17 お嬢様と元の体
自室へ運び込まれ、ゆっくりと床に降ろしてくれる。乱れた服を整えると、椅子に座るように促された。
怒っている様子を見せるルビー。反論をすることもなく、指示通りに座る。
ルビーがこんな強行をとったのは初めてだった。
普段は口うるさく注意するだけのルビーが、いったい俺の何にここまで怒っているというのだ?
「お嬢様。先程からご自身のことは『俺』と呼び、あれほど頑張ってこられたのに一体どうしたというのですか?」
ルビーは俺のことをお嬢様と呼ぶ。事あるごとに『グセナーレ家のご令嬢として』『淑女たるもの』『旦那様に言いつけますよ』と、言葉遣いや態度を指摘されたことは山ほどある。
いろんな事が頭の中をぐるぐると回っていたせいか、イクミではなく育実に戻りつつあったのかもしれない。
「俺は……あ、そうか。ごめん、口調も……」
俺はいつからそんな言葉を使っていたのだろうか。
最近ではあまり意識をしなくてもいいぐらいに、言葉遣いは良くなってきていたはずだ。
爺さんの養子にされたおかげで、いい暮らしができている。だけど、俺の失敗が続くようであれば、容赦なく売り飛ばされるだろう。
そうならないためにも、ルビーは俺のためにと懸命に支えてくれている。
「俺、いや私は余裕がない……余裕がなくなっていた」
「お嬢様。昨日の夜はいつお休みになられましたか?」
「あ、いや……その、やることが多すぎて……悪い、これからは気をつける」
「よくそのお体でこれほどの無茶ができますね。今は少しでも寝ていただきたいのですが? そうして頂ければ今回のことは不問に致します」
上着を脱がされ、ベッドに案内をされる。
頭の中は今もぐちゃぐちゃで眠気はまったくなかったのだが、これ以上ルビーに心配をかけさせるわけにもいかない。
「ごめんなさい。反省するよ、横になるから気が向いたら起こしにきて」
「かしこまりました」
ルビーが部屋から出ていく。目を閉じれば今日の出来事が繰り返され、これからを考えてしまう。そうなると、さまざまな問題が溢れてしまう。
それでも寝ようと努力しようにも、やはり机の上に置かれている資料が気になる。
「横になるとは言ったものの……やっぱり寝られない。ルビーには悪いが少しだけ事務整理を……」
机に向かい、乱雑に置かれたいくつかの資料に目を再度通していく。
気になる案件は新しい紙に追加して、項目を増やしていく。
「うーん、やはり周りの拡張がどうしても必要に……料理を新作か、そう言えば猪を捕まえていたな。ラードを作ることは出来ないだろうか? となると街の市場にでも行って野菜とかを見て回るしかないな。今日は流石に行かせては貰えなさそうだし、明日にでも行くとするか……」
少しだけと思い、机に向かっていたのだが……
「お嬢様?」
声が聞こえたから見上げると、見るからに様子が違っているルビーの姿があった。
無表情なのはいつものことだけど……鋭い目つきに目が合うと、なぜか恐怖感だけが大きく膨らんでいく。
あれだけ心配されたにもかかわらず……俺はこのまま連れて行かれるのだろうか?
「何を……なされているのですか?」
「は、はい。いや、あの、これは……中々寝付けなくて」
手元の資料はルビーに取り上げられる。さっきまで色々な思案を書き込んでいたものだ。
それに目を通した後、ソファーの上に投げつけ大きなため息をついていた。
「このような事をなされておられましたら、それはそれは、お休みにもならないでしょう」
言葉遣いは丁寧なのに、なんだこの強い圧は……逃げるように視線を別の書類へ向ける。視線の先にあるその書類をルビーが手に取ると、一瞬にして紙は燃え上がり、灰になっていった。
ロウソクとかもないのに今のはどうして……?
「こんな事をしているということは、睡眠を取られるのが無駄ということですか? お嬢様はここ数日、このようなことをされていたのですか?」
「いや、その……」
「お答えください」
「はい、バレないように、ベッドに戻るところまでは頑張っていました……」
「それを容認しろと仰るのですか?」
拳が机に叩きつけられ、大きな音が部屋中に響き渡る。
だめだ、今は何を言っても怒られる。どうすれば……どうすれば俺は寝られる?
考えろ。このことを考えるだけの余力は、まだ残っている。
「俺じゃなくて、私が……その、仕事ができない場所に連れて行ってくれたらいいのに。ここにいると、どうしても意識がそっちに向いてしまうから……」
「なるほど、それも一理あります。それでは少し街へ出かけましょう」
そう言い切ると、有無を言わさず着替えさせられ、俺はまた抱えられる……ドレス姿でのお姫様抱っこを、一日に二回も経験するとか勘弁してほしい。
「街に出るのは私も否定はしないよ。だから、一人で歩けるから降ろしてくれない? 絶対に逃げたりしないから」
「睡眠時間を削った今の状態では、お体に障ります。それに、今しがた嘘もつかれましたので、お嬢様のお言葉には、現在信用が欠如しております」
逃げないよ、逃げないから。せめて降ろして……
前と同様に馬車に乗せられるのだが、今回はルビーも馬車に同乗し、抱っこも継続中だ。
街に着くなり、窓はカーテンで閉められ外の様子すら見ることもさせてはくれない。
きっと、さっき資料に書いた『市場』の文字を、ルビーは見逃していなかったのだろう。
馬車が止まりようやく外に出たと思えば、外観から何の建物かすぐにわかる建物の前にいた。
「ここは教会か?」
「ええ、お嬢様はここならきっと仕事のことを忘れるのではないかと判断しました」
中に入ると、友人の隣で見ていたゲームによく出てきた光景が、そこにあった。
木でできた長椅子に、奥の中央には神像も置かれている。
見た目からして、女神だろうか?
「シスター、少しよろしいですか?」
「あら、お初にお目にかかります。この教会でシスターを務めているミミルと申します」
「このような格好で失礼します。私はイクミ・グセナーレです。こちらは侍女のルビー」
「よろしくおねがいします。それで今日はどうされたのでしょうか?」
それは俺の方も聞きたいところだ。
教会に何があるのだろう?
「シスター。申し訳ありませんが、お嬢様にお説教をお願いできますか? 夜ふかしをして、なおもお休みになられないのです」
「は? 説教だなんて」
「そうですか。では、そちらに掛けてください」
それからシスターの話が始まるのだが、何一つ俺の頭には入ってこようとはしない。
どこかで覚えのあるこの状況は、一体何なんだ……説教といっても、俺が叱られるような話ではない。
聖書に書かれているであろう言葉を、延々と聞かされているのだ。
そうだ……これは……
まぶたが重い、頭を支えるのもやっとだ。
そう、あれは高校時代に味わった……退屈な授業の、あの感覚だ。
あの時の感覚を思い出したとき、俺の意識はぷつりと切れていた。
どれぐらいの時間がたったのだろう……
目が覚めると、屋敷の自分のベッドの上だった。
真夜中だったが、隣で眠るルビーを起こさないためもう一度布団に深く潜り込み目を閉じた。
「おやすみ。ルビー」




