝るなんて失礼よ」
「悪い、一寸疲れていたんだ」
康介は弁解した。
「大丈夫ですか?風邪がうつったのですか?」
メイが心配そうに見上げてきた。
「大丈夫。コロナの鼾が五月蝿くて、少し寝不足なんだ」
「な、な、なんですって!」
「痛っ!」
康介は、コロナに脛を思いっきり蹴り上げられた。
コロナは、顔を紅潮させて怒っている。薔薇色の髪を翻しながら、「もう、康介のことなんて知らない、絶交よ」と、語気を強めてそっぽを向く。
そして、「さあ、皆昼食よ。こんな奴放って置いて早く行きましょう」と子供たちに呼びかけると、ずかずかと大股で歩いて出て行く。
「おい、待てって。今のは冗談だよ」
康介は軽い冗談の積りで云ったのだが、コロナは本気で怒っているらしい。康介の呼び止めに背を向けたままで、一向に振り返ろうとしない。完全に無視している。
「弱ったな。後で謝るか……」
康介は独りごちて、溜息を吐いた。
――それにしても、アレは何だったのだろうか?
康介の頭に、先程の夢と思しき映像が過ぎった。
監禁されていた少女。
顔が漆黒に塗りつぶされた‘誰か’。
歪んだ笑みを浮かべる謎の‘ソレ’。
そして、力を貸して欲しいと訴えていた清澄な声。
真昼に見る夢にしては極めて明瞭で、其の細部までもがくっきりと手に取ることが出来た。 其れらが、単なる夢だとは思えなかった。
コロナに相談しようかと悩んだが、鼻先で笑われるのがオチな気がしたので、康介は黙っていることにした。
コロナたちを追って、康介も聖堂を後にしようとする。何気なく、康介は振り返った。
壇上の上には、神と人との間に生まれたといわれているエレストの像が掲げられている。
全ての人々の罪を赦したと云うエレスト――。
エレスト像はどこか物憂げな表情で、康介を無言のまま見下ろしていた。
――――
朝からクレスタの様子が少しおかしいと、カミーユは思っていた。
サーニャの具合を見ようと部屋に入ろうとすると、クレスタは、「サーニャは今寝ているところだから、後にしてあげて」と引き止めるのである。初めは、其のようなこともあるだろうと、大して気にも留めていなかった。
風邪を引いているサーニャに、暖かくて栄養があるものを振る舞おうと思い、カミーユはセレスタ家自慢の特製粥を拵えた。孤児院であるセレスタ家では、必然的に多くの子供が熱を出すため、風邪を引いてしまった子供たちが無理なく栄養が取れる粥のレシピが存在するのだ。
出来た粥を器に取り分け、盆に載せて、冷めぬうちにと運ぼうとした。すると、クレスタが、「わたしがサーニャに運ぶから」、と奪い取るのである。
流石におっとりとしたカミーユですら、此処に来て何かがおかしいと勘ぐるようになった。まるで、クレスタとサーニャとの間に取り交わされた密約に法って、自分をサーニャから遠ざけているように感じられた。
それとなく、カミーユは眉を顰めながら、「今日の貴方何か変よ」、とクレスタに尋ねた。クレスタは、「そんなこと無いわよ。カミーユ姉さんが心配性なだけよ」、と答えた。
これ以上の押し問答を繰り返しても徒になるだけだと思ったカミーユは、腑に落ちない所があったが、それ以上の追求をしなかった。
それから数刻ののち、雑務を終えたカミーユはサーニャの部屋を再び訪ねた。
「サーニャ、起きている?カミーユよ」
カミーユは扉をノックしたが、返事はなかった。やけに部屋が静まり返っている気がした。そう云えば、先刻からクレスタの姿も見当たらない。
「入るわよ」、と断ってからカミーユはそっと扉を開けた。
窓は開けっ放しになって、白いレースのカーテンが、隙間から忍び込んでくる風に、煽られた女性の長い髪のように靡いていた。
サーニャが安静にしている筈のベッドは蛻の空であった。ベッドの上には、薄い桃色の布地に赤く小さな花柄が施された、サーニャのお気に入りの寝間着が乱暴に脱ぎ捨てられていた。
部屋にはサーニャもクレスタも居なかった。
カミーユの血の気が引く。
「サーニャ!クレスタ!」
驚いたカミーユは、家中に響き渡る声で二人の名前を叫んだ。廊下に飛び出し、目ぼしい部屋を開け廻った。しかし、二人の姿は、文字通り蒸発したように見当たらなかった。
再びサーニャの部屋まで戻って来ると、彼女のベッド傍の化粧台に手紙が置かれていることに気が附いた。
字体から、其れがサーニャが書いたものだと直ぐに判った。
――そして、其処に記された内容を見て、カミーユは一段と蒼ざめた。




