03 社畜はフリルを着る
廊下にあった照明はここの壁にもある。
入ったときからすでに明かりは付いていた。
天井には五つの丸いライト。
一つ一つがランタンとあまり変わらない程度の大きさだ。しかし、入り口の壁にスイッチもなければ、部屋の壁を見渡してもコンセントが見当たらない。なら、どうやって点けた?
ランタンのような火の揺らめきもなく、光はまるで電気のように一定だった。
壁にある明かりは、さっきの廊下にも似たようなものが数カ所並んではいたが、天井のライトよりは光が弱く感じる。
それはともかく、パソコンのようなものがないこの環境で、会社でのスキルが活かせるとは思えない。友人からは働きすぎと言われたが、あの生活もそれほど悪いものではなかった。できることなら、なんとしてでも売られずに生き残る方法を考えないと。
今目の前にいる爺さんにどうやって俺を売り込むかが重要だな。
それにしても、白髪が多くて爺さんだと思っていたが金髪だったのか……これだけ明かりがあると、爺さんというにはまだ若い年齢だと思う。
「色々と気になるのだろうが、まずはお前さんのことを聞かせてくれ」
爺さんの言葉に、自分が置かれている状況を思い出した。
この部屋に連れてこられたのは、奴隷として何ができるのかを見る、面接のようなものだろうか?
「俺……失礼しました。実のところ、私にもよく分かっておりません。私の名前は建石育実。歳は三十四。日本という国の東京という所で暮らしておりました」
働くのは別に嫌いではない。今の会社も、高校を卒業してからずっと勤務している。定時は十八時。色々と大変なこともあるが、繁忙期の今は毎日終電まで残業するのが当たり前になっている。
もっとも、年中こんな時間に帰っているわけでもない。繁忙期が終われば、二十一時という早い時間に帰ることさえ可能だ。
とはいえ、この体で……あの頃と同じように働くことはできそうにもない。だけど、あの中に閉じ込められているよりも、少しでもまともな生活ができればそれでいいか。
「ふむ、ニホンという国に、トウキョウとは地名か? どちらも聞いたことがないのぅ」
そうなるとは思っていたが、さてどんなことを言ってくる?
無茶な要求をされると話にもならないが……最悪の場合、断れずに危険な役目を負わされるかもしれない。
そんなことになりたくはない。俺の方から言えることは何もないが、可能性は低くても縋るしかなさそうだな。
「そうですか……」
「次の質問じゃ。お前さんの村は魔物に襲撃され、孤児となったお前は旅の商人によって、ここに売られた。覚えておるか?」
魔物?
それって、ゲームやアニメでよくあるあれのことか?
今はそんなことを考えるよりも質問に答えるのが先だな。
さっきの話は、この体の少女……孤児となっていた少女のことだ。つまり、俺の意識が入る前のことなんだろう。
記憶を探ってみたものの、思い出せるのは自分のことばかりで、この世界が何なのかもわからない。
それにしても、孤児になって旅の商人に売られる? つまり、その商人は最初から売る目的で保護……いや、拾ったのか?
「子供の売買ですか……私からすればなんとも非道な話ですね。今の話は、この体の話ですよね? 私にはそのような記憶はないです。しかし、奴隷が一般的というのは……どうか俺は売らないでください。お願いします、お願いします」
俺はソファーから降りて、土下座をしていた。額を何度も床に打ちつけ、助けを求めた。
今いる所が、俺の知らない世界。しかし、そんなことは今はどうでもいい。
まずは自分の身を安全圏に置く必要がある。奴隷という聞き慣れない言葉に、俺は働かされることばかりを考えていた……問題はそれだけでなく、理解したくないものさえ理解できてしまったのだ。
たとえ人道に反する人身売買や奴隷が一般的にあるものだとしても、今の状況において、そこは重要ではない。
かつて、地球人類の歴史でもそういうものは確かにあった。
そんなものが当たり前であるこの世界に、俺の持つ価値観が当てはまることはまずありえない。
奴隷が当たり前に存在する、それを非難したところでまったくの無意味でしかない。
今の俺はその奴隷であり、言われるがままこき使われるのなら大いに結構。だが、俺はこれまで男として生きてきた。
それなのに、今の体は少女であり、ガラスに映った姿からしても磨けばそこそこになりそうだ。
その為、今思い至ってしまったことが現実に起これば、俺の精神が保つとは思えない。
それだけはなんとしても避けなければならない。だからこそ、その心配がもっとも少なそうなこの爺さんのもとで働くのが一番だと思う。
「働きます。懸命に働きます。どうか、私をここで働かせてください」
「急にどうした? お前が役に立てることがあるというのか?」
「あ、いや……」
俺は元々結婚願望もなく、一生童貞のままでも良かったのだけど……少女の体になったものの、根本的な所は男のままだ。
童貞が処女に変わっただけの話では済まない。
「お前さんの考えを聞かんとなんとも言えないのぅ。何を考えてそんなことを言い出したんじゃ?」
「て、貞操は……守りたいといいますか、俺は元々男として生きてきたので、それだけは絶対に嫌です」
俺の言葉に、爺さんは何度か瞬きをした後、笑いながら自分の膝をバシバシ叩いていた。
「なるほどな、男か……ならせいぜい儂の機嫌を損ねないよう努力することじゃな」
テーブルに置いてあったベルを数回鳴らすと、三人ほどメイド服姿の女性が入ってきた。
深く頭を下げて、爺さんの命令を待っているかのようだった。
とりあえずは、このまま何とか乗り切れればいいのだけど……一体俺に何をさせるつもりなんだ?
「では、まずは湯浴みから始めるか」
「始めるって……まさか、どうかご容赦を!」
俺は危機を察して、両手で股を押さえて座り込む。
「やだやだ、ムリムリムリ!」
「馬鹿者!」
大声と同時にげんこつを食らってしまう。
「お前さんの身なりを整えるためじゃ。貞操を守りたいのなら、余計なことを言うもんじゃないぞ?」
爺さんに睨まれ、自分の勘違いを理解した俺は、再び額を床に擦り付ける。
爺さんはメイドたちに何か指示を出しているが、俺の頭の中はそれどころではなかった。
奴隷である俺に拒否権なんてありもしない。
俺はメイドたちに支えられて部屋を出ると、別の部屋へ案内された。部屋の真ん中にはバスタブが置かれ、その隣には大きなタライがある。
これがこの世界の浴室なのか?
ボロボロの服を脱がされ、そのタライの中に座らされる。
彼女たちからは話しかけられることもなく、頭からお湯をかけられ、ワシャワシャと髪や体を洗われる。少女の体になってしまったせいか、それともこういう経験がないからか、とにかくめちゃくちゃこそばゆい。
「じっとしなさい」
そうは言っても、こちらとしてもかなり耐えている。
自分でやるからという提案は当然却下される。それからしばらく拷問のような時間が続き、ようやく湯船に浸かる。少し冷えていた体には、この心地よい温度がたまらない。
湯船に浸かっていると、髪の毛を整えるかのように少しだけ切られていた。
至れり尽くせりとはこのことなんだろうけど……奴隷である俺にこの対応は合っているのか?
部屋の扉が開くと、別のメイドが幾つもの服を抱えてやってきた。
メイド長らしき人が、それを手に取って一枚一枚広げていく。
その服が何のためのものかは、考えるまでもない。
「これでいいでしょう」
メイド長が俺を見ると、近くにいたメイドたちが俺を湯船から出そうとしてきた。
「も、もう少しだけ。浸かっててもいいですか?」
「仕方がありません。では、あと三分だけです」
俺が着ていたボロ布はさっさと捨てられている。しかしだ……持ってきた服はいくらなんでもありえないだろう。あんな物を俺が着るなんて、あまりにも現実味がなさすぎる。
赤、青、緑、それに淡い色まで、色とりどりのひらひらとした服が机の上に置かれている。
その中でも、メイド長はピンク色の物を手に取って、これでいいと言っていたのだ。
たかが数分の時間を貰ったところで、これ以上の抵抗ができるとは思えない。この場合、無難な色とはどれだ?
「時間です」
「え、あ、はい。分かりました」
脇を掴まれ、軽々と持ち上げられるが、何とか笑いを堪えるのがやっとだ。
きれいなタオルで水滴を拭き取られ、下着を着せられると、メイドたちは先ほどのドレスみたいな服を俺の前に合わせた。メイド長からは感嘆のため息が漏れる。
すかさず別の服にしてほしいと提案しようか。色ぐらいは自分で選ばせてほしい、とも思ったが……現時点で俺の意思が反映されることはない。
メイドたちの手によって、みすぼらしさはなくなったものの……姿見に映っているのは、なんとも可愛らしい少女の姿だった。
右手を上げ、左手を上げる。鏡に映る少女は、俺と同じ動きをしていた。
これが自分の姿だとは思いたくなかったが……諦める他ない。
この体に合う大きさの服がなかったためか、少しブカブカのドレス。こうしてみるとお嬢様にも見えなくもない。
誰だってこんなものを着ればそう見えるか。
これが普通の私服なのだろうか?
スカートのヒラヒラはこんなに必要?
胸にあるリボンは後で取ってもいい?
鏡を見ながらそのリボンを指でつまむと、鏡越しに、メイドたちから無言の圧力が突き刺さった。
もう何もしませんのでどうか睨まないでください。
「ほぅ、これは見違えたな」
「正直複雑な気分です」
「お前さんには、慣れるしかないじゃろうて……お前さんから見て、ここはどう思う?」
こことは何を指しているんだ?
働きたいと言ってしまったから、おそらく屋敷のことを言っているのだろう。
メイドの数が妥当なのかわからないけど、気になるところは少しある。
「見たところ経営難にでも陥っているのですか? 屋敷の設備は整っているようですが、色々と改善できる所がありそうです」
その言葉に、爺さんはニヤリと笑う。




