86 お嬢様の過ち
翌日。
いつもであれば、食堂でクレアが朝食を食べているのが見慣れた光景だった。
「ルビー、クレアは?」
「本日は来ておられません」
昨日のこともあって、朝から顔を合わせるのも恥ずかしいのだろう。
クレアがいないこともあり、今日は馬車で学園へと向かった。
教室の入口で、私は思わず立ち止まってしまう。
「ええっと……」
普段であれば、クラスの生徒たちは私を見て顔をしかめたり、小声で内緒話をしたりしている。
それが今日は、ただ無言の視線が私に向けられるだけだった。
席は特に決まっていないものの、私はいつも教壇の前に座っている。
その私の席の隣には、もうクレアが座っていた。後ろの席には、ライオの姿もある。
ライオは眉間にシワを寄せ、頬杖をついて窓の外を眺めている。クレアは顔を隠すように本を読んでいる。
いや、読んでいない。ただ顔を隠している。
この状況で、私にあそこに座れと言うの?
とはいえ、避けて違う席に座るのもおかしい。
「お、おはよう……」
「おはようござ……」
「おはよう」
クレアの声は途中から聞こえなくなり、ライオも不機嫌というわけではないけれど、ただ返事を返しただけという感じだった。
一限、二限と授業は進むものの、居心地の悪さは変わらない。
何があったの、なんて聞こうにも、元凶である私が聞けるわけがない。
教室の中も異様な空気に呑まれて、誰もが口数少なくなっていた。
休み時間になっても、クレアは相変わらず本を盾にしている。
「クレア、今日の午後の実技だけど……」
返事が返ってこない。
「昨日の疲れがまだ残ってて……図書室に行こうと思うのだけど、いいかな?」
「わかりました」
あと一限我慢すれば、この空気から解放される。
そう思っていた。
なぜこうなってしまうのか……私は実技を受けなくてもいいことになっている。
けれど、クレアはそうではない。それなのに私の隣を歩いていて……さらにその後ろには、ライオが付いてきている。
ここまで来たからには本を借りるしかないのだけど……まさか二人が付いてくるとは考えていなかった。
司書さんにお願いすると、彼女は後ろの二人をちらりと見て、快く奥の個室を貸してくれた。
すれ違いざまに親指を立てられたけれど、私に期待はしないでほしい。
個室の中は、真ん中に机が一つ、椅子が四つあるだけの小さな部屋だった。恐らく、テスト期間にはよく使われるのだろう。
分かってはいたけれど、私の隣にはクレアが座る。……いい加減、その本をしまいなさい。
まあ、正面にライオがいる以上、無理よね。
「さて……気まずいのはわかるけど。あ、いや、その前に」
何か話題をと思ったのだけど、よくよく考えてみれば、まだ二人に謝っていなかった。
私は椅子から立ち上がり、二人の前に出ると、その場に膝をついて床に額をつけた。
「本当にごめんなさい! 余計なことをしてしまって、本当に申し訳ございません!」
今、必要なのは謝罪。
誠心誠意、二人に謝らなければならない。
「グセナーレ様、お止めください」
「そうです。土下座をされるようなことなど……そもそも、私が」
「いや、それは違う。私があのようなことを考えなければ……」
あー、うん。
よく考えたら、私が悪いわけじゃないのでは? そう、あの屋敷は私の家だ。
その私がちょっと寝てしまっただけで、あんなことをしようとしていた二人が悪い。
私は立ち上がり、膝に付いたホコリを手で払った。
「少し気になっていることがあるのだけど……二人は婚約者、で合ってるよね?」
「ええ、その通りですが……」
ずいぶん前に、ライオに婚約者がいるという話は聞いていた。でも、相手が誰かまでは聞いていなかったはず。
というよりも、あの頃はライオのことが鬱陶しくて、まともに聞く耳を持っていなかったし。
「で、久しぶりに二人きりになったから、ああなったと?」
ライオは視線をそらし、クレアは本を顔に強く押し当てたまま動かない。
恥ずかしいのはわかるけどさ。クレア、本は読むもので、顔に当てるものじゃないよ?
「ライオ。あれはクレアの許可を取っての行動なの?」
「それは……クレアが婚約破棄のことを言うから、私の思いを伝えようと……」
婚約破棄?
クレアはライオのことが好きで、ライオもクレアがいいと言っている。それなのに、なぜ?
「クレアはどうして、そんなことを言うの?」
けれどクレアは首を横に振るだけで、何も答えない。
「その……クレアが言うには、私には他にふさわしい方がいると……」
クレアは、脳筋思考さえ取り除けば完璧なご令嬢と言っていい。そして二人は両思い。
「馬鹿なの?」
正直、それしか出てこなかった。
政略結婚が悪いとは思わない。それだって、場合によっては円満になることもあるのだから。
それなのに、両思いの二人を阻んでいるのが『ライオにはもっとふさわしい人がいる』だなんて。理解できないわね。
「まあいいわ。クレアが、そのふさわしい人がいると思っていることはわかった」
「グセナーレ様」
口を開きかけたライオに手を向け、言葉を制止する。
「学園卒業を区切りにしましょう。二人はこのまま婚約者でいて、それまでにライオがクレアを振り向かせられなかったら、婚約破棄。ライオに別の想い人ができたら、その時点で終わり」
「ですが……それはあまりにも勝手すぎます」
「ライオ、私はお前よりもクレアが大事なのよ」
私の言葉に、ライオは焦りと恐怖が入り混じったような顔を見せた。
やはり、王国は私のことを調べているのだろう。私と冒険部隊を敵に回せば、王国にとっても痛手は大きい。
「クレアは、ライオが好きなら何も気にしなくていいの。でも、今ここで約束しなさい。期限は学園卒業まで。二人がそんな調子じゃ、私は楽しくないわよ」
ライオがそれを拒みたいのも理解はできる。条件に婚約破棄が含まれているのだから、無理もない。
一方のクレアは……おいおい話し合っていくしかないわね。
私は二人の手を取り、無理やり握手をさせた。
「クレア、私はあなたの味方。だから、今は仲直りをしてほしいのよ」
ライオは戸惑いながらも、その手をしっかりと握り返す。クレアは本の陰から、握られた手をじっと見つめていた。
お似合いだと思うけど、相手が王子だから不安なのかもしれないわね。
その日の放課後。
昨日に続き、私は二人を屋敷に招待した。




