第二章 其の七
リュックブルセルクの中央に位置する、リュックブルセルク大聖堂は、朝が早いにもかかわらず、人で溢れかえっていた。揺れ動く人波の中、素もしくは帽子を被った彼らの頭は、大海原に点在する浮島ように、浮沈を繰り返していた。二日前に来たときの人の疎らさとは異なり、互いの肩をぶつけ合うぐらい犇く人の多さを目の当たりにした康介は、リュックブルセルクに居住する人々の信仰の高さに改めて驚くばかりであった。
子供たちと逸れないようにしながら、コロナと康介は人波を掻き分けながら進んだ。正確には、コロナが先導をして、子供たちは其れに従い、康介は殿を務めている形であった。ある意味、お祭り騒ぎさながらの風情に、きゃきゃ、黄色い歓声を上げる子供たちに、コロナは頭を痛ませながらも、「ほらほら早く着いてきなさい」、と声を張りながら誘導していた。康介は、肩を縮めながら、子供たちを急かしていた。この年頃の子たちは三人集まればかましく、あまつさえ十数人の子供たちを統率するだけでも随分と骨が折れた。
見事な肉体美を追求した半裸体の女性彫像が据えられた、噴水が中央に位置する広場を横切り、康介たちはリュックブルセルク大聖堂の門へ続く、なだらかな階段を登った。人々の規則的な階段を登る足音に混じって、声を潜めた話も聞こえてきた。其れは神隠しに関してであった。
つばの広い白い帽子を被った婦人が、「神隠しは未だ解決できていないようですわ。一体、自警団の皆様は何をやっていらっしゃることやら……」と、歩調を合わせている、一丁の黒い礼服を着した紳士に耳打ちしていた。
其れは、対象が稀薄さ故の、悪意なき悪意であった。
康介は、彼らを、エルシールを始めとする詰所の人たちの苦労を知らない、無責任な人間だと思った。なるべく無視するように耳を塞いだ。
石段を登りきり、大きく開かれた門に導かれ、康介たちは、空に突き出すようにそそり立つリュックブルセルク大聖堂に入った。
リュックブルセルク大聖堂の外観の、意匠の凝らし方と云い、配色加減と云い、しっくりと落ち着いた按配に対して、聖堂内は初めて招き入れる者を圧する壮観であった。講堂は、司祭が説教を教授する壇上に臨んで、おそらく百列近くの信徒席が並び、見上げる天蓋には聖書の一節を引用したと思われる精密巧緻な絵画が描かれていた。壇上には、茨の冠を被り、十字に手を広げて磔られた男性像が掲げられ、其の背面には、布に包まれた赤子を抱く女性と、彼らを取り囲むようにして、地面に額を擦りつけるようにして跪く三人の男を模した、ステンドガラスが永遠不滅な煌めきを以って輝いていた。
「康介、何しているのよ?」
席を捜していたコロナから呼ばれた。壮大な内装につい見とれてしまって、康介は知らぬうちに通路を塞いでしまっていた。白々しく咳払いする男性に、恐縮しながら謝して、そそくさとコロナの確保してくれた席に腰を下ろした。
「教会に来るのは初めてですか?」
隣に座っているメイはきょろんとした瞳で見上げた。
「うん、初めてだね。本で見たことはあるんだけどね」
メイは、「じゃあね、じゃあね」と云いながら、康介に一つ一つ丁寧に教えてくれた。
十字架に磔られ、茨の冠を嵌められた像が壇上に掲げられている。彼はエレスト=キリスと云う人物のらしい。一般の人々に殺められたが彼らの過ちを免赦したそうだ。
壇上の横には、ケープを被った女性像が静かに佇んでいる。彼女は、アリア=キリスと云い、エレストの母親らしい。
「私が少し知っているから、説明してあげるわ」
康介の一つ前の席に座っていたコロナが振り返り、事の粗筋を説明してくれた。
嘗て世界を創造した神は、逞しい青年の姿で天上界から地上界へ降り立ちました。
人目に附かぬようにと、青年が降り立った場所は、星が瞬く夜、だだっ広い野原でした。
然し其処には、星空を見上げる一人の美しい娘が居ました。彼女の名は、アリア=キリスと云い、羊飼いでした。
一目会ったときから彼らは互いに魅かれ合い、次第に人目を忍んで逢瀬を重ねるようになりました。
残念ながら、幸福な時間は長くは続きませんでした。
青年はアリアに云いました。
「アリア、私は故郷に帰らなければならない。君のことは決して忘れないだろう。然るべき日が来たら、君を迎えに来よう」
「はい、お待ちしております」
そして、二人は離別の時を迎えたのです。
暫くしてから、アリアは自分が懐妊していることに気が附きました。云うまでもなく、父親はあの青年でした。
アリアは迷いました。
子供を堕ろすべきか?それとも、生むべきか?
心優しいアリアに、子供を堕ろすことなど到底出来ませんでした。
アリアは、女で一つで子供を育てることを決心しました。彼女は、無事に元気な男の子を産み、エレストと名附けました。
アリアの愛情を一身に受けて育ったエレストは、強く逞しく、それでいて人の痛みが解る、心優しい青年に育ちました。年齢を重ねるに連れ、自分には他の人にはない、『奇蹟を起こせる力』を有っていることに気が附きました。傷に触れれば生死に関わるものでもたちどころに癒し、水に手を翳せばたちまち葡萄酒に変えました。彼は神の血を引く半神だったからです。
エレストは、この力を人々の役に立てたいと思いました。彼は、母親に別れを告げて、世界を放浪することにしました。
エレストは行く先々で奇蹟を起こしました。奇蹟を目の当たりにした人々は、「彼は、神の生まれ変わりだ」と口々に囁きました。噂は、国中を席巻し、国境を越え広がっていきました。
其れに危機感を抱いたのは、当時マーロ帝国を支配していた皇帝でした。彼は、エレストが自分よりも影響力が増して、自分の地位が脅かされるのではないかと危惧しました。
勿論、其れは杞憂に過ぎませんでした。しかし、疑心暗鬼の塊だった皇帝は、終に勅命を出しました。「エレスト=キリスを磔刑に処せ」と。
エレスト=キリスは、弟子の裏切りによって、最後は磔刑に処せられ、命を落としました。
此れに激怒した神は、この世界を滅ぼそうとしました。十日、世界を洪水に埋め、さらに十日間、世界を灼熱の炎で焼きつくさんと。
しかし、幽体になり、天に帰したエレストは、神に云いました。
「私は彼らのことを恨んではおりません。父上、どうかお止め下さい」
エレストの助力もあり、神は人々を赦しました。
エレストは人々の罪を背負い、救済の手を差し伸べる神の子として崇められました。
「こんな話かしら。他にも三日後に蘇ったとか、色々な逸話が残っているわ」
成る程と康介が感心していると、黒い礼装を着した神父が颯爽と入場してきた。
康介は、白髪が混じった頭、やや前屈みな姿勢、初老を迎えた男性特有な小柄さから、五十台後半から六十台前半だろうと推した。
「あれ、ライヤ神父。セレスタ孤児院の『こーけんにん』」
横隣のメイが教えてくれる。『こーけんにん』とは、後見人のことだろう。
先程までざわついていたが、神父が壇上に上がる頃には、私語が止んでいた。
「リュックブルセルク定期ミサに御集まりの皆様、今日は悲しいお知らせがあります」
悼辞のような言葉で、ライヤ神父は話を切り出した。心なしか、神父の顔は憔悴と疲労が入り混じり、蒼ざめているようであった。彼は神に祈るように手を振り翳す。左手の掌に包帯が巻かれていた。薄暗い聖堂内にあって、包帯の純白さは痛々しいほど浮かび上がって見えた。
「既に皆様もご存知かと思いますが、此処一ヶ月ばかりリュックブルセルクでは、『神隠し』が起こっています。およそ、十人近くの子が行方不明になっております。自警団の方々が全力を尽くしてくださっていますが、残念ながら今の所解決のめどが立っていません。今日は、子供たちの無事を祈りましょう」
「何時もの神父さんじゃないみたい」
メイが小声で呟いた。
「何時もの?」
「神父さんは、もっと静かに喋るの。今日の神父さんお喋りみたい」
康介は、眉を顰めた。何時もの神父を康介は知らないが、云われてみれば、確かに少しばかり饒舌すぎるような気がしなくもない。饒舌と云うよりは、顔の蒼白さとは裏腹に、やや興奮だって居るようにも思える。
「皆さんのお立ちください」
神父の一言に、会場内の参列者は立ち上がった。奏者が壇上の端に設置されているオルガンで、安らかに語りかけるような賛美歌を弾き始めた。
周囲は演奏に合わせて賛美歌を謳い上げる。しかし、音痴で、しかもこのような場所と音楽共に不慣れな康介は、口パクで誤魔化しておくことにしておいた。
不意に、前のコロナは落ち着きなく周囲を見回した。前後左右のみならず、女性の絵が描かれている天蓋もだ。まるで、何かを探している、否、見えない何かを見定めようとしているようだった。
「コロナどうかしたの?」
「纏わり附く視線を感じるの。何処からか邪気を含んだ視線で見られているみたいで気味が悪い」
康介には、コロナの主張する視線を感じなかった。疲れで、コロナが些か過敏になっているだけではないかと思った。
「俺は何も感じないよ」
「そりゃそうでしょ。康介は特別な訓練を積んでいる訳じゃないのだから」
「何だよ、其れ」と康介は毒づき、コロナを放って置くことにした。康介が幾ら気にした所で、コロナはまともに相手をしてくれないのは明白であった。
その後は、ミサは滞ることなく、恙なくに運ばれた。尤も、コロナが主張する、式典の開始時に感じた強し視線を除いてではあるが。
暫くすると、ライヤ神父の説教が始まった。式典の開始時は、賛美歌を謳う度に椅子から腰の上げ下げを繰り返せねばならなかったが、説教が始まると一転して座り続けることになった。
ライヤ神父の話は有り難いものに違いなかった、と康介は思う。しかし、如何せん聖書、特にこの世界の知識が皆無な康介にとっては、聞きなれない単語が連なり、しかも抽象的な話から導入される説教は、眠気を誘うには十分すぎる効果があった。次第に、康介はうつらうつらと舟を漕ぎ始める。そして、何時しか、浅い眠りに落ちたのであった。
ヲイヲイ、これはいけないだろう、jk
2012/3/18(記載を忘れていた……)
参考文献:有名な宗教から




