07 お嬢様と侍女
ふわふわのスカートをなびかせながら食堂へ向かう途中、後ろから付いて来るルビーとトパーズの両手には、これまで使っていた服やズボンが抱えられている。
そして、食堂の近くから見える玄関の脇へ、無残にも投げ捨てる。
きっとあれは明日には無くなっているのだろう……こっそり回収しようにも、俺の隣にはルビーがいるから不可能だ。
仮に残っていたとしても、着替えさせるのもルビーなわけで、どうせさっきみたいに拒否されてしまうだろう。
「何も全部捨てなくてもいいんじゃないのか? こういうヒラヒラしたものは、居心地が悪いのだけど」
「慣れてください、お嬢様。旦那様がここを離れてから、ずいぶん横柄になりましたね」
ルビーの真紅の瞳から、氷の視線が突き刺さる。
「着替えるのは別に嫌じゃないんだ。俺……私はひらひらのスカートじゃなくて、ズボンとかでもいいと思っているだけだよ」
本当のことを言えば、怒られるからな。
着替えを自分でさせてもらえないのは、お嬢様だから。そういうものとして諦めるしかないのだろうけど、服ぐらいは好きな物を選ばせてほしい。
「そのようなお考えはお止めください。グセナーレ家の淑女として、日々の生活においてもそのような格好は認められません」
「とはいえさ、この屋敷から出るわけじゃないし……淑女だの何だのと言われても、そんな物が本当に必要とは思えないよ」
ルビーは俺の前までやってきて、軽く頭を下げた。
「これまでのお嬢様を見ていて、旦那様より預かっていた言付けは不要かと思っておりました。ですが、お嬢様にお伝えする必要があります」
「あの爺様がねぇ……それで、何だって?」
「イクミの態度が酷い場合、またグセナーレ家次期当主として相応しくない態度を取ったり、意欲をなくして怠けたり、ここから逃げ出そうとしたりした場合、直ちに変態貴族にタダで売ると仰っておりました」
一瞬、何を言われたのか理解が追いつかなかった。
変態貴族……あの日、爺さんにからかわれた単語が、こんな形で現実味を帯びて戻ってくるとは思わなかった。
頭の中で「タダで売る」という言葉だけが、やけに大きく響いている。
「え……? ごめん、ちょっと、何を言ってるのかわからない」
「つまり、お嬢様の行動次第では、貞操なんて簡単に無くなってしまうわけです」
貞操の言葉が出た瞬間、頭の中が真っ白になる。
冗談だと思いたい。だけど、淡々と語るルビーの言葉の奥に、爺さんがニヤッと笑う顔が見える。
「あんのクソジジイ!! はっ」
姿勢を正したルビーの威圧に、俺はただただ土下座をして震えるしかなかった。
震える俺は抱きかかえられ食堂の椅子に座らされる。
「る、ルビー。これからちゃんと頑張るから」
「かしこまりました」
ルビーはそう言うが、ため息を漏らしていた。
ほ、本当だよ?
向けられた視線から察するに、冗談とは思えない。まさか爺さんがそんなことを考えていたとは……養子の話が出たときに、あの件はすでに解決済みだと思っていた。どうやら俺の考えは甘かったようだ。
態度はそれなりに、問題はない……はず。
ルビーの様子からして、言葉遣いだけが一番の問題だな……こればっかりはそうそうどうにかなるとも思えない。だが……今はそういう考えすら捨てるしかないというのか?
ほんの半年前までは、三十四年間ずっと男として暮らしてきた。だから、今更そう簡単に変われるはずもない。
しかし、これを直さないと貞操に危機が迫るなんて、怖すぎるだろ。
そもそもの話、この体が男の子だったら、これからの生活は何の問題もなかったのだろうか?
ちゃんとしていればとくに問題はないはずだから、気をつけていればいいだけのこと。
今はそんなことを考えるよりも、やるべきことが山積みだ。
トパーズが用意してくれた朝食を終えた俺が向かったのは、奴隷たちがいる地下室だ。
あの時から、ここに多くの奴隷がいることは知っていた。だけど、奴隷紋の譲渡が済むまでは干渉することができなかった。
ただ、奴隷魔法の練習用に、二人だけ先に譲渡されていた。その二人は、この地下ではなく屋敷に住んでいる。
実験台というのは嫌な表現だが……俺にはそうするしかなかった。
はじめて奴隷紋を俺の物に書き換えた二人には、メイドとして屋敷の管理や地下の奴隷たちの世話を頼んでいた。
餓死者が出ないように、食事も以前よりは多めにしてもらっている。譲渡のとき見た奴隷たちの姿を、直視できなかったからだ。
全権を譲渡された今の俺は、ここにいる奴隷たちの主だ。この場所に来ると、あの時見せられた光景が蘇る。でも、爺さんのように人として見ないような真似はできそうにもない。
「お嬢様、一体何をなされるおつもりですか?」
「とりあえずここに置いてても意味はないからね。命令する。全員、私に付いてきなさい」
檻にいた奴隷たちを連れて、屋敷の広場に向かわせる。
奴隷紋を使った命令をすれば、従うか苦痛を受けるかという選択になる。であれば、命令する相手が俺のような子供であっても、従うほかない。
今、もっとも必要なのは労働力。
屋敷にいた使用人たちは、爺さんがここを離れたことでルビーとトパーズしか残っていない。
それに、メイドをしている奴隷も二人だけなので負担は大きい。ある程度のお金は残されたが……これだけの人数を抱えるとなると、それなりの維持費も必要になってくる。
広場にいる奴隷たちは全部で四十九人。
「では、ここにいる全員に命令する。私に攻撃をしない限り自由にしてもいいよ」
言葉を発した瞬間、奴隷たちの視線が一斉に俺へと突き刺さった。
誰も声を上げない。ただ、その沈黙は、檻の中で感じていたものとは明らかに違う何かをはらんでいた。
自由。その言葉の意味を、彼らは本当に理解しているのか怪しいものだ。
彼らの目に、希望と呼べるようなものは浮かんでいなかった。理解できない命令に困惑し、拭いきれない警戒だけがあった。
俺がこの世界に来てから、爺さんと奴隷たちの間で見てきた光景。あの苦痛に歪んだ顔……おそらくこれまで与えられてきたものといえば苦痛と絶望ばかりだったのだから、今更差し出された自由を素直に信じられるはずもない。
それでも構わない。今はまだ、疑われたままでいい。
言葉じゃなく、これから示していくしかないんだから。
全員の紋様に魔力を流し、命令を書き換えていく。
この魔法自体は、それほど魔力を使わない。そのはずなのに、これだけ多いと体を支える力が抜けていき、立っているだけでも辛く感じる。
たった二つの命令だとしても、この子供の体にはそれだけの負担になる。
「はぁはぁ。終わったかな?」
「お嬢様。大丈夫ですか?」
少し足元が覚束なくなったところを、ルビーに体を支えられる。
もし倒れていたらどうなっていたことか……視線の先にいたのはトパーズだった。服が汚れることも気にせず地べたに仰向けになり、期待に満ちた目で両手を広げて待ち構えている。
「トパーズは、ここですよ」
何を言っているんだこいつは……
俺を助けることより、自分が受け止める役を取ることしか考えていないのか。
「大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ」
トパーズをできるだけ見ないようにして、ルビーに支えられたまま奴隷たちの前へ進んでいく。




