32 お嬢様は奴隷市場へと向かう
「お嬢様。準備が整いました」
執務室で、私はその言葉をただ待っていた。
準備の様子はテラスから見えるのだけど、私が見ていれば気が散ると思いここで待っていた。
「わかった。それじゃ行こうか、奴隷市場に」
奴隷市場はここから馬車で移動するのは当たり前なんだけど、街道を進むにしても三日はかかる場所にある。
いつも行っている街には奴隷商館がない。その理由は、奴隷商人である私の屋敷がここにあるからだと思う。
周辺を調査してもらった結果、他の街にはいくつかの商館があるものの、そこで奴隷たちに付けられている価格帯は、相変わらずおかしい。
それもそのはず、私が求めるような人材ではなく、街にある商館の多くは、快楽を求める客向けのものとも言える。
その結果を踏まえて、今回の奴隷市場という話になった。
その場所は馬車で三日かかる。滞在も合わせて、必要な物資など七日分は必要になるらしい。
その市場にも小規模な店があるにはあるのだけど、まともな価格で売られていないらしい。
バナンたちの言っていた準備に時間がかかる、その意味を聞いてからようやく理解することができた。
そしてもっとも重要なのが、奴隷市場のある場所は街としての機能を持たない。だから、いろんな犯罪が横行している。
そんなところへ行こうというのだから、皆が懸念をしているのは、私に降りかかる危険性。それを何よりも危惧していた。
「とはいえですよ? あのさ……おかしくない?」
馬車に乗り、一時間ほど経過しているのだけど……のどかな風景を余所に、私の馬車の周りは物々しい有様だった。
「何がですか?」
「いや、わかるよ? 私を守ろうとするのはね。だけど、冒険部隊が全員来るって聞いてないんだけど?」
「そのことですか? 簡単な話ですよ。皆、イクミ様をお守りしたいからです」
クロ、それはちょっと答えになってないような気がするよ?
私の乗る馬車の周りには陣を組んだ冒険部隊たち。その後ろにある馬車は食料などを馬車いっぱいに積んでいる。
いつ用意していたのよ……
魔法が使えるということもあってか、簡易冷蔵庫まで持ち出すほどの徹底ぶり。
そして、料理部の人たちもいる。屋敷に残っているのは……何人なの?
同じように陣をとっているだけではなく、馬を使って先行部隊が周辺の警備にあたっている。
馬に乗るのってどんな感じなんだろう……
「私も馬に乗れたり……」
「無理です」
「ダメですね」
馬に乗るイコールで、二人は落馬のことを言っているのだろう。
私がやっていいことは多いものの、絶対条件として私に危険がないものに限定される。
この大掛かりな馬や馬車などは、私の知らないところでいろんなことが勝手に進んでいるように思えるのだけど……これもトパーズの仕業なのか?
「大げさすぎるような気がしてならないよ、何これ軍隊なの?」
「お嬢様をお守りするのが彼らの使命なのです。それをどうかお忘れにならないでください」
あえて危険なところへ行くのだから、皆も気が気じゃないみたいだね。
それに関しては今更どうこう言ったところで始まらない。
出発して三時間。とにかく暇でしかない。
ルビーやクロと世間話ということもなく、話しかければ答えてくれる。
しかし、面白そうな話に繋がらない。
電車ではなく、自転車並みの速度で進むため風景の変化も乏しく見ていてすぐに飽きが来る。
馬車は基本走らない。
「ただこうして、外を眺めているのも暇だよね。トランプや将棋とかあればある程度暇つぶしにもなるのに」
「それはどのような物なのですか?」
私がいた世界の遊具の話をしていると、ルビーは真剣に考え込み、クロはよく分かっていないようだね。
ただ、しきりに『すごいです』を繰り返していた。
そんなにヨイショしなくてもいいのに……その日は無事一日目の野営地に着いた。
野営する必要があるのは理解している。
街から街まで、離れていることも理解しているから、野営がどんなものかを知っている。
だって街がないからしょうがない。
だからこそ、今ある光景そのものがおかしいのだ。
「あのさ、あのさ、あのさ!!」
私はルビーの袖を掴んで、振り回していた。
「なにか問題でもありましたか?」
「いやいやいや、なんでそんなに冷静なのよ! あれを見てわからないの? おかしいよね? これはどう考えてもおかしいよね!」
「野営のことですか? あなたはなにか変だと思いますか?」
「いえ、普通ですよね?」
見た目で言えば確かに普通と言えなくもない。
普通……普通だといいのか?
こういうことは、初めてだからよくわからない。
だけど、たった今、私は馬車から降りた。
野営をするという場所に、たった今、着いたのだ。
本来であれば、これから準備されていくと考えるのが普通だと私は思う。
それなのにもかかわらず、すでにテントは設置済み。土魔法を使ったのか地面もきれいに整地されている。
その整地された場所には、見れば誰のために用意されているのかが容易にわかるほど、きれいな布をかけられたテーブルがあった。
これから夕食の準備をするというのならまだしも、あたりに漂う匂いからしてすでに調理が終わっている。今からでも食事を開始できるほどに整えられていた。
何が問題かという点において、圧倒的に時間がおかしい。
着いた段階で何もかも、全部が終わっている。いや、整っている。
「お嬢だ。お嬢がいらっしゃったぞ」
「ふぇ?」
私の前に冒険部隊だけでなく、メイドたちも一緒になって跪き出迎えてくれた。
その数、ざっと見ただけで十五はいると思う。
冒険部隊は全部で三十一人。先行部隊がここにいるのではなく、話によると昨日の朝には出発していた人たち。
そういえば昨日から何人か姿が見えないと思っていたのだが、その正体がこの先行部隊だったのだ。
「バナン。これはどういうことなの?」
「お嬢の安全を守るのが今の俺たちの役目。この辺りの魔物はほぼ排除しております。ご安心ください」
「排除って……」
ほぼ排除……それの意味がわからないのだけど?
私の安全を確保するために、この辺り一帯を狩り尽くしたの?
なんでこうも危険なことばかりしている。
「無茶はしないって言ったよね?」
「お嬢のためですから。これぐらいやって当然」
「当然って……そうは言うけど、本当に……それでいいの?」
「それはどういうことなんだ?」
バナンたちは私の言いたいことが何一つも分からないと言った顔をしている。
他の皆も、私が言っていることの意味に理解を示そうともしない。
怒りを通り越すと呆れるって本当ね。なんでこんなことになっているのかを問い詰めたとしても、答えは変わりそうにもないわね。
「もういいよ。皆、ありがとう、お疲れ様。ちゃんと休憩はするのよ」
お礼を言っただけで、何がそんなに嬉しくて騒いでいるの……
ルビーに座るように促されたのは、私のためだけに用意された椅子とテーブル。
なぜ平然と、私だけにテーブルと椅子が用意され、地面は魔法を使ったのか、平らに加工をされている。
至れり尽くせりとはまさにこのこと。だけど、心から喜べないのはなんでかしらね。
「お嬢様、夕食に致しましょう」
「うん。そうだね……」
「只今、戻りました。この辺りには魔物の影はありません。大丈夫です」
「そう、お疲れ様。馬を降りてこっちに来なさい」
「お嬢様!? は、はい。直ちに」
周辺の警邏をしてきた青年に声をかけた。
馬を繋ぐと、急ぎ足で私のもとに駆け寄り膝をついていた。
「お待たせしました」
「気にしないでいいわ。あら? 木の枝にでもぶつけたの? 気休めかもしれないけど、これを巻いておきなさい」
「で、ですが」
「私がいいと言っているのよ?」
受け取ろうとしないので、持っていたハンカチを傷口に当て軽く縛ると、なぜか彼の顔色はみるみるうちに青ざめていった。
そこまで強く縛ったつもりはないのだけど。
「きつかった?」
「い、いえ。あ、ありがとう、ございます」
「大丈夫? なんだか顔色が悪いようだけど」
私の後ろから二人の大きな男が現れると、両脇に腕を忍ばせ軽々と彼の体が浮いた。
「お嬢、こいつなら大丈夫ですよ。だよなぁ?」
「そうそう、お嬢に優しくされたから、きっと戸惑っているだけだ。なぁ、そうだよな?」
「そう? ならいいのだけど」
奥へと連れて行かれ、何人かの冒険者たちに囲まれる。多分手当でもするのだろう。
多分、治療だ。治療する以外ないと思うし。
怪我にはポーションという薬がある。冒険者ギルドにも薬草の採取もあった。
あの程度の傷もそのポーションとかがあれば、すぐに治せたりするのかな。
実際に体験しようものなら、自分の体を傷つけたら赤い人の説教が怖いからするつもりはない。




