34 お嬢様と魔物
それから馬車は進んだが、見える範囲では、やはり何があったのかは確認できなかった。
あまり眠れていなかったせいか、何度も小さく欠伸を繰り返していると、ルビーは私の肩を引き寄せていた。
「それでは、こちらへどうぞ」
太ももをポンポンと叩き私を招いている。
私は寝てばかりのような気もするけど……とくにすることもないので、ルビーの膝枕に抵抗することもなく頭を預けると、ゆっくりと頭を撫で始めていた。
私はまだ魔物というものが、どんな姿をしていてその危険性がまるで分かっていない。
バナンたちはいつも『大したことはない』そう言って、それをただ鵜呑みにしてきたのは私だ。
昨日の野営地も、彼らはどれだけの死闘を繰り広げ、あの場所の安全を確保していたのか、私には想像すらできていない。
その苦労を理解できていない私は、皆に対して感謝できているのか?
知りたいと思うくせに、結局は安全なところで踏みとどまり、自分の意志で見ようとしていない。
なのに奴隷の皆は本当にそれでいいのだろうか?
私は皆に対してちゃんと評価しているの?
ルビーに起こされると、空は夕焼けに染まり太陽はほとんど見えなくなっていた。
私はいつの間にか眠りこけていたようで、馬車から降りるとバナンたちが整列をして出迎えてくれる。
皆は疲れている様子もなく、むしろどこか嬉しそうな顔をしているようにも見えた。
「お嬢、お待ちしておりました」
「バナン、私は無茶をしないでって言ったよね!」
昨日に続いて脳天気な顔をするバナン。
「ほ、本当に、無茶などしておりませんよ」
「休息は交代で、ちゃんと取れております」
「問題ありませんぜ」
「オレたちも、ピンピンしてますぜ」
当然のように笑う彼らに、苛立ちが募る。
お前は、お前たちは何なんだよ!
「お嬢、まぁ……その、大丈夫だ」
それはガッツポーズのつもりか?
余裕を見せているバナンたちに、先行していたとは思えないほど疲労の様子はない。
同じように設けられたテントに、私専用のテーブル。
昨日よりもまだ明るいためか、森の奥に微かに見えるなにかの山。
「あれは何?」
何だって?
私なら理解しているはず。
私は理解していた。
「な、何のことですか?」
バナンの表情は焦っている。
皆が隠してきたモノがあそこにある。それだけのことをしていたのに、何てことはないって済むはずがない。
「あそこの奥に見える。山のようなものは……魔物の死体?」
「え、お嬢。それ以上行ってはダメです。お嬢」
走り出した私の腕を、バナンはとっさに掴み、振り返ると慌てて手を離した。
「ふぅ、分かったわ。私の方こそごめんなさい」
「お嬢。そこに座っていてください」
これから先もこんなことが続いたりするのかな?
私だけ安全な場所へと追いやり……いつか、ここにいる誰かが……いなくなる。
考えたことがないわけじゃない。
屋敷の中では見ない装備の数々。
昨日からずっと考えてしまう。
体を守るための金属。
魔物を、敵を屠る剣。
彼らは元冒険者であって、今はただの奴隷だ。
紋様を無くしたバナンやクロは私を、命をかけて守る。本当にそんなことがあるのか?
本当に守る必要性なんて……私にその価値があるのか?
「皆はすごいね、あれだけの魔物を……それにしても皆。随分と強くない?」
「そうですね。あれから随分と経ちましたからね。イクミ様は、現状を見ておりませんからわかりにくいかと思いますが……」
「見ていない? そう見ていないのよ! 見せないようにしている人が言うと、説得力があるわね!」
クロは耳を垂らして、俯いてしまった。
皆がそうしたいという気持ちは分からないわけでもない。私だって子供に、血生臭い光景を見せたくはないだろう。
ルビーだってあの時、私を止めようとしたけど、なんでまた止めようとするのだろうか。
私がどういった人間で……過去すらを知っていて、なぜ止めようとする必要がある?
「俺たちはお嬢様を守るためだったら、こんなことは屁でもねえさ」
「それに魔物とは言っても、この辺りの魔物は弱いのばっかりで、俺等程度でもなんとかなるものでさ」
「そうそう、隊長はともかく、俺等みたいな奴隷でもこなせる程度の魔物なんだ」
「お嬢様は、何も気にすることはないんですよ」
なんで……
「私が子供だからか!」
私は、バナンを押しのけあの山に走り出していく。
バナンの行動からして、私が見るものではないのだろう。
あれはきっと、私には見せられるようなものではないのだろう……私だってそんなことは頭ではわかっている。
私がお前たちに、何をさせているのか理解させろ!
魔物の死体の周りには多くの木が集められていた。
その光景は、目を覆いたいほどの悲惨なものだった。その気持ち悪さから、胃から吐き気がこみ上げてくる。
こんなのを相手に、今まで……死んでいるはずの魔物の目が合い、私はその場で動けないでいた。
魔物の死体。動くはずもないのに、それでも言いようのない恐怖が私の中を覆う。
手は震え、足は動かない。頭で分かっているはずなのに、動くことも声を上げることもできなかった。
「お嬢。確かに独断でこのようなことをして、申し訳ない。さ、お嬢ここはあまりよくない。戻ろう」
バナンに抱きかかえられその場から無理やり引き離される。
私の体は震えたままで、なんとか両手を握り合わせていても震えは止まることはない。
「お嬢。なんであんな無茶をしたんですか」
「お嬢様……なぜあのようなことを」
少しだけ落ち着きはしたが、足はいまだに震えている……
あれが魔物。すでに死んでいると分かっているはずなのに、どうしてあれほどの恐怖を感じるのだろうか?
いろんな魔物がいたが、ここで戦っていたのは紛れもなくここにいる皆だ。
「あ、あれが、大した、ことない? 奴隷程度が、簡単にこなせる?」
皆何を馬鹿なことを言っているの?
いや、ちがう……私がさせていたんだ。
元冒険者だから、魔物を討伐させ、私が奴隷市場に行くなんて言ったから、私が皆に危険なことをさせていた。
報告書を見て、私はお金しか見ていない……それなのに、私は……
「イクミ様。初めて魔物をご覧になったのですね。恐ろしいかと思いますが、私たちにはあの程度の魔物なんて……大したことありませんから」
クロの言葉に、私は頭に血が上ってしまう。
「私が子供だからか!? だからそんなでまかせを言って、大したことないって思わせているのでしょ!?」
「いえ、私はただ……」
「ああ。そりゃ、そうよね。皆が、言いたいことは分からなくもない……あんなものを前にして、私は怖かった。でも、皆は頑張っている。私なんかのために……なのになぜそれを堂々とできない! 私は、そこまで尽くす価値があるというの?」
こみ上げる気持ち悪さに手を口に当てる。
同時に涙は止まらなかった。
悲しいのか悔しいのか……何も分からなかった。




