第二章 其の四
簡単な朝食のあと、コロナと康介は、カミーユから手渡された手書きの地図に従って、エルシールが所属している自警団の詰所に向かっていた。自警団に属する男に、魔術に詳しい者がいるので、朝食が済み次第来るように云われていたからである。カミーユによれば、エルシールは康介たちが目覚める前に家を出たらしい。「随分早起きなんですね」、とコロナが感心していると、カミーユは、「あら、コロナさんたちが遅いだけですよ」、と返した。
コロナは、手元の地図を確認しながら、康介を先導していた。「次の角を右に折れるのね」、など云いながら、地図に書き込まれた目印になる建物をしきりに眺め見回していた。詰所は人通りの多い道にあるらしくて、カミーユは、迷うことはないだろうし、万が一迷っても人に聞けば分かる筈だと云っていた。実際にコロナたちは、露天商が立ち並ぶような市場を抜けたりと、人が闊歩している通りを進んでいた。
康介のために手を尽くしているコロナに対して、一方の当事者である康介は半ば関心を失いつつあった。朝の食卓でも、康介は油が切れた機械のようにぎこちなかった。康介は落とした陰は、食卓の雰囲気を殺伐とまでは行かせないものの、何処かぎくしゃくしたものに為させしめた。康介のパンを齧る様、スープを掬う仕草は、重病を患った病人のように沈んでおり、見ていたカミーユは、「どこか悪い所でもあるのか?」、と康介の具合を案じた。康介は捻り巻いた紙縒りのような細い声で、「何でもない。朝はこんなものなんだ」、と虚ろな返事をした。
カミーユのみならず、メイを初めとした他の子供たちも康介の方へ視線を向けた。外見は食事を続けながら、康介は恰も無関心を装ったが、内心では自分に集まる視線を気にせずに入られなかった。また、言葉では何でもないと云いながらも、どこか不機嫌な面を見せている矛盾した自分に、据わり心地の悪さを覚えた。
カミーユは康介を案じて、「体を温めた方が好いだろう」と、温かいスープをもう一皿差し出した。気分が優れないのなら、今日は大事をとって寝ておいた方が好いのではないかとも云った。
スープを運ぶ手を休めた康介の心には迷いが浮かんだ。
――態々無理をしてまで元の世界に戻る必然性などあるのだろうか?
しかし其れは此の世界においても同じことではないのだろうか?気遣ってくれるコロナやカミーユたちに囲まれているが、康介には現在の仮初の生活が長らく続くとも思えなかった。彼らとも離別しなければならない時分が、いつかは訪れる筈である。其の背後には、暗雲たる世界が息を潜めているように違いなかった。
此の世界にしろ、元の世界にしろ、其れらを安い世に結びつける糸口を、康介はどうしても見出すことが出来なかった。康介の内で、世界は得体の知れない恐ろしいモノに翻訳為された。其のような考えが堂々と巡り、康介は全てを投げ捨てて臥したい気分であった。
「康介、今日は大事をとって休む?」とコロナが訊ねた。
康介は、自分の自棄になりつつある感情を伏して、「いや大丈夫、少し一服したら行こう」、と応えた。そのように答えたのは、便宜を図ってくれたコロナとエルシールに対して申し訳ないと思ったからであった。気が変わったと云うことは、彼女たちを裏切る行為に等しく思われた。
「見えた。あの白い建物のようね」
朝の出来事を回想している康介は、コロナの一言で現実に呼び戻された。
白波に晒される木片のように、決心が定まらない康介には、話を聞くことが徒なことのように思われた。それでも、康介はコロナや他の皆に鈍った心を打ち明けることは憚れた。
詰所は、詰所と云うよりは二階建ての簡易な塞を髣髴させ、槍のような棘を突き上げた鉄柵の門を構えた奥に、大小二つの四角いサイコロを重ねたように控えていた。遠目に白く見えた詰所は、近づいて見ると、所々、色が剥がれたり傷が走っており、存外薄汚れていることが分かった。
厳然たる詰所が、街中にその他の建物と堂々と肩を並べて立っていることは、この世界を良く知らない康介には只圧倒さればかりであったが、コロナの表情を見ていると別段奇妙なことではないようであった。
コロナは、門前に屹立している二人の衛兵に近づくと、「エルシール=セレスタにお目通り願いたい」、と述べ、エルシールが書き残していった紹介状を懐から取り出した。 渡された書状を暫く怪訝そうに眺めていた衛兵は、記されている内容とエルシールの署名を認めると、すぐさま、「確認してくるから、ここで待つように」、と云い残して詰所の中に入っていった。
数分後に、衛兵が戻ってきた。「随分待たせて申し訳ない。確認が取れたからどうぞ中へお入りください」、と漸くコロナたちは門を潜った。




