80 お嬢様はお疲れです
学園長からは、今日はもう帰るように勧められ、クレアは私に対して強くそれを勧めてきた。
制服も乾いているし、こんな時間に帰るとなると何かがあったというのは明白になる。
今日の出来事が、あの屋敷に知れ渡ったりでもすれば、私一人の力でどうにかすることはできないと思う。
ルビーは怒り狂い、バナン率いる冒険部隊たちも黙ってはいない。
「学園長。私はこのまま、休んでいてもいいですか? 今帰ると色々心配されてしまいますので」
「もちろんです。グセナーレ様のご自由にしていただいても構いません」
私は乾いた服に着替えて、ベッドに横になる。またあれこれと考えてしまうのが私の悪いことなのだが……眠気はすぐにやってきた。
* * *
「クレア、少しいいだろうか?」
「はい、私も殿下に聞きたいことがありますので」
「では私の部屋でお話をしましょう。あそこであれば、問題ないでしょう」
イクミが寝たことで、そっと部屋を後にする。
廊下を歩く二人に会話はなく進んでいく。
学園長から渡された鍵を使い中へと入る二人。
だが、すぐに言葉は出てこない。
クレアは何かを思い、拳を強く握りしめる。
「クレア、先に謝らなければならない。グセナーレ様の、今回のことについてだが、本当に申し訳なかった。婚約者である君に、王族として話せないことも、深く謝罪する」
その言葉の意味をクレアもわからないわけではない。
イクミ・グセナーレという突如として現れた奇妙な存在。
「イクミ様は……いえ、王国はイクミ様をどのように見ておられるのですか?」
「そうだな、優秀な人物だろうか? 今ではなくてはならない人とも言える」
クレアはイクミのことを深くは知らない。元日本人、ただそれが大きく、面白いと思えたから仲良くしたかった。
だが、イクミの容姿は黒目赤髪。本来揃っているはずの髪と瞳の色が異なる者は、古くから忌み子と呼ばれ、捨てられ続けてきた。
この言葉は今は使うことを禁止されている。
二年前、王国は忌み子の保護を発案し、これを可決。
とはいえ、人々がそう簡単に変わるものではない。そのため王国は、子供を孤児として守ることとなっている。
この発案者は、前国王ルードリッヒ・ルディストラによるものだった。
イクミが暮らしていたプルートの街でも、彼女を忌み子と呼ぶ者はいなかった。上質なドレスを身に纏い、大勢の奴隷を従える少女に、面と向かってそれを口にできる平民などいるはずもない。
そして、領主ラズバードの誕生パーティー。招待客がやけに少なかったあの夜会に集められたのは、イクミの義父の息がかかった者たちだけだった。彼らに忌み子の少女を引き合わせ、その後ろに誰がいるのかを無言のうちに示すための場。あれが本当に誕生祝いだったのかどうかすら怪しい。
イクミの冒険部隊は、数多くの街や村を救い、魔物の数を減らしている。
飢餓、洪水などの災害に彼らの尽力があって助けられた者。災害によってかかる費用など、数え切れないほどの報告がこの王都にある城にまで届けられた。
冒険部隊もイクミのことを隠している。学園長もダンジョンのことがなければギルドマスターに話すこともなかった。
「殿下は、イクミ様をどうされるおつもりですか?」
「私? 父上でなく私? 父上からは守ってやれと言われただけで、私はグセナーレ様に特別な感情はないよ」
クレアが聞きたいことは、そういうものではなかった。
ライオットが言うように、王族として言えないことがあると先に言われている。
「逆に聞くけど、クレアはどうしてグセナーレ様と?」
「イクミ様は私のお友だちです」
「彼女には君と張り合える力はないはず。それとも、彼女の持っているものに惹かれたのかい?」
ソルティアーノ公爵家、過去に例のない問題行動の数々。その全てがクレアローズによるもの。
冒険者は十八歳を過ぎてから登録できるが、彼女は登録することもなく魔物退治を幼少の頃から繰り返していた。
「確かに気になる方はおりますが、そう言ったものではありません。殿下はすぐ、そういうことばかりいいますよね」
「すまない。君と出会ったのが衝撃的でね、君を見るたびに思い返され惹かれていくよ」
「そ、そういうことを、は、話していません。えっと……その」
ライオットとしてもイクミと仲良くするのは好ましくもある。だが同時に危険でもある。
イクミの存在が多くのものに知られている。だが、忌み子として人目を避けられてきたこともあり、その人物像はまだ特定されていない。
知っている者はごく一部に過ぎない。爺さんことイクミの義父により表舞台に出てきたことで、これからゆっくりと知られることになる。
「グセナーレ様は、多くのことに巻き込まれる可能性がある。私としては君が心配なんだよ」
「わかりました」
ライオットはその言葉に、目を細める。最初からわかっていたことだから、これから始まる言葉もわかる。
「私も一緒にイクミ様を守ります」
ライオットは思う。自分の婚約者は頼もしくて自分が情けなくなる。
「この際ですが……」
「無理だからね。婚約を破棄してほしいだなんて……私は君に惹かれているといつも言っているだろ?」
クレアは顔を真っ赤にして席を立って部屋から出て行った。
まだ時間は十分あると言い聞かせ、先ほどの可愛らしい顔に身悶えするライオットだった。
* * *
目が覚めると、部屋の中には夕焼けの紅い日差しが壁の色を染めている。
思いの外長い間眠っていたようね……色々と疑問だらけで何も整理はついていないけど、状況からしてあまり正常な判断ができるとは思えないわね。
少し頭が痛い。
幸いなことに、この部屋には誰もいない。
助けてくれた二人に、特にクレアにこんな状態を見せる訳にもいかない。
ベッドから降りて立ち上がるが、結構辛い。
「でも、行くなら今しかないわね」
ありがたいことに置いてきた靴も用意されている。
ゆっくりとした重い足取りのまま廊下を、壁に手を当てて体を支えながら歩いていく。
校門まで行けば、ルキアが待っている時間になっているかもしれない。
そこまで行ければ何も問題はない……重要なのは、あの三人に出会わないこと。ルビーたちにならまだ言い訳で通用すると思う。
壁にもたれかかり、少しだけ呼吸を整えていた。
「はぁ、はぁ。体力がなさ過ぎるというのも問題ね」
以前の体だったら、この程度の熱が出ていても、十分仕事をこなしていた。
運動もここ最近では週一回の淑女教育日だけ。出歩くことも少ないし、屋敷で動き回るなんてこともない。
この王都での暮らしに慣れてきているとは言え、気疲れをしていないわけではない。
前の屋敷のような自由さもなく、日々が堪らなくつまらなくなっている。
何でこんなことをしているのか、こんなことをして何の意味があるのかと、ただ本を眺めながらいつも感じていた。
この学園にいる必要性はほぼ皆無。
座学を習ったところで、何かの役に立ちそうなことはかなり少ない。
「あっ、いたったた」
階段を降りたところで少し休憩をしていたが、そろそろ進もうとして一歩踏み出したものの、おぼつかない足取りは、何もないところで躓く。
手に力を込め、体を起き上がらせようにも自分の体だと言うのに全く思うようにいかない。
「イクミ様! 何をなされているのですか!?」
「クレア……失敗したわね。大丈夫よ、少し転んだだけよ」
私の状況を確認に来ていたのだろう。
こうなるのを避けたいところだったのに……なんとか上半身を起こすが、体を支えようとする手に力が入らない。
クレアは不安そうに、息の荒い私を見ていた。
顔に触れようとする手を払いのけることもできず、頬の熱を感じ取ったクレアは私を抱きかかえ、学園の外へと慎重に歩いていた。
「イクミ殿!? 貴方は、ソルティアーノ様」
「今はご説明をしている場合ではございません。イクミ様を早くお屋敷へ」
「はい、かしこまりました。では、私が……」
「このままイクミ様を抱えて屋敷まで向かいます」
このままだと……皆に知られてしまう。
心配なんて掛けさせたくないのに、ごめんね。




