56 お嬢様のペット
地図を眺めても、馬車で三週間という距離が一体どれほどの距離なのかを確認できる要素がない。
というのはこの地図に王都は載っていないから。
私の場合基本的に遠出は許されていないので、今回のような長い距離を進んだことはない。
その原因となったのはエルフの村で、私は危険な立ち位置へと足を踏み入れてしまった。
結果として何事もなかったが……私が前に出たことは皆は気が気じゃなかったらしい。
それもあってか、二日かかる距離の移動はルビーは許可をしない。
自分で移動をしていないからか、何ヵ月も屋敷にこもっているからか……距離感というものを把握できていない。
私には、王都の道のりが三週間かかるのは理解不能である。
「三週間は時間かかりすぎない? 王都ってそんなに遠いの?」
「真っ直ぐでしたらそれほど遠いわけではないのですが、あちらに見える山脈の向こう側に王都がございます」
「つまり、迂回する必要があるってことね」
飛行機でもあればすぐなんだろうけど……魔法というものがあっても、そんなことはできない。
浮遊魔法自体、存在はしている。物を浮かせるのも、数メートルがいいところ。
重量が加わると、その高さはぐっと下がってくる。
自身を浮かせたとしても、進もうとするのなら話がまた変わる。
ルキアや魔法士にそのことを聞いたのだけど、魔法理論というのをあまり理解できなかった。
分かりやすい例として、言われたのが……右目と右手で本を模写しながら、左目と左手で問題を解いてくださいと言われた。
書く以前に見えないからと言ったら、そういうことですと言われる。
要するに飛行というものは、どう頑張っても無理って話になった。
「街道とはいえ、どのような危険があるか……長旅でお嬢様に……」
ルビーが考え込んでいる。
街道は、商人も使っているよね? あの時よりも安全だと思うのだけど……三週間という長旅がルビーの思案の邪魔になっているのかもしれないわね。
私は私で、連れて行く人を決めないといけないのかしら?
今はかなりの部隊数になっていて。大貴族が持つ小隊にすら匹敵しそうなほど。
そんな軍勢が、街道を使えば……街の人たちは襲撃されると思ってしまうかもしれない。
「お二人とも、何をそんなに悩んでいるんですか?」
訓練から戻ってきたクロが不思議そうな顔をしている。
爺さんとの話を説明すると、ことの重大さを理解したのか耳は垂れ、嫌そうな顔になっていた。
「イクミ様が王都に……それって私も行っていいんですよね?」
「護衛だから、王都でも今までのように、クロとルキアも一緒にいてほしいけど……二人とも目立つからね」
獣人とエルフ。
この二人が護衛についている私。あー、なんだろう、不安しかない。
「獣人なら、冒険者の中にもいますから、私なら大丈夫です」
そういえばクロも元々は冒険者だったわね。
ルキアか……路地に何人転がることになるんだろう。
揉めごとになるようなことは避けたいよね。
そうだ。いい案がある。
「あの三人を護衛にするのはどう?」
「それは許可できません。男性がお嬢様の側につくなどありえませんよ?」
「能力だってかなり高いし、いいとは思うのだけど」
「仮の話で言えば、トパーズによって始末されます」
そこであいつが出てくるのか……あり得ると想像できてしまうのも、かなり毒されているよね。
「うん、準備にも時間はかかるし。もう少し考えてみるよ。ルビーはいつも一緒なのは分かっているけど、たまには一人で遊びに行きたいとかないの?」
「御冗談を……」
どういう意味なのだろうか?
私と離れないことなのか、遊びに行くことのほうなの?
それとも、私が遊び歩くことを想定されているのかもしれないわね。
私がフラフラと遊び回る方を警戒しているよねきっと。
やれやれ、私は子供じゃないのよ?
そりゃ以前、港町で迷子になりかけたけど、あれは不可抗力というものよ。
人混みで、私ちょっと小さいし、見つけづらいのもわかってる。
しょうがないでしょ、珍しいものがあったのだから。
珍しいといえば……
「ちょっと待って、フェルはどうするの? 離れるとか絶対嫌なんだけど」
「は?」
クロさん、どうしたのかな? すごく怒ってらっしゃる?
すごく低い声の『は?』だったよね……
フェルというのは、数ヵ月前にやってきた、人語を話す狼だ。
ルキアはご両親の墓参りの帰りに、話す獣のことをどこかで知り、クロと一緒になって捕らえてきた魔獣である。
私の言うことを聞いてくれるし、話もできるから意思疎通もバッチリな最高のペット。
知らなかったけど、私は動物は好きだと知った。あのときは初めて跳ねて喜んでしまった。
毛並みといい、撫で心地も最高だった。
フェなんとかという種族らしくて、私がフェルと名付けた。
最初につけようとした名前は、なぜかすごく怒られたのよね。
だけど、あれを抱いたまま寝ることは許されていないのよね。
一度でいいから一緒に寝てみたい。
「もしかして置いていったりしないよね?」
「フェルを持っていかれるのですか……フェルを王都の中に持ち込める可能性は低いかもしれません」
街中でもフェルは人気者だったりする。
私だけでなく、子供たちを背中に乗せたりと誰も怖がる人はいなかった。
だけど、最初に私が乗っていたから。私という知名度のおかげで街の人が警戒をしなかったと思えなくもない。
「そうね、プルートの皆みたいに受け入れてもらえる可能性は皆無。フェルが近くにいないのは寂しくなるね」
「どうした小娘。儂を呼んだか?」
「おー、フェル。よしよし」
私の声が聞こえたのか、テラスの手すりに座っていた。大きな体をしていて私が抱きついてもブレることはなかった。
頭は? 頭が遠いぞ。ほらほら、こっちこっち。
手をワキワキさせ、頬の毛が来るのを待っていた。
「おい、犬ころ。イクミ様を今なんとお呼びした?」
「ク、クロ殿……」
この世界には犬というものはいなかった。
だけど、私が犬がほしかったのよという言葉で、クロはフェルのことを犬呼ばわりすることがある。
「止めなさいクロ。今はイクミ殿が堪能されているところだ。躾ならその後でたっぷりしてやればいい」
魔獣であるフェルを従えているのはクロとルキアであって私ではない。
だから、私に対して時折ああやって茶化してくれたりする。
「ルキア殿……」
フェルの悪ふざけは、嫌味にも聞こえないし気にも留めていない。二人からすれば、そんな些細な冗談も冗談で済まされない。
屋根の上から見下ろしている二人の化け物に怯えているのか、フェルの震えは段々と大きくなっている。
「大丈夫だよフェル。虐められたら私に言いなさい、私が代わりに叱ってあげるから」
だけどフェルは私の顔を前足で押しのけ、一目散に逃げ出していた。
「二人共。私は気にしていないから、いい加減その程度のことでフェルをいじめないで」
「イクミ殿を足蹴にしたな」
「ああ、見てた、しっかりと……」
「あれ? なんか話変わっていない? ねぇ?」
私が声を出したと同時に、二人の姿は消え誰もいない屋根に話しかけている。
あの二人にも罰を与えることにしよう。
仲良くしてくれるといいのだけど。なんで二人は、フェルを叱るのかわからない。
遠くの方で、何本かの木が倒れているようにも見える。あまり森を壊したらダメだよ?
「あの二人がいてくれれば、王都でも安全そうだね」
「何を仰るのですか。もしも、ドラゴンが道を塞ぐのならどう対処するおつもりですか。たとえば、山賊共が一斉に一万人襲ってくればどう対処できるというのですか」
いきなり何の話なの? 王都にいきなりドラゴン?
山賊っていうよりもその規模ってクーデターになっていない?
「そんなこと起こるわけないでしょ。気にし過ぎだよ」
ルビーの心配性は尽きる様子もなく、対策を頭の中で練っているみたい。
私は私で、決めないといけない。
誰を連れていき、誰を残すかということを……




