35 お嬢様と奴隷の価値観
「お嬢様。失礼します」
ルビーは私を抱えるが、抵抗しようにもこみ上げる吐き気を抑えるだけで精一杯だった。
昨日と同様に、テントの中には屋敷に比べると質は悪いけどベッドが用意されている。
だけど、ここは街道近くの森だ。それにもかかわらずこれだけの物が用意されている。
私だけに与えられたもので、ルビーでさえ馬車の狭い中で寝ているかもしれない。
ベッドの脇に設けられた椅子に降ろされると、ルビーは私の背中をなでてくれた。
「お嬢様。なぜあのようなことを。彼らはお嬢様に心配をかけまいと」
「そんなことはわかってる。分かってるけど……俺たちならこの程度はできるって、奴隷だからと言って自分たちの行いを卑下なんかしないで、もっと胸を張ってほしい。なんで私のために……そこまでする必要があるのよ」
たまたまでしかないんだ。
気がつけばこの世界にいて、爺さんに拾われ、奴隷をこき使い、私自身何もしていない。
「お嬢様だからです」
「それがわからない!」
ルビーの言葉も、バナンの行動も、クロの崇拝も、奴隷たちの原動力。私にはまったく理解できない。
私への評価は、絶対に間違っている。
さっき見た光景が脳裏をよぎると、また手が震え始めていた。
初めて魔物という実物を見たから?
私が、アレを倒せと命令した。
「怖い……あれが魔物……私のせいで皆に……」
「お嬢様。今は何もお考えにならず、落ち着いてください」
冒険者ギルドになぜ討伐依頼が来ている?
冒険者たちは魔物を討伐することで、その戦いに見合っただけの報酬を得ている。
なぜそんな制度が存在をしているのか? あれらは何の理由もなく、私たち人間を襲ってくる。
私の従えている彼らは、どれほど勇敢に立ち向かい、何度も何度も傷つき苦しみ、そして勝利してきたのだろう。
これまでの間、ほぼ毎日あんな物と戦わせていたというの?
その苦労を知らないところで、悠々自適な生活をしていた私に……
「皆が私を子供扱いするのは分かってる。あんなものを見たら、私だってきっとそうする。だから理解しているつもりだった。頭では分かっていたよ! だけど、俺たちはこれだけのことをやった、これだけの成果を収めたって堂々と言ってほしかった。私は何かおかしなことを言ってる? あんなのが大したことがないって、そんなわけないでしょ!」
「お嬢様。確かに魔物たちは獰猛で危険な存在です。だからこそ、どんな過酷な戦いがあったにせよ、お嬢様の姿を見た彼らの顔を、きちんとご覧になられましたか? 私には誇らしく見えましたよ」
「何? どういう……こと?」
「彼らはお嬢様の奴隷であり、個々の成果など誇示する者はおりません。ですが、全てはお嬢様のために、お嬢様の存在こそが彼らにとって一番の報酬なのでしょう」
「何を言っているのか……私にはわからない」
この世界の奴隷ってなんなんだ?
全てにおいて自分を卑下し、私のために尽力することが当たり前だと……それに私は皆のことを何も……見ていなかった?
訓練中に私の姿が見えると、皆笑っていた。危険だからと、見学をする時ですら私の前に立っていた者たち。
女将さんの元で働いている人も、私が行けば皆顔を見せにやってきていた。
私が野営地に着いたとき……皆の顔を見ていない?
なら、私は何も見えていない?
ルビーは一体何を見ていたというの? わからない、わからない。
「私はこのまま休むから。皆には食事を……」
「かしこまりました」
ルビーは頭を下げテントから出ていく。
* * *
テントの外には覇気を失った奴隷たちが皆、肩を落としていた。
「お嬢は?」
「お休みになられました」
「俺は、いや俺たちはお嬢に対して不敬だっただろうか」
バナンは良かれと思っていたことが、イクミの逆鱗に触れたのではないかと何度も大きなため息をついている。
バナンたちはイクミを主として、忠誠を捧げた。
なのに、自分たちの行動が主を不快にさせていたという事実に、奴隷たちの多くも、答えのない問いに直面していた。
「お嬢様のお気持ちはわかりかねます」
ルビーは先ほどイクミとの会話を整理していた。
これほど違う価値観を、どのように解釈すればいいのか、ルビーにはわからなかった。
「もしかして、ではありますが……お嬢様のお怒りは、あなたがたの過度な謙遜ではないでしょうか?」
「それは……どういうことなんだ?」
「私としては、バナンたちの対応は悪くないと思っています。ただ、お嬢様はあまりにも聡明すぎます。魔物を初めて見たことで、ここで何があったのかをご理解されました。ですから、このようなことになってしまったのですね。申し訳ございません」
「姉御……」
イクミとバナンたちとではまったく違う価値観がある。
主従関係の概念を持たないイクミには、主に付き従い、主のお役にたつこと。それが、喜びや幸福を感じるという考えはない。
その一端を感じたルビーもまた、自分の行いがイクミにとって本当に正しいものかに不安を感じ始めていた。
「ところで、話は変わりますが……以前から度々、そのような言葉を私に使われておりますが、どういうことでしょうか?」
ルビーの鋭い眼光に、バナンはたじろいでいた。
「すみません。たまに、お嬢の姉上のように見えることがあるから、かもしれません」
「姉ですか……そう思われているのなら、不思議と不快な気分にはならないですね」
「イクミ様は?」
「もうお休みになられました。それで、周辺はどうでした?」
「それなりに魔物はいましたが、奴らは私たちに怯えているのか出てくる気配はないようです。イクミ様は、お一人で大丈夫なのでしょうか?」
三人の視線は、テントに向けられた。バナンは大きな息を漏らした。
「俺にはこれしかない……なら、ここら一帯の守りを固めるとするか」
バナンは置いてあった剣を持って立ち上がる。
隊長が立ち上がったことで、数人の奴隷たちも腰を上げ準備に取り掛かる。
「私はイクミ様のテントを見張る」
「お嬢様は私たちのことを……疎まれているのでしょうか?」
「俺はお嬢にどう思われていようが、大して問題にもならない。お嬢の目的のため冒険者をやる。それがお嬢を守ることになるなら、この命を懸けられる。姉御はお嬢の隣にいてくれさえすればいい」
「同感。イクミ様を害するものは、たとえどんな相手であろうとも排除するのみ」
冒険者に護衛。二人には、はっきりとした目的がある。
ルビーは、立場は違うが守るべきものはある。
しかし、彼らとは違いイクミの身の回りを世話する彼女にとって、これだと言える明確なものがほしいと感じていた。
「あなたたちは気楽で羨ましいです。私もそんなふうに思うことができればよいのですが」
明日、奴隷市場に到着する。ルビーはイクミのことだからきっと何かが起こりそうで不安が頭から離れないでいた。
今までの商人たちであれば気にも留めないことを、許さないかもしれない。
イクミ・グセナーレはそういう人だから。




