57 お嬢様は王都へと向かう
のどかな生活もあと僅かなんだね。
私はただここから見える景色を何も考えず、ただ眺めていた。
持っていける物ならなんでも馬車の中へと入れていく日々を私は見ているだけ。
いつもならテラスにいる私を見かけた人は手を振ってくれるのだけど。
誰もが私を見ることもなく慌ただしく働いていた。
手伝うことも許されず、ただこうして皆を見ていることしかできない。
賑やかだった食事は、誰も騒ぐこともなくただ黙々と食べるだけ。
朝になり、ルビーが着付けをしてくれる。
「お嬢様。私は先に広場にてお待ちしております」
「うん」
ルビーは、私の支度をすませると、そのまま部屋から出ていった。
私がそう指示したわけでもなかったが、廊下へと出ると部屋の扉は全て開かれている。
いつもなら右手にある階段から降りて一階へと向かう。
私はそのまま廊下を歩く。隣にある私の執務室、数多く置いてあった本は全てなくなっている。
その他の部屋も全て綺麗に掃除され、何も残されてはいない。
二階、そして一階と同様に家具だけが残されていた。
さすがにここまで物を持っていくのに……どれだけの馬車が必要になったのだろう。
ルキアの時とは違い、長距離の話にもかかわらず準備は僅か十日ほどで終わり、屋敷はもぬけの殻となっている。
屋敷の中は静まり返り、私の小さな足音だけが耳に入ってくる。いつもであれば、廊下を歩けば誰かが声を掛けてくれていた。
これから居なくなるというのに、窓も綺麗に磨かれている。
「この屋敷にも、色々と思い出が残っているものね」
だけど、いつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。
この扉を開ければ皆が出迎えてくれる。
私は振り返り深く頭を下げた。
「行ってきます」
大きな扉を開いた。
「「お嬢様、準備が整いました」」
屋敷の玄関を開けると、屋敷の外まで続く何台もの馬車。
広場には一風変わった私のための馬車が一つだけ残されていた。
ルビー、トパーズが深く頭を下げ出迎えていた。
クロ、ルキアが待っていた。
「イクミ様」
「イクミ殿」
ルビーの言うように、私の護衛として最高峰と言える。
バナンを筆頭にその後ろには各部隊長が並んでいた。
「お嬢。待っていたぞ」
ここに誰も残してはいけない。
広場には、各部隊の隊長が並んでいる。私に忠誠を誓い奴隷紋を解放した者たち。
そして、新しく結成した完全別働隊の三兄弟もまた列の端に加わっている。
部隊とは別に使用人や農奴たちも離れて並んでいる。
私はあの頃とは違い、一歩、また一歩と近づいた。
皆の思いを受け入れ、奴隷だけど、奴隷でなくても。皆が私を支えてくれる。
それが何よりも幸福だと……
そんな皆に支えられて来たからこそ、私は、皆といられる時間が何より嬉しかった。
「ルキアたちのことを思い出すね」
「私ですか?」
「うん、あの時もこうして総動員で向かったなってね。ティアとクレスは元気でやっているかしら?」
「きっと大丈夫ですよ」
「ごめんね。余計なことまで思い出させて」
「そのようなお顔をなされないでください。私は村へ入ることはできません。ですが、きっと二人は元気にやっていると思います。きっとイクミ殿のことを思い出に過ごしていることでしょう」
「ルキア。ありがとう」
クロとルキアが跪くとそれにならって全員が膝をついていた。
私は皆の思いに応えなくてはならない。
それでもね、たまに思うことがある。こんな小さな主を持って本当に不満に思わないのだろうか、と。
しかし、その答えはもう聞く必要はなくなってしまっている。
そんなことを、聞くことすら今では馬鹿馬鹿しく感じる。
この僅かな年月だけど、皆は私という人間を知り。
私は皆とともに過ごし、信頼を得てきたから。
だから、私には答えがわかっている、私を慕う者、尊敬する者、慈しむ者。皆の気持ちは嫌というほど聞かされてたから。
「皆。これより王都向けて移動します。今度も、また私のことで慣れない土地での生活に苦労させることになると思う。それでも皆は、私についてきてほしい。皆の持つ名札が私との繋がりだ。だから、共に頑張ろう。奴隷を恥じる必要はない。なぜなら、皆は。この私、イクミ・グセナーレの奴隷だからだ。さあ、行きましょう。私と共に!!」
「「「「おおーーー!!!」」」」
多くの声援が向けられた。その声は奥へと続く人たちに繋がっていく。
私には両手を広げ大きく振るぐらいしかできないが、皆も手を振り返し辺り一面の笑顔を見せてくれていた。
ルビーが私に声を掛けてくると、皆も各自の持ち場や馬車へと向かっていった。
「お嬢様。彼らが出立してしまう前に……」
「そうね。呼んでもらえるかしら?」
三人の冒険部隊が私の前に集まる。
「はい、なんでしょうか? 出立の時刻も過ぎてますので、あまり時間がありませんよ?」
真面目な長男のリンド。
「何言ってんだよ、お嬢が全ての優先だろ? 遅れたのなら取り返せばいいんだよ」
口の悪い次男のランド。
「何を言っているのですか? お嬢様は僕にご用なんでしょ?」
マイペースな三男のロンド。
「「お前だけじゃねぇよ」」
仲が良いのか悪いのか。彼らは、三人兄弟で長男のリンド、次男のランド、三男のロンド。
三年前ほどにバナンたちが、山中で救出したのが始まりだった。
三人は大怪我をしていたところに偶然居合わせた。
「あなたたちの名札を変更するのよ。ルビー、交換してもらえるかしら?」
部隊長は金、冒険部隊には銀と銅。使用人にも同じようにランクを設けた。
優劣をつけるためではなく、私が分かりやすくするためのものだった。
勿論これによりトラブルは一度もない。
だけど、ただ一つだけは違う。
「これは……白金のプレート」
これを持っているのは、クロとルキアだけ。
「あなたたちの活躍は聞いているわ。あなたたち三人が協力して戦うのなら、ここにいる誰よりも強い」
三人一組という枠であれば、彼らに敵うものはこの部隊には誰もいない。
彼らは最初から奴隷紋はない。それでも、私のために頑張ってくれていた。
この白金プレートは私がもっとも信頼しているという証。
彼らに任せた任務は、誰よりも過酷なもの。
多くの奴隷たちはこのプレートを持つことはないだろう。
だからといって、彼らにこれを渡しても不平不満が出ることはない。
「それとこれを、私からの贈り物です。邪魔にならないといいのですが」
私の横顔をモチーフにした刺繍が施されたネクタイ。
リンドには黄色。ランドには赤色。ロンドには緑色。
一人、一人の首にかけていった。
「こんな物しか用意できなくてごめんね」
「嬉しいです」
「ありがとうございます」
「肌身離さず持ち歩きます」
「あなたたちの活躍よりも、無事でいることを願っています。どうか、気をつけて」
彼らの任務は、この広い大陸を周り脅威となる魔物の調査。
私に害を及ぼそうとするかもしれないものの排除。
危険度は計り知れない。敵もわからない。
だけど、それを提案してきたのは彼らだった。
馬さえ持たない彼らの旅に成果なんかよりも、無事を願うほかない。
「お嬢様。そろそろ馬車へ」
「ええ、行きましょう」
屋敷のあった畑にはもう何も芽吹いてはいない。
かつては、テラスから眺めると皆が私に手を振り、笑顔を見せてくれていた。
広場には今は誰もいない。
私はいつかまたあの場所へ帰ることができるかしらね?
慣れ親しんだ屋敷を、馬車の窓から身を乗り出し見えなくなるまで眺めていた。




